第四十一話:組織の長
ガースキーが《百鬼夜行》の女、イザベラと共に入ったのは、情報屋の居る馴染みの店ではなく、普段は利用しない、少し寂れたような小さな酒場だった。幾らなんでも敵対ギルドの人間と話しているところを、顔見知りに見られたいとは思わない。
しかし問題になるかもしれない、と思いながらも、ガースキーに後ろめたさのようなものは無かった。自分は組織のために行動しているのだという確信があったからだ。
店の奥――衝立に囲まれ、人目から隠された席で、ガースキーはイザベラと向き合った。
「で、話ってのは何だ?」
「我々《百鬼夜行》との関係について、再考して頂きたいと思いまして」
銀髪の美女は上品に酒盃を傾けながら、そう口にした。予期していたとはいえ、その言葉にガースキーは顔を顰める。
「……ギルドの頭は俺じゃない、トニーだ」
自分がトニーの友人であり、腹心だという自負はある。だがあくまでガースキーは二番手であり、ギルドの方針を決めるのはトニーだ。頭を無視して話を進めるわけにはいかない。
そして、トニーに《百鬼夜行》と手を組む意思が無い以上――この会話には意味が無い。
「そう結論を急ぐ前に、これをご覧になってくださいな」
言いながら、イザベラは革袋を取りだした。中身をテーブルにぶちまける。
燭台の光を受けて輝くのは――少なくない数の金貨。それを見て、ガースキーは鼻を鳴らした。
「俺を買収するってのか? 舐められたもんだな」
「いいえ」
否定と共に、イザベラは嫣然と微笑んだ。
「これは我々の圧力によって、あなた方《アルダートン一家》が失った利益です」
「――!」
「まだまだ増えますよ? あなた方が――《伊達男》トニーが意地を張り続ける限り、ね」
言葉を失い、ガースキーはテーブルに散らばる金貨を見る。これが本来であれば、ギルドの利益に――自分たちの利益になったのだという。
「さて……得られる利益を失うのは、果たしてギルドの長として正しい判断なのでしょうか」
無言のガースキーに、イザベラが口を開く。
「組織の長というのは、組織全体の利益を第一に考えるべきです。個人の感情や美学を優先させるのは、愚かとしか言いようがありません……そういった点で、トニー・アルダートンは長として失格でしょう。義理や道理を重視するのが間違っているとは言いませんが、全体の利益のためなら汚泥を啜らねばならない時もあると思いませんか?」
それはトニーへの批判であり、
「そう――仲間を愛するが故に、どんな汚い事だって出来る人間こそが、組織の長に相応しい」
同時に――『お前が泥を被れ』という要求だった。
「俺に」
軋むほど噛み締めた歯の間から、ガースキーは言葉を搾り出す。
「俺に、トニーを裏切れって言うのか……」
「いいえ」
交渉役の女は肩をすくめた。
「《伊達男》トニーが貴方を、ギルドを裏切ったんですよ。だって彼は組織よりも、自分の感情を優先させたんですから」
そう言って微笑む女に、ガースキーは沈黙を返すしかなかった。
肩を落として去っていく背中を見送り、イザベラは手にした杯を呷った。焼けるような感触が喉を滑り、胸の奥で燃え上がる。
実のところ、強い酒はあまり好きではない――だが今の彼女には、アルコールの刺激という気付けが必要だった。
ならず者相手に渡り合うのは神経を使う。何しろこっちはか弱い身。相手が言葉ではなく暴力を選択した時点で終わりだ――もちろん、保険は用意されているのだが。
杯を干し、テーブルへと下ろすと――向かいの席に、何時の間にか、一人の少年が座っていた。にやにやと不遜な笑みを浮かべながら、「保険」は手付かずだった料理を勝手に摘んでいる。
「上出来だぜ、イザベラ。仕込みはこれで充分だろう」
料理を咀嚼しながら、少年――ソラトが彼女の仕事を讃える。
「まだ判らないわ。実際に行動に移すとは限らないし」
「構わないさ。何なら、『殺し』自体は俺がやってもいい。大切なのは『ギルド全体の利益を考えると、トニーは死んだほうがいい』と思わせることだ」
確かに、この男なら《伊達男》トニーの暗殺も難しくないかもしれない。しかし、ただ殺したのでは、反発を招き、彼に従っていた者達を恭順させるのは難しくなるだろう。
だが――トニーの代わりとなる、新たな長の心に「トニーは死んでしまったが、組織全体の利益を考えれば悪くなかったかもしれない」という感情があればどうだろうか。反発も音頭を取る人間が居なければ暴発はしづらい。積極的な反抗が無くなるだけでも随分とやりやすくなる。
「それにしても……『組織の長は組織全体の利益を考えるべき』ねぇ? いやはや、耳が痛いぜ」
成長期特有の食欲で皿を空にしたソラトは、おどける様にフォークを振る。
「聞く耳なんて持ってないくせに」
「いやいや。部下の諫言には耳を傾けるようにしてるぜ? それで行動を改めるつもりは欠片も無いが」
聞かないのではなく、聞いた上で無視をする、と言うのである。
本当に嫌な奴――イザベラが胸中で嘆息すると、ソラトはテーブルに身を乗り出すようにして、ずいと彼女に顔を近付けた。
「《百鬼夜行》は俺の玩具だ。俺が組織全体の利益を考えるんじゃない。組織全体が俺の利益を考えるべきだよな?」
皮肉っぽく唇をゆがめ、ソラトは瞳をぎらつかせる。煌く闇という矛盾した瞳に射抜かれ、イザベラの呼吸が凍りついた。
「何しろ俺は――飽きた玩具は壊してから捨てるタイプなんでね」
そう告げると、ソラトは踵を返し、さっさと店を出て行った。彼の姿が見えなくなってしばしの時間が過ぎてから、イザベラは今度は胸中ではなく、実際に深々と嘆息した。
「……胃が痛いわ。仕事の選択を間違えたかしら」
彼女の呟きは周囲のざわめきに溶けて消え、誰にも届かなかった。