第二十九話:《血塗れの小鳥》
薄暗い店内に、歌声が響いていた。
歌っているのは、黒髪の少年だ。腕を振り、足でリズムを取りながら、実にご機嫌と言った様子である。
しかし歌の方はというと、お世辞にも上手いとは言えなかった。音痴と言うわけではないが、素人がただ好きなように歌っているというだけの、自己満足の歌。だがそれ故に、歌う少年はとてもとても楽しそうだった。
少年は歌いながら、店の壁に何かを描いていた。絵筆を握り、手際よく手を動かしていく。
《囀る小鳥亭》と名づけられたその店は、王都に無数にある酒場のひとつに過ぎなかった。さしたる特徴があるわけでもなく、特に有名なわけでもない。
しかしこの日を境に、《囀る小鳥亭》の名は王都に知れ渡ることになる――忌まわしい惨劇の代名詞として。
「お、おのれ……こんな真似をして、タダで済むと思うな……」
少年の足元から、搾り出すような声が響いた。見れば、床に男が倒れている。
男は巌のような顔つきと、屈強な体の持ち主だった。だが、今の男からは凄みや迫力の類は欠片も難じられない――全身が傷と血に塗れ、すでに息も絶え絶えになっているからだ。
男だけではない。店内には多くの人間が――あるいは「さっきまで人間だったもの」が倒れ伏していた。そしてその間を、赤い外套を身に纏った者達が幽鬼のように動き回っている。幽鬼達は手にした武器でまだ息のある者を殺し、あるいは死した者から金品を剥いでいた。
「お前は必ず報いを受ける……必ず、必ずだ……」
満身創痍の男は、呻きながら床を這いずり、少年の足を掴もうと手を伸ばす。
少年は嫌そうに顔を顰めると、男の手を避けるように足を持ち上げ――そのまま容赦なく踏みつけた。骨が折れる音と、苦痛の叫びが響く。
絶叫する男を眺めながら、少年はつまらなそうに口を開いた。
「シュトリ、壊すならちゃんと壊せよ。まだ動いてるじゃないか」
「ごめーん。すぐ殺すから」
少年の声に答えたのは、同い年くらいの、美しい少女だった。黄金の髪に碧の瞳。天使と見紛うほど愛らしい顔立ちをしているが――その手には血で汚れた大鉈が握られていた。
「まったく、手間かけさせるんじゃねぇよ。ほら、さっさと死にな」
語気も荒く、少女は男に歩み寄ると、大鉈を振り上げ――振り下ろした。大鉈は男の頭蓋を割り、血と脳漿が飛び散らせる。壁と床を汚しながら、男は命を失った。
それを見て、少年が怒りに顔を歪めた。
「シュトリ! 絵に血が飛んだじゃねぇか! 俺の傑作を台無しにするつもりか!?」
「ご、ごめん! ごめんよ、ソラト……」
怒鳴られた少女は、怯えたように首をすくめる。
「ったく……」
ソラトと呼ばれた少年は忌々しげに眉を顰めると、絵筆を動かし、修正していく。赤い『絵の具』は木の壁に染み込み、黒く変色していった。
少年の怒りは理不尽だろう。何故ならば――壁はとっくに血で汚れているのだから。
「よし、完成」
しばしの後、呟きと共に少年は筆を放り捨てた。
壁に血で描かれたのは――黒い太陽と、それを仰ぎ奉る悪魔達。そして、業火に焼かれる人間の姿。
まさに――言葉通りの地獄絵図。
「我ながら良い出来だ」
己が描いたものを眺め、少年は満足げに頷いた。そして、口の端を吊り上げる、悪辣で凶暴な笑みを浮かべる
「これなら伝わるだろう。俺が誰なのか、これから何をするのかって事がさ」
この日――犯罪ギルド《百鬼夜行》が、ルイゼンラートの首都、王都カーマイルでの活動を開始した。




