第三十二話:短剣と外套
扉が開くと同時、賑やかだったギルドハウスに沈黙が満ちた。
傭兵ギルド《七星》はこの国――いや、周辺国家にも名の知れたギルドだ。規模はもちろん、所属する傭兵たちの質も高い。当然ながら入団審査は厳しく、通過は容易ではない。
だが――《七星》ギルドハウスに踏み込んだのは、およそ傭兵には見えぬ、まだ若い女だった。長くのばした黒髪を後頭部で束ね、異国風の衣装に身を包んでいる。
美しい少女だった。だが彼女に向けられる瞳には、美しさへの感嘆ではなく、むしろ敵意と悪意が込められていた。
注がれる視線を気にする事なく、少女――カイムは姿勢良く歩を進める。
と、
「また派手にやったらしいな」
少女に声をかけたのは、独りテーブルで酒を呷っていた男。赤ら顔の中年で、身なりもだらしない。
どう見ても、飲んだくれの駄目親父にしか見えないが、彼はこれでもギルドの世話役であり、カイムにとっては上司に当たる人間だった。
「もう広まってるんだ?」
男の言葉に、少女はくすりと笑う。
ギルドに加入してたった一月で、彼女はその名を轟かせていた。その強さと美しさ――そしてその「問題児」ぶりにである。
「絡んできたのは向こうだよ」
「だとしても、やりすぎだ。六人中四人が重傷、残る二人もしばらくは使い物にならん」
先日、彼女は武装強盗団の殲滅という仕事を与えられた。参加したのは彼女だけではなく、同じ《七星》に所属する他の傭兵と共同で行われた。
だが、《七星》所属の傭兵達は、唐突に現れ名を上げたカイムを快く思って居なかった。まだ若い女であることへの侮りもあった。
彼らはカイムを軽んじ、下品な言葉を投げかけた。
それに――カイムは武力で答えた。
「まったく、おっかない女だぜ。全員を叩きのめした後、自分ひとりで仕事を果たしたって言うんだからな」
カイムは本来なら仲間である六人を叩き伏せ、そのあと自分一人で武装強盗団を殲滅したのである。
ギルドとて無駄に人手を割いたりはしない。七人必要だと判断したから、七人を仕事に送ったのである。つまりカイムは、たった一人で七人分の働きをしたということだ。
「腕は良いし、別嬪だってのに、なんでったってお前さんはこうも問題を起こすかね」
「私としても不本意だ。揉め事は好きじゃない」
「どの口で言いやがる」
嘆息する世話役に、カイムは苦笑を浮かべる。
揉め事は好きじゃない。その言葉に嘘はない。
だが、彼女が率先してトラブルを起こしているのも事実である。なぜならばそれが彼女の『仕事』だからだ。
《七星》に入り、ほどよく問題を起こす――それがソラトからカイムに与えられた指示だった。
――正直、私よりシュトリ向きの仕事だと思うのだけど。
若干失礼な事を考えながら、カイムは胸中で嘆息した。最もシュトリの場合、「ほどよく」の部分が難しくなるのだろうが。
だからカイムはギルドでその力を示すと同時、周囲との軋轢を意図的に生じさせていた。幸か不幸か、若い女である彼女にいらぬちょっかいをかけてくる相手は多く、火種に困る事は無かった。
「なあ、お前が悪い奴じゃないのは知ってるさ。だが、もうちょっと上手くやれ。こうもメンバーを使い物にならなくされちゃあ、上層部も黙っちゃいられんだろ」
そう嘆いた男は、ぽつりと――何気なく、本当に何気なく付け足した。
「まあ、上手くやれなかったから、あんな事が起きちまったんだろうが」
その言葉を聞いて――カイムの目に、鋭さが混じる。
「どういう意味だい?」
「ヴィロー子爵領」
男の答えは短かった。だが、それを聞いたカイムの変化は劇的だ。表情が強張り、手が脇に置いたグレイブへと伸びる。
ヴィロー子爵領。それはカイムがこの世界で始めて降り立った場所であり、そして許されぬ大罪を犯した場所でも有る。
その名を何故、この男は口にする――。
「落ちつけ」
絶妙なタイミングで、するりと言葉が差し込まれた。思わず、カイムの手が止まる。
「そう構えるなよ。この業界、脛に傷がある奴は珍しくない」
杯をあおりながら、男は続ける。
「が、仮にも貴族から追っかけられてる奴を、ギルドに置いておく訳にも行かない」
ギルドは自治組織だが、国や貴族からの仕事も珍しくない。貴族殺しの犯罪者を匿っているとなれば、「得意先」といらぬ軋轢を生みかねないのだ。
「とはいえ、その腕前は惜しい。お前さんは表向きギルドから除名されるが、仕事は回す」
そして何でも無いように――男は付け足した。
「まあ、ちょいと難しい仕事になるがな」
――来た。
男の言葉に、カイムは顔を強張らせたまま――内心で薄く笑った。
「釣れたよ」
尾行に気をつけながら、バスカヴィルの屋敷に戻ったカイムは一言、ソラトにそう告げた。
「そうか」
長椅子で寛いでいた少年は、それを聞いてにたりと笑う。
「これで暗殺ギルド《バグウェルの短剣と外套》との接触が叶ったわけだ」
大手傭兵ギルド《七星》は、その裏で後ろ暗い仕事を引き受けている。実行するのは、協調性に欠ける者、人格に問題のある者、あるいは脛に傷を持つ者……傭兵にすら成れない曲者に、《七星》は表ざたに出来ないような仕事を回しているのである。
そして――《七星》が裏の仕事を引き受けるときの名が、《バグウェルの短剣と外套》。王都を支配する五大ギルドの一角であり、ゴドフリーがソラトの暗殺を依頼したギルドでもある
闇黒街に君臨する犯罪ギルドの中でも、ソラトは特に《短剣と外套》を警戒していた。自身が暗殺という手段を好むソラトは、同時にその恐ろしさを熟知していた。また、下手に手を出せば《短剣と外套》だけでなく表の《七星》とまで争う羽目になる。
だからソラトはカイムに《七星》へともぐりこみ、そして適度に問題を起こすことを命じた。実力は飛び切りだが扱いにくい。そんな評価を得ることで、裏の仕事を回されるよう仕向けたのである。
ソラトの目論見は功を奏し、カイムは《短剣と外套》のメンバーに加えられた。
「幾つかの仕事は従順にこなせ。その間に、連絡役や他のメンバーを調べるんだ」
「それは難しいだろうね」
与えられた指示に、しかしカイムは首を横に振る。ソラトは不思議そうに首をかしげた。
「どうしてだ?」
「与えられた最初の仕事は――君の暗殺だ」
それを聞いてソラトは――なんともいえない、微妙な顔になった。




