表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Undivided  作者:
第一章:天魔生誕
36/96

間章:カイムの罪科

「……困ります。帰ってください」

 場所はアルクスの大通り。小さな飯屋の前には椅子とテーブルが並べられ、ちょっとしたテラスのようになっていた。

 小さいながらも味が良いと評判の店で、食事時ともなれば大勢の客が詰め掛ける。しかし今日ばかりは、やってきた客は皆顔を曇らせて引き返すか、あるいは顔を顰めてその場で立ち止まるばかりで、席に座ろうとはしなかった。

「聞き分けの悪い奴だな。ちょっと付き合えば良いだけだって言ってんだろうが」

 その原因は――柄のよくない一人の男が、店員の少女にしつこく絡んでいることであった。少女の顔には困惑と恐怖、そして嫌悪感が浮かんでいたが、男はそんな事は気にもかけず――あるいはだからこそ、より一層に――獣欲に歪んだ目で、少女に迫っている。

 ここ最近のアルクスでは、この手のトラブルは大きく数を減らしているはずだった。アルクスの店という店が、「とあるギルド」と防犯契約を結んでいるからである。

 しかし――

「こいつが目に入らないのかよ、ええ?」

 男は手の甲を翳し、そこに刻まれた刺青を――《黒い太陽の紋章》を見せびらかした。

「俺は《百鬼夜行》のドナート様だぜ? 俺に逆らうって事は、《百鬼夜行》に逆らうってことなんだよ。こんな湿気た店なんざ、直ぐにぶっ潰されんぞ、おお?」

 《百鬼夜行》。それがこのアルクスを、バスカヴィル伯爵領を支配するギルドの名であることは、子供でも知っていた。

 本来であれば、《百鬼夜行》に連絡すれば、この手の迷惑な客――男は何も注文してないので、客ですらないのだが――は即座に排除される。その末路の悲惨さから、今ではそんな馬鹿なことをする者も少なくなってきた。

 だが今回は、店員に絡んでいる男が《百鬼夜行》の人間なのである。かのギルドを恐れて、店主や客も助けに入ることが出来ない。治安を守るはずの警吏や騎士団だって、《百鬼夜行》には逆らえないのだ。哀れな少女は、誰の助けを得ることもできず、それでも何とか男を拒んでいた。

「いいから来いって言ってんだよ! それとも、ここで剥かれたいってのか!? ああ!?」

 頑なな少女の態度に業を煮やし、男が少女の腕を掴んだ。

「嫌っ! 放して!」

 涙交じりの声で、少女が悲鳴を上げる。その姿に、周囲の人々は唇をかみ締め、目を逸らした。

 その時、

「そこまで」

 ――からん、と涼やかな音がした。

 言葉と共に割って入ったのは――異国の衣装に身を包んだ、まだ若い娘だった。この国では珍しい黒髪を伸ばして後頭部で括っており、切れ長の瞳も夜のような黒。顔立ちは涼しげに整い、凛々しく引き締まっている。異性はもちろん、あるいはそれ以上に、同性に好かれる類の麗人だった。

 そして彼女の手には、優美な曲線を描く刃を供えた、長柄の武器が携えられていた。女性が護身用に持つには物々しい得物だが、この麗人には不似合いではなく、むしろ見事な調和を描いていた。

「ん、んだテメェは! 邪魔すんじゃねぇ!」

 唐突な横槍に、男が吠える。それが虚勢に過ぎないことは、微妙に震える声と、彼の視線が少女の持つ刃から離れないことで示されていた。

「その子は嫌がっているじゃないか。手を放したまえ」

 声までも涼やかに、黒髪の乙女は言う。咎める、というよりも、窘めるような、柔らかな声音だった。

 相手が穏やかな様子であることにより、男は冷静さを取り戻し――自分が女、それも若い娘に怯えた事実を誤魔化すように、ことさら不遜な態度で乙女に向き合った。

「ち、偉そうに。おい、コイツが見えねぇのかよ。《百鬼夜行》の紋章だぜ? 解ったらとっとと失せな!」

 刺青の入った手の甲を示す男に、黒髪の乙女は苦笑を浮かべた。

「やれやれ、それは『水戸黄門』の印籠じゃないんだけどね」

 呟き、そして何かを訝しむように、小さく首を傾げる。

「それにしても――君は私を知らないのかい? 《百鬼夜行》の人間なのに?」

「はぁ? 知るかってんだよ!」

「ふむ。まあ、ウチも人が多いからね。私もあまり人前に出ているわけでは無いし、知らない者が居てもおかしくないか」

 一人で何か納得している乙女に、男は顔を顰め、声を荒げた。

「訳の解んねぇこと言ってるんじゃねぇ! とにかく、テメェには関係ねぇんだから、引っ込んでな――おら、行くぞ!」

 男は店員の腕を引くが、少女はその場に踏ん張り、首を横に振る。この期に及んで抵抗を示した少女に、男は怒りで顔を赤く染め、拳を振り上げた。

 それを見た麗人の目が、すっと細まり――滑るような足取りで男に近寄ると、無造作に長柄の石突を落とし、男の足の甲を打ち抜いた。

「ぐ、ああああああ!?」

 苦悶に顔を歪め、身を屈めようとした男の顎を、跳ね上がった柄が打ち上げる。男は仰向けに地面に倒れ、そのまま動かなくなった。

 その早業、その手腕に、居並ぶ人々は目を円くし、そして口々に感嘆の言葉を呟いた。麗人はその美しい髪を払うと、店員の少女に視線を向けた。

「怪我は無いかい?」

「は、はい……」

 突然のことに呆然としていた店員の少女は、中性的な美貌で見つめられ、頬を赤らめた。助けられたと言うシチュエーションも相まって、少女の目には、相手が御伽噺の騎士か王子様のように映っているのかもしれない。恥らう少女の姿には、どこか甘美かつ退廃的な雰囲気すら漂っている。

