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Undivided  作者:
第一章:天魔生誕
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第二十七話:支配と堕落

「バスカヴィル領の再建案だ」

 言いながら、俺はもっていた書類を執務机にぱさりと投げ出した。 

 場所はアルクス、領主の館。かつて夫が使っていた執務机に向かうのは、新たな領主となったマリアン・バスカヴィル伯爵夫人である。部屋にはもう一人、イネスという女騎士が控えており、さっきから俺を刺すような目で睨んでいた。

 反乱が終わってから、しばしの時が経過していた。革命軍は解散し、バスカヴィル領には平和が戻っている。

 とはいえ、財政に関してはボロボロもいいところだ。だから俺は再建案を用意し、伯爵夫人に提供したのである。

 しかし――バスカヴィル領は軍事費が過剰だったこと、それを補うために税が高かったことが問題なのであり、税率を下げ、兵を削減する以外に変えるべき点は無い。あとは時間が回復してくれる――のだが、戦死した兵士への家族へ支払う弔慰金や、農民への食糧援助などで出費が嵩んでおり、回復するまで持ちこたえることが出来るかは微妙なところだ。もし来年も不作だったりしたらかなり危ういだろう。

 そこで再建案の出番なわけだが、俺も政治や経済に特別明るいわけではない。よって俺が出せるのは、もっと直接的な「金儲けの手段」――つまり商売の種である。

 案は俺、シュトリ、カイムの三人を中心として、イザベラとゴドフリーという専門家を加えて練り上げたものだ。この世界よりはるかに文明が発達した世界から来た俺達は、この世界の住人には無い発想を持っている。それは画期的でも斬新でもないが、確かに価値があるものだった。

 例えば、料理が好きだというカイムは『レシピ集』の製作を提案した。

 この世界で料理というのは親が子に、あるいは料理人が弟子に教えるもので、その伝え方は口伝、それも詳細を感覚やセンス補う――言ってみれば大雑把なものだ。同じ名前の料理でも、こっちの村とむこうの村ではまるで別の料理のようだった、ということも珍しくは無い。また、飲食店ならともかく一般的な家庭で知られている料理というのはそう種類が多くない

 だがレシピ集の登場によって、数多くの料理の名称と作り方が広まるだろう。今まで知らなかった料理が広まるということは、材料のニーズが増えるということである。必要な調理器具の種類も増すだろう。レシピ集そのものの販売利益を加えれば、経済効果は決して小さくは無い。

 今時の女子高生であったシュトリは、ネイルアートというものを伝えた。

 この世界で爪の手入れは、磨くか精々色を塗る程度である。そこで動物の爪や牙を材料にした「付け爪」を作り、そこに彫刻や金箔、砕いた輝石で飾りつけることで新たなる「美」を生み出すと言う訳だ。細工師の仕事が増えるし、売り物にならないような、小さな貴金属や宝石の屑を有効に活用できる妙案である。

 もっぱら貴族向けの商売になるだろうが、自分を磨くため――他所のご夫人と差をつけるためなら金を惜しまない人種を相手にするだけに、なかなかの利益を生み出すだろう。

 俺が持ちかけたのは、債権の回収業だった。

 貴族が平民に対して絶対的な権力を握るこの国では、貴族が商人や職人から商品の代金を踏み倒すことも少なくない。

 本来ならばそういった事態に対抗するために商人ギルドが存在するわけだが、ギルドに参加出来ない者、あるいはギルドにもたらす利益が少なく、大口の客である貴族との関係を切ってまで助ける価値がないと判断された者は、泣き寝入りするしかない。

 そういった者達から「代金の支払いを受ける権利」――つまり債権を買い取り、彼らの代わりに代金の請求を行なう。貴族が代金を踏み倒せるのは相手が平民だからであり、貴族、それも伯爵家からの請求を跳ね除けることなど出来ない。貴族同士の争いというのは、下手をすれば国王の裁決を求める事態になりかねず、代金の踏み倒しで国王を煩わせたとなれば、酷い恥を晒すことになる。

