第四十話:新たなる駒
「決まってる。金のためさ」
何故《バグウェルの短剣と外套》に身を置き、ソラトを狙うのか――カイムの問いに、サブナクはそう答えた。
王都に数ある酒場の一つ。カイムの連れだというプレイヤーを待ちながら、サブナクは手にした杯を傾けた。火酒の焼けるような感触が舌を撫で、喉を滑り降りていく。
「何でゲームの中に入っちまったか……理屈はさっぱりわからないが、何にせよ生きていくには金が要るだろ?」
「だからって、暗殺ギルドに所属しなくてもいいだろう。もっと真っ当な仕事もあるだろうに」
上品に葡萄酒を傾けながら、向かいに座るカイムが言う。意外なことに彼女はイケる口――というかザルだった。がぶ飲みしたりはしないが、淡々と杯を空けていく。既に結構な量を飲んでいるはずなのだが、酔った気配は無い。
「真っ当な仕事じゃ、稼ぎは高が知れてるさ……俺はこんなところで足踏みしてはいられないんだよ」
杯を弄びながら、サブナクは呟く。
「俺は一刻も早く、日本に帰らなくちゃならねぇ。待たせてる人が居るんだ」
「恋人かい?」
「ああ……プロポーズするつもりだった」
サブナクのこと香山錬士郎にとって、人生というのは面倒で退屈なものだった。やらなきゃいけない事ばかりが山積みで、やりたい事など見つからない。何を目指せばいいか解らず、熱中できる事も無い。とりあえず大学は出たものの、定職に就くこともなくフラフラしていた。
そんな錬士郎にとって、VRMMOG――《NES》は格好の暇つぶしだった。仮想世界での冒険はつまらない現実を忘れさせてくれる。それが逃避だったとしても構わない。だって、現実に踏みとどまっていたいなんて思えなかったから。
意味も価値も無く――ただ誤魔化すような日々。いつか破綻するまで、そんな毎日が続くのだと思っていた。
「それを、変えてくれた人が居たんだ」
別に特別な出会いをしたわけじゃない。
別に特別な相手だったわけではない
それでも――灰色の世界が、色鮮やかに変わったのだ。
「自分でも、現金だとは思うけどな。毎日が楽しくなったよ。ブラブラしてんのが恥ずかしくなって、仕事探して……あんなに嫌だったのにな」
ようやく就いた仕事はキツくて辛くて、それでも彼女のことを思えば頑張れた。ようやく新しい生活も落ち着いて――彼女にちゃんと思いを告げようと決意した。身の回りを整理して、なけなしの貯金をはたいて指輪を買った。
これを機に、《NES》も引退するつもりだった。だが、知り合いのプレイヤー達に別れを告げるため、最後のつもりでログインをして――そしてこの世界に迷い込んだ。
自分が故郷から遠く離れた場所に居ると気付いたとき、錬士郎を襲ったのは、どうしようもない焦りだった。
「きっと、アイツは心配している。早く戻って、安心させてやらないと」
錬士郎は幽鬼のようにさまよい、「帰り方」を捜し求めた。
だが、見つからない。NPC達は、誰も此処がゲームの世界だと知らず、異なる世界が有るなどとは、考えもしていなかった。そもそもこの世界の教育水準は決して高いとは言えず――異世界どころか、海の向こうに何が有るかすら知らない者が殆どだった。
半年もの時間を棒に振り――出来たのは、目星をつける事くらい。
国内で流通するあらゆる書物が集まるという、国立図書館。
日夜魔法の研究をしている国立魔法学院。
そして、この国の支配者たるルイゼンラート王家。
もし「異界」の知識があるとすれば、この三つのどこかだろうと、錬士郎は当たりをつけた。問題はそのどれもが、身元も定かでは無い風来坊が入れる場所では無いということ。その無茶を通すには、相応の対価が必要になる。
そして、もしこの国に手掛かりが無ければ、他の国で探すしかない。しかし国家をまたぐ移動は容易いものではなく、旅費だけでも相当なものになるだろう。
「だから俺は、一刻も早く金を手に入れたい。そのためなら、危ない橋だって渡る。向こうに帰るためなら、俺は手段は選ばない」
「……そうか」
無言で錬士郎の話を聞いていたカイムは、小さく頷いた。
「それを聞いて――少し、気が楽になったよ」
「あん? 何でだよ?」
彼女の言葉の意味が解らず、サブナクはそう問い返す。しかしカイムはそれに答える事無く、独り言のように言葉を続けた。
「私は君に詫びねばならない。だが、君にそこまでの覚悟があるなら、決して悪い話では無いはずだ。『彼』の存在は、きっと君が望みを叶えるための近道になるから……」
「……何を言ってるんだ?」
サブナクが訝しげに眉間に皺を寄せた、その時。
「――よう、待たせたな」
聞きなれぬ声が、投げかけられた。
何時の間にか、テーブルの脇に高校生くらいの少年が立っていた。小柄な身体を黒の上下で覆い、そこに黒い外套を重ねた黒尽くめ。エネルギーに満ちた、いたずらっぽく輝く瞳が印象的だった。
「遅かったね」
「悪い悪い。別口で愉快な出会いがあってさ。後で話すよ」
カイムの言葉に、少年は片目をつぶって見せると、サブナクに向き直る。
「アンタがカイムが話していたプレイヤーだな? 会えて嬉しいぜ」
少年は人懐っこい笑みを浮かべ、手を差し出した。サブナクは立ち上がり、その手を握り返す。
「こちらこそ。俺はサブナク。名前を教えてもらえるか?」
「ああ――」
