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Undivided  作者:
第一章:天魔生誕
32/96

間章:エレンと子犬

第二章まで間が空いちゃうので、読者に忘れられないように短編を投稿してみたり。


短編はヒロイン&サブキャラにスポットを当てていきます。

今回の主役はエレンさんです。

 その日俺は仕事をイザベラに押し付け、街をぶらついていた。

 バスカヴィル領を支配下に置いた今、事務仕事は飛躍的に増大している。毎日のように書類に埋もれているイザベラは恨みがましい目つきで俺を見ていたが――見るだけでなく恨み言も口にしていた気もするが――そもそも面倒な仕事を押し付けるために彼女を雇っているのである。遠慮してやる義理は無い。

 護衛も付けずにアルクスの「外区」、すなわち二枚の城壁の間の区画で出店を冷やかす。既に《ソラト》の名はアルクス中に知れ渡っているが、別に名札を下げて歩いているわけではない。集金はもっぱら手下に任せていた事もあり、顔までは売れていないので、特に人目を引くことも無く散策が出来ている。

 小腹が空いたので、見かけた屋台で串焼きを購入する。豚肉のようなものを鉄串に刺し、甘辛いタレに浸けて焼いたもので、その大雑把な味は俺の舌に合った。俺とて本来ならば男子高校生だった身である。上品なフレンチのフルコースよりも、牛丼やハンバーガーのような雑な食い物のほうが好きなのだ。

 もう一本買うべきか考えていると、足元から気配を感じた。

 視線を落とすと、そこにはクリーム色っぽい毛並みの子犬が居た。短い尻尾を振りながら、何か期待するような目で俺を見上げている。

「あー、また来てんのか、そのワン公」

 屋台の店主が苦笑いを浮かべながら言う。なんでも最近見かけるようになった野良犬で、屋台の近くなら客や店主達から食べ物をもらえると覚えたらしく、良くここらへんをうろついているらしい。

「ふぅん」

 新たに買った串焼きをかじりながら、俺は気の無い相槌を打つ。俺は犬より猫派である。

 二本目の串焼きを食べ終えた頃、手に残った金属製の串と足元の子犬の存在が繋がり、残虐な答えが導き出される。

 鉄串を逆手に持ち――そこでふと、別の考えが思い浮かんだ。

 何かの本で読んだのだ。子犬の面白い使い方を。

 それを思い出したとき、俺は悪辣な笑みを浮かべていた。


「というわけで、拾ってきた」

「はぁ……」

 何が『というわけで』なのかは良くわからなかったが、エレンはとりあえず頷いた。顎から滴る汗を、手拭いで拭う。

 《百鬼夜行》における彼女の役割は、主にソラトの身の回りの世話である。しかし使用人――賭場や高利貸しで手に入れた奴隷――が増えたことにより、その仕事は大分減ることになった。

 ではその空いた時間を何に使っているかと言えば、鍛錬である。剣、槍、弓……戦場でも主の役に立てるよう、狂ったように稽古を重ねていた。

 朝から遊びに出ていた主が帰ってきたと思ったら、その手には子犬がぶら下げられていた。子犬は掴まれているのが不快なのか、しきりに吠え、主の手に噛み付こうとしている。

「飼われるのですか?」

「いや、お前が飼うんだ」

 違いがわからず、エレンは首を傾げた。

「俺の犬をお前が面倒を見るんじゃなくて、お前の犬をお前が面倒を見るんだ。ちゃんと可愛がれよ」

 にやにやと笑いながら、主が命じる。

 エレンの手に子犬を放り込むようにして抱えさせると、ソラトは用件は済んだとばかりに去っていく。抱えられた子犬は腕から逃れようともがいていたが、意外と居心地がいい事に気が付いたのか、暴れるのを止めた。

「……」

 意図は良くわからないが、主君の命令となれば従うのみである。エレンは子犬を抱えて屋敷に戻った。

 とりあえず、子犬を風呂に入れることにする。もともと野良犬なので、衛生的とは言えない。

 家で犬を飼っていたというカイムの助言によれば、ぬるめのお湯で軽く洗い、直ぐにタオルで身体を拭くのが良いらしい。

 ソラトの意向によって、屋敷には最新式の湯沸かし器が設置されている。混ぜ合わせることで高熱を発する薬品を使い、一瞬で水を沸騰させることが出来る優れものだ――使用する薬品の費用が馬鹿にならないので、金持ち、しかも道楽者しか買わないという品でもある。

