第三十五話:《名も無き楽団》
王都カーマイルは秩序と混沌、その両方を備えた街だった。街の北にあるヴァッセル山の中腹から平地にかけて、半ば埋もれるような形で建てられている王城を要に――貴族の屋敷が立ち並ぶ貴族街、豪商などの富裕層が住む高級住宅街、魔法学校を有する学生街……と言う風に、区画ごとに特色の明確な、整然とした街並みが扇形に広がっていく。
しかしそれも、街の中ほどまで。それ以降は外に近づくにつれて纏まりが無くなっていき、貧民街である外周部は地図すらない。
そのうち、多くの商会が看板を掲げる商業区はというと、外周に近いにもかかわらず、比較的秩序が保たれている。これは物品の運搬や保存を考えたとき、外周に近いほうが手間とコストがかからないこと、そして頻繁に人が行き来するため、道に迷わずに済むように――道に迷って商談を逃すことなど許されない――あちこちに地図と標識が設置されているからだ。
《ローレンス商会》は、商業区でも大きな――つまりルイゼンラート王国でも有数の――商会だった。しかしこの《ローレンス商会》が、犯罪ギルド《名も無き楽団》の隠れ蓑の一つであることは、世事に詳しいものならば誰でも知っていた。
「忌々しい」
商会の執務室で、《無慈悲な指揮者》クラリッサは呟いた。室内にもかかわらず、軽装ながらも鎧を身に纏っているのは、彼女が根っからの武人である証とも言えた。
彼女の苛立ちの原因は――犯罪ギルド《獣王の血脈》と彼女のギルド《名も無き楽団》の衝突だった。
どちらのギルドも、末端まで含めれば千を越えている。いくら王都が広いとはいえ、何処かで顔を合わせるし、顔を合わせれば無視は出来ない。既に幾つか、小競り合いが発生していた。
それが総力戦に到っていないのは、争いの舞台が市街地――それも住民や為政者、治安維持機関の存在する「街」だからだ。王都騎士団は《夜会》ギルドの主要な拠点を常に監視しており、不穏な動きを察知すれば即座に飛んでくるだろう。
《獣王》も《楽団》も、王都闇黒街に名を轟かす犯罪ギルドだが――所詮は犯罪ギルドでしかない。国家という背景を持った騎士団には――万を超える王国軍には敵わない。
もし国が、国王が大規模な犯罪ギルドの取締りを決めれば、撤退を余儀なくされるだろう。それを避けるために、《夜会》ギルドは悪事も抗争も、「問題では有るが、騎士団の投入までは必要無い」という範囲に止めてきた。時に賄賂という根回しをして、あるいは「自首」という尻尾切りで追及を逃れてきた。犯罪者が社会の闇に潜むのは、日の光の下に出れば排除されるからなのだ。
だから犯罪ギルド同士の争いは小規模になり――裏を返せば決着が付きにくい。
もとより、犯罪ギルドの争いは泥沼化しやすい。シマが奪われたなら取り返せばいい。兵が殺されたならまた揃えればいい。明確な終わり――相手を一人残らず皆殺し――が実現しにくく、一度沈静化しても再燃する可能性が高い。
そんな終わりのない闘争は、《無慈悲な指揮者》を不機嫌にさせていた。
「押さえてください」
脇に控えた副官が、クラリッサを諫める。
年の頃は、三十を過ぎているだろうか。がっしりとした体つきに、短く刈り込んだ髪。鉄芯を入れたかのように伸びた背筋と、顔に刻まれた大きな傷。
「今迂闊に動けば、他のギルドの思う壺です……《指揮者》(コンダクター)殿」
《楽団》と《獣王》の争いに、他の三つのギルドは静観の構えだ。しかし僅かでも隙を見せれば、即座に喰らい付いてくるだろう。
「解っている」
副官の言葉に、クラリッサは深々と嘆息した。
部下が口にしたのは、彼女の二つ名であり――同時に今は無き父の称号であった。
父は騎士だった。遙か西の、レスターフォードという国で、名将とまで讃えられた豪傑だった。
