第四十三話:毒の舌
戦う覚悟を決めた二人だが――ソラトの提案する「話し合い」に応じた。
覚悟があるかどうかと、積極的に戦いたいかどうかは別問題である。戦わなくて済むなら戦いたくない。日本人としての同族意識もあるし、単純にリスクを回避したいという意味合いもある。
意外なことに、ソラトは鉄平に会談の場所を任せた。訝りながらも鉄平が選んだのは、いくつかある馴染みの店のひとつ――当然《獣王》傘下の店――だったが、ソラトは気にした風も無く頷いた。
およそ交渉において、場所というのは一番初めに揉める点だ。相手の指定した場所には罠がある、と考えるのが当然だからである。今回の交渉はソラトから唐突に持ちかけられたものだから、罠を仕掛ける暇はなかった。しかし、《獣王》傘下の店で交渉するという事は、敵の只中に飛び込むということだ。罠が無くとも、周囲が敵ばかりの場所の赴くのは、危険であることに変わりない。
――警戒心とかねーの?
日本人だから、いきなり罠に嵌めることは無いと考えているのだろうか。いや、そんな甘い考えを持っている相手には思えない。
テーブルの向こうに座った少年を、鉄平は改めて観察した。《NES》で最悪のPKと恐れられたプレイヤーは妙に幼さを感じさせる仕草で、しげしげとメニューを眺めている。顔立ちだけ見れば、育ちのよさそうなお坊ちゃん、といった感じだ。男にしては長めの髪と、細い体つきがその印象に拍車をかける。
が――身に纏った気配は、あまりに異質だった。まるで虫か爬虫類が、無理に人の形をしているかのような、根本的に人と相容れない何か。
鉄平とて、こちらの世界では犯罪ギルドに身を置いている。殺した数も、両手の指の数では足りないだろう。だが、目の前の少年は次元が違う。これが本当に自分と同じ、平和な日本で生まれ育ったガキなのかと、小一時間問い詰めたい気分だった。
例えPK――殺人者といっても、所詮はゲームの話だ。実際に命を奪っているわけではないし、違法行為でもない。《NES》におけるPKはプレイスタイルの一つであり、非難されることではないのだ。PKだからといって人格に問題があるとは限らない。だが、コイツは明らかに「普通」じゃない。
――だとすると、こっちから口説くのがベターだよね。
胸中で呟き、鉄平はソラトの背後で佇む、黒髪の乙女へと視線を向けた。
彼女は手にグレイブを携え、表情を引き締めてはいるが、目に敵意は無い。凛とした雰囲気の美少女だが、そこに苛烈さは伺えない。大和撫子を絵に書いたような美少女で、正直鉄平としてはかなり好みなのだが――大抵の場合、こういうタイプの娘は鉄平のような男が嫌いである。
「でさ、そっちのお姉さんは紹介してくれないの?」
彼女に矛先を向けたのは、何も下心からではない。見るからに「壊れた」少年より、話が通じそうだからだ。彼女を蚊帳の中に入れることで、交渉の糸口にするつもりだった。
「ああ、そういえばそうだな」
ソラトが呟き頷くと、視線で少女を促した。少女は一歩前に出ると、僅かな微笑さえ浮かべながら、名乗る。
「カイムだ。よろしく」
「……マジかよおい」
《黄金宮》チャンピオンの名を聞いて、鉄平は引きつらせる。言わずと知れたPvPの達人だ。NPKと並ぶ、対人戦闘の専門家である。先ほどの金髪の少女といい、洒落にならない戦力が揃っている。
しかもカイムと名乗った少女は、席に座る事無くソラトの後ろへと下がった。自分はあくまでソラトの護衛、と態度で示したのである。
これは上手くない。交渉に引っ張り出せないのもそうだが、彼女はソラトの部下、少なくともソラトの意図に沿って動く立場ということになるからだ
彼女がソラトと対等――それも異世界に紛れ込んだ同胞としての連帯感で組んでいるのであれば、そこから崩すことが出来るかもしれない。しかしどういうわけか、この美少女はソラトに従属しているように見える。少なくとも、この場では自分の意見を出すつもりはなさそうだ。
ちらりと、鉄平は隣の相棒に視線を向ける。彰吾は何を考えているかわからない無表情だった。だが別な世界にトリップしているわけでないことは、目が鋭さを失っていないことから解る。
「さてさて、話したい事はたくさん有るが――まず一番大切なことから始めよう」
にやにやと、鉄平のそれとは違う、毒を孕んだ笑みを浮かべたソラトが、口火を切った。
「――俺と、手を組まないか?」
単刀直入に、ソラトはそう訊ねてきた。
「俺らにギルドを裏切れって? それに関しては丁度、『お断りします』で見解が一致したトコなんだけど」
彰吾はギルドを見捨てないし、切り捨てない。義理と人情、そして意地があるからだ。そして相棒が決めた道に、鉄平も付き合うつもりがあった。
しかし、ソラトは肩をすくめた。
「ギルドを裏切るのが嫌だというのならば、裏切らないまま俺と手を組めばいい」
「……なんだそりゃ」
ソラトの物言いに、鉄平は眉を顰める。
彼と彼の率いるギルドは、鉄平、彰吾の所属するギルド《獣王の血脈》と敵対している。彼と手を組むということは、敵と繋がる――裏切るということだ。
「俺の目的は、あくまでこの街で勢力を拡大することでね。別に《獣王》とやりあうことじゃない。穏便にことが済むなら、それに越したことは無いんだよ。アンタらには、そのために協力して欲しいのさ」