 黒髪の乙女は微笑み、店員の髪をそっと撫でると、屈んで男の襟首を掴み、持ち上げた。細腕に見合わぬ、驚くべき怪力である。居並ぶ群集から、先程とは違う種類の感嘆が零れた。

「騒がせたね」

 少女はそう告げ、立ち去っていった。背丈が足りないせいで、気絶した男はずるずると地面を引きずられて行く。

「ま、待ってください」

 去り行く背中に、少女が声をかける。

「助けていただいたお礼を、させては頂けないのでしょうか……?」

「不要だよ」

 少女の申し出に、しかし黒髪の乙女は首を横に振る。その欲の無い姿に、少女の胸は益々高鳴るのであった。

「せめて、せめてお名前をお聞かせください! 私はセルマ。セルマ・マロリーです!」

 その問いに、異国の麗人は振り向き――何処か愁いを帯びた微笑を返した。

「今は、カイムと名乗っているよ」

 からん、と小さく、下駄の音が響いた。


「――ちなみに、その男は《百鬼夜行》の人間ではなく、《百鬼夜行》を名乗れば好き勝手が出来ると考えた愚か者でありましたとさ」

 勝手に人様、それもならず者の集団の看板を使うことが、どれほど危険かつ無理があるのか、少し考えてみれば解るような気もするが――残念ながら男には、それを思いつくだけの知性、もしくはその結果を思い浮かべるだけの想像力が備わっていなかったようである。彼は通報を受けて駆けつけたカイムによって拘束され、今は屋敷の地下牢の中に居る。そこでどんな目に遭っているかは、想像もしたくない。

 《百鬼夜行》におけるカイムの主な仕事は、内部粛清である。もともと無法者の集まりである《百鬼夜行》では内外を問わず揉め事が絶えない。ショバ代を勝手に水増しして私腹を肥やした者、他のメンバーを『許可無く』リンチにかけた者など、《百鬼夜行》の――ソラトの不利益になる行いをした者は、美しくも恐ろしい女夜叉の手によって葬られる。もっとも、今回は部外者だったようだが。

「……そうか」

 答えるソラトの声は、憮然としていた。

 その理由は――カイムが彼の眼前に、グレイブの切っ先を突きつけているからである。片膝立ちになった彼の手に武器は無く、愛用の短剣は少し離れた地面に落ちている。

 二人は屋敷の庭で稽古の最中であった。稽古と言っても、刃引きもしていない武器を使った、文字通りの真剣勝負である。スキルやアイテムで簡単に傷を癒すことが出来るので、訓練は過激なものになりがちだ。

 過激な稽古は、ソラトの希望でもある。以前彼は、『この世界で生きていくには、もっと痛みに慣れなければいけない』といった趣旨の言葉を口にしていた。彼を初めとして、プレイヤーは本当の意味での「戦い」の経験が薄い。長年武芸を嗜んでいたカイムとて、それは同じだった。

「私の勝ち、だね」

 カイムの勝利宣言に、ソラトは唸り声を返した。その顔には不満がありありと浮かんでいる。悔しいらしい。

 彼と手合わせするのは、これが初めてではなかった。そして結果は、いつもカイムの勝利で終わる。正面からの一対一に特化しているカイムと、不意打ち闇討ちを己のスタイルとしてきたソラト。向き合って正々堂々と闘えば、カイムが勝つのは当たり前だ。

 もしこれが「殺し合い」であれば、勝利するのは彼の方だろう。彼は決して正面から闘わず、人を集め、罠を張り、あるいは毒を盛る。カイムは、自分が誰に、どうやって殺されたかすら気が付かないかもしれない。

 しかし訓練において、ソラトはカイムに正面から挑み、負ける度にちゃんと悔しがる。

 悔しがるのは良いことだ、とカイムは胸中で呟いた。それは強くなりたいという欲求に、鍛錬への原動力になるからだ。

 彼は強くなる。今ある力に慢心することなく、己を磨こうとする意思がある。頭が良く、考えながら動くことが出来ている。鍛錬を重ねさえすれば、彼はPCのステータスとは別の、「武人」としての強さを得ることができるだろう。

「ソラト」

 だからこそ、言わねばならない。

「君の戦い方は、浅い」

「……どういう意味だ」

「君はとても器用だ。短剣の腕前もかなりのものだし、同時に左手で別な武器を使うことが出来る。蹴りを織り交ぜることもあったね。そういった『選択肢の多さ』は、君の大きな強みだろう」

