第二十八話:影で蠢くもの
シャーリーアレンを解放し、その世話を使用人に任せた後――俺は地下牢の更に奥へと向かった。
俺が牢獄に繋いだのは、聖女だけではない。もう一人居る。
「いよう。気分はどうだい?」
一番奥の牢獄に、その男は繋がれていた。鉄格子の向こうで手枷を填められた手を上げ、感情を覆い隠す微笑を浮かべている。
「これはこれは、ソラト殿。牢屋も慣れれば悪くないですよ」
答えたのは、ヴィズベキスタ――《聖女騎士団》で参謀を勤めていた男である。
「貴方と聖女様の会話、ここからでも聞こえましたよ。貴方は本当に恐ろしい人ですね。あれだけ自分を憎んでいる相手を言いくるめ、自分の配下に納めてしまうんですから」
「大したことじゃないさ」
シャーリーアレンの根底には、貴族への復讐があった。それを果たすためには、俺に使われるのが一番良い――そう思わせれば、彼女は進んで俺に従ってくれる。
逆に言えば、復讐が終われば――あるいは俺が復讐の役に立たなくなれば、シャーリーアレンは俺の下を去るだろう。それどころか、今度は俺に刃を向けるかもしれない。
別にそれで構わない。つい先ほど配下に加わったものに、絶対の忠誠を求めるほうが無理がある。
だが、俺に従う時間が長くなればなるほど、彼女は俺から逃れられなくなる。
己が悪行を肯定し、魔女に堕ちたシャーリーアレンは、やがて悪という美酒に酔い、夢中になる。この世から悪人が消えないのは、悪行こそが欲望を果たす、一番手っ取り早い道だからだ。
そして、人は弱い。己のために人を踏みつけておきながら、誰かから肯定されることを望む、浅ましくも図々しい生き物だ。
悪行を重ね、欲を満たすようになったシャーリーアレンは、堕落した自分を許し認める、俺という肯定者を失うことは出来なくなっているだろう。
「さて、せっかく慣れてきたところ悪いが、釈放だ。お前にはやってもらうことが有るんでな」
俺の言葉に、ヴィズベキスタは眉を上げ――口元を僅かに、しかし確かに吊り上げた。
「生かしておいてくれるので、もしやと思っていましたが――私も使っていただけるんですね。例え敵対した者であっても、使えるものは使う。実に器が大きい。貴方は本当に、上に立つために生まれてきたような人ですね。いずれ、大きな事を成し遂げるでしょう。是非とも私に、そのお手伝いをさせて頂きたいと――」
「――舐めてんのか、テメェ」
絶対零度の声音で、安っぽいおべんちゃらを遮る。声の冷たさとは逆に、胸の奥はマグマのような怒りで煮えたぎっていた。
「お前はシャーリーアレンの代わりに、この俺を担ぎ上げようってのか? この俺が、お前ごときの口車に乗せられ、良い様に使われると? この俺が、だ。なあ、ヴィズベキスタ。お前は本当に、そんな馬鹿なことを考えているのか?」
俺を苛立たせているのは、ヴィズベキスタが俺をシャーリーアレンと同じ様に操り、利用しようとしていること――出来ると思っていることだ。
《聖女騎士団》の立役者はシャーリーアレンではない。シャーリーアレンを《聖女》として担ぎ上げて兵を集め、それを維持するための物資を調達し、有象無象でしかなかった農民たちを『軍勢』に仕立て上げたのは、間違いなくヴィズベキスタの功績だ。反乱の首謀者はこの男なのである。
「――失言でした。お詫びしますよ。この期に及んで、貴方を過小評価していた事も含めて」
ヴィズベキスタは笑みこそ保っていたものの、俺の怒りに晒された恐怖で、その顔は青ざめていた。
頭を下げるヴィズベキスタに、俺は冷笑を向けた。
「ああ、それと――お前の正体についても話しておこうか」
ぴくりと、ヴィズベキスタの体が揺れる。
俺がずっと気になってたのは、この男がどこから利益を得てるかということである。ヴィズベキスタはかなりの物資を反乱軍に回していた。その投資に見合うだけの利益を、彼は反乱を通して手に入れるハズなのである。
もちろん、利益度外視の義侠心という事も有り得るのだが――ヴィズベキスタは商人を名乗っていた。情と利益を天秤にかける商人など居ない。仮に居たとしても、そんな商人があれだけの物資を出せるほど儲けているハズが無い。
となると、ヴィズベキスタが反乱軍に援助する理由は、投資。しかしヴィズベキスタは、マリアンとの会談で停戦を拒否し、無謀とも言える決戦を主張した。『身分制度廃止』という、シャーリーアレンの無謀とも言える理想も、この男は受け入れていた。それが他の貴族の介入と国王軍の到来による鎮圧を呼ぶにも関わらず、である。
反乱が失敗したら、これまでの投資が無駄になり、ヴィズベキスタは大損をする筈なのだ。それが解らないほど愚かな男ではないだろう。
だが――ヴィズベキスタにとって、反乱は失敗しても構わないものであったとしたら?
