間章:イザベラのお仕事
「いい加減にして頂戴」
言葉と共に、イザベラは掌を机に叩き付けた。衝撃で詰まれていた書類の山が崩れ、床に散らばる。
それをぼんやりと眺めながら、俺は手にした杯を呷った。苦味のある琥珀色の液体が喉を通り、アルコールの刺激が胸を奔る。
場所はアルクスにある屋敷の二階、仕事部屋として使われている一室だ。書類仕事は主にここで行なわれる。
決してくつろぐ場所では無いにもかかわらず、俺の前にあるテーブルには、缶ジュースより一回り大きいくらいの、小さな樽が所狭しと並んでいた。中身は全て酒である。この世界にガラスは存在しており、俺の屋敷の窓もちゃんとガラスがはまっているのだが、高級品なので酒の入れ物には使用されない。そのため酒は酒瓶ではなく酒樽で保存され、販売される。
俺は買い集めた酒の味比べをしていた。酒盛りしようにも、酒が舌に合わなかったら興醒めである。だからこうして好みの一品を探している最中なのだ。もちろん未知の味に出会うこともまた、喜びではあるだろうが――「とりあえずコレ」という酒をもっておくのは悪いことではない。
数が多すぎるので寝室に運ぶ気にならず、こうして仕事部屋で飲んでいるのである。しかし仕事をしている目の前で酒盛りを始められたイザベラからすれば、堪ったものでは無いだろう
「こっちはやる事が多すぎて目が回りそうなの。昼間っからお酒を飲んでる暇があったら、ちょっとは手伝ってくれても罰は当たらない思わない?」
イザベラの目は完全に据わっていた。その下にはくっきりと隈が浮かんでいる。髪からも色艶が失われ、誰がどう見ても「疲れている」と解る顔であった。
「はぁ? 誰に向かって口利いてんのさ。いいから黙って言われたことやってな」
イザベラに噛み付いたのは、酒の相手をさせていたシュトリだった。長椅子で俺の隣に納まり、寄りかかるようにして身体を預けている。
アルコールのせいか、白い頬に朱が差しているのが見えた。だがシュトリがイザベラに突っかかるのは、酔いよりも彼女の性格によるものが大きい。
シュトリのコミュニケーションは殆どが攻撃的で――それは彼女の不安や自身の無さの示している。虚勢を張っていると言ってもいい。
「あら、字も読めないお馬鹿さんには、初めから何も期待してないから別にいいわよ?」
「あんだとこのNPCが!」
イザベラの反撃に、怒りで顔を歪めたシュトリが怒声を上げる。外国人然とした外見に反して、彼女は英語が苦手である。現在、カイムによって指導を受けてはいるが、辞書もテキストも無い環境ではなかなか学習が進まないようである。
シュトリは《百鬼夜行》でも俺とカイム以外――つまりプレイヤー以外――を「NPC」として見下す言動が目立つ。無意味な軽侮は反発を招きかねず、またシュトリがこの世界をゲームの延長としか捉えられていないことは、別種の問題を生むかもしれない。
「シュトリ。そこらへんにしとけ」
それでも俺がシュトリを強く咎めないのは、彼女を窘める事で俺の鷹揚さを示すことが出来るからだ。手下たちの不満は俺ではなくシュトリに向きやすくなり、《百鬼夜行》の内部でシュトリが孤立することで、俺への依存心を強くする効果もある。
俺の静止に、シュトリは唇を尖らせながらも口を噤んだ。碧い瞳には不満と不安が浮かんでいる。不満は俺がイザベラではなく彼女を静止したことで、不安は俺の機嫌を損ねたのではないかということだろう。
肩に回していた手で彼女の身体を抱き寄せると、耳に唇を寄せ、軽く食む。シュトリは小さく悲鳴を上げながらも、笑顔に戻った。
俺は恐怖で《百鬼夜行》を従えているが、恐怖だけでは人を上手く動かすことは出来ない事も理解していた。何を好み、何を恐れ、何を望んでいるかを知ることが、人を操り支配するためには不可欠だ。
シュトリを良い様に操る俺に、イザベラは尖った視線を向けていた。
「坊やは読み書きも計算も出来たわよね?」
彼女の物言いに、俺は苦笑する。俺を「坊や」呼ばわりするのはイザベラぐらいだ。