 他にも幾つかのアイディアを提供し、それを使って財政を立て直すことにした。バスカヴィル領全体の活性化になるし、俺達《百鬼夜行》も潤う形になっているはずだ。

「これは、本当に上手く行くのですか?」

「そこはアンタしだいだな」

 俺は執務机――椅子ではなく机に直接――に尻を乗せながら、彼女の問いをすっぱりと切って捨てた。

「俺はあくまで手伝いとして、案を出してるに過ぎない。別にこれの通りにしなくたって咎めはしないさ。まあ、何かしなけりゃマズイのは事実だし、どうせ上手く行くか行かないかが解らないのは、他のどんな方法も一緒だと思うがね」

 少なくとも、俺達の案には前例がある。もちろん、こことはまるで違う世界での例であり、成功の保障にはならない。だが何の根拠も無い商売よりマシだろう。

 そもそも商売なんてものは、どれだけ素晴らしい商品をどれだけ上手に販売しても、時期が合わなければ上手く行かないものだ。

 だが一つ二つ失敗しても、他で埋め合わせればいい。これらの商品はどれも大規模な初期投資が必要ないし、撤退も容易だ。事業の初めというのはとにかく手を広げ、やがて儲かるものに絞っていくべきなのである。

 マリアンが書類を読んでいる間、手持ち無沙汰な俺は彼女の身体に視線を這わせた。

 濃い青のドレスの下から、肉感的な肢体が生々しい存在感を放っていた。艶のある濃紺色の髪は肩の下まで伸ばされており、白磁のように白い肌と見事なコントラストを描いている。顔立ちも整っているが、その印象は「美しい」よりも「色っぽい」が先に来る。長い睫毛や、少し厚みの有る唇など、えもいわれぬ色気を発していた。

 年は確か二十六だったか。年齢を重ねることで、むしろ美しさを増し、色香を纏うようになった「大人」の女だ。

 何より――他人の、それも自分が殺した男の妻であるという事実が、俺の獣欲を掻き立てた。欲望のまま、書類に目を通す伯爵夫人の胸元に手を伸ばす。

「――!?」

 マリアンは息を呑み、身を硬くしたが、抗いはしなかった。唇を引き結び、声を出すまいとしたのが唯一の抵抗だろう。

「貴様ぁ! 奥様に何を!」

 反応したのは護衛の女騎士だった。激昂して剣を引き抜く。

 しかし今にも切りかかろうとする彼女を止めたのは、俺ではなく伯爵夫人だった。

「やめなさい、イネス」

「しかし!」

 顔を真っ赤にして怒りを露わにする護衛に、マリアンは頭を振った。

「外しなさい。呼ぶまで部屋に入らぬように」

「そんな……奥様……なんで……」

 退席を命じられたイネスの顔に困惑が浮かぶ。マリアンの乳房を弄びながら、それを眺める俺の顔には笑みが浮かんでいた。

 伯爵夫人は俺に逆らえない。そのことを彼女は理解している。

 バスカヴィル領の騎士団は大きな被害を受けており、しかも財政上の理由で人員の削減を強いられている。しかし領地の管理には兵力が必要不可欠だ。ましてバスカヴィル領は反乱の影響で、いまだに治安が乱れている。

 それを解決するため、領地の防衛と治安維持を委託されたのが《バスカヴィル義勇兵団》――《百鬼夜行》の下部組織である。義勇兵団は、ライオネルを初めとした《百鬼夜行》の中で違法な活動に不満を抱いていた者たちを中心に、旧《聖女騎士団》で故郷に帰ることを選ばなかった者や、人員削減で解雇されたバスカヴィル兵を再雇用することで結成された。

 費用はかつての領主軍の半分ほどで済んでいる。理由は装備品が旧革命軍のものであること、そして給金が安いからだ。しかし彼らの殆どが農民、それも職のアテが無いものばかりなので、それでも不満なく働いてくれていた。

 旧バスカヴィル兵からすれば同じ仕事で給料を減らされた形になるが――文句を言っても解雇され、他の誰かが雇われるだけだ。暮らしていけない額ではないので、黙って従うのが吉である。