 武器の扱いだけでなく、体捌きもかなり変則的だ。これに《軽身功》などのスキルを使用するのだから、殆どの相手は翻弄されるだろう。

 それが彼の強さであり――弱さでもある。

「だからこそ君は攻めながら、常に『虚を突く』ことを、相手を上手に仕留める、賢い選択肢を探してしまっている。剣を振るいながらも、意識は次の攻撃に、別な選択肢に向いてしまっているんだ。闘っているときの君は常に、『気も漫ろ』なんだよ」

 相手が格下なら、おざなりの剣でも圧倒できる。格上相手でも、虚を突けば倒せるかもしれない。だがカイムのように、トリッキーな攻撃にも対処できる人間と、正面から向き合うことになると――彼は途端に地力の無さを露わにしてしまう。それを指して、カイムは『浅い』と言ったのだった。

 彼は言わば、毒針を持つ蠍なのだ。その猛毒は一撃で相手を仕留めるが――鋏も殻も、そこまで強靭ではなく、自分より大きな動物には捕食されてしまう事もある。

 カイムは落ちていた短剣を拾い上げ、それを彼に手渡した。

「だから君は、ちゃんと強くなりなさい」

 決して虚を突くだけが闘い方ではない。むしろ、武術の殆どは正面からの戦いを想定しており――向き合った相手の不意を打つのは非常に困難だ。だからこそ、相手が防御しにくい場所を狙い、強引な一撃で体勢を崩し、あるいは連続して攻撃して捌き切れなくさせる。

 今の彼に必要なのは、そういった泥臭い、しかし確固とした「強さ」だった。正面から、剣だけで敵を切り伏せることが出来る強さ。それを身につけなくてはいけない。

 ソラトは不満げにカイムを見つめ返した。彼からすれば、不本意極まりないだろう。得意な戦法を捨て、苦手な戦い方を選ぶように強要されているのだから。

 だが、彼が闘争に生きるのであれば――苦手なことを、苦手なままにはしておけない。

 ソラトはカイムの手から、短剣を受け取る。顔は強張ったままだが、その目には焔が煌いていた。

 彼は――強くなる。今よりもっと。その確信に、カイムは微笑んだ。

「では、今日の稽古は終わりにしようか――ほら、ちゃんと礼をしないと駄目だよ」

「……む」

 カイムに窘められ、ソラトは唇を曲げたが、ちゃんと一礼をした。それを見て、カイムはクスクスと笑った――このやり取りは、稽古の度に繰り返されているのである。

 負けて悔しいので、素直に礼をするのは気に食わない。しかしこんな事で意固地になるのも馬鹿らしい――その妥協点が、このやり取りなのだろう。

 ソラトにはこうした、妙に子供っぽい部分があった。カイムはたまに、彼がちょっと捻くれているだけの、ただの少年にしか見えないときがある。

 いや、彼も本来であれば、普通の高校生として生きたはずのなので、それも当然なのかもしれないが――

「エレン、捕らえた阿呆は刻んで殺して、死体を大通りに晒しておけ。家族がいれば家族も殺せ。家があれば火をつけろ」

「畏まりました」

 残虐極まりない命令に、傍に控えていたエレンが一礼する。エレンは踵を返すと、屋敷に向かって歩いていった。彼女は、主人の指示を忠実に果たすだろう。実行役は、シュトリとその部下たちだろうか。

 胸にこみ上げる不快感を表情に出さないよう、カイムは気をつける必要があった。確かにあの男の振る舞いは唾棄すべきものであったが、そこまで苛烈な、しかも家族を巻き込むような罰を与える必要があるのだろうか。

 かつてはどうであれ、今のソラトは決して「ただの少年」ではない。悪逆にして非道、残酷にして凶暴。死と恐怖を振りまき、悪漢達を従える《悪の権化》(ダークロード)なのである。

 そして――カイムは彼を主君と仰ぎ、仕える女であった。

「近々、大きな仕事がある。お前にも動いてもらうぞ」

 身支度を整えながら、犯罪ギルドの首魁が口を開いた。 

「……今度は何かな」

「反乱の動きがある。今度は俺達が鎮圧する側だな」

 彼の言葉に、カイムは眉を上げた。

「またかい? 税率は見直されて、市民の生活には余裕が戻ったんじゃなかったかな」

「反乱を起こそうとしてるのは農民じゃない。騎士だ」

「騎士?」

 予想外の答えに、カイムは小さく首を傾げる。彼女の知る限り、騎士は準貴族であり、生活に不自由するような身分ではない。

「バスカヴィル騎士団と、そこに所属していた兵士達。それに高利貸しや奴隷商、《百鬼夜行》によって不利益を被った商人なんかが加わってるな」

「……聞く限りでは、生活には困っていない人たちの集まりに思えるけど」

「何時だって余計なことを考えるのは、生活に余裕がある人種なのさ」

 ソラトの言葉に、カイムは納得した。本当に苦しい人々というのは、生きるのに精一杯で、反抗を企てる余裕など無いのである。彼女が暮らしていた世界の歴史においても、革命の類は貧困層でも富裕層でもない、中間層から行なわれることが多かったはずだ。

 日々を生きるのに精一杯の人々は、もっと具体的な危険が迫らないと動かない。前回の反乱は貧困層である農民が主体であったが、それだって実際に刃を突きつけられた者達の主導で始まったのである。