それを許しているのは、俺と彼女の関係が、互いの利益に根ざしたものだからである。彼女はメリットが有るからこそ俺に従っているのであり、無条件で服従しているわけではない。そういった意味では《百鬼夜行》で唯一、俺と対等に近い関係である。侮辱は許さないが、へりくだった態度を求めるつもりも無い。
しかし――
「なあ、イザベラ。俺がお前に安くない金を払っているのは、俺が面倒な仕事をしなくて済むようにする為なんだぜ?」
逆に言えば、俺はイザベラに利用価値があるからこそ使っているのであり、その価値がなくなれば高い報酬を支払う理由も無いのだ。
俺の答えに、イザベラは肩を竦めた。
「私だって、給料の仕事はちゃんとやるつもりよ。でも、いくらなんでも量が多すぎる。はっきり言えば、割に合わないの。せっかく自分の店を手に入れたのに、そこで商売をする時間が無いんじゃあね」
現在、イザベラはアルクスでも飛び切りの場所で店を開いている。もともと其処にはゴドフリーに次ぐ、アルクスで二番目の商人が所有していた店があったのだが――《百鬼夜行》に従うことを拒んでいた彼の屋敷に「たまたま」強盗が押し入り、家族を含めて皆殺しにされ、店も火をつけられて全焼した。
跡地は立地の良さから欲しがる者が多数居たが、《百鬼夜行》の資金と暴力による後押しを受けたイザベラが見事に勝ち取り、今では彼女の店が開かれている。
彼女が経営しているのは、総合百貨店――つまりはデパートだ。
俺の世界でデパートと言うのは「高級感」と「委託」――つまりブランドの確立し、テナントを貸し出すことによる中間搾取によって成り立つものである。
しかしイザベラの場合、ゼロから始めたためブランドが――つまり「この店で売っているなら良い物である」という信頼が無い。また仕入れも販売も店側が行なうため、デパートと言うよりも総合スーパーマーケットに近いかもしれない。
もっとも――並んでいる商品はバリエーションは豊富であっても、「ここでしか手に入らない」というものではない。極論、アルクス市内を歩き回れば全て他の店で手に入れることが出来る。いくら立地が良いといっても、新規参入である以上、その商売は厳しいものになるハズだった。
しかし彼女は思わぬ方法によって、短時間で商売を軌道に乗せた。何もそこまで特別なことをしたわけではない――商品に値札をつけたのである。
この世界の商売の基本は「安いものをいかにして高く売りつけるか」である。同時に客も「高いものをいかにして安く買うか」を考えて買い物をする。だから店はまず吹っかけるし、客は当然のように値切り交渉を行なう。つまり、商品には決まった値が存在せず、必然的に「値札」が付けられていないのが常識なのだ。
だがイザベラは商品に値札を付けることで「誰であろうともこの値段で売る」という姿勢を客に示した。全ての客が商談に長けているわけではない。そんな客にとって、イザベラの店は「ちゃんと金を払えばちゃんとした商品が手に入る」という、安心して買い物が出来る場所になったわけだ。
なにより、人というのは商品の値段そのものよりも、他の客が自分より安く手に入れる事が気に掛かる生き物なのだ。値引き交渉が存在しないイザベラの店は、誰もが同じ値段で同じ商品を手に入れる。「自分だけが損をすることは無い」というのは、客にとって大きな魅力と成り得るのである。
ちなみに「百貨店」や「値札」といったアイディアは俺との――主に寝台の上での――会話から生まれたものである。俺は何気ない雑談のつもりだったのだが、イザベラはその利用価値を的確に判断し、即座に実行に移した。俺も故郷の知識のうち、金になりそうなものに関しては積極的に利用するつもりだったのだが、彼女の商売に関するセンス――というよりも利益に対する執着はそれ以上だ。
イザベラの言葉に、俺は肩を竦める。
「わかった。こんど奴隷の中から使えそうなヤツを選んでおくから、そいつらを仕込んで手伝わせろ」