クラリッサは父が好きだった。王家の剣であり、国民の盾であり、騎士の鏡であった父は彼女の誇りだった。
それが奪われたのは、もう七年も前になる。
レスターフォードには三人の王子がいた。跡継ぎである第一王子と、それを妬む第二王子。暗くゆがんだ、しかしありふれている王家の事情。
だから当然のように、動乱の炎が上がった。第一王子と第二王子が王座を求め奪い合い、国内の貴族が真っ二つに分かれて争った。
生粋の武人で、煩わしい政治を嫌いっていた父は――どちらにも従わなかった。むしろ隣国の介入の危険性を警告し、同胞同士で殺し合う愚を聡そうとした。
しかし、動乱は半年間続いた。そして第二王子が第一王子とその派閥を破り、王位を継承した。王となった第二王子が真っ先にしたことは、自分に従わなかった者――つまり第一王子とその配下、そして誘いをかけたにもかかわらず、己の配下にも加わらなかった者――の処分だった。
第一王子を初めとした、主だった者は処刑された。多くの者がその地位を追われ、あるいは投獄された。
そして――それには、クラリッサの父も含まれていた。
地位も、名誉も、何もかもを奪われた。牢獄につながれ、人としての尊厳すら踏みにじられた。
当時、まだ新米騎士だったクラリッサは嘆き、悲しみ、苦しみ――そして決意した。
父を助け出す。
この国を捨てる。
無謀な決意を助けたのは――彼女の同僚であり、父の部下だった者達であった。
実に千に届こうかという兵士が、父を助けるために――王に剣を向け、祖国を捨てた。父の積み上げた功績と人望のたまものだった。そこまでの決意は出来無くとも、ささやかな協力してくれる者だって多かった。
父の奪還は――成功した。牢獄から助け出された父は痩せ、衰え、しかし恐ろしいほどの剣幕をもって彼女たちを叱りつけた。なんて無謀なことを、なんて愚かなことをしたのだと。
父は怒り、怒鳴り――そして涙した。泣いて詫びて、礼を述べた。クラリッサも泣いた。他の皆も泣いた。
そして、放浪が始まった。
数百の食い扶持を稼ぐのは、容易ではない。騎士だ名誉だと唱えても、結局彼らは人殺しの集団だった。そんな彼らに出来るのは、やっぱり人殺しだけだった。
傭兵団《名無しの楽団》の誕生である。
いくつもの戦場を渡り歩き、その殆どで、使い捨て同然の扱いを受けた。ただ糧を得るためだけに、明日も見えない戦いを続けた。
やがて――父が死んだ。投獄で弱った体を、過酷な戦場暮らしが蝕んでいたのだ。後釜に選ばれたのは、過酷な戦場でその才能を認められたクラリッサだった。
団長の地位と、《指揮者》の称号を受け継いだクラリッサはただ仲間のために――仲間のためだけに指揮棒をふるった。
生きるためなら、どんな汚い真似もした。籠城した敵を誘い出すために、城の前で捕虜を一人ずつ拷問して処刑した。糧食を得るために、村を襲って略奪した。裏切り、寝返り、雇い主を後ろから切ったこともある。
様々な国を、悪名だけを残して彷徨った。長い旅の間に、仲間達も一人減り、二人減り、今では三百にも届かない。
足りなくなった数を補うために、軍人崩れのごろつきや、盗賊まがいの傭兵を吸収していった。
傭兵団は――いつしか犯罪ギルドへと形を変えていた。
父の残した偉大な《指揮者》の称号も、誰が呼んだか《無慈悲な指揮者》と変わっていた。
恥じるつもりはない。生きるために、仲間を生かすために、全ては必要なことだった。
それでも――胸にわだかまる感情は、クラリッサの息を苦しくしていた。どうしてこうなったのだろう。ただ自分は、父のような立派な騎士になりたかった。祖国のために戦い、民のために戦い、名誉のために戦う、誇りのある武人でいたかった。
