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Undivided  作者:
第一章:天魔生誕
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第五話:崇拝者

 やっぱり、神様なんていないんだ。

 罵声と怒号、悲鳴と断末魔に包まれながら、エレンは胸中でそうつぶやいた。

 エレンの視界に映る世界は、赤い夕日に染められて、まるですべてが燃える煉獄のようだった。

 いや、ここは本当の地獄なのだ。だからみんな死んでいく。

 今もまた、彼女の目の前で、仲間の一人が喉を槍で貫かれ、崩れ落ちていった。

 倒れたのはテッドという少年だった。テッドは己の喉にあいた穴を塞ごうとするかのように、必死で傷口を押さえていた。痛みにのたうち回る彼の体は、血と砂でどろどろに汚れ、目じりには涙が滴っていた。

「テッド! おいこら、しっかりしろ! 死ぬんじゃねぇ!」

 剣を振り回し、奮戦していたライオネルが、声を荒げて倒れたテッドに呼びかける。しかしテッドは口から溢れる血をごぼごぼとあわ立たせるだけで、ライオネルの呼びかけに答えることはなかった

 それからすぐに、テッドは動かなくなった。

 まだ十五歳になったばかりだった少年の顔は、苦痛と恐怖で歪んでいた。

「畜生! 畜生!」

 ライオネルが怒りに顔を真っ赤にして、むちゃくちゃに剣を振り回す。死んだのはテッドだけではない。もともと多くもない仲間たちだが、今やその数は半減しているように見えた。

 切り裂かれ、貫かれ、踏みにじられて死んでいくのは、エレンの属する盗賊団《鬼蜘蛛》の仲間たちだ。

 彼らを襲い、根絶やしにしようとしているのは、領主に仕える兵士たちだ。

 エレンたちが生まれ育った村を捨てたのは、今から半年ほど前のことである。

 五年前、北の隣国であるラーヴァニアの侵攻によって戦争が始まった。軍勢は砦で食い止められたので、エレンの村が戦火にさらされる事はなかったが、父は兵隊に連れて行かれた。また、戦費を捻出するために税は重くなり、物価は高くなった。必然的に生活は厳しくなり、エレンたち平民は餓えることになった。

 エレンは毎日のように神に祈った。早く戦争が終わりますように。父が無事に帰ってきますように。生活が楽になりますように。

 少女の祈りは何一つとして聞き入れられなかった。

 ラーヴァニアは撤退こそしたものの、未だ終戦の取り決めは行われていない。戦中であるということで、税は下がることはなく、生活が楽になることはなかった。 

 少女の祈りは『何一つとして』聞き入れられなかった。

 父は帰ってこなかった。優しく頼もしかった父は、母とエレンを残して死んでしまった。

 父の死を聞いて直ぐ、母は体調を崩した。もともと満足な食事が出来ない生活をしていたのだ。愛する夫の死は、母から生きる気力を奪い取るには充分過ぎた。

 寝込む母に、エレンは食べ物も薬も与えてやることが出来なかった。エレンに出来るのは、母の具合がよくなるようにと、神に祈ることだけだった。

 少女の祈りは――やっぱり聞き入れられなかった。

 一週間もしないうちに、母は死んだ。

 その日から、エレンは神に祈ることをやめた。

 

 村を出よう。そう言い出したのは、村の若者たちの中心的な存在であるライオネルだった。彼は村の若者の中で、彼と同じく長男でない者を集めて呼びかけた。

 ――もう俺の家は限界だ。冬を越すだけの蓄えがない。だから、俺は村を出て行く。俺が出て行けば、食い扶持が減るからな。

 ――それにどうせ、俺の分の畑はないんだ。いつかは村を出て行かなきゃならねぇ。だったら、今出て行くべきだ。お前らの家も似たようなもんだろ。だから、俺と一緒に来い。みんなで一旗あげようぜ。

 彼の呼びかけに答えて、村から離れたのは二十人ばかり。そのなかにエレンも含まれていた。村の若い女を娼館に売ることで冬を乗り切るという話が出ていたことを、ライオネルが教えてくれたからだ。その筆頭が、身寄りの無いエレンだったということも。

 村の皆には感謝している。村人たちは、家族を亡くしたエレンを何かと気遣ってくれた。でも、だからといって自分が彼らのために売られるつもりはなかった。

 彼らは村を出て街へ向かい、そして直ぐに食い詰めた。

 何のツテもない彼らが仕事を見つけることは難しかった。生活が苦しいのは街も同じで、よそ者に仕事を与える余裕などありはしなかった。

 それでもライオネルたちが傭兵の真似事をしたり、賃金の安い、日雇いの仕事をこなしたりして、何とか生活していた。

 その生活にも限界が見えてきたある日、仲間の一人が盗みを働いた。裕福そうな商人の馬車から荷物を盗み取ったのだ。

 彼の行いは是か非か、仲間の間でも意見が分かれた。人のものを盗むということが悪だということくらい、彼らだってわかっている。でも、盗んだことによって彼らはしばらく食いつなぐことが出来そうなのだ。

「俺たちは選ばなきゃいけない」

 ライオネルが言った。

「飢えて死ぬか。奪って生きるかだ」

「いいよ、やろう」

 神に背を向ける行為に、エレンは真っ先に賛同した。

「心配要らないよ。だって、神様なんていないんだから」

 そう、神様なんていないのだ。

 だってエレンがどれだけ祈っても、神様は助けてくれなかったのだから。


 そうして彼らは、恐喝や窃盗によって日々の糧を得るようになった。

 警吏や他のならず者に目をつけられ、街に居辛くなると廃村に移り住み、近隣を通る旅人を襲うようになった。それから同じような状況の若者たちを集めて、人数も五十名ほどに膨れ上がった。