あまり仕事を押し付けすぎて辞表を書かれても面倒だ。銭勘定が主なだけに、無理に働かせてどうこうなるものでもない。過労で倒れられると困るのは俺だ。
「お願いね。それと……とりあえず今は貴方が手伝いなさい」
「やだ」
それは断る。面倒くさいからやりたくない。そして俺は、やりたくない事はやらないと決めたのだ。
そもそも《百鬼夜行》という組織は俺が楽しく遊ぶために存在するのである。組織の維持のために、俺が我慢して働くなんて本末転倒だ。
「あのう……少し宜しいでしょうか」
無言のにらみ合いに割って入ったのは、足元から発せられた声だった。
この部屋に居るのは俺とシュトリ、イザベラの三人ではない。これまで沈黙を保っていた女が、口を開いたのである。
その女は露出の多い、殆ど半裸に近い衣装を身につけ、俺の足元――というか足の下に寝そべっていた。むき出しの背中に、投げ出された俺の脚が乗っかっている。
彼女の首には革の首輪と鎖が取り付けられ、鎖の先は俺の手に握られていた。
「はぁ? 足置きは黙ってろよ――ひゃん!?」
またも噛み付くシュトリの乳を揉んで黙らせると、俺は足置きに続きを促した。
「で、なんだって?」
「その、私は読み書きも計算も出来ますので、よければお手伝いさせて頂けないかと」
イザベラの手伝いは、今の待遇よりマシだと判断したのだろう。足置きの言葉には、必死さが混じっていた。
「そりゃ助かるけど……誰?」
「椅子だ。今は足置きをやってる」
首を捻るイザベラに答え、俺はにやっと笑った。
「名前はキャロライン。ゴドフリーの娘さ」
「……へぇ」
それを聞いたイザベラは、商人が商品、あるいは客を見るときの、値踏みをするような目でキャロラインを見た。
「ま、いいわ。今は猫の手も借りたいの。彼女に手伝わせるけど、良いわよね」
「ああ。好きにしろ」
顔を輝かせ、足元から這い出してくるキャロラインを眺めながら、俺は次の樽に手を伸ばした。
かつて彼女はイザベラ・イーデンと名乗っていた。だが今となっては家名を名乗ることは無いし、その名で彼女を呼ぶものも居ない。
彼女が生まれたのは、王都で商売をしていた豪商の家だった。祖父は行商人から一代で成り上がった剛の者で、二代目である父は祖父から商売の全てを叩き込まれたらしい。事実、祖父が他界して父が商売を取り仕切るようになってからも、家が傾くような事は無く、ごくごく順当に利益を出すことが出来ていたのだから、商人として決して無能だったわけではないのだろう。
だが――イザベラが十三歳になった年、父は破産した。商売敵の悪辣な手段によって、殆どを騙し取られるようにして財産を失った。
店も資産も失くしたばかりか、大きな借金までも背負う羽目になった父は、屋敷を追い出される前夜に首を括った。
死んだ父を見つけたのはイザベラだった。冗談のように首が伸び、糞尿を垂れ流していた死体を眺めながら、イザベラが感じたのは――裏切られた、という思いだった。
母を早くに失くし、兄弟も居なかった彼女にとって、父は唯一の家族だった。彼女は父を愛していたし、父も彼女を愛してくれていたと思う。
だが、父は逃げた。彼女を置いて、彼女をひとり残して、全てを投げ出して「死」に逃げた。
彼女は呆れた。死ぬくらいなら、自分と二人で、どこか遠くに逃げればよかったのに。結局のところ、父は弱かったのだ。だから何もかもをなくした、奪われたと言う現実に耐え切れず、現実から去ることを選んでしまった。
それからはイザベラは荷物を纏め始めた。屋敷に金目のものなんて何一つ残っていなかった。唯一の例外は、若い娘である彼女自身で――それを目当てに、もうすぐ奴隷商人がやってくるだろう。
だから彼女は逃げた。ただし、父のように死に逃げるのではなく、生きるために逃げ出した。
紆余曲折の末、彼女は祖父の代から付き合いのある知人――アルクスで武器屋を営んでいた男の家に転がり込むことになった。
