第三十六話:サブナク
「《百鬼夜行》のソラトを殺せ」
薄暗い路地に、男の声が響く。
「奴と、奴の率いるギルドが、今の王都に混乱を齎している元凶だ。これ以上、奴らの勝手は許さん。速やかに排除しろ」
時刻は既に夜と言って差し支えない。僅かな月明かりの下、二人の男女が人目を憚るようにして言葉を交わしている。男女の密会となると、甘ったるい想像を掻き立てられるが、二人の会話にはそういった気配は微塵も感じられなかった。
「標的の特徴は、黒髪と黒目。年は十五歳前後という話だ……餓鬼だと思って甘く見るなよ。バスカヴィル伯爵の膝元であるアルクスで犯罪ギルドを立ち上げ、僅か半年で王国北部最大の犯罪ギルドにまで育て上げたって曲者だ」
連絡役だと言う隻眼の男は、そう言って鼻を鳴らした。
「もっとも、お前さんには不要な心配だったか」
「まあね」
言われて、少女――カイムはクスクスと笑った
「私と、そう歳が違うわけではないからね。侮ったりはしないよ」
「まったく、最近の餓鬼はおっかないな」
嘆かわしいといわんばかりに、四十ぐらいの男は頭を振る。そして、さもふと気が付いた風を装い――にしてはわざとらしく――言葉を続ける。
「そういえば、貴様も黒髪黒目だな。同郷か?」
「多分ね」
「何処だ。生まれは」
「それは仕事に関係あるのかな?」
男の追及に、カイムは冷たい瞳を向ける。もちろん、この程度で男が動揺したりはしなかったが、肩をすくめて口を閉じた。
「話はそれだけかい? なら、私はもう行くけど」
「ああ。どう仕留めるかは好きにしていい。もっとも、派手にやりすぎて騎士団に追い掛け回される羽目になっても、こっちは手助けせんがね」
男の言葉に、カイムはひらりと手を振って答えた。からりと下駄を鳴らしながら、夜の街を歩く。
首尾よく《バグウェルの短剣と外套》に潜り込んだカイムだが、よりにもよって与えられた仕事はソラトの暗殺だった。
他のギルドが襲撃者を血眼になって探し回る中、《短剣と外套》だけはその正体を嗅ぎつけていた。聞けばカイムが《百鬼夜行》に参加する以前にも、《短剣と外套》にはソラト暗殺の依頼があったらしい。だから向こうはソラトに関するある程度の情報を持っていた。
(名を知られるのは構わない。ソラト自身、自分の名前に恐怖を添えて売りつけるタイプだ……だが、暗殺者は歓迎しかねるね)
もちろん、カイムはソラトを殺める気など毛頭無いが、動いているのが自分だけとも思っていなかった。早急に《短剣と外套》を屈服させなければ、安心して寝床に入れない日々が続くことになる。
そこまで思考をめぐらせ――カイムは足を止めると、背後の闇を振り返った。
「そろそろ出てきても良いんじゃないか?」
「っと、気付かれてたか」
彼女の声に答え――闇から滲み出るように、男が進み出てくる。
まだ若い男だ。といっても、カイムよりは年上だろう。古ぼけたテンガロンハットと、どこか薄汚れた茶色の外套。革のズボンに、頑丈そうなブーツ。カウボーイじみた格好だが、手に握られた、美しい装飾の杖だけが浮いていた。
そして何より――男の瞳は、夜空のごとき黒に輝いていた。
「君は」
「ああ。俺もプレイヤー……日本人だ」
これだけ人の集まる王都だ。自分達以外のプレイヤーが居ることは、予測してしかるべきだった。実際、ソラトも人を使って探させていたようだが、生憎と芳しい結果は得られていなかった。
「夜道で乙女を付回すのは、趣味が良いとは言えないね」
「悪い悪い。ちょいと話がしたかっただけなんだが……どうにもシャイでね。なかなか声がかけられなかった」
カイムの言葉に、男は冗談めかして笑う。
「香山錬士郎だ。NESじゃ《サブナク》って名前だった――ついでに言えば、アンタと同じで、《バグウェルの短剣と外套》の所属だ」
男の付け足しに、カイムは眉を上げる。つまり、この男は暗殺者ということだ。暗殺者が自分の後をつける理由となると、あまり楽しいものでは無さそうだ。
