間章:コーヒー・ブレイク
お気に入り登録5000突破記念の短編です。
というか、第二章が詰まり気味なので、しばらく短編になるかもです……ごめんなさい。
俺が珈琲と言う飲み物に出会ったのは、まだ十代の頃である。その時は苦くて不味くて、とんでもない代物だと思ったのだが――何故か不思議と癖になる。
それから何とか美味く呑めないものかと試行錯誤するようになり、気が付いたら俺は二十年も珈琲に入れ込んでいた。
失敗と挫折を繰り返し、ようやく満足の行く味を見つけた俺は、貯金を全部はたいて店を開いた。それがこの店、喫茶店《金糸雀》である。
儲けはささやかなものだが、それでも俺は満足していた。この穏やかな、まるで時間がゆっくりと流れているかのような空間が好きだった。ここが俺の城で、俺の王国だった。
しかし――最近、俺の王国は奇妙な客による「侵略」を受けつつあった。
がらん、と音がして店のドアが開いた。入ってきた影を見て、俺は盛大に顔を顰める。
「……また来たのか、小僧」
「それが客に言う台詞か? マスター」
思わず呻いた俺に、ふてぶてしい笑みを返すのは、一人の小僧だった。夜を切り取ったような黒髪と、磨き上げた黒曜石のような瞳が特徴的で――何より態度がでかい。
この小僧こそが、俺の王国を蹂躙せんとする侵略者だった。小僧は隅の席に陣取ると、品書きを見る事無く口を開いた。
「コーヒー。ブラックで、焼けるように熱いヤツだ。それと、フレンチトースト」
小僧の注文に、俺はもう一度顔を顰めた。それは小僧が始めて店を訪れたときと、同じ注文だったからだ。
かれこれ数ヶ月前のことだ。ふらりとやってきた小僧は、やはり品書きも見ずにこう注文した――『コーヒー。ブラックで、焼けるように熱いヤツだ。それと、フレンチトースト』。
珈琲はいい。ここは珈琲を出すための店だ。しかし、フレンチトーストなるものに心当たりは無かった。
そんなもんは無い。そう告げると、小僧は目を見開いて激昂した。
「何だと貴様ぁ! 喫茶店なのにフレンチトーストが無いとはどういうことだ!」
そして、小僧はフレンチトーストなる食い物の作り方について懇切丁寧に解説して去っていった。結局珈琲は飲んでないし、金も払っていかなかった。
その日、店を閉めた後――小僧の言葉通りにフレンチトーストなるものを作ってみたが、なるほど確かに美味なもので、思わず店で出してみたら好評だった。喜ぶべきことなのだが、なんとなく釈然としなかった。
それから小僧は頻繁に店を訪れ、メニューや店の調度品に、あれやこれやと難癖をつけては去っていくようになった。鬱陶しいことこの上ないのだが、小僧の言うとおりにすると確かに売り上げが上がる。俺の城が小僧好みに改造されていくのは非常に気に入らないのだが、かといって店の売り上げには代えられない。
一度、俺は小僧に「自分で店を開いたらどうだ?」と言ったことがある。小僧は店にあれこれと口を出すが、それで何か代金を請求してきたことなど無い。俺に入れ知恵するのではなく、自分で店を開けば結構な儲けになっているはずだ。
俺の言葉に、小僧は肩をすくめて「老後の楽しみに取っておく」と答えた。そしてどこか遠い目をしながら、「まあ、俺に老後なんて無いだろうけどな」と付け足した。その言葉の意味を俺は知らないし、あえて問う気にもなれなかった。
「うん、美味」
フォークを口に運び、小僧は満足げに頷いた。こうしている限りでは、育ちのよさそうな坊ちゃんにしか見えないのだが――
「しかしマスター。このフレンチトーストには大切なものが欠けている」
持って回った言い回しで、小僧がまた文句をつける。ちなみに、何故か小僧は俺を『マスター』と呼ぶ。最近では、他の客までそう呼ぶようになってしまった。
「……なんだ、そりゃ」
いささかうんざりした気分で、俺はそう尋ねた。また小僧の言いなりになるのは癪だ。癪だが、料理に改善の余地があると言われれば、こっちも黙っては居られない。
小僧はくわっと目を見開き、断言する。
「アイスが乗ってない!」
「……だから、なんだそりゃ」
聞けば、アイスとは卵と牛乳を使った氷菓子のことであった。それを聞いた俺は、深々とため息を付いて首を横に振る。
「そりゃ幾らなんでも無理だ。魔法使いがいねぇと」
氷菓子を作るには、魔法が――氷の魔法が不可欠だ。気温の低い北国にでも行けば魔法無しでも作れるかもしれないが、メニュー一つのために店を引っ越すわけにも行かない。
「つまり、魔法使いが確保できれば問題は解決するわけだな?」
俺がそう説明すると、小僧がぎらりと目を輝かせた。それは獲物を見つけた肉食獣の目に良く似ていた。
何を考えていやがる――そう俺が問おうとした、その時。
「苦い! 不味い! ちょっと何よこれ!」
唐突に、客の一人が騒ぎ出した。まだ若い、少女とでも呼ぶべき年頃の女である。背は小さく、黄金色の髪を二つに分けて結んでいる。
「どうしましたか、お客さん」
「この店は泥水を客に飲ませるわけ!?」
言って、女が突き出したのは、黒い液体――俺の入れた珈琲で満ちた杯だった。
「……失礼」
俺はその杯を受け取り、中身を口にした。熱くて黒く、そして苦い液体が舌を撫で、喉を通り抜けていく。