彼の店で働くようになってから、彼女は父の絶望を少しだけ理解した。自分で働き、金を稼ぐようになった彼女は、父が失った富の大きさと、それを築き上げるのがどれだけ困難かを実感したのである。
現実的に考えて、彼女がかつての財を取り戻す可能性は殆ど無いといって良い。そのことを理解した彼女は、自分の心が折れる音を聞いた。
それでも――いずれは豊かな生活と、暖かな家族を取り戻すという野心は消えることなく、彼女の中に燻っていた。折れたはずの心は棘となって彼女の胸に突き刺さり、だから彼女は金の話に敏感になった。時に守銭奴と揶揄されながらも、儲け話は無いかと血眼になった。
そんな彼女の下に「儲け話」が転がり込んできたのは、全てを失ってから十年が経ってからだった。
「終わりました。確認お願いします」
キャロライン・ゴールドバーグが書類の束をイザベラの前に差し出した。
彼女に手伝いをさせるようになって数日が過ぎたが、商人の娘だけあってその仕事ぶりはなかなかのものだった。
問題は――彼女の顔を見る度に、自分の心に浮かぶ黒い感情を抑えなくてはならない点だろう。
渡された書類に不備が無いか、簡単に目を通す。キャロラインは自分の机に戻り、次の仕事に取り掛かっていた。
彼女の父親は、アルクス一の大商人であり、《百鬼夜行》ともつながりの深いゴドフリー・ゴールドバーグだ。
そして――それは、イザベラの父を破滅させた商売敵の名前でもあった。
アルクスで生きていれば、彼の名前を耳にしないはずが無い。そして耳にするたびに、彼がいかに儲け、裕福な生活をしているか知るたびに、イザベラは胸の奥で復讐の炎を燃え上がらせていたのだ。
商人ギルドの会合で顔を合わせたときには、殺意を顔に出さないようにするのに随分と苦労した。そして彼がソラトの暗殺を主張したとき、イザベラは内心で喝采を上げた――これを知ったソラトが、彼を始末してくれるのでは無いかと期待したのである。奪われた父の資産が戻ってくるわけではないが、少しは溜飲が下がると言うものだ。
しかし期待に反して、ソラトは彼を殺さず、利用する道を選んだ。
いっそ自分で復讐してやろうとも思ったが――それは許されない。
ゴドフリーの財産と商売を通して培った人脈は《百鬼夜行》に大きな利益をもたらしている。つまりイザベラがゴドフリーを殺せば、間接的に《百鬼夜行》に、ソラトに不利益を与えることになるのだ。
別にソラトに義理立てしているわけではないが、あの少年は享楽的に見えて損得に敏感だ。もしイザベラが彼の損になることをすれば、情け容赦なく彼女を殺すだろう。それは避けなくてはならない。おかげでイザベラは憎い敵と顔を合わせる機会が増え、挙句の果てには彼の娘と肩を並べて仕事をする羽目になっていた。
「まだ」駄目だ。もっと金を儲けて力をつけ、ゴドフリー以上の価値を示せるようになれば、あの男を殺してもソラトは自分を咎めないだろう。今は雌伏の時である。
――と、目で追っていた数字に違和感を覚える。《百鬼夜行》が経営する賭場に関する書類だった。最終的な利益が妙に少ないのである。
詳しく調べてみるが、数字上は何も問題は無い。しかしイザベラの勘は絶対に何かあると囁いていた。
手元にある、別な書類に手を伸ばす。利益と言うのは、大雑把に言ってしまえば「入った金」から「出てった金」を差し引いたものだ。どのような理由で幾らの金が入り、どのような理由で幾らの金が出て行ったのか、一つ一つ調べていく。
そして――イザベラは書類の山の中から、小さな小さな、実に詰まらない計算間違いを見つけた。数字一つの違いが、まるで雪だるまのように膨れ上がり、最終的な利益に大きな差を作ってしまったのである。
普通なら絶対に気付くまい。何故なら、出された書類に記された計算そのものは間違っていないからだ。実に七枚にわたって関連した書類をさかのぼり、そこでようやく見つけたのである。
ふと、イザベラの心に、小さな囁きが聞こえた。
普通なら絶対に気付かない。だったら、この金が無くなっても――自分の懐に入れてしまっても、ばれる事は無いのでは?