「事実上、今のアルクスを支配しているのは俺だ。奴らはそれが気に入らないらしい」

 バスカヴィル領の騎士は皆、先代伯爵であるガス・バスカヴィルに忠誠を誓っていた。先代は貴重な戦力である騎士を優遇し、また彼自身も傑出した武人だったからである。

 そんな彼らにとって、反乱を起こし、先代を殺した大罪人であるソラトが裁かれることもなく、大きな顔をしているのは許しがたいことに違いない。

 そんな彼らに――同じくソラトに、新しいバスカヴィル領に不満を持っていた者達が接触した。

 税率が高いほうが儲かる、という職業が存在する。例えば高利貸しは、人々の生活が苦しいときのほうが儲かる。金を貸す相手、つまり顧客に困らないからだ。奴隷商人も、身売りする人間が多いほうが嬉しいに決まってる。そんな彼らにとって、反乱と税率の適正化は、悪夢でしかなかっただろう。

 また、《百鬼夜行》はゴドフリー、イザベラを初めとした特定の商人と付き合いが深く、時に彼らの商売敵を権力、あるいは暴力で排除してきた。一方的に商売を潰された商人達が、ソラトを怨むのも当然である。

「ついでに言えば、騎士達は俺に協力的な伯爵夫人にも不満があるようだな」

 付け足された言葉に、カイムは嘆息した。伯爵夫人がソラトに協力的なのは、協力せざる得ないからだ。軍事と経済を押さえられた彼女は、ソラトに従うしかない。彼女は辱めを受けながらも、アルクスのことを第一に考えているのに、下の者にはそれが解らないらしい。カイムは伯爵夫人への同情を禁じえなかった。

「彼らの狙いは俺と伯爵夫人を排除し、セシリアを新たな支配者として立てる事だ」

「彼女はまだ十歳だろう?」

 セシリア・バスカヴィルは、伯爵夫人の一人娘、つまり伯爵令嬢だ。カイムも伯爵家の屋敷で何度か顔を合わせた事がある。彼女は幼く、また政務から遠ざけられているため、アルクスの現状を知りはしない。そのため《百鬼夜行》や、ソラトの正体についても無知で――ちょくちょく屋敷を訪れる彼に懐いてしまっているのだから笑えない。

「飾りとして使うんだろ。騎士はともかく、商人連中としては懐を潤せそうだと見込んでいるからこそ協力しているんだろうし、適当に後ろから操る気なんじゃないか?」

 どうでもよさそうに、ソラトは肩をすくめる。

 騎士達からしても、セシリアは主君の娘であり、正当な後継者だ。無下に扱えば、彼らは簒奪者の謗りを受ける事になる。私欲で反乱を起こしたのではないと示すためにも、彼女を次の領主にするのは必須とも言えた。商人達からすれば「正当な後継者」という肩書きには何の価値もないのだろうが、幼い領主の方が言いくるめ易いので好都合なのだろう。 

「どんな結末になろうと、反乱は起こされた時点で損にしかならん」

 反乱は、要するに内輪もめだ。どちらが勝っても、領地が消耗することに変わりは無い。既に「納める側」であるソラトにとって、歓迎できるものでは無いだろう。

「だから反乱を起こしそうな奴らを、先に殺す」

「な……!?」

 てっきり「反乱が起こったときに鎮圧する」のが仕事だと思っていたカイムは、ソラトの言葉に息を呑んだ。

「……まだ反乱は起きていないのだろう? 反乱を『起こすかもしれない』というだけで、始末する気かい?」

「そうだが?」

 何を当たり前のことをといわんばかりに、ソラトは眉を上げる。

 戦乱の世であるこの世界において、謀反を企てるのはそれだけで罪である。その点では、ソラトのほうが正しい。

「先代派の騎士は俺に反抗的で、兵としての信頼性に欠ける。戦力としてアテにできない騎士など、生かしておく必要も無いだろう。商人達も俺と付き合いがある――利用価値のある連中じゃない。皆殺しにして、私財を取り上げてしまえばいい」

 害になるから殺すのではなく、価値がないから殺してしまう。同じ様で、そこには大きすぎる差があった。つまり、彼にとって他者とは踏みにじるもので、利用価値のある一部を見逃しているに過ぎないのである。

 まさしく――悪意に満ちた思考回路の持ち主であった。

「既に奴らの集会に関する情報は手に入れてある。あとはそこに討ち入るだけだ――期待してるぞ、カイム」

 その言葉に、カイムは頷くしかなかった。


 空は既に暗く、銀色の月が浮かんでいるが、しかし星々の全てが姿を現したわけでもない。そんな夕刻と深夜の間とでもいうべき時間に――襲撃は決行された。

 アルクスを守る二枚の壁のうち、外から数えて二枚目の内側――通称『内区』と呼ばれる、この街の一等地に、その屋敷はあった。なんでも代々バスカヴィル家に使えてきたという騎士の一家のものらしく、領主の住処に近いことからも、信頼の厚い家柄であることが伺えた。

 シュトリを、カイムを、配下の兵士達を従えて、ソラトが屋敷に飛び込む。中には先代派の騎士達が集まっていた。テーブルに広げられた地図に、散らばる書類。彼らが単に酒を酌み交わすためだけに集まっていたわけでない事は、人目で解った。