味に全く問題は無かった。俺の味で、この店の味である。
この若い女は店に入ったとき「おすすめを適当に」と注文した。だから俺は一番の自慢である珈琲と、気に食わないが一番の人気商品であるフレンチトーストを出した。
しかし、そもそも『珈琲』という『苦さ』を売りにした飲み物そのものが、彼女の口には合わなかったようである。
「これはこういう飲み物なんです」
「知らないわよ! アタシにこんな糞不味いもの飲ませて唯で済むと思ってるわけ!?」
少女は目を吊り上げ、感情的に叫び散らす。まるで話を聞いていない。
俺は深々と嘆息した。味が悪いならこちらの非だが、ただ気に入らない、自分の思っていたものと違う、という理由で文句を言われては堪らない。
どうしたものか、と俺が難儀していると。
「うるせぇ」
喚く女の後頭部を、小僧が無造作に殴りつけた。女はべしゃりと音を立てて床に倒れ伏す。
「い、いきなり何するのよ!?」
「うるさい黙れ殺すぞ」
顔を真っ赤にして食って掛かる女に、ベキベキと指を鳴らしながら、小僧が吐き捨てる。
「マスターは俺と大事な話をしてる最中でな……邪魔だから黙ってろ」
どうも小僧の価値観ではフレンチトーストにアイスを乗せるかどうかは、見ず知らずの他人を殴り倒してでも続けるべき話らしい。
「いきなり人を殴りつけといて……ふざけんじゃないわよ!」
当然と言うかなんと言うか、それを聞いた女は顔を真っ赤にして怒り狂った。腰に手を当て、尊大な態度で小僧に指を突きつける。
「貴方ねぇ! この私を誰だと思ってるの!?」
「知らん」
「……」
きっぱりと断言した小僧に、少女は少しばかり怯んだ様子を見せる。しかし気を取り直したように、その薄い胸を張った。
「き、聞いて驚きなさい。私はマリー・ミルメリア。ミルメリア家の一人娘よ!」
ミルメリア家の名前には、俺も聞き覚えがあった。アルクスでも有数の豪商の家柄だ。単純な財力ならばゴールドバーグに劣るだろうが――俺のような小市民からみれば、とんでもない金持ちには違いない。その影響力は、下手な貧乏貴族よりも強いはずだ――俺のこのささやかな城を簡単に潰せる位には。
「それだけじゃないわ。私は魔術師なの。つまり、貴方みたいな凡人が、逆立ちしたって勝てないって事よ」
魔法使いというヤツは、呪文一つで火を吹くわ雷を落とすわ……その辺のモンスターよりもよっぽど危険な存在だ。女子供と侮って良い相手ではない。
「……氷系の魔法は使えるか?」
しかし小僧は怯むことなく、少女を尋ねる。小僧の意図を察して、俺は自分の頬が引きつるのを自覚した。
「当然じゃない」
そして不幸なことに――それはもう、不幸なことに――少女は小僧の質問に、肯定を返してしまった。
「そうか」
小僧は頷くと――得意げに胸を張る少女を、無造作に殴りつけた。
「ぶめぎゃ?」
踏んづけられたカエルのような声を上げ、またも少女が床を這う。
「な、何を――ぐふ!?」
何か言いかけた少女の胸倉を掴んで引きずり上げ、小僧はもう一度拳を振るう。いくら魔法使いといっても、呪文が唱えられなければタダの人だ。少女が何か言おうとするたびに、小僧は暴力でそれを遮っていく。
「ちょ……ま……や、やめ……」
どかばきべきぼかぐしゃ――
殴る、蹴る、踏んづける。小僧はまるで躊躇う事無く、少女を痛めつけた。見ているこっちが後ずさりしそうなほど、過剰かつ一方的な暴力だった。
「これでよし」
少女が動かなくなると、小僧はぱんぱんと手をはたき、爽やかな笑みで俺を振り返った。
「喜べマスター。魔法使い確保だ」
それからしばし、時は流れ。
「いらっしゃいませー」
再び店を訪れた小僧を出迎えたのは、給仕姿の少女――マリー・ミルメリアの朗らかな笑顔であった。
「コーヒー。ブラックで、焼けるように熱いヤツだ。それと、フレンチトースト」
「かしこまりました!」
マリーに注文を済ませると、小僧はいたずらっぽい笑みを浮かべ、俺に問いかけた。
「どうだ、マスター。アイツは役に立ってるか?」
「まあ、そりゃあなぁ……」
小僧の問いに、俺は曖昧な言葉を返す。
何というか色々あって、マリーは俺の店で働くようになった。「色々」の部分が何なのか、店主であるはずの俺が把握していないのはどういうことなのだろうか。
しかし役には立っている。何しろマリーは魔法使いだ。アイスが作れるだけでも大助かりではある。大助かりではあるのだが……。
「だ、そうだ。これからも励めよ」
「はい、マリー頑張ります!」
小僧の言葉に、マリーがはきはきとした、しかしどこか虚ろな声で答えた。
あの後、マリーは小僧によって連れて行かれ、次にやってきた時には性格が激変していた――具体的に言うと、何故か小僧の言いなりになっていた。
小僧いわく「教育の成果」とのことだが、その内容は知らないし知りたくない。
深々とため息をつきながら、俺は珈琲を入れるべく仕度を始めた。俺は普通に喫茶店をやりたかったハズなのだが――どうしてこうも変なことばかりが起こるのだろうか。
ちなみに――小僧が泣く子も黙る犯罪ギルド《百鬼夜行》の頭であると俺が知るのは、ずっとずっと後になってからのことである。