いや――それよりも問題は、カイムの所属が知られていることだった。カイムの訝しげな視線に気付いたのか、男は苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「アンタは、自分がかなり目立つってことを自覚すべきだな。《七星》に入った黒髪の美人の噂は聞いてる。凄腕なのに問題児だって事と、最近ギルドハウスに顔を出してない事もな。そういう奴が何処で何をやってるかは、良く知ってる……つまりまぁ、俺も似たような経緯で《短剣と外套》に入ったわけ」
腕の立つ、しかしトラブルメーカーであったカイムが唐突にギルドを訪れなくなったことで、裏の仕事に回されたのだと察したわけだ。それだけでは確証に欠けるから、先ほどの言葉は鎌かけだったのかもしれない。
「さ、それよりアンタの名前も教えてくれよ」
「……カイムだ」
警戒雑じりにカイムが名乗ると、男は口笛を吹いた。
「《黄金宮》のチャンピオン様か」
「それで、私に何の用だい?」
「おいおい、せっかく同郷に会えたのに、その反応は冷たいな」
この世界で――異国の地で、同郷の人間と出会えば、声の一つもかけたくなるかもしれないが、だからといって夜道を付回す理由にはならない。
カイムが無言で視線を鋭くすると、男は肩をすくめた。
「解った解った。ちゃんと答える……聞きたいことが二つある」
サブナクは声を潜め、カイムに顔を近付けた。
「なんだい?」
「まず一つ目――アンタ、向こうへの帰り方を知らないか?」
そう訊ねる男の顔には、鬼気迫るものがあった。
「……知ってると思うかい?」
「どんな手掛かりでもいいんだ。何か知らないか」
重ねられる問いにも、カイムは首を横に振るしかない。
「いいや……それもそうか。そうだよな」
男は頷き、深々と嘆息した。俯き、肩を落とし、まるで絵に描いたように途方にくれた。
「……帰りたいか。それほど」
「アンタは、帰りたくないのか」
思わず呟いたカイムに、男は乾いた声で問い返した。
果たして自分は――元の世界に帰りたいのだろうか?
ソラトもシュトリも、元の世界について殆ど話そうともしない。目の前に広がる新しい世界で、どう生きるかばかりを考えている。
それは前向きなようでいて、異様なことだった。仮にも生まれてから十数年を生きた故郷を、残してきた友人や家族に未練の一つも見せない彼らに、カイムは言いようの無い違和感を感じずに入られなかった。
では自分は元の世界に帰りたいのかというと、素直には頷けない。
いや――「帰りたいか」という問いには頷けるが、「帰るか」という問いには頷けない、というのが、彼女の正しい心情かもしれない。
帰るにはもう――この世界にしがらみや心残りを作りすぎた。
「俺は、一刻も早く帰りたい」
思考に沈みそうになったカイムの耳に、サブナクの呟きが届いた。
「帰る為なら――どんな事だってする」
それは、まるで砂漠を放浪した旅人のような、乾ききった声だった。
「……それで、二つ目の質問は?」
耳に残る、サブナクの声の残響を振り払うように、カイムは促す。故郷を想う青年は、気を取り直したように頷き、口を開いた。
「――《ソラト》」
聞きなれた名前に、カイムは眉を上げる。彼女の反応を見て、サブナクは薄く笑った。
「あんたも命じられたんだろ? 奴の暗殺をさ……」
(――あんた『も』か)
つまりサブナク自身、ソラト暗殺を命じられてると言うことだ。
「……だとしたら?」
明確な回答を避けたカイムに、サブナクは苦笑しながら肩をすくめる。
「手を組みたい。《NES》で奴の噂は聞いてたよ。NPKでトップとなれば、プレイヤー殺しの専門家と言っていい。正直、独りで勝てるとは思えない」
戦わない、という選択もあると思うのだが――サブナクはソラトを殺すつもりらしい。ソラトを殺させるわけには行かない以上、カイムは彼を排除しなければならない。
だがそれ以上に、ソラトは彼を手駒に欲しがるだろう。
ならばカイムのするべき事は、彼を言いくるめ、丸め込むことだ。
(――私も彼に毒されてきたみたいだね)
己の思考に、カイムは苦笑する。しかし彼女は、自らを弁の立つ人間だとは思って居ない。誤魔化しは苦手で、嘘は下手だ。
ならば、彼に任せよう。悪魔の舌を持つ、あの少年に。
「……手を貸してもいい」
「本当か?」
「ああ」
喜色を浮かべるサブナクに、カイムは無情を隠して頷いた。
「ただその前に――会ってほしい人が居るんだ」




