第四十四話:人の価値
店の扉が、乱暴に開かれる。
踏み込んで来たのは、剣呑な視線と武器を携えた獣人達だった。その先頭に立つのは――頭部から三角形の耳を伸ばし、銀色の尾を揺らす狼。
《獣王》の幹部、ヴォル・ヴォルトである。
「この裏切り者が」
銀色の狼は、牙をむきだし――怒りと侮蔑を込めて、そう吐き捨てた。
「あれだけベガ・ベルンガに厚遇されておきながら、その信頼を裏切るか。やはりヒューマンは信用できん。貴様らには義も誇りも無く、平然と嘘をつく」
「……おいおい、何でワンちゃんが、このタイミングでやってくるわけ?」
軽口を叩きながらも、鉄平は内心で冷や汗をかいていた。
もちろん、二人はギルドを裏切るつもりはないし、むしろ今まさに激発しそうなところだったのだが――敵ギルドの親玉と、夜の酒場で同じテーブルを囲んでいれば、内通を疑われても仕方が無い。
それにしても……彼らがまだ酒場に入ってそう時間は経っていない。なのに何故、ヴォル・ヴォルトはここが解ったのだろうか?
鉄平の疑問を見透かすように、テーブルの向こうでソラトがにやっと笑った。
「ああ――忘れてた。さっきそのへんに居た獣人の餓鬼に、銅貨を渡して言伝を頼んだった。『《獣王》のヒューマンが裏切った。今まさに、敵ギルドの頭目と会ってる』ってな。いやぁ、てっきり二人とも俺の部下になってくれると思ってたからさぁ」
「テメェ……」
鉄平は歯がみした。ソラトの目的は会談の内容ではなく、会談を行ったという事実そのものだ。ソラトは初めから、二人の意思に関わり無く《獣王》から離反させるつもりだったのである。
「くっそ! おい、ワンちゃん。今の聞いたろ? 俺らは填められただけだ」
鉄平の言葉に、ヴォル・ヴォルトは呆れたように鼻を鳴らす。
「聞く耳持たぬわ。第一、その席に着いたのは自分の意思なのだろう?」
その通りだった。だが二人に裏切りの意思は無く、凶悪な敵との戦闘を避けようとしたけだ。だが、ギルドの了承を得ずに取った行動は内通と取られても仕方が無いのもまた事実。
――鉄平も彰吾も、元々は平和な日本で暮らしていた若者にすぎない。犯罪組織に身を置いたことなどないし、敵対組織と抗争したことなどない。
だから二人には、『犯罪組織に属する者』としての自覚も心構えも致命的に足りていなかった。己の振る舞いが他者にどう見えるのかを考えず、この世界では「疑わしきは罰せよ」が当然である事を実感せぬままに行動した結果、このような事態を引き起こした。
もはや抗弁は意味をなさない。ヴォル・ヴォルトはヒューマンである二人を嫌っている。公然と彼らを抹殺できる機会を得た彼が止まる理由など、何処にも無いのだから。
「貴様のような薄汚い裏切り者は、この場で引き裂いてくれる!」
ヴォル・ヴォルトの叫びと共に、獣人達がテーブルを取り囲む。いずれもヴォル・ヴォルト直属の部下で、《獣王》でも特に腕利きと目される戦士たちだ。彼らは牙をむきだしながら、携えていた得物を引き抜いていく。
荒事の気配に、店の客が悲鳴を上げて席を立つ。瞬く間に店内から人の姿が消えた。残るのは殺気だった獣人達と、二人のプレイヤー、そして。
「まあ、待てって」
一触即発の場に――未だに椅子に座ったままのソラトが割って入る。武器を持った集団に取り囲まれてなお、少年は不遜な態度を崩すことなく、面白がるように言葉を紡いだ。
「アンタは確か、《獣王》の幹部だったな。なあ、俺と手を組む気は無いか? 今のボスをぶっ殺して、ギルドを乗っ取るのさ。次のボスはあんたがなればいい。どうだい?」
あまりに平然と、何一つ悪びれる様子もなく、少年はヴォル・ヴォルトに裏切りを促す。人を騙し謀る事に罪悪感を持たない、悪魔の囁きだ。
「ほざけ、ヒューマンが!」
しかしながら、悪魔の囁きに対してヴォルヴォルトが返したのは、敵意と罵声だった。
「貴様が《赤い外套》の頭だな。仲間の敵だ! 貴様も裏切り者共々殺してやる!」
狼の獣人は叫び、黒髪の少年に血走った瞳を向ける。込められた殺気だけで人が殺せそうですらあった。
