第三十七話:美点と欠点
「品が卸せないとはどういうことだ!」
ガースキーの怒声に、小太りな男は首をすくめた。
男は《アルダートン一家》傘下の店に、酒を卸していた酒屋の店主だ。元々は冴えないチンピラだったのだが、今では足を洗って商売に勤しんでいる。トニーやガースキーとは、チンピラ時代からの付き合いで、店を出した当初から取引を続けていた。
しかし今日になって、店主は「もう品を卸せない」と言い出したのだ。
「それが……アンタらのところに卸すなら、もうウチとは取引しないって……」
店主の答えを聞いて、ガースキーは盛大に舌打ちした。
「何処の馬鹿だ、そんな舐めた台詞を言いやがったのは」
「ユマーダ子爵家だよ……子爵だけじゃねぇ。ウチと付き合いの有る貴族連中が、揃って同じ事を言いやがった」
店主は苦い顔で続ける。小さな店だが、彼の酒屋は貴族相手とも付き合いがあった。
貧乏人は値の張る酒が飲めない。では誰が飲むかといえば、金を持っている人間、つまり貴族だ。そして貴族の多くは農場や農園を所有し、取れた作物を加工して販売することも珍しくない。その品目には、ワインなどの果実酒も含まれる――つまり、酒屋にとって貴族は上客であり、仕入先なのだ。
「アンタらには悪いが……せっかく苦労して手に入れた取引先なんだ。それをフイにはできねぇよ……」
「……それで俺らが『はいそうですか』とでも言うと思ってんのか?」
ガースキーは眦を吊り上げ、店主の胸倉を掴み上げる。
しかし、
「止せ、ガースキー」
トニー・アルダートンの静かな声が、割って入った。
「トニー……」
ギルドの頭にして親友である男の言葉に、ガースキーはしぶしぶと手を離した。
「すまねぇ、トニー、すまねぇ……俺だって、どうにかしてやりてぇ……でも、俺にだって生活がある。ウチの餓鬼どもを飢えさせる事だけは、したくねぇんだ……」
目に涙すら浮かべる店主に、トニーは苦笑を浮かべた。
「いいさ。気にするな……無理言って悪かったな」
言って、トニーは店を出て行く。ガースキーと他の手下たちも、その後に続いた。
「貴族、か」
ガースキーの口から、呟きが零れた。
見上げれば空は雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだった。まるで空が自分の陰鬱な心を映しているようで、ガースキーは顔を顰める。
「貴族だけじゃねぇ。セクト商会やクネヒト貿易も、ウチに関連した店との取引を拒否し出した」
「……連中の仕業だな。嫌な手を使いやがる」
トニーのいう「連中」が誰を指すのか、言わなくても解っていた。ガースキーの脳裏に、《百鬼夜行》のイザベラと名乗った女の姿が浮かび上がる。
確かに嫌な手口だった。《アルダートン一家》を責めるのではなく、その周囲に圧力をかけて利益を削る。殴り合いではなく、絡め手――それも真綿で首を絞めるような攻め方。だがそれ故効果的で、このままではギルドは干上がることになる。
「しかし信じがたいぜ……セクトもクネヒトも小さな商会じゃねぇぞ。挙句、貴族にまで指図できんのか。連中は」
貴族や商会に自分たちとの取引を禁じるということは、それに勝る利益を――あるいは不利益を――提示できるということである。それが財力なのか権力なのかわからないが、少なくとも唯のチンピラに出来ることではない。
「どうも、俺達は相手の大きさってヤツを見誤ってたのかもしれないな」
「……なあ、連中の話を、もう少し聞いてみたらどうだ」
相手が予想よりも強大だと解ったのだ。ならば無闇に争うのではなく、交渉に道を見出すべきだ。
「馬鹿を言うな、ガースキー」
しかしガースキーの意見を、トニーは一蹴する。
「どうせ食いものにされて終わるに決まってる。俺達の仲間は、俺達が守る。そうだろう?」
「……そうだな」
声に不満が出ないようにするのに、気をつける必要があった。トニーから顔を逸らすようにして、ガースキーは肩越しに手を振った。
「デイヴィッドが何かネタを掴んでないか確かめてくる……ついでに、一杯引っ掛けてくるさ」
言って、情報屋に話を聞くべく、ガースキーはなじみの酒場へと足を向ける。その足取りは、鉛でも括りつけたかのように重かった。
トニーの言う事も、間違いではない。《百鬼夜行》が《アルダートン一家》に情けをかける理由は無い。容赦なく利益を吸い上げ、使い潰す気だろう。
だが、そうならないように立ち回る事は出来る。交渉しだいで、互いに利益の有る関係を作る事は出来るはずだ。
現時点での最善は、《百鬼夜行》との交渉を重ねつつ、相手の情報を探ること。そして手を組む余地があるなら、手を組むこと――それも、可能な限り早いほうがいい。《百鬼夜行》による経済的な圧力は、時間が経てば経つほど効果を発揮するのだから。
だが――《アルダートン一家》が《百鬼夜行》と和解することは無い。頭目であるトニーが頷かないからだ。仲間を殺し、ギルドを危機に陥れようとしている《百鬼夜行》を、トニーは許さないし信じない。どんな強大な相手でも、トニーは諦めないし屈さない。
《伊達男》トニーは単純な損得ではなく、義理と人情を重んじる。仲間を大切にして、どんな敵にも立ち向かう。
それは彼の美点であると同時に――どうしようもない欠点なのかもしれない。
「ついでに、一杯引っ掛けていくか……」
嫌な思考を振り払うように、ガースキーは呟いた。酒でも飲んで、気分を変えたい。
「でしたら――ご一緒して宜しいかしら?」
自分の呟きに、誰かの声が返ってくるなんて考えもしなかった。驚愕と共に振り向いた彼の瞳に映ったのは、鮮やかな銀髪と、艶やかな微笑だった。
「アンタは……」
「どうせ飲むなら、美人と一緒の方がいいと思いませんか?」
言って――《百鬼夜行》の女は芝居じみた仕草で一礼した。




