第三十一話:王都カーマイル
ルイゼンラート最北の地であるバスカヴィル領から王都カーマイルまで、馬車で二週間を超える時間が掛かった。それだけの時間が、ただ移動のためだけに費やされたのである。
この世界は、広い。物理的な距離はもちろん、鉄道も車も無いので、体感的な距離が大違いだ。いくら力が強くても、いくら駒を集めても、こうも移動に時間が掛かるのでは、おいそれと領土は広げられない。有史以来、世界を手にせんとする野心家は幾度か現れたが、彼らにとって最大の敵はこのどうしようもない距離と時間の壁だったに違いない。
もっと効率の良い移動手段が必要だった。この世界にはペガサス、グリフォンなど、人を乗せて飛行できる生物も存在する。飛行手段は軍事的にも重要だ――何とかして手に入れたいところである。
初めて見る王都は、活気と猥雑さで覆われていた。その人口は十五万を超えると言われている。正確な人口が把握出来ていない貧民街を加えれば、もっと多いかもしれない。バスカヴィル領の人口が十万だったから、その一・五倍の人間が一つの都市に集まっているわけだ。アルクスも大都市に分類されるのだが、王都とは比べるのも愚かしいだろう。
人数が多いだけあって、王都には様々な人間が居る。農民、商人、貴族――王族。身分の違いだけでなく、獣人やドワーフなど、種族の違いすらもこの街は内包する。
そんな混沌とした都の、貴族の屋敷が立ち並ぶ一郭に、バスカヴィル伯爵の別荘は存在した。領地持ちの貴族は、基本的に己の領地で日々を過ごすものだが、王都に屋敷を所有している者も多い。政務や式典で、王都に滞在する事も少なくないからだ。そして貴族は、市井の宿などに泊まったりはしないのである。
また、王都に屋敷を所有すること、その大きさや位置は、貴族の力関係を示すステータスでもあった。バスカヴィル家は爵位こそ伯爵で、中流とでも言うべき家柄だが――北部防衛の要である城塞都市アルクスを任される武家の名門でもある。屋敷は造りこそ華美でないものの、充分な広さを持ち、王城にも近い。
しかし――貴族としての名誉、そして王家からの信頼の証でもある屋敷は今、犯罪ギルド《百鬼夜行》の根城と化していた。
「ここもクリアっと」
屋敷で一番上等な部屋、おそらくは伯爵が使うためのものであろう執務室。椅子に腰掛けた俺は、机の上に広げられた地図に羽ペンで印をつける。そこにはとある娼館の名前が記されていた――つい先ほど、客も従業員もまとめて皆殺しにされ、挙げ句の果てには火をつけられた店の名前が。
平面に描かれた王都は無数の書き込みで埋め尽くされ、色とりどりのピンが突き刺されていた。
まだアルクスに居た頃から、俺は王都の情報をかき集めていた。特に『敵』に関する情報――すなわち王家や貴族、騎士団と警吏、有力な商会や傭兵ギルド、そして犯罪ギルドの情報を、だ。
ガス・バスカヴィルは犯罪ギルドの類にも容赦が無かった。だからバスカヴィル領では、ならず者は二十人ほどのグループを作るのが精一杯。少しでも規模が大きくなり、被害が拡大すれば、即座にバスカヴィル騎士団が飛んできて粉砕された。必然的に犯罪ギルドの規模は小さくなり、その活動も小規模なものになる。
俺が《百鬼夜行》を立ち上げる事が出来たのは、《聖女騎士団》の反乱と、それに伴う治安の悪化でバスカヴィル騎士団に余裕が無かったからだ。だから他のグループの併合、つまりごろつき同士の殴り合いにまで首を突っ込んでこなかったし、小銭をせびる程度のチンピラは対処を後回しにされた。
だが、王都では違う。人口そのものが多く、必然的に悪党の数も、起こる揉め事の数も多くなる。そして歴史が古くなれば利害関係も複雑になり、治安を担う警吏や騎士団はその動きを鈍らせる。
その結果が――犯罪ギルドの増加と強大化。
「そろそろ『奴ら』も焦れてくる頃かな」
地図には遊戯盤で使う駒が置かれている。その数は五つ。
この街を影から支配する犯罪ギルドの数である。
すなわち――《獣王の血脈》《名も無き楽団》《アルダートン一家》《バグウェルの短剣と外套》《十と四の腕》。
この五つのギルドが、暗黒街の支配者であり、俺の敵だった。
利益というのは、分け合うものでは無く奪い合うものだ。どんな市場であれ、新参者は古参に煙たがれる。それは犯罪ギルドも同じ事で、彼らの利益を奪おうとする俺と《百鬼夜行》が歓迎されるはずもなく――当然のように争いが起きる。
俺にとっても、彼らは邪魔だ。
だから、踏みつぶす。
「順調だね」
地図を眺めて、黄金の髪の少女――シュトリが笑う。
俺は彼女とその部下を引き連れ、各ギルドへの襲撃を繰り返した。いくら相手が大ギルドと言っても、百だの千だのといった人数を一箇所に固めているわけではない。だから戦力が少ない場所を狙って仕掛け、即座に撤退する――いわばゲリラ戦を行っていた。
「でも、これじゃあこの街は取れない」
「そうなの?」
返された答えに、シュトリは目を瞬かせた。
勝てるときだけ、一方的に勝負を仕掛ける――しかし逆に言えば、負けない勝負を選んでいるだけで、利益の出る勝負をしているのではない。事実、この戦いで《百鬼夜行》は金や人を増やしておらず、縄張りを広げたわけでもない。つまり、嫌がらせに過ぎないのだ。
俺達には、状況を変えるための決定打が無い。それは俺も解っていた。
「だが――俺達がやらなくても、他の奴がやってくれる」
「他の奴?」
「王都の暗黒街は、絶対的な支配者が居るわけじゃない。五つのギルド、その微妙な力関係で安定が保たれている」
だがそれは、何処のギルドにとっても「不本意な現状」であるはずだ。内心では、己が唯一の勝者になる機会を狙っているに違いない。
それに、それぞれのギルドだって一枚岩とは限らない。手柄争い、あるいは内部抗争。火種はいくらでもある。
「ちょいと火の粉を振りまいてやれば、直ぐに何処かが爆発する。何処かが爆発すれば、他の連中だって無関係じゃいられまい」
古参ギルド同士の対立を煽り、あるいは内部分裂を招く。暗黒街を混沌に叩き込み、最終的な勝利を盗み取る――それが俺の計画だった。
「そのための襲撃だ。今頃は蜂の巣を突いたような騒ぎになってるだろうよ」
ほくそ笑みながら、俺は視線をもう一人の部下へと移した。
「既に、次の手も打ってあるしな――なあ、イザベラ?」
俺の言葉に、組織の会計役である才女は肩をすくめた。
「私の仕事はお金の管理であって、荒事は専門外なんだけど」
「馬鹿言うな。商売ってのは荒事だ。殴りつけるのが拳か金かって違いでしかない」
会話の意図が解らなかったのか、シュトリが顔をしかめる。
「……私、なにも聞かされてないんだけど」
「拗ねるな拗ねるな」
不満げな少女へと手を伸ばし、猫にするように顎の下を撫でた。はぐらかされたシュトリはふくれっ面をしていたが、しばらくすると表情がゆるんでくる。
そして、ふと気がついたように少女は口を開いた。
「そういえば、カイムは?」
「あいつにも別な仕事を任せてある」
何しろ敵は多いのだ。いくつもの手を平行させなければ、いつまでたっても終わらない。
「上手くやってくれよ? カイム」
盤上の駒を眺めながら、俺は嗤った。