 加えて――バスカヴィル領内の経済は既に《百鬼夜行》に握られている。農業を担う農民には旧革命軍の人間が含まれており、減税を勝ち取った俺が激を飛ばせば再決起する可能性が高い。商人はギルド長であるゴドフリーが俺に従っているし、末端の店舗も《百鬼夜行》の暴力を恐れて逆らわない。彼らが伯爵家の取引を停止、あるいは納税を拒否すればマリアンは成す術がない。

 軍事と経済を押さえられている以上、伯爵夫人は手足をもがれたも同然だ。マリアンはバスカヴィル領の「領主」だが、「支配者」はこの俺なのである。

「どうした、お前も混ざるか?」

「――!?」

 呆然としているイネスに、俺が嘲笑混じりに問いかけると、女騎士は殺意を込めて俺睨みつけ、剣も収めぬまま部屋を出て行った。いずれ闇討ちくらいはしてくるかも知れない。

 その時はあの女も犯してやろう。気の強い、しかも俺を憎んでいる女を組み伏せ喘がせるのは、きっと楽しいに違いない。

 扉が乱暴に閉じられる音を合図にしたかのように、俺は机から下りると、マリアンの腕を掴み、椅子を引いて立たせた。書類が散らばって床に落ちる。

 髪を掴み、執務机に伯爵夫人の顔を押し付ける。今の彼女は、机の上に上半身をうつ伏せにさせられた形だ。持ち上げられた尻のラインを手でなぞりながら、俺は笑う。

「それでいい。お前が俺に従っている限り、お前の故郷は安泰だ。これらも仲良くして行こうじゃないか。なあ?」

 伯爵夫人は何も答えなかった。無表情の、しかし表情を努めて押さえているのだと解る顔が、俺の嗜虐心を更に煽り立てる。

 俺は笑みを深くしながら、彼女のドレスの裾を掴み、捲り上げた。


 用事と楽しみを済ませた俺は、アルクスの自分の屋敷へと戻った。領主の館からそう離れては居ない場所に建てられたこの屋敷は、それなりに立派ではあるが、取り立てて大きくもないし、豪華でもない。格で言えばゴドフリー屋敷の方が数段上だろう。

 そんな屋敷を俺が住処に選んだのは、屋敷を作らせたという豪商がなかなか「いい趣味」をしていたからである。

 使用人――借金のカタに手に入れた女奴隷――の出迎えを受けた俺は、そのまま屋敷の地下へと向かった。何とこの屋敷、地下に牢獄と拷問部屋があるのだ。ここに奴隷を放り込んでは痛めつけて殺すのが、件の豪商の趣味だったらしい。俺が購入を決めたポイントである。

 地下室はまるで、ここで殺された人々の怨念が渦巻いているかのように、不気味な空気が充満していた。丹念に掃除がしてあるので血の跡などの汚れは無いが、足を踏み入れたモノを不安にさせる雰囲気がある。だが俺は気にすることなく、牢獄のほうへと脚を運ぶ。

「よう、気分はどうだ?」

 牢獄に捕らえられているのは、金髪を短くした若い女。

 《聖女》シャーリーアレンである。

 俺はシャーリーアレンを殺さなかった。彼女の持つカリスマ性を惜しんだのである。

 悪行に悪行を重ねる俺は、人から慕われることは無い。人を屈服させ、支配することは出来ても、人を惹きつけ、信服させる事は出来ないのだ。その欠点を補うためには、彼女のような人に好かれ、尊敬される人間を傍らに置くのが一番良い。

 《聖女》とまで呼ばれ、讃えられたシャーリーアレンは非常に稀有なカリスマの持ち主だ。殺すにはあまりに惜しい。彼女を堕落させ――百鬼夜行の列に加えたい。

「……」

 俺の呼びかけに、聖女は顔を上げた。その目は虚ろで、まるで生気というものが感じられない。身につけているのは質素な上下で、手は体の後ろに回され、手枷を填められている。

「裏切り者」

 聖女の口から、ぼそりと怨嗟が零れた。

「貴方は私を裏切った。皆を唆し、誑かした。理想を踏みにじり、私達が手にするはずだった明日を奪い去った。皆が笑って生きられる『平等な世界』を壊したんだ。呪われるがいい。例え辱められ、殺されても、奈落の底から貴方を呪い続けてやる。貴方が罰を受け、もがき苦しみ死んで行くときを、ずっとずっと待っているぞ」