 突然の襲撃に、騎士達は剣を引き抜いて応戦した。しかしプレイヤー三人を含む《百鬼夜行》に叶うはずも無く、瞬く間に切り伏せられ、あるいは拘束された。

「いよう、諸君。面白い遊びを計画してるらしいじゃないか。いつ仕掛けてくるのかとわくわくしてたんだが、待ちきれなくってこっちから来ちまったぜ」

 人を食ったようなソラトの言葉に、屋敷の主であるイネス・マロリーが歯噛みする。彼女は伯爵夫人の護衛を勤めていた女騎士で、ソラトを強く憎んでいた一人である。

「……どうやってここを嗅ぎつけた」

 腕を後ろに捻り上げられたイネスが、地獄の底から響くような声で問うた。

「簡単さ。君のお仲間に聞いたんだよ」

 言って、ソラトが指し示したのは――ただ一人、拘束されることなく、呆然と佇んでいた岸だった。

「ダレル!? まさかお前、裏切って……」

「すまない……すまない……許してくれ……弟が……弟が人質に取られてるんだ……」

 ダレルと呼ばれた男は、仲間の視線に顔を伏せ、詫びの言葉を繰り返す。家族を人質に取り、裏切りを強要する――最低にして最悪の発想だった。

 ダレルは突然、がばりと顔を上げると、血走った目でソラトに迫った。

「これでいいだろう! 弟を解放しろ!」

 騎士の要求に、ソラトはにんまりと――それはそれは楽しそうな笑みを浮かべた。

「そいつなら、もう殺したよ」

「なっ……!?」

「お前も、もう要らないな」

 絶句した騎士を見るソラトの目が、ぎらりと危険な光を放った。そして次の瞬間には銀色の刃が閃き、ダレルの喉に真紅の線が走る。

 一拍おいて、ダレルの喉から血が噴き出した。彼は何が何なのか理解できない、といった顔のまま床に倒れた。

「アッハハハハハハハハ! あの世で弟によろしくなぁ?」

 倒れたダレルの後頭部を、ソラトの長靴が踏みにじる。楽しくて仕方が無い、といった顔で大笑し、死者を侮辱し辱めた。そのあんまりな光景に、他の騎士達は絶句し、涙し、そして激昂した。

「貴様……どこまで卑怯で! 下劣で!」

「そんなに褒められたら、照れるぜ?」

 おどけるように肩をすくめ、ソラトはイネスに近づいた。顎を掴み上げ、鼻先が触れ合うような距離でイネスの瞳を覗き込む。

「なあイネス。お前は俺が憎いか? 殺してやりたいか?」

 答えは聞くまでも無かった。人が人を視線で殺せるのであれば、彼女はソラトを何万回も殺しているだろう。

 イネスの憎悪に――ソラトは狂気で応じる。

「もっと憎め。殺意を滾らせろ。軽蔑して、嫌悪して、魂の底から呪うがいい――お前が俺を憎めば憎むほど、それを踏みにじるのが楽しくなるんだよ。俺は」

 ソラトの手に握られた短剣の切っ先が、イネスの胸元をなぞった。服が裂けることは無かったが――彼女が今後、どう扱われるかを示すには充分だった。

 カイムも女として、不快感を覚えずには居られない。シュトリも面白くなさそうな顔をしているが――彼女の場合は単にソラトの関心が、他の女性に向くのが嫌なだけだろう。彼女もソラトと同じく、人を傷つけることに躊躇しない人種だった。

「旦那」

 割って入ったのは、ジェイクだった。しかしもちろん、彼はイネスを助けようだなんて考えていない。

「奥にもう一人、隠れていやした」

 引きずり出されたのは、ひとりの少女。彼女の顔を見て、カイムは驚愕で息を呑んだ。

 見覚えが、あった。つい先日、《百鬼夜行》を騙る男に絡まれていた、飯屋の店員である。名前は確かセルマといったはずだ。

 彼女もカイムの存在に気が付いたのか、信じられないものを見たように目を見開いた。彼女が傷つき、自分に失望することを予期して、カイムは目を伏せた。

「セルマに触るな!」

 イネスが怒号を上げ、拘束から逃れようともがく。

 その頬を、ソラトの平手が打った。なおも暴れようとするので、二回、三回と繰り返す。平手と言っても、尋常でない腕力を備えたソラトの一撃だ。イネス口からは直ぐに血が滴り、小さな白いものが零れ落ちた――折れた歯だ。