 こうして、盗賊団《鬼蜘蛛》が出来上がった。名前は皆で決めた。それっぽくていいと皆笑っていた。

 それに、蜘蛛はいろんなところに巣を作る。蜘蛛のように、自分たちの居場所は自分たちで作る。そういう意味をこめた名前だった。

 自分たちの行いが罪深いことは、仲間の誰もが理解していた。でも、罪を犯さず死ぬのと、罪を犯して生きるのなら、生きるほうがいいと、仲間の誰もが思っていた。

 しかし、罪を犯して生きることすら、エレンたちは許されなった。

「悪党どもめ」

 エレンたちが暮らす廃村を、領主の兵隊が急襲した。彼らはいきなり火を放ち、問答無用とばかりに仲間を殺した。

「人を襲い、金品を奪い取るとは、神をも恐れぬ悪行よ。報いを受けるがいい!」

 恐れるわけが無い。だって、神様なんていないんだから。

 兵士の言葉を、エレンは胸中で嘲った。 

 人の物を奪ってはならぬと言うなら、私たちはいったいどうすれば良かったのだ。村にいれば飢えて死ぬ。街にいても飢えて死ぬ。生きるために罪を犯すことも許されぬというのなら、自分達が生きる術など無いではないか。

 目じりに浮かんだ涙に、視界が歪む。悲しいからではない。悔しいからではない。エレンの心はとっくに乾いて擦り切れている。それでも涙が浮かぶのは、火を放たれた廃屋から吐き出される煙が目にしみただけだ。

 仲間の一人を切り殺した兵士が、次の獲物をエレンに定めた。腹部を蹴り飛ばされ、地面を転がる。衝撃と痛みに、エレンの口から悲鳴がこぼれた。

「成敗!」

 見上げれば、兵士が剣を振り上げているのが見えた。

 死を目前にして、エレンを心を支配するのは諦観だった

 神様なんていない。

 奇跡なんて起きない。

 誰も自分を助けてくれない。

 しかし、

「助けて欲しいか」

 ――全てに絶望したエレンの前に、それは現れた。

 「それ」はエレンを殺めようとしていた兵士に襲い掛かると、持っていた剣を首に突き刺した。絶叫と血が迸り、兵士は崩れ落ちていく。

 「それ」は人の姿をしていた。体つきは華奢で、顔つきも幼い。まるで子供――それも少女のようにすら見える。

 「それ」は弱さや愛らしさなど欠片も伺わせなかった。全身に覇気が漲り、顔には尊大で不遜な笑みを浮かべている。夜の闇を凝縮したような黒い瞳には、悪意と狂気が渦巻いていた。

 「それ」はおぞましくも美しい――悪魔だった。

 悪魔は彼女に問いかけた。

「俺に全てを捧げ、俺のものになると誓うのならば、助けてやろう」

 悪魔が口にしたのは、彼女を救う代わりに、彼女の全てを奪い取る、黒く甘い誘いだった。

「助けて……」

 差し出されたのは希望の光ではなく、深遠なる闇だと、エレンにも解っていた。

「助けてください……!」

 それでもエレンは、悪魔と契約を結んだ。他に道などないのだから。神も奇跡も無いこの世界で、エレンを救ってくれるのは、この悪魔だけなのだから。

「いいだろう」

 エレンの答えに、満足げに悪魔は頷いた。

 そして、兵士たちを皆殺しにした。

 楽しそうに嬉しそうに、人の命を奪い、刈り取り、踏みにじっていく姿は、この上なく邪悪で――しかしエレンには、まるで神様のように見えたのだった。


 兵士たちを殺しつくした悪魔は、彼女たちに従属を要求した。ライオネルらは不満げだったが、エレンは率先して従った。彼に平伏し、足元に口付けた。

 神も奇跡もないこの世界で、神に等しき存在に出会えたのである。彼に従い、尽くすのは当然とすら思っていた。

 死体の片づけをライオネルたちに任せ、エレンはソラトと名乗った悪魔を寝床に案内した。血で汚れた彼の体を拭い、清潔な服を用意し、なけなしの材料で食事の支度をした。

 食事の間、ソラトはエレンに様々な質問をした。その多くは質問の意図すら解らぬもので、残りは子供でも知っているような常識だった。

 何故そんなことを問うのか、何故そんなことを知らないのか――初めは怪訝に思ったが、直ぐに納得した。彼は悪魔なのだ。世事に疎いのも当然だろう。エレンは彼の質問に、自分にできうる限りの答えを返した。

「お前、処女か?」

 食事を終えたソラトは、最後にそう尋ねた。その意図が解らぬほど、エレンも子供ではなかった。

 生娘であったエレンは男を喜ばせる術など知らなかったが、ソラトはそんなことを気にもかけず、彼女を貪った。気遣いなどない、ただ欲望を満たすためだけのような交わりだったが、その激しさはエレンに嬌声を上げさせるには充分だった。

 彼の欲望が自分の中に吐き出されていくのを感じながら、エレンはこの上ない歓喜を覚えていた。

 両親を失ってから初めて、彼女は祈り縋るものを見つけたのである。

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