つまり、和睦するための橋渡しをしろ、ということだ。意外なこと、このNPKは抗争ではなく交渉で事態を収めるつもりらしい。
「……確かにそうかもしれない。だが、それは難しいだろうな」
これまで沈黙を守っていた彰吾が、重々しく口を開いた。
「君たちは《獣王》のメンバーを何人も殺している。その報復無しには、《獣王》は決して牙を納めないだろう」
「つか、なんであんなことしたんだよ」
鉄平が付け足した言葉の棘を、ソラトは肩をすくめて受け流した。
「力を示さないと、交渉すらしてくれないだろう?」
彼の物言いに、彰吾が顔を顰める。
「《獣王》にも面子がある。ベガ・ベルンガは、武力による解決を望むだろうな」
それを聞いたソラトは、にたりと滴るような――悪辣な笑みを浮かべた。
「それは本当に、《獣王の血脈》全体の望みか?」
「……何が言いたい?」
「面子を大事にしたいのは、ギルドでも限られた一部なんじゃないかって意味さ」
ソラトは笑みを引っ込め、一転して真剣な表情で言葉を続ける。
「《獣王》は王都で暮らす獣人たちが、互いに助け合うために作られたギルドだ。別にならず者の集まりというわけじゃない――縄張りだの面子だのを大事にしているのは、腕っ節が自慢の連中だけで、大半の獣人たちの望みは、平穏な生活だけじゃないのか?」
《獣王の血脈》が犯罪ギルドとしての側面を持つのは、獣人達が自らの権利を守るために、法ではなく力に頼るしかなかったからだ。殴られたとき、同じかそれ以上の力で殴り返すための力が《獣王の血脈》というギルドなのである。密輸や密売、娼館の経営や「安全」の販売といった行為は、ギルドの行なっている金策の一つでしかない。
「逆に言えば――『金策』で獣人達が危険に晒されるのは、ギルドとして本末転倒だ」
黒髪の少年が、静かに断言する。そこに先程までの狂気はない。正しく、真摯な言葉だった。
「鉄平に彰吾だったな。もしお前達がギルドに義理を感じるのならば、一部の幹部のためではなく、ギルド全体のために行動すべきだ」
冷たい水のように――ソラトの言葉が鉄平の心に染み込んで行く。
そうかもしれない。ギルドの獣人達は――ヒューマンに酷い目に合わされた者だっているのに――自分達によくしてくれた。
鉄平だって、見知らぬ世界に放り出されて不安を感じなかったはずが無い。そんな自分を彼らが温かく迎えてくれたからこそ、自分はギルドで用心棒なんてしていたのだ。一番に恩が有るのはベガ・ベルンガだが、恩を感じればこそ、彼を止めるべきなのかもしれない……。
「お前達の力は見せてもらった。大きな力だ。《獣王》の幹部たちも、お前達には一目置いているだろう? ならば、お前達が幹部たちを諫めるべきじゃないか? 力があり、状況を冷静に判断できるお前達が……」
ソラトの言葉に、鉄平が思わず「解った」と答えそうになった瞬間、
「――正気に戻れ、鉄平!」
彰吾の叫びが、鉄平の耳を貫いた。
「惑わされるな。今の話に、聞くべき価値は無い」
眉間に指を当てる――今は無い眼鏡を直す仕草をしながら、彰吾が断じ、否定する。
「や、でもよ」
「落ち着いて考えたまえ。彼の言っている事は要するに、我々にギルド内部でクーデターを起こせということだ――忘れたか? 我々は敵同士なんだ。そんなことをすれば、彼と、彼と組んでいるだろう《楽団》の思う壺だ。仮に彼らが動かなくても、他のギルドに食いものにされるのは目に見えている」
彰吾の言葉に、鉄平はハッとなる。そうだ。諫めるといえば聞こえがいいが、要するに幹部に反抗するということだ。内部で揉め事を起こせば、そこに他のギルドがつけ込んでくるのは当然だ。そもそも今は戦争の真っ最中。自軍の戦力を減らすなど愚の骨頂としか言いようが無い。
「へえ……」
ソラトの真剣さを『装っていた』顔に、にやっと、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「残念、引っかからなかったか」
「テメェ……」
悪びれない台詞に、彰吾は眦を吊り上げた。怒りがこみ上げてくる。この男は自分を口先で操ろうとしたのだ。
しかし思い返せば、何故自分は奴の言葉に、あんなにも説得力を感じた? まるで変な魔法でも使われたかのようだ。
いや、違う。自分は奴と、ソラトと戦いたくないのだ。だから、戦わなくて良い理由を探してしまった。ギルドのためという免罪符で、戦いから逃げようとした。
なんて無様なのだろう。つい先程、もう逃げないと誓ったのに。
「存外、思慮深いじゃないか」
「疑り深い、というべきだろうね」
ソラトの笑いを含んだ賞賛に、彰吾は自嘲するように口の端を吊り上げた。
「それは美点だ。大事にしておけ」
本気とも軽口とも取れない台詞をソラトが返し――その瞳が、ぎらりと危険な光で輝く。
「だが、大人しく騙されておけばよかったなぁ? そうすれば、駒として使ってやったのに」
悪魔そのものの表情で、最凶最悪のNPK(人殺し)が傲慢に言い放つ。
「駒でいるほうが――敵でいるより、よっぽどマシだと思うんだけどなぁ?」
むき出しにされた殺気と狂気に、鉄平も彰吾も気圧され、絶句する。今自分達は初めて、この男に敵だと――いや、獲物だと認識されたのだ。
殺される。そう感じた鉄平は思わず、『指鉄砲』――《ヒート・レイ》をソラトに向けようとした。
その時――、
「やはり敵と繋がっていたんだな、ヒューマンめが」