なのに、なのに何で。
――駄目だ。考えるな。直視するな。
考えてしまったら、見てしまったら、きっと自分は壊れてしまう。
胸中に浮かび上がった嘆きを、氷のような冷たさと堅さで、彼女は無視した。
全て凍り付かせて、クラリッサは冷徹に思考する。王都の覇権は取らねばならない。この街を追われるということは、また傭兵に戻らねばならないと言うことだ。部下を過酷な戦場に放り出すと言うことだ。それは避けなければならない。
本当の戦場に比べれば、暗黒街の争いなど温すぎる。何しろ少なくとも、糧食の心配をしなくて良いし、暖かいベッドで寝ることが出来る。いくら争いが長引き、泥沼のようであっても、名誉も誇りもない、後味の悪さしかない闘争であっても――その事実をクラリッサが嫌悪していても、部下を、仲間を地獄に送るよりずっとマシだった。
――戦うことしか知らない我々は、戦うことでしか生きられない。
ならばせめて、この「温い闘争」が続かんことを。
だが――そんなクラリッサの願いは、誰にも届かない。
「団長!」
ノックもなしに扉が開き、部下が駆け込んでくる。
「《獣王》が動きました!」
《獣王の血脈》が兵隊を集め、こちらに向かっている。 報告を受けたクラリッサは、形の良い眉を顰めた。
「……自棄になったか?」
そんなことをしても、すぐに王都騎士団がやってきて終わりだ。貴重な戦力が捕縛、拘束されて、当分は使い物にならなくなる。そうなれば、《楽団》を初めとした他のギルドの食い物になる。
それが解らない《黄金の獅子》ではないはずなのだが。
「王都騎士団はどうした?」
「それが……貴族街で獣人達が騒ぎを起こしており、そちらの対応に追われています」
「なに?」
部下の説明によれば――事の発端はアランノット子爵という貴族が、獣人の娼婦に暴力を振るったことだそうだ。
王都の獣人達は仲間意識が強い。話を聞きつけた他の獣人達が、子爵の邸宅の前に詰めかけているという。
「今のところ、あくまで抗議であり、暴動には発展していないようですが……武力による鎮圧も視野に、王都騎士団が出動しております」
クラリッサは舌打ちした。
「ベガ・ベルンガの仕込みだな。獣の分際で知恵の回る」
これを偶然と片付けるほど、クラリッサは馬鹿ではなかった。そもそも、獣人の娼婦が客に暴力を振るわれたとなれば「他の獣人が詰め掛ける」なんて事態にはならない。《獣王の血脈》の強面達が殴りこみをかけるはずだ。
となれば、その何とかいう子爵も《獣王》の協力者だろう。貴族は体面を重んじるものだが、それに勝る利益が有るなら話は別だ。金か、あるいは弱みでも握られているのか。
突拍子も無い手段だが、戦力にならない女子供で王都騎士団を押さえる妙手でもある。しかも、参加する女子供には殆ど危険が無い。
王都騎士団からすれば、子爵に――貴族と貴族街に危険が迫っている以上、例えそれが万が一の可能性であっても見過ごすことは出来ない。まして天秤の反対側は、犯罪ギルド同士の抗争、つまり悪党どもの潰しあいだ。どちらが重要か、考えるまでも無い。
もちろん、王都騎士団も全軍が貴族街に向かっているわけではあるまい。こちらに裂く兵力が全く無いわけでは無いだろう。
だが、彼らとて人間だ。犯罪ギルドの揉め事に首を突っ込んで、我が身を危険に晒すのは気が進まないに違いない。そんな彼らに、貴族街の警護という「動かない理由」を与えてやることで、介入を防いでいるのである。
「いかがなさいますか」
「決まってる」
副官の問いに、クラリッサは氷のような微笑を浮かべた。
「打って出る。獣どもに本当の『戦争』を教えてやろうではないか」
《無慈悲な指揮者》の言葉に――副官が、部下が、敬礼した。