ヴィズベキスタが求めるものが反乱の先にあるのではなく、反乱そのものが目的だとすれば?
ゴドフリーに調べさせたところ、ヴィズベキスタという商人に聞き覚えは無く、聞き覚えがあるという人間も見つからなかった。名前を変えてる可能性も有るが――あれだけの物資を動かせる商人がそうそう居るわけもない。誰も心当たりが無いというのはおかしい。
つまり、そもそもヴィズベキスタは商人ではない。
そして、反乱が――この国に混乱が起きるだけで利益を得る存在は、
「お前、ラーヴァニアの密偵だろ?」
五年前、ルイゼンラートに侵略戦争を仕掛け、今なお正式な停戦は結ばれていないという隣国。ヴィズベキスタはその意向を受けて動いている人間だ。
「……すばらしい。まさか、私の正体にまで気づくとは」
ヴィズベキスタの顔からはもう、笑顔の仮面が剥がれ落ちていた。
実のところ、俺の推論は根拠が――物証が無い。否定しようと思えば出来たはずだ。
それでもヴィズベキスタは素直に認めた。
先程俺を担ぎ上げようとした事を踏まえても、この男は俺を利用しようとしている。だがそれは既に見破られた。
「ひとつお願いがあるのですが、よろしいでしょうか」
「言ってみろ」
「私と供に、ラーヴァニアへ来てくれませんか?」
騙して操れないなら――正面から協力を持ちかける。
「実はですね、貴方のことはとっくに報告を上げているんですよ。正確に言えば、売り込んだといったほうがいいでしょうね。この反乱が終わった後、次の火種として貴方を使うべきだと」
ヴィズベキスタはレテ砦で物資の搬入の指揮をしていた。その間にラーヴァニアと連絡を取る事も不可能ではなかっただろう。
「ですが、貴方は私の予想以上の存在でした。私が精魂込めて育て上げた革命軍を乗っ取り、反乱を終結させてしまった。私を捕らえたばかりか、その正体にまで気付いてしまった。何より貴方は火種どころか、何もかもを焼き尽くしかねない災厄だった。だから操るのではなく、是非とも味方として引き入れたい。私は、我が国は貴方と友好的な関係を築いておくべきだと――いや、敵対的な関係になるべきではないと考えています。だからラーヴァニアに来て欲しいのです」
そして隣国の密偵は、己の主君の名を口にした。
「我が主――ルクレティア王女殿下にお会いして頂きたい」
王女殿下。つまり国王では――国家元首ではない。ルクレティアとやらが諜報部の長を務めているのか、それとも独断で動いているのか。
何にせよ、俺の答えは決まっていた。
「嫌だね」
「……理由をお伺いしても?」
訳を尋ねるヴィズベキスタに、俺はシニカルな笑みを返した。
「俺はな。人に呼びつけられるのが大嫌いなんだ」
俺の答えに、ヴィズベキスタは絶句した。
「……そ、それだけの理由で、ですか?」
「それだけ? 馬鹿こけ。俺の気分ほど大切なものが、この世に有るものか」
俺は人を殺し、傷つけ、あらゆる罪を犯し、世界そのものに背を向けてでも、己の欲望に従う道を選んだ。俺にとって一番大事なのは俺であり、俺が楽しめるかどうかだ。他人やルールに合わせる気が有るのなら、俺はそもそも罪なんて犯さないのである。
「お前の主に伝えろ。ここは俺の遊び場だ。余計なちょっかいは許さない」
相手が一国の王女だろうが何だろうが、俺は下手に出るつもりは欠片もなかった。
「いっしょに遊びたいなら、テメェの方から会いに来い。遊びに混ざるときは『いーれて』って言うものだ。そうだろう?」