 止めどなく溢れる呪いの言葉に、俺は余裕の笑みを返す。

 全てに背を向け、己の欲望のまま生きると決めた以上、怨みや憎しみは俺に喜悦しかもたらさない。聖女の呪いは俺を楽しませるスパイスでしかなかった。

 牢屋の鍵を外し、中に入る。粗末な寝台に腰掛けた聖女の頤を掴み、上を向かせる。

「違うね。俺がお前を裏切ったんじゃない。お前が皆を裏切ったんだよ」

「何を戯言を……」

「だってお前、『平等な世界』なんて自分でも信じてなかっただろ?」

 反論を遮り、俺は聖女を壊し始める。

「身分制度なんか無くたって、人は平等になんかならない。金、地位、容姿、能力……あらゆる理由で人は差別される。力のあるものは、権利が無くたって力の無いものを虐げる。なあ、平等であるはずの農民達は常に一致団結し、助け合っていたか?」

 そんなハズが無い。盗賊団《鬼蜘蛛》を初めとして、生活の苦しくなった農民の多くが、同じように苦しんでいる隣人から奪うことを選んだ。立場の弱い者を奴隷として売り、負担を押し付けようとした。

「事実、お前自身が人の上に立ってたじゃないか。《聖女》として革命軍の頂点に立つお前と末端の兵士は、まったく同じ待遇だったか? 兵よりも良いモノを食べ、良いモノを着て、命令を下していただろう? それは貴族とどう違うんだ?」

 実のところ、能力と責任によって立場が上下する組織において、上のものが下のものと同じ待遇なのはむしろマイナスだ。上のものは重圧に耐えて職務をこなす動機を失い、下のものは出世へのモチベーションを持てなくなるからだ。社長と平社員の給料が一緒だったら、どっちもやる気が出ないのである。

 本来ならば貴族と平民もそれと同じハズなのだ。貴族には領地の管理と防衛という重責があるのだから。ただ害悪の種はその権限が過剰なのと、地位が世襲制であることだ。相応しくない者に権力を握らせて、問題が発生するのは必然である。

 そんなわけで、俺の言っている事は暴論もいいところなのだが――シャーリーアレンは目を見開いて絶句している。

 彼女は反論できない。何故ならば「身分制度が無くても人は差別される」という俺の主張そのものは間違っておらず、彼女にも心当たりがあるからだ。

 そこに俺は組織の上下という関連はするが別の問題を、引っ張り出してこじつけた。生まれで決定される身分の上下と、能力で裏づけされた組織の上下。その差異に気付かない限り、彼女は「自分も貴族と同じである」という誤った結論を否定できない。

 そして当然、俺は彼女に良く考える時間なんて与えない。

「平等な世界なんて嘘っぱちだ。そしてお前は、自分でもそれが虚構だと知っていた」

「違う! 私は……! 私は本当に平等な世界を目指して……!」

 断じて許容できない台詞を言って、相手に否定を――反応をさせることで、それまでの議論を既に『終わった話』にしてしまい、間違ったままの結論を押し付ける。

「いいや。嘘だ。お前は嘘を付いている。だってお前は知ってたじゃないか。自分達に勝ち目が無いことを。理想への道が無いことを。違うというなら、あの時どうやって勝つつもりだったか言ってみろ。どうやって国王軍を破り、この国を変えるつもりだったか言ってみろ」

「あ……あ……あ……」

 シャーリーアレンは口を開くが、そこから何も意味のある言葉は生まれてこない。

 言えるはずが無い。軍事を取り仕切っていたのはダインで、参報を努めていたのはヴィズベキスタだ。彼女は象徴であって、脳では無かった。そもそも革命は「生きるために、已むに已まれず始めた事」である。その場しのぎ、行き当たりばったりになるのは仕方が無い。しかしその「仕方が無い」部分を俺は責め、咎め、論う。