しかしソラトは涼しい顔を崩さない。にやにや、にやにやと麝香猫のように笑いながら、わざとらしく肩をすくめる。
「やれやれ、二連敗か。どうにも俺は人に好かれないな。なあ、カイム。悲しくて泣きそうだ」
話を振られた黒髪の乙女は、油断無くグレイブを構えながらも、困ったように微笑んだ。
おどける少年に、ヴォルヴォルトの眦がつり上がる。
「貴様、ふざけて――」
「で――誰が誰を殺すって?」
怒声を上げようとしたヴォル・ヴォルトを、静かな――ぞっとするような虚ろな声が遮る。
誰もが凍りついたように動かない中、ソラトが悠然と立ち上がる。たった一人の少年に、この場にいる全ての人間が呑まれ、威圧されていた。
赤い空に浮かぶ、真っ黒な太陽のような――見る者全てが不安と恐怖を呼び起こされる、異様にして圧倒的な存在感。これが本当に、自分と同じ日本人のガキが放つ気配なのかと、鉄平は胸中で悲鳴を上げた。
「この……」
沈黙を打ち破ったのは、ヴォル・ヴォルトの掠れた声だった。
「ヒューマンのガキがああああああああああああああ!」
咆哮と共に、その手が腰に納められていた曲刀を引き抜いた。獣人の驚異的な身体能力から放たれた斬撃が、少年の身体を通り抜けていく。
少年は、動かなかった。動いたようには見えなかった。
――斬撃を受けて倒れることも、無かった。
くるくると、銀色の光が宙を舞う。光はやがて重力に引かれて落ちて――軽い音を立てて木の床に突き立った。
それは――半ばから断ち切られた、鋼鉄の刃だった。
ソラトの手には、いつの間にか短剣が握られていた。その刃が、ヴォル・ヴォルトの握った曲刀を半ばから切り飛ばしたのだと、誰も気づくことが出来なかった。
ヴォル・ヴォルトは剣を振り抜いた姿勢のまま、動かない。己の手に残った、長さが半分になった愛刀を、呆然と眺めていた。
「――さっきからヒューマンヒューマンと、うるさいんだよ」
銀狼が惚けていたのは、わずかな時間だった。だがその間に、黒髪の悪魔が長靴の靴底を、ヴォル・ヴォルトの腹部にたたき込む。
ヴォル・ヴォルトの口蓋から、押しつぶされた空気と悲鳴が吐き出される。屈強な身体がくの字に折れて、上体がその位置を落とした。
下がった頭、その額へと、ソラトが短剣の柄を打ち付ける。鈍い、おぞましい音が響き、床に血が飛び散った。狼はのけぞるようにして倒れ、後頭部で床を叩いた。
「愚かな男だ。獣人だの、ヒューマンだの、そんな違いには、なんの価値もないというのに」
ソラトは無造作に、倒れたヴォル・ヴォルトの身体を踏みつけた。一撃、二撃、次々と靴底が叩き込まれ、的確に急所を打ち抜いていく。
「人に価値があるとしたら――それは俺にとっての利用価値だけだ」
身体能力に長けた獣人、それも武闘派としてギルドの幹部にまで上り詰めたヴォル・ヴォルトを――少年は一方的に蹂躙していく。
「せっかく俺が使ってやろうと言うんだ。なにも自分で自分の価値を無くすことは無いだろう?」
「貴様!」
ヴォル・ヴォルトの劣勢に――呆然としていた部下達が我に返り、助太刀しようとした踏み出した。
「させないよ」
その前に、黒髪の乙女が立ちふさがる。グレイブが閃き、踏み出した獣人たちを、容赦なく切り倒していく。
その光景を――彰吾と鉄平は、どうする事も出来ずに眺めていた。ソラトとカイムは敵だし、獣人達ももう彼らを味方だとは思ってない。結局どちらに味方する事もできず、二人はただ戦場で立ち尽くしていた。
「さて……彰吾、鉄平。お前達の答えはよく解った」
二人が我に返ったのは、投げかけられたソラトの言葉によってだった。その足元には、血と吐瀉物、そして折れた歯を撒き散らし、動かなくなった銀色の狼が倒れている。
「後悔するなよ――なんて言わねぇよ」
にちゃ、と血溜りで靴底を汚しながら、ソラトがゆっくりと近寄ってくる。相手は小柄であるにも関わらず、鉄平はまるで巨大なモンスターが迫ってくるかのような錯覚に陥った。
「たっぷりと、後悔しろ」
悪魔が笑い――四人プレイヤーによる闘争が、幕を上げた。