実際の利益と、書類に記された差額は莫大というほどではないが、それなりに大きなものだ。これが自分のものになれば、彼女の野心に、そしてゴドフリーへの復讐に大きく前進することになる。
まして、ミスをしたのは自分ではない。万が一この事が明らかになっても、全ての罪をキャロラインに擦り付ける事は難しくないだろう。むしろ、それすら復讐の一環になりうるのだ。
思わずつばを飲み込み、イザベラは自分の喉が酷く渇いていることに気が付いた。心臓の鼓動はうるさいくらいに大きく、手はかすかに震えていた。
己を落ち着かせるため、彼女は深々と息を吸って、吐いた。水差しに手を伸ばし、喉を潤す。
そして――
「キャロライン。これ、間違ってるわよ」
「え? は、はい」
目を丸くするキャロラインに、間違いの箇所を指摘し、説明する。もともとは小さな間違いだが、それを元に計算をしているので、書類は殆ど書き直さないと駄目だろう。
「直ぐにやり直します」
「よろしくね。私は少し出てくるから、あと宜しく」
そう言ってイザベラは立ち上がり、部屋を出た。
行き先は――性根の曲がった悪餓鬼の所である。
「私を試すのは止めなさい、坊や」
ノックもせずに寝室に入ってきたイザベラは、顔を顰めながらそう言った。
その時俺は使用人――手に入れた奴隷のうち、若くて見目の良い女を何人か、屋敷で働かせている――の一人とコトの真っ最中であった。既に一戦を終え、汚れたモノを口で掃除させていた俺は、乱入者に驚いて動きを止めた女に奉仕の再開を促してから、イザベラに視線を戻した。
「何の話だ?」
「とぼけないで。貴方、わざとキャロラインに計算間違いをさせたでしょう」
イザベラの詰問に、俺は口笛で賞賛を返した。
「よく気付いたな」
「あんな『額もそこそこで、しかもまず気付かれない』なんて都合の良い間違いが、そうそう起こるわけないもの。いっそ芸術的なくらいだったもの。わざとじゃないかって疑って当然よ」
だがその「間違い」はキャロラインに利益をもたらさない。彼女はあくまで「手伝い」であり、書類上でしか会計に関わらないからだ。裏金を作っても、その金を手に取れないのでは何の意味も無い。
しかしそこから俺が命じたことを、しかもイザベラを試すという意図まで推測するとは……大した女である。
「私が信用できない?」
「信用はしている。が、それ相応の利益が有れば裏切るだろうとも思ってる」
俺がイザベラに金の管理を任せるのは、彼女に数字を扱う能力があるからではない。彼女が利益に忠実な女だからだ。
エレンのように無条件の服従を誓った人間や、シュトリやカイムのような、利益ではなく感情で俺に従っている人間では駄目なのだ。無条件ということは「何故忠誠を誓っているか」が解らない。つまり、どんな理由でそれが撤回されるかわからない。感情だって簡単に移ろい、変わっていくものだ。極論、どんな理由で俺を裏切るか解らないのである。
それに対して、純粋に利益を求めているイザベラは解りやすい。俺を裏切るときは、俺に従うよりも利益が出るときだ。だから予期しやすく、更なる利益を示せれば裏切りを思いとどまらせることも出来る。
俺は、部下が絶対に自分を裏切らないだなんて思ってない。だから重要な仕事である金の管理を「裏切るかもしれないが、その裏切りの時期と内容を予測しやすい」人間であるイザベラに任せるのである。そして「どの程度なら裏切るか、あるいは裏切らないか」を調べるために、俺はこんな回りくどい真似をした。
金額を少なくしたのはイザベラに「この程度なら大丈夫だろう」と考えさせる為だった。あまり高額にすると誤魔化し辛くなり、発覚を恐れて手を出さない可能性が高い。金を懐に収めつつ、そ知らぬ顔で仕事を続けられる程度の額であるべきだ。そこらへんのさじ加減はキャロラインに任せた。あれも中々使える女である。
「……部下を試すような真似をする上司は、嫌われるわよ」
「その点は心配はしていないな。例えお前は俺を蛇蝎のように嫌っていても、利益が有る限りはちゃんと従ってくれる」
俺の答えに、イザベラは盛大に渋面を作った。言外に「貴様がどう思ってようが知ったことか」と答えたも同然だからである。愛人も兼任している彼女からすれば、歓迎できる言葉では無いだろう――しかし同時に、俺の言葉に彼女自身も納得してしまったからこそ、渋い顔をするだけで何も言い返さないのだろうが。
イザベラの表情に俺は苦笑しつつ、奉仕させていた使用人の口に欲望を吐き出した。そして彼女を押しのけ、代わりにイザベラを手招きする。
「とはいえ――俺だって仲が良いに越したことは無いとも思っているさ。だからここは一つ、親睦を深めようと思うんだが、どうだ?」
「まさか、それで私が頷くとでも?」
「思うね。なぜなら――」
「私が『利益に忠実な女』だから? 貴方に抱かれることが利益だとでも?」
俺の言葉を先回りしたイザベラは、そう言いながらも服を脱ぎ始めた。彼女が俺と寝るのは、俺にとっての自分の価値を少しでも上げるためである。だから彼女は俺の求めを拒まない。
「利益だとも。特別ボーナスを出すつもりだからな。お前が今日気が付いたミスの差額、持ってっていいぞ」
生まれたままの姿になり、寝台に上がってきたイザベラは俺の言葉に笑うと、口づけに邪魔な髪を掻き揚げた。




