第三十話:《夜会》
この日、会員制の高級社交館《紫睡蓮の館》には多くの人間が集まっていた。
しかし本来、名の有る紳士淑女しか入ることの出来ないこの館に、今宵集まるのは粗暴さと後ろ暗さを漂わせる無頼漢達。賑わうと言うには物々しい空気が漂っており、とても「社交」という雰囲気ではない。
特に館の一室、ダンスパーティーも開ける巨大な広間では、一際剣呑な空気が充満していた。壁際には武装した者達が並び、その表情を硬くしている。
彼らの中心には、バラバラに置かれた五つの椅子があった。形も大きさも、向きすら揃えられていない椅子は、そこに座る者達の姿勢を示しているかのようだった――つまり、肩を並べる事も、向き合う事もないが、言葉を交わすことだけは出来る。
仲間でも味方でもない、たった五人の集まり。
その会合を――彼らは《夜会》と呼んでいる。
「四十六人だ」
椅子に座った者の一人、大柄な男が口を開いた。
「四十六人が殺された。ギルドの部下が――俺の家族が、だ」
精気に満ちた男だった。あふれ出る生命感が、ただそこに座っているだけで周囲から男を浮き上がらせる。長く伸ばされた黄金色の髪と、顎を多く同色の髭が、さながら獅子の鬣のようであった。
いや――「よう」ではなく、獅子の鬣そのものなのだ。男の瞳孔は縦に裂けており、椅子で隠れて見えないが、尻には尾が生えている。
彼こそが、王都で生きる獣人たちのギルド《獣王の血脈》の長――《黄金の獅子》ベガ・ベルンガである。既に初老と言っていい年齢であるはずなのだが、全身から立ち上る覇気と、屈強そのものの身体が老いを感じさせない。
――今宵の集まりは、最近王都で繰り返されている「事件」に関するものだった。《血塗れの小鳥事件》(ブラッディ・リトルバード)と呼ばれる惨劇を皮切りに、《夜会》に参加しているギルドに関連した店舗や人間が何者かに襲撃を受けている。
「何より問題は、何処の馬鹿がそんな舐めた真似をしたのか解らねぇことだ。なあ、俺はいったい誰にこの血の対価を払わせればいい?」
言って、彼は他の出席者のうち一人を睨みつけた。
「その目は何だ? ベガ・ベルンガ」
視線の先に座るのは――氷で出来た刃のような、冷たさと鋭さを持った――しかし美しい女だった。
遥か西から流れてきた傭兵団を中心に構成された犯罪ギルド《名も無き楽団》の団長、《無慈悲な指揮者》クラリッサ。女の身でありながら、荒くれ者を束ねる豪傑である彼女は、泣く子も黙る《黄金の獅子》の眼光を受けても、表情一つ変えなかった。
「何処の誰かがやってるのは解らないが、何処の誰の差し金でやってるかは解るってことだよ、糞アマ」
敵意を隠す事無く、ベガ・ベルンガはクラリッサを威嚇する。しかし彼女は、それを鼻で笑った。
「そうか。私に解るのは、お前がどうしようもない阿呆であることだけだな」
「あんだと!?」
二人は《夜会》の中でも特に仲が悪い。性格的に相性が悪いと言うこともあるが、《獣王の血脈》と《名も無き楽団》は過去に幾度と無く衝突を繰り返しており――その遺恨は深い。ベガ・ベルンガとクラリッサも、幾度と無く刃を交えているはずだった。
「そこまでにしてくれ」
割って入ったのは、《アルダートン一家》の代表であるトニー・アルダートン。《伊達男》の異名に恥じず、濃緑の衣装を粋に着こなした彼は、いささかうんざりした口調で二人を宥めた。
「《夜会》は罵り合いをするための場所じゃない」
その言葉に、ベガ・ベルンガは歯をむき出し、唸り声を上げた。
「ふざけろよ。俺はお前らと馴れ合うつもりなんざ無いぜ」
「獣風情と意見を共にするのは業腹だが、同感だな」
クラリッサも、冷たい嘲笑を浮かべる。二人の態度に、トニーは眉間に皺を寄せた。
「俺が言ってるのは、そういう事じゃない」
