第三十三話:《アルダートン一家》
「つまり――お前さんはギルドを金で売り渡せって言うのか?」
己の屋敷、その応接室で、トニー・アルダートンはそう質問した。
「ええ、人も店も全て。もちろん、相応の値段をご用意します」
正面に座る女――《百鬼夜行》なるギルドの寄越した交渉役は、そう言って嫣然と微笑んだ。美しい女だが、荒事に向いているとは思えない。供は小姓らしき子供が独りだけで、護衛もつれていなかった。
トニーはゆっくりと息を吐き出すと、葉巻を銜え、火をつけた。紫煙を燻らし、改めて口を開く
「その前にまず、落とし前をつけるのが筋だと思うがな」
葉巻を噛み締めながら、トニーは女を睨み付ける。聞けば、今王都を騒がせている連続襲撃事件は《百鬼夜行》の仕業と言うではないか。一連の騒ぎでは、彼のギルドも被害を受けている。その件を収めないうちには、交渉など出来たものではなかった。
「その件に関しましては、我らが頭目よりお言葉を預かっています」
「……言ってみな」
「『話し合いをするには、まず殴り合い必要だ』と」
その言葉に、控えていた部下達が怒気を露わにする。トニーはそれを手を上げるだけで押さえ、もう一度紫煙を吐き出した。
確かに、交渉という選択肢は、お互いが対等――あるいは「問答無用で叩き潰すには危険が大きい」という判断があってから初めて生まれるものだ。奴らの手並みを考えれば、矛を交えるよりは話し合いを選びたい。トニーがそう思うのは、自分の部下が襲われたからこそだ。
しかし、だからといって納得がいくわけではない。大事な仲間を殺され、その相手に何の落とし前もつけさせないのでは、誰もトニーについてこなくなる。
何にせよ――答えはもう決まっている。
「断る」
「何故です?」
イザベラと名乗った女が、微笑みながら小さく首を傾げる。聞くまでも無いだろ、とトニーは胸中で呟きながら、答を返す。
「家族を売り渡すような真似はできんよ」
彼にとって、ギルドの人間はもちろん、縄張りで暮らす者は全て彼の家族だった。それを金で売り渡すなんて、到底頷けるものではない。
「仲間は裏切れない。仲間を殺した奴と手を組むわけにも行かない。つまり、交渉の余地は無いってことだ――お帰り願おうか」
「残念ですわ」
トニーの答えに、さして残念と言う風でもなく、女が立ち上がる。
「後日、もう一度窺います――そのときは、いい返事を聞かせていただけると信じていますわ」
最後にそう言って、女は部屋を出て行った。その背中を、荷物を抱えた小姓が追いかけていく。
「……黙って行かせるのかよ、トニー」
餓鬼の頃からの親友であり、組織の副頭目でもあるガースキーが忌々しげに呟いた。
「少なくともあの女は話し合いに来て、武器を抜かずに帰った。ならば無事に帰さなけりゃ、道義に反する」
トニーの言葉に、ガースキーを初めとした部下たちは、半ば苦笑いのような表情を浮かべた。道義。義理。人情。そういったものを重んじるトニーの考え方は、時に自ら損を被っているようにしか見えないときがある。
だが――それらを重んじたからこそ、今の《アルダートン一家》があるということも、彼らは理解していた。
今でこそトニー・アルダートンなんて大層な名前を名乗っているが、彼は元々王都の路上で生活していた孤児だった。多くの人が集まる王都には、彼のような子供がたくさん居た。
そんな子供たちの中でトニーが異彩を放っていたのは、彼が他人を思いやるという特異な人格をしていたことだった。彼は自分より貧しい者から盗む事は無く、自分より弱い者は守ってやった。
小さな子供にパンを与え、、自分は飢えた腹を抱えて笑ってみせる。そんな馬鹿で格好つけの彼を、いつしか仲間は《伊達男》と呼ぶようになった。自然と彼の周りには人が集まるようになり、やがてギルド「アルダートン一家」が出来上がった。
彼は娼館を経営しても、稼げなくなった女を放り捨てることはしなかった。
彼は孤児に盗みを教えても、子供たちを飢えさせる事はしなかった。
彼は悪党だったが、この街とそこに住む人々を愛していた。そして彼は犯罪ギルドの頭目でありながら、人々に愛され尊敬される男になった。それがトニー・アルダートン。《伊達男》と異名される、《アルダートン一家》の頭目である。
「でもよ。仲間の敵を、みすみす見逃す手は無いぜ?」
「ああ――だから、後は付けさせてる」
ガースキーの言葉に、トニーの瞳がぎらりと危険な光を放った。
「交渉役は無事に返す。だがその後、襲撃の報復をしても仁義に外れるわけじゃない。ねぐらを押さえれて、今度はこっちから仕掛けりゃいい」
それを聞いて、部下たちは合点が行ったとばかりに頷いた。ただ優しいだけの男が犯罪ギルドを取り仕切り、他の《夜会》のギルドと対等に渡り合えるはずも無い。必要ならば何処までも非情になれる。それが《伊達男》トニーという男だった。
「俺の縄張りに居るのは、何処にも居場所の無かった者達だ。ようやく手に入れた居場所を、奪わせてなるものか」
葉巻を灰皿に押し付けながら、トニーはそう呟いた。
「俺達を舐めるとどうなるのか、奴らに思い知らせてやれ」
トニー・アルダートンの屋敷の前には、一台の馬車が止まっている。門番の友好的でない視線に晒されながら、イザベラは馬車に乗り込んだ。
「――お疲れさん」
座席に身を投げ出したイザベラに、向かいに座った小姓の少年――ソラトが口の端を吊り上げた。馬車が走り出し、鈍い振動が座席を通して伝わる。
「肝が冷えたわ。荒事は専門外だって言ったじゃない」
彼女の抗議を、ソラトは鼻で笑った。
「言ったろ。商売も荒事だってな。それに、商談はお前の仕事だろうが」
「相手が特殊すぎるわ。もし向こうが襲ってきたらどうするつもりだったのよ?」
「それを期待して、俺が付いてきたんだろーが」
好戦的なソラトの答えに、イザベラは深々と嘆息した。しかし同時に、彼が《アルダートン一家》との正面衝突を望んでいない事も、彼女は理解していた。
《アルダートン一家》の特異性は、傘下の店の大半がトニー・アルダートンとそのギルドに好意的だという点だ。ソラトの腕前なら、あの場でボスを殺すことも出来ただろうが、それでは奪った縄張りの人間達が《百鬼夜行》に激しく反発する。彼の目的は《アルダートン一家》の壊滅ではなく、彼らの利益を奪い取ることであり、余計な手間は避けるべきだった。
ならば《アルダートン一家》の名前を残したまま、縄張り丸ごと傘下に引き入れる。それがソラトの方針だった。
「さて――馬車を止めな」
ソラトの命令に、御者が慌てて馬車を止める。イザベラは怪訝そうに眉を顰めた。
「どうしたの?」
「屋敷に戻る前に、鼠を片付けておかないとな」
言って、ソラトは短剣を引き抜いた。尾行が付いているのだと、イザベラも察した。
少年は馬車の扉を開き、外へと飛び出していった。それを見送ったイザベラは扉を閉め、御者に命じる。
「もういいわ。出して」
「……よろしいのですか?」
「ええ」
――走って戻ってきなさい、坊や。
そう呟きながら、イザベラは目を閉じる。彼女は酷く疲れていて、さっさと帰って横になりたかった。そして、あの坊やも少しは苦労すればいい、と胸中で毒づいた。