 ちなみに道楽者でない金持ちはというと、素直に奴隷を使う。ソラトがこの湯沸かし器を好むのは、湯が沸くまでの時間が早いからだ。エレンや使用人にも自由に使用する許可を出しているのは、金銭感覚がズレているからだ。

 お湯を桶に入れ、そっと子犬を浸ける。お湯に入れた途端、子犬は派手に暴れ出した。お湯が飛び散り、エレンまでずぶ濡れになってしまう。

 それでも何とか洗おうとするが、変に力を入れると怪我をさせてしまいそうである。子犬は隙を付いて桶から抜け出し、そこらじゅうを駆け回った。エレンは何とか捕まえようとするが、小さくすばしっこい子犬はなかなか捕まらない。

 逃げ回る子犬と、追い回すエレン。そして先に音を上げたのは、エレンだった。

 疲れてぐったりしたエレンを尻目に――子犬は自分で桶に入り、水遊びを始めた。

 この世の理不尽さを感じて、エレンは肩を落とした。主の命令でなければ投げ出しそうである。

 落ち込んでいるエレンに、満足したらしい子犬が擦り寄ってくる。昨日まで野良犬だったにしては随分と人懐っこい。

 カイムの真似をして耳の付け根を撫でてみると、子犬は嬉しそうに喉を鳴らした。

 エレンは少しだけ、微笑を浮かべた。

 

 それから二ヶ月ほどが経過した。

 エレンは子犬にグリスと名前をつけた。始めはソラトの命令だから、という理由で面倒を見ていたが――生活を共にしていれば、情は移る。

 エレンも家族を失った身だ。ソラトは主君であって家族ではない。仲間との間にも、どこか溝がある。グリスの存在は、彼女の心の隙間に滑り込み、孤独を癒した。

 躾には苦労させられたが――グリスはエレンに良く懐いた。顔を見れば、尻尾を千切れんばかりに振りながら寄って来る。足元にまとわりつき、腹を見せて撫でろと要求してくる。

「随分懐いたな」

 庭でグリスの腹を撫でていたエレンに、ソラトが近づいてきた。途端にグリスは身を起こし、唸り声を上げる。

「グリス、止めなさい」

 主を威嚇するグリスを、エレンは叱り付ける。何故かグリスはソラトに決して懐かなかった。

 ソラトは「かまわん」と苦笑し、エレンに向き直った。

「どうだ、エレン。この犬が可愛いか?」

「はい」

「大切か?」

「はい」

 エレンの答えに、主君は満足げに頷いた。

「そうか。じゃあ、エレン」

 ソラトは微笑み――命じた。

「その犬を殺せ」

 その言葉に、エレンは凍りついた。

 エレンには、ソラトに逆らうと言う選択肢が無い。

 父が死に、母が死に、そして自分も殺されそうになり――全てに絶望したエレンを助けてくれたのが、ソラトだ。

 神の居ない、奇跡の無いこの世界で、唯一エレンを救い、導いてくれる主君。このどうしようもなく無慈悲で、理不尽な世界に抗う者。エレンにとっては神そのもの、あるいはそれ以上の存在――それがソラトだ。

 だから逆らえない。逆らってはいけない。彼に見限られたら、エレンは生きていくことが出来ない。この世界は絶望という闇に覆われていて、ソラトという太陽無しには歩けないのだ。

 グリスを殺さなくてはならない。エレンにとって家族同然の、今も彼女の足に身体を擦り付ける、この可愛くて温かい存在を、殺す。

 縋るような気持ちで、エレンは主を見返した。

 ソラトは、笑っていた。不遜で傲慢、そして自信に溢れた笑み。

 だが――目は笑っていなかった。冷たい爬虫類のような目で、じっとエレンに視線を注いでいる。

 ――ああ。

 エレンは全てを理解した。

 自分は試されているのだ。ここで自分が躊躇えば、主はきっと彼女を見限るに違いない。そうすれば、救いは失われる。エレンは絶望の海に落とされ、沈んでいくしかない。

 エレンは腰にナイフを引き抜いた。何を躊躇うことがあるのだろう。自分は全てを捧げたではないか。

 何一つ疑うことの無い目で見上げてくるグリスに、エレンはナイフを突き立てた。せめて苦しませぬよう、首の付け根に深々と刃を埋め込む。

 グリスは一瞬、びくりと身体を震わせて――そのまま動かなくなった。

「ああ、それでいい。よくやったな、エレン」

 ソラトは手を叩き、満足げに頷いた。

 エレンは動かなくなったグリスの身体を抱え――微笑んだ。

 ああ、良かった。主は満足してくれた。

 グリスに感謝したいくらいだった――この子のおかげで、主に褒めてもらえたのだから。

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