椅子の肘掛けを、指でトントンと叩きながら、トニーは言う。義理と人情でギルドを大きくしてきた彼は、曲者ばかりの出席者の中では珍しく謹厳な性格の持ち主だ。その必然として《夜会》における進行役――という貧乏くじ――を請け負う羽目になっている。
「我々とて、必要なら戦闘も辞さん。だが、可能な限り避けるべきだし、そのための《夜会》だ。解っているだろう?」
「坊主の言うとおりよの」
頷いたのは、大手冒険者ギルドの裏の顔である《バグウェルの短剣と外套》の代表、《老師》モルダーだ。若い頃は名うての冒険者として、今は暗殺者と密偵の元締めとして。長い長い時間を生きた彼にかかれば、既に三十過ぎのトニーすら「坊主」扱いだ――そして、それに文句を言わせないだけの力を、その身に秘めている。
「利益にならん争いなんぞ、すべきじゃないわい。だからお主らもその席に座っとるんじゃろうが」
飄々と紡がれるモルダーの言葉に、好戦的な二人も口をつぐんだ。《老師》の言葉は正しい。彼らにとって、暴力はビジネスなのだ。犯罪組織というのは、手段こそ非合法であっても、その根幹にあるのは「利益の追求」であり、普通の商人と変わらない。そして利益にならない仕事をするのは馬鹿であり、損失しか産み出さない闘争を始めるのは、害悪ですら有る。
組織である以上、組織の利益が最優先。個人の事情や感情は後回し――それが解らぬ二人ではないし、そうであれば《獣王の血脈》も《名も無き楽団》もここまで大きな組織にはならなかっただろう。
好々爺然とした、しかし誰よりも深く底の知れない笑みを浮かべながら、モルダーは続ける。
「ただ、問題は――既に『利益にならん争い』が起こっている、ということかの。ワシのところにも被害が出ていてのう……見逃すわけにはいかん」
モルダーの言葉に、トニーは額に手を当て、深々と嘆息し――その下で眼光を鋭くした。
「解ってる。俺だって、この問題を放置するつもりは無いさ……俺も仲間を殺されてるんでね」
猟犬のような瞳のまま、トニーは続けた。
「連中は昼夜を問わずに動き、ギルドの構成員や傘下の店を手当たり次第に襲ってる。客や通行人がいてもお構いなし。仕舞いには火までつけて行きやがる。おかげで他の店の客足まで途絶えるわ、王都騎士団が出張ってくるわで頭が痛い」
抗争の気配は王都全域に広がっている。客は巻き添えを恐れてギルド傘下の店には近づかなくなり、王都の治安を担う王都騎士団は犯人を探すと同時、犯罪ギルドの尻尾を掴む機会を虎視眈々と狙っている。売り上げが落ちる上に騎士団に突き回され、二次的、三次的な被害が出ているのだ。
「手口は雑な癖に、手掛かりはろくに残してない。いったいどんな手品を使っていやがるんだか」
「一つ、手掛かりがあるぜ」
トニーの言葉に、ベガ・ベルンガが付け加えた。
「被害を受けていない、怪しいギルドがあるってのは、重要な手掛かりだろう?」
「だから私が黒幕だと?」
まぜっかえすようなベガ・ベルンガの台詞に、クラリッサが尖った視線を向けた。確かに彼女の部下や傘下の店に犠牲は出ていない。
「馬鹿を言え。やるならもっと上手くやる。少なくとも、一度に複数を相手にするような愚は犯さん」
しかし彼女の策略にしてはあまりに稚拙だ。むしろクラリッサなら、自分に疑いの目が向かないよう、己のギルドにも被害が出ているように見せるだろう。隠す気がない、ということも考えられるが――ならばもっと派手にやる。今も《夜会》に悠長に参加したりせず、さっさと戦争を始めるだろう。狙いも一つのギルドに絞り、他のギルドに共闘を持ちかけたはずだ。
「ならば《夜会》以外のギルドかのう? しかし今更、なんぞ仕掛けてきそうな連中はおったじゃろうか……」