 言葉によって打ちのめされ、傷つけられたシャーリーアレンに、俺は俺の答えを押し付ける。

「お前は復讐したかっただけだ。未来なんてどうでもいい。集まった仲間なんて知らない。理想なんて信じても居ない。お前はただ、個人的な復讐心を満足させるためだけに戦いを始めたんだ。憎い奴らを殺してやりたかっただけなんだ」

 ――彼女は復讐のためではなく、本当に理想を信じて戦っていたのかもしれない。本気で『平等な世界』をつくろうとしていたのかもしれない。

 だが、彼女の心に憎悪があったことは間違いない。家族を奪われ、奪った相手を憎むのはごくごく自然なことだ。

 そして、彼女の心に憎悪がある以上――その憎悪を自覚した以上、彼女は自分自身への疑問を抱いてしまう。

『自分は本当に理想のために戦ったのか?』

『貴族への復讐だったのではないか?』

 生まれた疑問に、俺は言葉の毒を染み込ませていく。

「なあ――お前の利己的な『革命』のせいで、どれだけの人が犠牲になった?」

 聖女の体が、びくりと跳ねた。

「お前はいったい、どれだけの人間を死地に追いやった?」

 自分自身への疑問は、罪悪感を生む。罪悪感は心を蝕み、自分で自分を責め、憎み、傷つけるようになる。

「ちがう……ちがう……やめて……言わないで……」

 耳を塞ごうにも、手には手かせが填められている。必死につむがれる否定は、自分ですら信じられない弱々しいもの。聖女はただ涙して、許しを請うばかり。

 もちろん、俺は容赦なんてしなかった。

「お前は聖女なんかじゃない。『平等な世界』なんて耳ざわりのいい言葉で人を惑わし、争いに掻き立て、命を奪った――魔女だ」

「ああああああああああああああああ――!!」

 聖女は喉も嗄れんばかりに絶叫する。俺の言葉を遮るために。でも無意味だ。もう俺が何も言わなくたって、彼女自身が彼女を責める。彼女自身が彼女を許さない。

「……そうです」

 長い長い沈黙の後、聖女は弱々しく――認めた。

「私は、憎かった。悲しくて、つらくて、苦しかった。私の全てを奪った全てに、復讐がしたかった。何もかもを、滅茶苦茶にしてしまいたかった。何もかもを、壊してしまいたかった」

 上げられた顔に浮かぶのは、苦しみ、疲れ果て、全てを諦めてしまった、亡者そのものの貌。

「私は、罪を犯しました」

 虚ろに、聖女は懺悔する。

「私は、許されざる大罪人です」

 こうして、聖女は堕落した。

「そうか」

 彼女の心が折れたのを確認した俺は、にっこりと微笑んだ。

「じゃあ、続きをやろう」

「――え?」

 空虚になった聖女の口から、呆けたような声が漏れた。

「お前は罪人だ。人を惑わす魔女だ。だがそれは、お前が復讐を止める理由になるのか?」

 手を伸ばし、彼女の顔を挟む。鼻が触れ合うほどに顔を近づけ、彼女の目を覗き込む。虚ろだった瞳に、ちかりと意思の光が瞬いた。

「騙せばいい。惑わせばいい。全てを欺き利用して、己の復讐を果たせばいい。それは許されざる大罪だろう。誰もがお前を呪うだろう。だが、お前の望みは許しでも祝福でもなく、お前が憎む全てへの報復だろう?」

 やさしく、言い含めるように囁く。絶望の底に落ちた彼女に、救いの手を差し伸べる。

 彼女を絶望させたのは、他でもない俺である。だがそんな事は関係ない。神だって試練だ何だといって人を苦しめ、気まぐれのように僅かな救いを与えることで、信者を増やしているじゃないか。本当に追いつめられた人間は、救いの手が誰の手かなんて気にしないのである。

 絶望から逃れるために、彼女は自ら進んで、狂う。

「俺のものになれ。そうすれば、お前の望みは叶う。俺がお前を救い、導いてやろう。お前は俺の元で復讐を果たす。お前の全てを奪った全てに、その憎悪をぶつけることが出来る」

 俺の示した救いに、かつての聖女は恍惚とした表情を浮かべた。

 彼女を壊した俺は、まるで祝福する様に、その額に唇を落とした。

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