第二十六話:反乱の終焉
レテ砦の内部でなにやら騒ぎが起こっていることは、領主軍も直ぐに気が付いた。もしや打って出る気なのではと、兵士達に動揺が走る。
現在、領主軍の兵士の殆どが民兵、もしくは奴隷である。いくばくかの給金で雇った民に鎧を着せ、ゴドフリーから借り受けた奴隷――それも、戦闘用というわけではない――に武器を持たせただけの兵士達は、数こそそろえてはあるが、錬度とは無縁だった。今も簡単に落ち着きをなくし、怯えを露わにしている。実際の戦闘では何の役にも立たないだろう。
「こちらから動く必要はありません。ですが、警戒だけは怠らないように」
領主代理として兵を率いるマリアン・バスカヴィルは、そう部下に言い含めると、砦へと視線を戻した。
中の様子はわからないが、何が行われているかは大体予想が付いた。そして、それが誰の主導で行われているのかも。不遜極まりない態度と、にやにやとした嫌な笑みを思い出し、マリアンは顔を顰めた。
マリアンがソラトという男と初めて顔を合わせたのは、夫であるバスカヴィル伯爵がアルクスを発つ直前のことだった。
恐ろしいことに――彼は深夜、マリアンの寝室に忍び込んできたのである。
「Good evening」
息を呑むマリアンに、男は奇妙な言い回しと供に笑みを浮かべた。
曲者の姿に、マリアンは悲鳴を上げそうになった。だがその声を咄嗟に押し殺したのは、騒げば殺される、と本能的に悟ったからだった。
声からすると、若い。月明かりで浮かび上がった身体は華奢で、まだ子供なのではないかとも思えた。
だが、ただの子供が誰にも気づかれること無く、ここまで忍び込んで来れるハズが無い。相手は手だれで――ならばこそ、何故わざわざ声をかけたのか。
「何者、ですか」
声が震えるのを必死で押さえ、マリアンは問うた。声をかけるということは、対話を望んでいるということだ。すくなくとも、話している間は殺されることはない。
曲者は窓枠に立ったまま動くことなく、答えた。
「俺はソラト。反乱軍の人間さ」
その名前はマリアンも知っていた。屋敷には出入りの商人も居るし、屋敷で働く侍女が街で噂を拾ってくることも有る。彼らから聞いた話に誤りが無ければ、ソラトというのはアルクスのごろつきを束ねる無法者の名であったはずだ。そえがまさか、反乱軍に参加していたとは。
「逆賊が、この私に何用です」
「領民が餓えてることをどう思っている?」
その問いに、マリアンは一瞬、言葉を詰まらせた。
「今年は不作だっただけです、来年以降は――」
「来年が不作でない保証は? そのとき、伯爵は税を負けてくれるのか? そんなわけない。そうなれば、今度は餓死者が出るだろう。いや、税の滞納で伯爵が処刑するほうが先かね?」
マリアンですら信じていない言葉を、曲者は切って捨てた。
そもそも不作が問題の本質ではないのだ。作物の実りが良い年もあれば悪い年もある。そんなことは当たり前だ。一年や二年の不作で領地が傾くほうがおかしい――日ごろから蓄えを作っておけば、問題にはならないはずなのである。
だが、バスカヴィル領に蓄えは無い。いや、有るには有るのだが、それは「戦費」としての蓄えであり、領主である夫は手をつけようとせず、それどころか更に増やそうとすらしていた。そんな余裕など何処にもないのにも関わらずである。
バスカヴィル領は軍備が過剰で、その出費が財政を圧迫している。夫が騎士団を縮小しない限り、事態は解決しない。
「そこでアンタに質問だ――領民を助けたいと思うかい?」
「それは……もちろん」
当然の問いに、マリアンは頷いた。彼女は故郷を愛していたし、そこに暮らす人々も同様だ。彼らの苦難に、マリアンは胸を痛めている。
マリアンの答えに、曲者はにやりと笑った。
「なら助けてくれ。なに、簡単だ。税率を下げて、しばらく食糧援助をしてくれりゃいい」
「それが……!」
思わず声を荒げそうになる。それが出来れば苦労はしないのだ。
マリアンは領主ではない。領主は夫だ。そして、夫は彼女の話を聞こうとはしない。何度訴えても、何度懇願しても、夫は受け入れなかった。数え切れぬほどの口論を繰り返し、今では二人の仲も冷え切っていた。
怒りを露わにしたマリアンに、曲者の言葉が滑り込む。
「口惜しかっただろう? 無能な夫によって、故郷が荒れていく様を指をくわえて眺めていなければいけなかったのは」
そう、悔しかった。
ルイゼンラートにおいて、女性は差別――とまでは行かなくとも、清淑であるべき、という価値観を押し付けられている。特に、妻は夫を立てるものだという考えは根強い。
女であるマリアンは婿を取らねばならず、そして夫が居る以上、領地は夫のものであり、経営にマリアンが口を出すことは許されない。例え夫の愚行で民が苦しみ、故郷に危機が訪れていてもだ。