モルダーが呟き、髭を撫でる。王都暗黒街において、殆どのギルドは《夜会》出席ギルドの傘下に収まっている。もし彼らを相手取れるようなギルドがあるのなら、とうに戦争が起きるか、《夜会》に参加しているかのどちらかだ。
「じゃあ、いったい何処の連中だ?」
クラリッサの呟きに、他の三人も沈黙する。
そして、
「――くっくっくっく」
部屋に押し殺したような笑い声が、響いた。
「……何がおかしい」
トニーが顔を顰め、笑い声の主を睨みつけた。
「いやいや、これは失礼」
その視線に、《夜会》最後の出席者一人が、手にしたガラスの杯を掲げて謝意を示した。
犯罪ギルド《十と四の腕》を取りまとめる食わせ者――《享楽貴族》レスリー卿。
「ただ、皆さんはいつまで茶番を続けるのかと思いまして」
香油で後ろに撫でつけられた髪に、鼻の下で丁寧に整えられた髭。派手なシャツの胸元を開き、これでもかと振りかけられたコロンの匂いが鼻につく。しかも彼は重度の飲んだくれで、葡萄酒の杯を持って居ない方が珍しい。その二つ名に恥じぬ、典型的な「駄目な貴族」の姿である。格好だけではなく、彼は歴とした貴族であるらしい――もっとも、本人は一度として爵位も家名も名乗ったことはないのだが。
彼は今回の会合で、殆ど発言していなかった。彼だって一連の襲撃事件で被害を受けているはずなのに、そのことに憤っている様子は無い。いつものように、だらしなく酒を飲んでいるだけだった。
「言葉に気をつけて欲しいな、レスリー」
トニーの苦言に、レスリーは緩い笑みを浮かべて肩をすくめる。
「茶番以外に何と言えば良いのです? どうでもいいじゃありませんか、誰の仕業かなんて。我々が争う事はもう決まっているのですから」
「……俺は、今まさにそれを避けるための話し合いをしているのだと思ったがね」
「ではお聞きしますが――我々のうち、誰かのギルドが大きな被害を被り、その力を弱めたとしたら、皆さんどうします?」
その言葉に、他の四人は押し黙った。レスリーの問に答えられないからではない。答えるまでもないからだ。
彼らは仲間では無い。単にお互いにとってお互いが、「屈服させるには高くつく相手」であるというだけなのだ。目障りではあるが、争って得られる利益よりも、受ける被害の方が大きい。だから彼らはこうして話し合いの場を設けている。
逆に言えば――隙あらば躊躇無く叩きつぶす。殺して食らって糧にする。
「弱肉強食。それが我々の関係であり、ルールです。誰が『肉』になるかはまだ解りませんが――自分が食べられないためにはどうすればいいか」
言って、レスリーは手にした杯を放り投げた。足の長い絨毯は、ガラスの杯を静かに、砕くことなく受け止めた。零れた葡萄酒が、ゆっくりと絨毯に広がり、黒く染める。
「答えは簡単。食われる前に食うのです。これ以上の被害が出ないうちに――兵隊が揃っているうちに、戦争を始める。力があるうちに、敵のことごとくを撃滅する。既に演目は始まっているのです。誰が幕を上げたかなんて、もはや関係ないでしょう?」
争って得られる利益よりも、受ける被害の方が大きい。だから彼らは、こうして話し合いの場を設けている。
しかし争わないで居ることの方がリスクが大きくなった今――彼らはもはや、爪と牙を納めている理由を失っているのだ。
《享楽貴族》レスリー卿の言葉に――他の四人がそれぞれの反応を返した。
「上等」
《黄金の獅子》ベガ・ベルンガは獰猛に笑い、
「望むところだ」
《無慈悲な指揮者》クラリッサが冷たく答え、
「まあ、そうなるかの」
《老師》モルダーが静かに頷き、
「……仕方ない」
《伊達男》トニーが沈痛そうに嘆息した。
――こうして《夜会》は閉会した。
平穏は終わり、真の支配者を決めるための争いが始まった。
しかし彼らは知らない――闇黒の闘争に、六人目の参加者が名乗りを上げていることを。