サブナクの言葉に、少年は小さく首を傾け――にたりと笑った。
「俺はソラトだ。よろしくな?」
「――!?」
ぞっと、悪寒が背筋を這い上がる。振り払うようにして手を離すと、脇に置いていた杖を握り締め、口早に呪文を詠唱する。
「『詠唱入力』(オーダー)! 雷よ! 鉄槌となりて我が敵を打ち砕け!《サンダー・ストライク》! 『実行』(エクセキューション)! 」
呪文をつむぎ終えると同時、突き出した杖から雷撃が迸る。魔力で生み出された雷は咆哮を上げて少年に襲い掛かり、音と光を爆裂させた。
しかし――
「ハハ、良いね。敵と見るやいなやの先制攻撃……そういうの好きだぜ、俺」
とん、と杖に軽い衝撃。見れば、サブナクが突き出した杖の上に、黒髪の少年――ソラトが立っている。幅の無い杖の上に平然と、重さを殆ど感じさせることもなく。
「だが俺を殺るには――どうしようもなく遅い」
自重を軽減するスキル《軽身功》。だがそれだけでなく、驚異的なバランス感覚があってこその芸当だ。
サブナクは歯噛みした。ソラトの速さは常軌を逸している。NPKが通常のプレイヤーよりもステータスにボーナスが与えられることは知っていたが、それにしたって無茶苦茶だ。
「カイム……あんた、俺を売りやがったのか?」
呻きながら、視線だけをカイムへと向ける。 彼を呼んだ張本人である黒髪の乙女は、沈痛そうに目を伏せた。
「それは違う、サブナク――私はソラトの命令で《バグウェルの短剣と外套》に入ったんだ」
「裏切ったんじゃ無くて、初めから敵って訳ね……」
つまり騙された自分が間抜けということだ。敵にノコノコ共闘を持ちかけたのだから笑えない。
「くっくっく」
頭上から、嫌な笑いが響いた。冷や汗を浮かべるサブナクを傲慢に見下ろしながら、ソラトは肩をすくめる。
「そう構えるなよ。俺としては、ここで戦り合うつもりは無いんだ」
言って、少年は杖からひらりと飛び降りた。敵であるはずの自分に、あっさりと背中を向ける。その姿には、まるでサブナクを警戒している様子は無い。
「もっとも――そっちがその気なら相手をしてやってもいいけどな?」
肩越しに振り返り、少年が指を弾く。すると、周囲の客の全てが立ち上がった。手に手に武器を握り締め、サブナクを取り囲んでいく。
店内で攻撃魔法が使われたのに、妙に静かだと思えば――初めから全部仕込んであったわけだ。
「さあ、座れよ。話し合おうぜ? 何しろ、人は話し合えば分かり合えるらしいからな?」
にやにやと嗤いながら、ソラトが足を投げ出すようにして椅子に腰掛ける。
状況が完全に詰んでいることを察し――サブナクはその言葉に従った。大人しく席に着いたサブナクに、ソラトは面白がるように眉を上げる。
「さて、サブナク」
気軽な態度で、ソラトが口火を切った。
「向こうの世界に――日本に帰りたいか?」
「――帰り方を知っているのか!?」
「いいや」
思わず身を乗り出したサブナクに、ソラトはあっさりと否定し、肩をすくめる。
「だが、お前が帰り道を見つける手助けをしてやってもいい」
「何……?」
「俺とお前じゃあ、手に入る情報の質と量に、天と地ほども差が有る。独りで探すより、俺の下に居るほうが効率が良いと思わないか?」
独りで動くサブナクと、千に届こうかと言う人数を率いるソラト。確かに使える人手も金も、ソラトの方が圧倒的に上だろう。
「お前が俺を狙うのは、《短剣と外套》から支払われる報酬が目当てらしいじゃないか。つまり、《短剣と外套》に何か義理があるわけじゃない。だったら、俺に従ったほうがお得だぜ?」
おどけるように手を広げ、爛々と目を輝かせる悪魔は、そうサブナクに囁いた。
「サブナク。俺はいずれこの国を手に入れる。いや、この国だけじゃない。この世界の全てを、奪い取るつもりだ」
そしてそこには――「帰る手段」も含まれている可能性が高い。ソラトの言っている事は、そういうことだ。
サブナクは、自分とカイムの会話が聞かれていたことを察した。声をかける前から、店内に居たのだろう。
なんでそんな事を? 決まってる。情報を集めるためだ。自分が何を望み、何を求めているか知るためだ。
つまり――こいつは、自分を丸め込もうとしている。偽り、謀り、騙し、欺き、思うが侭に操ろうとしている。
だが、そうと解っていても、サブナクは彼の言葉を遮ることができない。
望みが叶う可能性が僅かでも有る限り、自分は手を伸ばさずには居られない。
「お前が俺に従うと言うのなら――お前の望みを、俺が叶えてやろう。お前が欲するものを、俺が奪い取ってやる」
「……アンタが帰り方を見つけられる保証は?」
「無い。そもそも存在するかもわからんわけだからな。だが仮に俺が帰る手段を見つけられなかったなら、それはお前が探しても見つからなかった可能性が高いということだ」
確かにその通りだ。むしろ、「解らない」ということが解るまでの時間が短縮されたと考えられる。
「さあ、どうする?」
悪魔の誘いに、サブナクは唾を飲み込んだ。
「……《短剣と外套》は、裏切り者に容赦しねぇぞ」
サブナクの口から出てきた答えは――イエスも同然だった。
「大丈夫だ」
それを理解したのか、ソラトは愉快そうに口の端を吊り上げた。
「なにしろ、もうじき《バグウェルの短剣と外套》は俺のものになるんだからな」