唇をかむマリアンに、悪魔が囁いた。
「そんなアンタに素敵な提案だ――アンタを領主にしてやろう」
その意味を察して、マリアンは息を呑んだ。
「それは、まさか」
「ああ、伯爵を殺してやるよ」
奥床しさを押し付けられてはいるものの、決して女性の権利が認められてないわけではない。女性が領地を経営しても法的な問題は無いのだ。ただ、結婚したなら妻の持ち物は夫のものであるとされ、同時に夫の仕事に妻が口を出すのは無作法であるとされるため、自然と領主の地位を夫に譲る――あるいは奪われる――羽目になるのだ。
しかし少数ながらも、女性の領主は存在する。まず未婚である場合、そして――未亡人である場合。
夫が死ねば、領地の経営はマリアンの手に委ねられるのだ。
だが、マリアンは頷くわけには行かなかった。それは恐ろしく、おぞましく、許されない考えだからだ。
「頷けないよな。仮にも自分の夫だもんなぁ。だから、言い方を変えよう」
しかし悪魔は彼女の心、その隙間に滑り込む。
「俺は『アンタの意思にかかわり無く』伯爵を殺す。アンタはただ、伯爵が死んだ後、適切に領地を治めてくれればいい」
悪魔が逃げ道を示す。自分の意思が関わらないなら、仕方ないではないか――そんな甘美な言い訳をマリアンに与えてくれる。
「それともこのまま、領地が荒れるのを放っておくか? 先祖が守り続け、そして自分が生まれ育った土地を」
同時に悪魔はマリアンに恐怖を植えつける。受け入れがたい未来を示して不安を煽り、彼女が他の道を選ぶことを許さない。
マリアンは男の提案を、断ることが出来ない――というよりも、そもそも断るという選択肢が無い。
夫が死ねば自分が領主になる。これはごく自然なことだ。
自分が領主になったら、領地を立て直す――これもまた当たり前のことだ。
ではなぜ、この男はわざわざ寝室に忍び込むような真似を?
彼女の疑問を見透かしたように、曲者は笑った。
「何で俺がわざわざこんな話をするか教えてやろう――同じことを繰り返すのが面倒だからさ」
最後の最後に、意に沿わぬならお前も殺すぞという脅し。
自分が死ねば、領地を継ぐのは、まだ十歳になったばかりの娘になる。その時、娘をこの男がいったいどうするのか――想像したくもない。
「――わかりました」
マリアンは頷くしかなかった。それが最善の道だから――あるいは、他の全てを最悪の道に変えられてしまったから。
彼女の答えを聞くと、男は笑みを浮かべた。
宣言通り、彼は夫を殺した。
マリアンは領主代理となった。この一件に決着が付き次第、正式に領主となるだろう。
しかしマリアンは自分が本当の意味で、バスカヴィル領の支配者になれるとは思っていなかった。
夫を失い、騎士団も半壊した今、バスカヴィル領で一番力を持っているのはあの少年だ。
彼は《聖女騎士団》のように、正面からの戦いを挑んできたりはしないだろう。生かさず殺さず、蛭のように生き血を啜るに違いない。
それでもかまわなかった。少なくとも、それで故郷が滅ぶことはない。むしろ彼は積極的にバスカヴィルを富ませようとするだろう。バスカヴィルが肥えれば肥えるほど、彼の利益も増えるのだから。
愛する故郷のためなら、悪魔とだって手を組もう。
「――敵陣に動きあり! 城門が開きます!」
部下の報告で、マリアンは思考の渦から帰還した。視線を向ければ、確かに城門が開いていく所だった。
出てきたのは、革命軍の軍勢ではなく、ただ一騎の騎兵だった。
パイルヘッドという大型の爬虫類に跨り、こちらへ近づいて来るのは、黒革の鎧に身を包んだ、黒髪の少年――ソラトだった。
少年は領主軍の前で止まると、その手に持っていたものを掲げた。
「我々革命軍はここに降伏を宣言する。反乱を指導した聖女の首をもって、その証としたい。領主代理である、伯爵夫人の慈悲を請う」
掲げられたのは、人間の首だった。
酷い暴行を受けた上で首を撥ねられたのか、その顔は原型を留めぬほど腫れあがり、黒ずんでいた。短く切られた金色の髪で、かろうじてそれが『聖女』シャーリーアレンのものであると解る。
「あの男……仲間の首を平然と……」
傍らに控えたイネスが、怒りと慄きが綯い交ぜになった声で呟いた。他の兵士達も、揃って嫌悪の表情を浮かべている。彼らにとって「聖女」は敵だったが、その哀れな結末に同情を、そしてその残酷な結末を押し付けた男に怒りを抱いているようだった。
「解りました。降伏を受け入れます」
マリアンは努めて感情を露わにせぬようにしながら宣言した。自分が押し込めた感情が果たして何なのか、自分でも解らなかった。
――こうしてバスカヴィル領で半年にもわたって続いた反乱は、領主側の勝利によって終結した。




