第四話:その名はソラト
歩みを進めた俺は、先程と同じ様に何者かの気配を感じ取った。今度は数が多い。
おそらく、この「気配」は、俺が《NES》で習得していた《索敵》スキルの効果なのではないだろうか。《NES》では視界にレーダーのようなものが表示される能力だったのだが、今は「誰かが居る」という確信が感じられるようになっている。
ここは俺の知る《NES》ではない。だが、無関係だと判断するには類似する点が多すぎる。
疑問を弄んでいた俺は、ようやく開けた場所に出て立ち止まった。木造の、小さな家屋が並んでいる。数はそう多くない。小さな農村、といった所だろうか。
そして――そのうち幾つかは、火に覆われ、煙を吐き出していた。
聞こえるのは剣戟の音と、響く罵声。戦闘音に誘われるように、俺の歩幅が大きくなった。鼻腔が捉えた血と炎の匂いに、背筋がゾクゾクする。
たどり着いたのは村の中央付近で、開けた場所に人々が集まっているのが遠目にも解る。
集まっている人間は、大きく分けて2種類。武器を握りしめ、必死の形相で奮闘する、粗末な装いをした集団。そしてそれを取り囲む、先程の鎧の男達と同じ装備をした兵士達。どうもこの二つのグループが殺し合っているようである。
戦況はどう見ても前者の劣勢で、このままでは間違いなく全滅するだろう。数も練度も差が有りすぎる。
俺は建物の影を静かに移動し、気づかれないように戦場へと近づいていった。無音の跳躍で近くの家屋に飛び乗り、屋根に伏せると、屋根の上から静かに戦場を観察する。
「切れ! 切れ! 切れ!」
兵士の隊長格らしき男が、剣を振りかざし、声を張り上げている。
「奴らは略奪行為を働き、伯爵領の治安を乱した! これはこの地を治めるバスカヴィル伯爵様への、ひいては国王陛下への反逆である! 勇敢なるバスカヴィルの兵士達よ! 逆賊どもを断罪せよ! 切れ! 切れ! 切れ!」
兵士の声に、抵抗していた男達が吐き捨てる。
「好き勝手ぬかしやがって! そもそも伯爵の糞野郎が税を上げたせいじゃねぇか!」
「こちとら盗賊でもやんなきゃ、飢えて死ぬんだよ!」
そのやりとりから、この戦闘が盗賊と領主の兵士との争いであると解る。先ほどの少年も盗賊の仲間だったのだろう。そして、逃げた少年を兵士が射殺した場面に遭遇したわけだ。
そこまで理解した俺は、ふむ、と思案する。
俺は文明人なのでこのまま森で生活するなんて御免である。さっさと人里に、それも可能な限り発展した場所に移動したい。そのために一番手っ取り早いのは、この中の誰かに尋ねるのが一番良い。
常識的に考えて、盗賊と治安維持を担う兵士、保護を求めるなら後者である。
が、俺は先ほど兵士を二人殺している。それに、どうも盗賊は税が上がったのが原因で食いっぱぐれ、仕方なく盗賊になったようだ。それを聞いて、俺の脳裏には「悪徳貴族」という文字が明滅する。
うかつに接触すると面倒が増えそうだ。そういう輩には利用価値もあるのだが、ある程度足場を固めてからで無いと逆に利用されるのがオチだ。
しばし黙考し、俺は盗賊側に助力すると決めた。追いつめられてる奴を助けた方が、恩を売れるからである。
その時、かすれた悲鳴が俺の耳に届いた。見れば、盗賊側の一人が地面に倒れていた。その体躯は小さく、細い。
盗賊は男ばかりかと思ったが、女も混じっていたようだ。
「成敗!」
倒れた女盗賊に隊長格の兵士が剣を振り上げる。
ちょうど良いので、そいつを一人目にした。
俺は屋根を蹴り、少女を切り伏せんとする男へと飛び掛った。
重点的に伸ばした敏捷ステータスよって、俺は軽い跳躍だけで包囲の輪を飛び越え、天を舞い、怪鳥の如く兵士へと襲い掛かった。
引き抜いた剣を、兵士の首に突き刺す。肩を蹴って宙返りし、地面に降り立つ。傷から血を撒き散らして、兵士が倒れた。
誰もが唖然として、突然の乱入者を見つめていた。
「助けて欲しいか」
倒れたままの女盗賊を振り返り、問う。
「俺に全てを捧げ、俺のものになると誓うのならば、助けてやろう」
驚愕に目を見開いていた女は、俺の言葉の意味を反芻するように唇を動かし──絶望に染まっていた瞳に、小さくも強い、意思の光が戻った。
「助けて……助けてください……!」
「いいだろう」