「姉さん!」

 暴力を振るわれるイネスの姿に、今度はセルマが悲鳴を上げる。彼女の言葉に、ソラトの手が止まった。

「へぇ、妹なんだ」

 その呟きに、カイムは背筋が冷たくなった。彼の脳裏に、おぞましい考えが浮かんでいる事は、彼女にも解った。

「ジェイク、その女を連れて来い」

「へい」

 案の定、ソラトはジェイクに命じる。セルマがソラトの前に――イネスの前に引きずり出された。

「床に寝かせろ。仰向けでな。暴れるだろうから、四人で手足を一本ずつ押さえるんだ」

「待て! 妹に何をするつもりだ!」

 イネスの叫びに、ソラトはなんでもないように呟く。

「俺の故郷には、マグロの解体ショーってのがあったんだ」

  そして――にたりと、悪魔のように笑った。

「客の目の前で、魚をさばくんだよ」

「まさか……待て! その子は関係ないんだ! やめろ、やめてくれぇぇぇぇ!」

 イネスの叫びもむなしく、ソラトがセルマに馬乗りになる。血に塗れた短剣が、少女の腹部に宛がわれた。

 そして――

「ま、待ってくれ、ソラト」

 思わず、カイムは声を上げていた。

 カイム自身、幾人もの命を奪ってきた罪人である。今更少女ひとりを哀れんでも、偽善にすらならないだろう。だが、少女の末路を考えれば、声を出さずには居られなかった。

「彼女は直接、反乱には関係ないんだろう? だったら……」

「だったら? だったら何だってんだ?」

 返ってきた声に、カイムは己の失敗を悟った。

 振り向いたその顔に表情は無く、瞳は虚ろな空洞と化していた。ソラトは基本的に、表情が豊かな男である。己の欲望に忠実であるがゆえに、感情の表現もストレートなのだ。

 その彼が今、能面のような無表情になっている。

 それが――この上なく、恐ろしい。

「反乱に関係ない? それがどうした。俺が殺そうと思った。殺す理由なんて、それで充分だ。コイツを殺して、俺はハッピー。ならそれでいいじゃないか。なあ、カイム?」

 平坦な声と狂った言葉に、カイムばかりでなく、他の面々も震え上がった。この場に居る全員が、自分達が地獄の支配者の前に立っていることを、これから審問が開始されることを理解した。

「いや、しかし……」

 カイムは、口ごもる。頬を冷たい汗が流れ、足が震えそうになる。

 いかなカイムでも、ソラトへの恐怖は拭えない。単純な戦闘力なら、彼女のほうが上であるにも関わらず、である。

 泳がせた視線の端に、金髪の少女が映った。カイムと同じく、ソラトに力で対抗できる、数少ない存在であるシュトリの顔には「謝れ。早く謝れ。いいから謝れ」と書いてあった。

 思わず、そうした方が良いかとも思ってしまう。膝を付き、頭を垂れて、慈悲を請えば、彼も許してくれるかもしれない。

 口を開き――しかし言葉は出てこない。

 涙にぬれたセルマの瞳と、縋るようなイネスの眼差しが――己に向けられていることに、気付いてしまったからだ。

 それを振り払うことが、出来ない。

「……ふぅん?」

 言葉をなくしたカイムに、ソラトは小さな呟きを零し――表情が、戻った。いつものふてぶてしい笑みが浮かび、目にいたずらっぽい光が輝く。

「まあいいさ。可愛い部下に免じて、命だけは助けてやろう」

 それを聞いた《百鬼夜行》の面々の間から、どよめきが起きた。ソラトが人に言われて意見を変える――それも悪意の矛を収めることなど、滅多に無い。

 カイムは深々と嘆息し、シュトリが胸を撫で下ろし、イネスとセルマの顔に安堵が浮かんだ。

 ――次の瞬間、セルマの腹に、銀色の刃が突き刺さった。

「イギィィィィィアアアアア!?」

「何を安心しているんだ? しっかり泣き叫べ。喉が裂けるくらい悲鳴を上げろ。じきに、そんな事も出来なくなるんだからな」

 突き入れた短剣を捻りながら、ソラトが淡々と言葉を紡ぐ。彼が短剣を動かすたびに、セルマの絶叫が響き渡る。

「セルマ!? どうして、どうして――!?」

「そんなに叫ぶな。殺しはしない。殺しはしないさ」

 ゆらりと立ち上がり、ソラトは懐から小さな容器を――ポーションを取り出した。栓を抜き、中身をセルマの傷口に垂らすと、瞬く間に傷が塞がっていく。

「俺はお前達を殺さない。殺してやらない。お前達はこれからずっと、死ぬより辛い目に遭い続けるんだよ。自分の名前も思い出せなくなって、言葉もしゃべれなくなる。己が誰だったのかわからなくなり、周囲の全てが認識できなくなる。あらゆる感情をすり減らして、動く事も考える事も出来なくなる。そうなるまで、壊してやる」

 禍々しい台詞を吐き出すソラトの顔は、再び能面のような無表情で覆われていた。彼は怒りを静めたわけでも、諫言を受け入れたわけでもなかった。

 カイムの陳情は、より一層の狂気を呼び覚ましただけだった。

「――さあ、嘆くがいい。今ここで殺してもらえなかったことを」

 視線こそ向けないが――彼の言葉は、彼の意識は、確かにカイムを向いていた。

 自分は、彼の逆鱗に触れたのだと――ようやくカイムは理解した。


 からん、と下駄の音が鳴る。

 月夜の散歩と言えば風流に聞こえるが――それを楽しむ余裕が心に無ければ、ただの徘徊でしかない。手にした愛用のグレイブも、いつになく重く感じられる。

 気が乗らないにも関わらず、こんな遅くに散歩に出たのは、眠れないからだ。その原因は、イネスとセルマの存在が、心のどこかにこびり付いて離れないからだ。

 あれから、数日が経過していた。今も彼女達は、屋敷の地下牢で想像も絶する拷問を受けているだろう。それを思うと居た堪れず、カイムは逃げるようにして屋敷を抜け出した。

 ――ソラトにはもう、付いていけない。

 もとよりカイムは――宮本つぐみは《百鬼夜行》では異質な存在である。つまり人並みの道徳観を持っており、罪悪感だって覚える。本来であれば、犯罪ギルドに身を置くような人間ではない。

