第三十八話:遭遇
旗色は、いいとは言えなかった。
獣人はヒューマンと比べて、明らかに身体能力が高い。狭く入り組んだ市街地では接近戦、それも陣形も何も無い乱戦になりがちだ。そうなれば、格闘に強い獣人が優位に立つのは明らかである。
しかし――幾多の戦場を渡り歩き、戦技を磨き上げてきた《名も無き楽団》とて劣るものではない。そのはずだった。
そのはず、だった。
「はいはいはーい。《名も無き楽団》の皆さん、こーんにーちわー?」
軽薄な声が、響く。その男はポケット手を突っ込み、へらへらと笑いながら、おどけるように言葉を紡いだ。
「ワタクシ、《獣王の血脈》でお世話になってまーす。関鉄平ですよーろしくねー。呼ぶときは鉄平でOK。ただし、愛を込めてお願いします! みたいな?」
染めたと思しきオレンジ色の髪に、日に焼けた肌。耳に光るピアスと、目尻についた泣き黒子。軽薄な笑みを浮かべながらも、瞳には酷薄さが浮かんで揺れる。
鉄平と名乗った男は、大げさな身振りで背後で腕を組む、別な男を指し示した。
「んで、こっちのナイスガイは相棒の彰吾ちゃん」
「好きなものは猫耳と幼女です。よろしく」
肥満体の男は無駄に男前な声でそう言うと、眉間に指を当てる不思議な仕草をした。
「猫耳は兎も角、幼女趣味まで公言しちゃうとか。彰吾さんマジぱないっす」
「ロリコンは恥じゃない――愛だ」
「まあ向こうと違って、こっちじゃ合法だしなー」
二人の緊迫感の無いやりとりに――《名も無き楽団》の面々は困惑の色を浮かべながらも、油断無く武器を構えている。
「まーそんなわけで、俺達ヒットマンって言うか、そんな感じなんでー」
軽薄な男はへらりと笑い、言う。
「ちょっと殺されてくんね?」
「舐めるな!」
軽薄な口ぶりが癇に障ったのか、《楽団》の兵士が怒声と共に切りかかる。少年は武器を帯びておらず、なすすべも無く切り捨てられるはずだった。
迫る刃に、鉄平はにやりと笑うと、男に指を突きつけた。
「バーン」
直後、少年の指先から光の線が走り、男の胸を貫いた。
倒れた男の傷口からは、血の一滴も流れていない。その熱量によって傷口が炭化しているのだ。血の無い死体は現実感も無く、まるで悪趣味な冗談のような光景だった。
《ヒート・レイ》。熱線を発射する魔法である。さして高ランクの魔法では無いが――完全な無詠唱で発動している。
「俺の魔法は、早いぜ? マスターランクの《詠唱短縮》をつけてっからさ」
《詠唱短縮》は文字通り魔法の詠唱を短縮するスキルだ。しかしトリガー・ヴォイス――文字通り魔法発動の引き金となる言葉、殆どの場合は呪文名そのもの――無しに発動させるとなると、尋常ではない。
「ほらほらほらほらほらぁ!」
少年が次々と熱線を放つ。呪文としてのランクが低く、硬直――スキルディレイが短い《ヒート・レイ》は連発が可能だ。超高熱の光線は、遮蔽物すら貫通して《楽団》の兵士を貫いていく。
「おのれ……」
「怯むな! 行くぞ!」
複数の兵士達が、同時に飛び出す。被害を覚悟で強引に接近し、勝負をつけようというのだ。
しかし、
「――させんよ」
迫りくる刃を防いだのは、それまで無言で控えていた肥満体の男と、その大きな身体が隠れるような大盾。持ち上げることにすら難儀しそうなその盾と、姿に見合わぬ俊敏な動きで、彰吾と呼ばれた男は兵士達の攻撃を阻む。
「ぬん!」
そればかりか、そのまったく鍛えられた様子の無い腕で巨大な剣を振るい、兵士を蹴散らしていく。その剣技は洗練されているとは言いがたかったが、それを補って余りある力と速さがあった。
「何の冗談だ、これは……」
かろうじて何を逃れた《楽団》の一人が、呟く。
一騎当千と言っても過言ではない《楽団》の戦士が、幾多の戦場を生き残ってきた猛者たちが、たった二人を相手に蹂躙されていく。それは悪夢そのものの光景だった。
「テッペイとショウゴに続け!」
「《楽団》をぶっ潰せ!」
《楽団》を蹴散らす二人の姿に、獣人達が勢いづく。爪と牙をむき出し、咆哮を上げる。
逆に――《楽団》の兵士達は、心が折れようとしていた。
逆境には慣れている。元傭兵団の肩書きは伊達では無い。地獄のような戦場を生き抜いてきた彼らにとって、死の恐怖は慣れ親しんだ友人のようなものだ。
だが――いくらなんでも、これは無い。こんなことが受け入れられるわけがない。大事な仲間が、苦楽を共にした同胞が、こんな簡単に――。
「死んどけ」