悪辣な笑みと共に、俺は承諾の言葉を少女に返した。
「な、何だ貴様は!」
兵士の一人が我に帰り、槍を構えて間抜けな問いを発する。
「敵に決まってるだろ」
そいつを次の獲物にした。剣が閃めき、刃が男の首をなぞる。全身の力を失い、倒れた亡骸から、兜を被ったままの首がころりと転がった。
屋根の上から見ていたので、兵士達の実力は解っている。
こいつらは、雑魚だ。何匹集まろうが、今の俺に傷ひとつ付けることなど出来はしない。
「こ、殺せ!」
仲間が殺されるのを見て、他の兵士は激昂して武器を振りかざした。
しかし
「死ね」
俺は怯むことなく首を撥ね、
「死ね」
返す刀で胸を裂き、
「死ね」
無造作に腹を貫いた。
三人の兵士が瞬く間に死体の仲間入りする。次々に仲間が討ち取られたのを見て、生き残りの兵士達がたじろいだ。
「誰だか知らなねぇが、感謝するぜ! オラ、お前らもボケッとしてねぇで戦え!」
兵士が数を減らしたのを見て、盗賊達も威勢を取り戻した。雄叫びを上げ、反撃を開始する。
「逆賊風情が!」
「調子に乗るな!」
兵士も怯えを押さえ込むと、怒号を上げて武器を振りかざす。かくして停滞していた戦場が再び動き出した。
死神の如く兵士達の命を刈り取りながら、俺は笑みを浮べていた。
楽しい。とても楽しい。肉を裂くのが、骨を絶つのが、命を奪うのが、とてもとても楽しい。
それは俺の生きていた世界で「悪」と呼ばれる行為だ。文明の進んだ――倫理と司法、科学捜査の発達した現代日本では味わえなかった、極上の快楽。
ひと時の快楽のために、人生の全てを差し出すわけには行かない。だからこそ俺は、リアルでは良識的な遊びしかできなかった。『誰だって自分の欲望の全てが満たされるわけじゃない』と嘯き、己を押し込めてきた。誰もがある程度現実と折り合いをつけて生きていのだと、俺にも満たされない望みがあるというだけなのだと、そう言い聞かせてきた。
もし、俺があのまま日本にいたのなら、一度として人を殺めることなどなかったに違いない。
だが、俺は来てしまった。偶然だか神の悪戯だか知らないが、俺は己を抑える必用の無い場所に来てしまった。
――これを楽しまない手は無いだろう?
気が付けば、敵は全て地に倒れ付していた。物足りなさを感じながら、手にした剣を一振りして血を払う。
遠巻きにしていた盗賊達の中から、砂色の髪をした男が進み出てくる。
「俺がこいつらを纏めてるライオネルだ。助太刀、感謝するぜ」
意外と愛嬌のある顔に笑みを浮かべた男を、俺は鼻で笑った。
「礼は要らん。善意で助けた訳じゃない――お前達には今後、俺に従ってもらう」
俺の言葉に、盗賊達はざわめく。
「従うって……助けてくれたことには感謝しているが、いきなり――」
抗議しようとしたライオネルの首に、剣を突きつけて黙らせる。
「反論は許さない。選択肢が有ると思うなよ」
命を救ってやったのだから、命で返してもらわねば。俺は彼らを当面の駒にすると決めていたし、彼らの意思を考慮する気も無かった。何なら躾のために、何人か切り刻んでもいい。
助けられた盗賊たちと、殺された兵士たち。両者に違いなど無い。
両方、俺の玩具だ。
「……わかった。アンタに従う」
こっちが本気だと察したのか、顔を青くしながらライオネルが頷く。盗賊達も顔に不満こそ浮かべたものの、口を開くことはなかった。
「あの」
「……あん?」
視線を向けると、先ほどの女盗賊が立っていた。服装は質素で、化粧っけも無い。しかし顔立ちは美しく、服の上からでもはっきりとわかる起伏のある体つきをしている。磨けば光る、といったところか。長く伸ばした髪は、黒に近い紫だった。流石は異世界。髪の色もファンタジーである。
「エレンと申します」
俺よりいくらか年上だろう女は、無機質な表情と声音で名乗り、平伏すると、俺の衣の裾に口付けた。これ以上ない恭順の姿勢である。
「お名前を、伺ってもよろしいでしょうか」
エレンの言葉で、俺はまだ名乗っていないことに気がついた。
「俺は――」
名を告げるそうになって、言葉を切る。この世界に相応しいのは、平和な日本で生きてきた「園原流斗」の名前では有るまい。俺の憑代にして、仮想世界に生まれた悪魔の名こそ相応しい。
だから俺は、呪われた名前を口にした
「俺のことはソラトと呼べ」