 そんな彼女がソラトに付き従ってきたのは、彼女が咎人であるからだった。己が身の可愛さで、彼女は百を超える人々を惨殺した。そうしなくば彼女の命は無かっただろうが、それでも彼女が罪無き人々を殺めた事に変わりは無い。

 法が、倫理が、道徳が、そして彼女自身すら、彼女の罪を許さない。

 しかし彼は――慈悲ではなく、悪の肯定によって、彼女の罪を許し、認めた。手を差し伸べ、仲間として受け入れた。

 悪逆の徒であるが故に悪を許容するソラトは、彼女を咎める事も、責めることも無い。だからこそカイムは、彼に仕えることを選んだ。彼の下だけが、彼女にとって安息の地になりうると思ったからだ。

 だが――ソラトに仕えるということは、更なる罪を重ねることでもあった。

 カイムに、彼を責める資格は無い。ソラトに許された彼女には、ソラトを許す義務があった。

 しかしだからといって、罪悪感が無くなるわけではない。重ねた罪の重みで、カイムの心は潰れそうになっていた。

 このまま――何処か遠くに、逃げてしまおうか。そんな事まで、考えてしまう。

 ソラトは追ってくるだろうか。裏切り者を、その手でくびり殺すために。あるいは案外、気にもしないかもしれない。わざわざ追う価値もないと、鼻で笑って終わりにしそうな気もする。

「……」

 と、口元に乾いた笑みを浮かべてしまったカイムの前に――人影が立ちふさがった。

 笑みを消し、眉を顰めた彼女の周りを、横道からバラバラと出てきた人影が取り囲む。その数は二十を超えているだろう。

「私に、何か用かい?」

 問いながら、グレイブの柄を握りなおす。闘技場でのPvPに特化しているカイムは、《索敵》スキルを持ってない。だからこうして囲まれるまで、気付くことができなかった。

 人影は揃いの外套を身につけ、フードで顔を隠しているが、その下から注がれる視線は剣呑だった。

 最初にカイムの前に立ち止まった人影が一歩、進み出る。

「我々は、ヴィロー子爵領の者だ」

 その口から放たれた言葉に、カイムは息を呑むことになった。

 ヴィロー子爵領。この不可思議な世界で、カイムが始めに居た土地であり、そして彼女が罪を犯した場所だった。

「より正確に言えば――君によって殺された、ヴィロー騎士団の兵士達の家族や友人、知人だ。用件は、言わなくとも解ってくれるだろう?」

「……復讐、というわけかい」

 カイムが苦々しく呟くと、男は――声からして男だろう――頷いた。

「そうだ。我々は君に、愛しい者を奪われた。その痛み、その苦しみ、その悲しみ、決して癒えるものではないが――せめて復讐を果たすことで、心に僅かな安寧を得ようと思う」

 言って、男は剣を引き抜いた。他の者達も、一斉に武器を取り出す。

「……君達の怒りは、もっともだ。詫びろというなら詫びよう。だが、剣は収めてはくれないか」

 悲しさで目を伏せながら、カイムは懇願する。懇願しながらも――身体は自然とグレイブを構えていた。

「これ以上の殺生を重ねるのは――私も本意では無い」

「ならば抗わず、大人しく我らに討たれるがいい」

 己の罪を認めるならば、少しでも詫びの気持ちがあるのなら、それが筋なのかもしれないと、カイムも思う。申し訳ない気持ちがある事は、嘘ではない。

 しかし、それ以上に

「……私は、死にたくない」

「浅ましいとは、言わんよ」

 むしろ同情するように、男は答えた。

「ただ――彼らも、そうだったろうな」

 それが、開戦の合図となった。

「兄の敵だ!」

 背後に立っていた一人が、切りかかってくる。カイムは足を滑らせるようにして振り向き、襲い来る刃をグレイブで弾いた。

 無防備になった腹部に、切っ先を突き入れる事は出来た。

 だが、カイムの腕は動かない。

 次々、次々と、人影は武器を振りかぶり、怨嗟の声を上げて襲い掛かってくる。カイムはそれを捌き、己の身を守るので精一杯になった。

 プレイヤー、それも『黄金宮』チャンピオンであるカイムにとって――二十人程度は、恐れるような敵ではない。

 だがそれは、カイムに戦意が――相手を倒す、殺す意思があっての事。まして相手は、捨て身で彼女を討ち取りに来ている。それを捌くのは、決して容易なことではない。

「退いてくれ!」

 迫る刃を弾き返しながら、カイムは悲鳴を上げた。

「殺したくないんだ、これ以上!」

「あれだけ殺しておいて、良く言う!」

 しかしカイムに向けられるのは、怒りと嫌悪のみ。

 手で触れられそうなほどの憤怒が、目に見えるほどの憎悪が、カイムの精神を切り刻んだ。いくら攻撃を防いでも、心の傷は増えていく。罪の重さで身体が重くなり、見えない鎖が彼女を縛り上げる。