混乱という泥沼に沈んでしまった《楽団》の男に、少年の指先が突きつけられる。
男の顔に、絶望という表情が浮かんだその瞬間、
「調子にるな、小僧」
凛とした声が、響いた。
美しい女だった。鮮やかな波打つ髪を払い、瞳を冷たく凍りつかせ、戦場の支配者が舞台に上がる。
その身は美しい装飾の施された軽鎧に覆われ、手には針のような、刃のない刺突剣――エストックが握られていた。
《名も泣き楽団》の団長――《無慈悲な指揮者》クラリッサである。
「団長!」
「《指揮者》(コンダクター)殿!」
崩れかけていた《楽団》が、それだけで士気を取り戻す。兵士達の反応で、いかに彼女が信頼され、尊敬されているかが解った。
「わお……」
表れた《無慈悲な指揮者》に――軽薄な男は、感嘆の声を上げた。
「すっげー美人。話しには聞いてたけど、マジ麗しいわー。眼福ってやつ?」
へらへら、へらへらと、緩くて軽い態度で、男は言葉を続ける。そこには緊張感や真剣さ、あるいは相手への敬意のようなものはまったく無かった。
「お姉さんが《楽団》のボスなんっしょ? ライオンの旦那には、アンタの首を取って来いって言われてんだけどさー。いやほら、俺って美人の味方だから? 大人しく降参してくれるなら――」
「私は調子に乗るな、といったぞ」
鉄平の戯言をクラリッサは冷たく遮り、手に持ったエストック――あるいは指揮棒――を振るう。
父から受け継いだ魔法剣《凍える風のタクト》から、突風が放たれた。氷の結晶を孕んだ風が、全てを粉砕しながら少年に迫る。
「っと!? 《プロテクション》!」
光の障壁が現れ、少年の身体を覆う。《プロテクション》は一定以下の攻撃を防いでくれる魔法だ。光の障壁は剃刀のような、氷の刃の渦を弾き返した。
しかし――
「あら?」
氷の結晶の一つが、障壁を貫き、少年の頬を浅く切り裂いていた。ダメージが許容量を超えたのだ。
「嘘だろ……!?」
「無残に散れ」
顔を引きつらせる少年に、クラリッサが再度タクトを振るう。風と氷の猛獣が、鉄平を食いちぎらんと牙をむく。
だが、それを阻む者が居た。
「《ディヴァイン・シールド》!」
彰吾が鉄平を庇うように立ちふさがり、大盾を掲げた。大盾は青白い燐光を放ち、クラリッサの一撃を弾き飛ばす。
「っらぁ!」
そして次の瞬間、鉄平の指先から赤光が迸り、クラリッサの腕を貫く。
「ぐっ……!?」
力の抜けた腕から、タクトが地面に落ちた。続けざまに放たれた熱線が、クラリッサの足を、脇腹を打ち抜いていく。
激痛に耐え切れず――クラリッサは地面に膝を突いた。
「ハッ、ハハ。ナイスフォローだぜ、彰吾ちゃん」
冷や汗を拭いながら、鉄平が相棒に感謝を示す。
そして――膝を突いたクラリッサに、泥のように濁った視線を向けた。
「さーて、俺、マジでびびっちゃったんですけど?」
男の顔は、怒りと嗜虐で歪んでいた。声音だけが軽くて薄っぺらなことが、逆に異様さを醸し出していた。
「だからさー、もう容赦とかしねーべ?」
呟き――男は開いた手を、頭上に掲げる。
「『詠唱入力』(オーダー)!猛れ・狂え・葬送の焔よ・全てを・滅ぼし・全てを・灰燼と化せ――」
男の口から、朗々とした詠唱があふれ出す。掲げた手の先に、渦巻く業火が出現した。未だ発動段階では無いのに、余波だけで肌がひりつくような熱が放出されている。
詠唱無しに《ヒート・レイ》を発動させる男だ。果たしてどんな凶悪な魔法を放とうとしているのか。
痛みを堪え、クラリッサは投げナイフを引き抜き、投じる。しかしナイフは、鉄平の周囲で荒れ狂う熱風によって、吹き飛ばされてしまう。
「おのれ……」
歯噛みするクラリッサに、鉄平は狂相を向け、叫ぶ。
「『実行』(エクセキューション)! 《エクスプロ――》」
「Freeze(動くな)」
しかし魔法が発動することは無かった。
頭上から投げかけられた言葉に、その足元に打ち込まれた矢に、男の詠唱が遮られたからだ。
「楽しそうなことをしてるじゃないか」
見上げれば――周囲の民家、その屋根の上に並ぶ人影がある。
赤い外套を身に纏い、髑髏が描かれた覆面で顔を隠した者達。その手には弩が握られており、照準は《獣王》の兵士達に――二人のプレイヤーに向けられていた。
そして――
「うげ、マジかよ」
「ぬぅ……」
二人の刺客が、うめき声をもらす。
「俺も混ぜろよ、なあ?」
外套達の中心では――黒髪の悪魔が、人を食ったような笑みを浮かべていた。