 切り上げの一閃が、カイムのグレイブを弾いた。

 身を守るための武器が、彼女の手から失われた。そのことに恐怖する。

 敵を殺すための凶器が、彼女の手から失われた。そのことに安堵する。

「あの世で、殺めた者達に詫びるが良い!」

 掲げられた白刃を、カイムは見上げた。与えられるだろう死に、彼女の口から声にならぬ声が零れて、そして。

 ――闇夜に銀光が走り、男の頭蓋を打ち抜いた。

 突如として飛来したスローイング・スパイクに貫かれ、カイムを切り捨てんとしていた男が地面に倒れる。誰もが突然の「死」を理解することが出来ず、呆けた顔で男の亡骸を見ていた。

「勝手に殺すなよ」

 見上げれば、屋根の上。銀盤の月を背景にして、深遠なる闇を従えて。

「それは俺のモノだ」

 悪魔が――立っていた。

「ソ、ラ、ト……?」

「カイム」

 驚愕するカイムに、豪然たる態度で、傲慢な笑みで、ソラトが命じる。

「そいつらを、殺せ」

 たった一言、ただそれだけで。

 かちりと――カイムの中の歯車が、かみ合った。

 自然な動作で、落ちたグレイブを拾い上げる。カイムは流れるような動きで、手近な一人を切って捨てた。

 先程までの躊躇が嘘であるかのように、澱みなく殺戮を実行する。復讐者たちの罵声は悲鳴に変わり、狩る者と狩られる者が逆転する。

 ソラトの言葉に、人を操る魔力が有るわけではない。グレイブを振るうのは、あくまでも彼女の意思だ。

 殺したくないという感情と、死にたくないという本能。その狭間で葛藤するカイムにとって、ソラトの命令は――逃げ道で、救いだった。「ソラトに命じられた」という事実を言い訳にして、己の所業を正当化する。

 全ての思考を放棄し、ただ命令に従うのは――とても楽だった。心を閉ざし、ただ戦うだけの夜叉であることに、彼女は歓喜すらしていた。

 気付けば――全ての敵は血溜りに沈んでいた。

「忘れるな、カイム」

 屋根の上からソラト、が彼女を見下ろしていた。その笑みは尊大で、しかし慈しみにも似た感情が含まれていた。

「世界の全てがお前を憎み、呪っても、この俺だけはお前を許す。罪に塗れたお前を、俺は肯定し、認めてやる」

 罪悪感が、無くなったわけではない。人を殺す事を、快く思えるようになったわけではない。

 だが、救われた。どれほどこの身が穢れ、罪に塗れても、彼だけは肯定してくれる。それは善ではなく、悪であるかも知れないが、確かに救いだった。

 服が血に汚れることも構わず、カイムはその場に跪いた。感謝と陳謝、そして忠誠を示さねばならない。彼女を許し、彼女を導き、彼女を救うのは、彼以外に有り得ぬのだと、ようやくカイムは悟っていた。

 罪を犯した者の為の、邪悪なる救い。それを与えるソラトは――まさしく悪の救世主であった。


 ――屍に囲まれ、傅くのは、美しくも恐ろしい女夜叉。

 今宵、俺は本当の意味で、彼女を支配した。その事実に、頬が緩むのを押さえられない。

 俺にとってカイムは、有用では有るが危険な存在だった。シュトリと違って、俺の思想に共感せず、むしろ嫌悪感を抱く彼女は、いつ俺に刃を向けてもおかしくない。

 だからこそ俺は彼女を部下を与えず、日頃の役割を内部粛清とした。強く美しい、そして優しさを備えた彼女の周囲に人を集めれば、彼女を頂点とした《カイム一派》が生まれてしまう。《百鬼夜行》の分裂を避けるためには彼女を孤立させ、始末屋として恐れさせる必要があった。

 同時に――彼女が俺に従うよう、手を打つことが必須であった。そのための一手が、この惨状である。

 散らばる死体は全て、俺が用意した道化だった。カイムによって半壊したヴィロー騎士団。その戦死者に縁深いものを集め、復讐心を煽ったのは――人伝に、ではあるが――俺だった。彼らにカイムの居所を教えたのもである。

 カイムを憎む者達を嗾け、襲わせることで、彼女に己を罪を、穢れを自覚させる。自責の念に捕らわれた彼女に、俺が慈悲深くも手を差し伸べてやる――人を支配するには、奈落に突き落とした後、恩着せがましく救ってやるのが一番良い。

 そして彼らは良く踊ってくれた。一夜の役者は退場し、残ったカイムは俺への忠誠を新たにした。何もかもが、俺の掌の上での出来事で――人を操る全能感に、俺は陶酔すら覚える。まだバスカヴィル伯爵領を得る以前からの仕込みが、今日ようやく実を結んだのだ。これが楽しくないはずが無い。

「行くぞ、カイム」

 屋根から飛び降り、俺は外套を翻す。これで彼女も、駒として信頼性が増すだろう。バスカヴィル領が安定した今、更なる支配のために手を広げる頃合だ。その尖兵となるカイムには、俺に忠実でいてくれなければ困る。

 背後に女夜叉を従えて、俺は夜の街を歩き出した、視線の先には、アルクスを覆う城壁がそびえている。しかし俺はその向こう、遥か彼方にあるルイゼンラートの中心、王都カーマイルへと思いを馳せていた。

 ――待っていろ。

 俺は胸中で呟いた。

 高が一国、一領土で満足する気は、更々無い。目に映るもの全てを支配して、従える。何もかもを壊し、汚し、蹂躙する。それこそが俺の望みであった。

 そして、そんな楽しい遊びが――この世界なら出来るのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