第二十五話:裏切りの囁き
レテ砦の空気は重かった。新たに領主となった伯爵夫人が、兵を率いてアルクスを出たという知らせが届いたからだ。
先の戦いで、革命軍はバスカヴィル伯爵を討ち取ることで、領主軍を撤退させることに成功した。だが革命軍の被害も大きかった。多数の死傷者が出たため、現在戦うことが出来る者の数は、五百名前後にまで減っている。砦のあちこちには負傷した兵の姿が見受けられ、
血の臭いと苦悶の声が渦巻いている。
次は勝てるのだろうか――兵たちの頭にあるのはそんな考えだ。一度の戦いで、半分近くがやられてしまったのだ。次に戦えば全滅なのではないか?
いつまで戦えばいいのだろうか――彼らは領主さえ倒せば勝ちだと思っていたのだ。しかし領主を討っても、直ぐに新しい領主が出てきてしまった。いったいどうすれば、自分たちは平和に生きられるのだろうか?
彼らの殆どは「このままでは飢えて死ぬ」という状況から逃れるために革命軍に加わった。とりあえず革命軍に参加していれば飯は配られるし、貴族を倒そうとしているらしい聖女について行けば、今の惨めな生活から抜けられるのではないか――その程度の考えだ。
それを浅慮と笑うことは出来ないだろう。彼らの大半は農民で、無学かつ無教養である。誰かに従うのが当たり前で、自分で考えることに慣れていない。
どうにかしなきゃいけないが、どうすればいいか解らない――それが農民たちの本音だった。
だからこそ、彼らはシャーリーアレンという少女に惹きつけられた。自分たちの代わりに考え、自分たちの代わりに答えを出してくれる存在。自分たちを救い、導いてくれる《聖女》。
しかし今、革命軍に聖女への不審と不満が広がっていた。
誰かが言った――『新しい領主は減税を決めたそうだ』
誰かが呟いた――『ならもう戦わなくてもいいんじゃないか?』
誰かが答えた――『聖女様は停戦に応じなかったらしい』
誰かが嘆いた――『何でまだ戦う必要があるんだ?』
誰かが囁いた――『聖女様は戦いを止めたくないんだ』
『聖女様は私怨を晴らしたいだけなんだ。貴族に復讐がしたいから、そのために俺達を利用してるのさ――』
革命軍内ではそんな言葉が密かに、しかし速やかに広がっていた。考えることをしなかった農民達に、《聖女》への疑念が植え付けられていく。
このまま聖女に従っていていいのだろうか?
――伯爵夫人自らが率いる軍勢が到着したのは、不穏な空気が砦に蔓延した頃だった。
領主の軍勢を見た兵は例外なく息を飲んだ。その数が明らかに千を超していたからである。前回の戦いで、領主軍の犠牲も少なくなかったはずなのに。
勝てるわけがない。仮に勝ったとしても、また同じことの繰り返しに成るだけではないのか――?
革命軍を絶望が覆い始めた、その時。
「おい、なんか集まれってよ」
戦の支度を整える兵士達に、一人の兵士が声をかけて回る。中庭に集まれ、そこで何か話があるらしい。
「話って、聖女様が?」
伝令の兵は、首を横に振った。
「いや――人を集めてるのは《百鬼夜行》だよ。ほら例の、おっかない坊主」
「次の戦、我々に勝ち目はない」
砦の中庭。集められた兵卒たちを前に、俺は口を開いた。
突然の言葉に、周囲の兵に困惑が浮かぶ。ざわめきが場を満たし、近くの者たちと顔を見合わせる。
木箱の上に立つ俺からは、兵の様子が良く見渡せた。この場合大事なのは、俺から兵が見えることよりも、兵から俺が見えることだ。同じ話でも、誰が、どんな風に話しているかで受ける印象は全く違う。俺は彼らに堂々と、自信満々に話している姿を見せる必要があった。
俺の両脇には武器持ったシュトリとカイム。そして武装した《百鬼夜行》の兵士で周囲を固めている。俺一人の意見ではない、賛同者がいるのだというアピールのためであると同時、武力という解りやすい力を見せ付けることで反論や反対を躊躇わせるためでもある。
「にもかかわらず、聖女は徹底抗戦を選んだ。多くの兵士が犠牲になるだろう。それは諸君の誰かかもしれないし、あるいは俺かもしれない」
ざわめきが収まるのを待たず、俺は続けた。
「本来、この戦は必要の無いものなんだ。知っているだろう? 新たな領主である伯爵夫人は税を下げた。諸君はもう飢えに脅える必要は無い。にもかかわらず、聖女は戦いを続けることを選んだのだ」
俺は言葉を切り、並んだ兵を見渡した。
「この中に、聖女の過去を知らない者はいないだろう」
聖女の過去は広く知られていた。おそらくヴィズベキスタあたりが意図的に広めているのだろう。英雄にはエピソードというものが必要なのだ。それも、なるべく悲劇的な方が同情と共感を得やすい。
「なるほど、痛ましい過去だ。同情に値する。しかし! 彼女は憎悪で目を曇らせてしまっている! 彼女は我々を道連れにして、無謀な戦いを続けようとしている!」
大げさな身振り手振りを加え、俺は続ける。考える時間を与えずに一方的にまくし立て、こちらの望む結論をさも決定した事のように押し付ける。扇動というよりも、悪質なセールスの手口だ。
「そもそも 諸君は何故戦ってきた? 減税だ! ただ妻を、子を、餓えさせたくない一心で戦ってきた、そうだろう? それを貴族の排斥などと話をすり替え、領主たちの態度を頑なにさせたのは聖女だ!」
やがてポツポツ、俺の意見を肯定する声が上がり始め、広まっていく。声はやがて叫びとなり、兵たちは足を踏み鳴らす。
実のところ――声を上げているのは紛れ込ませた俺の配下の兵、つまりサクラだ。他の兵士は決して賛同しているわけではない。
しかし否定の声を上げる者も居なかった。意見が一つだけである以上、これが場の総意だった。
そして、人というものは周囲の意見に流され、場に合わせるものだ。これはコミュニティに所属して生きる者の宿命である。文明レベルの低いこの世界の住人――特に平民はその傾向が強い。
文明レベルが低いということは、世界が狭いということだ。交通機関は発達しておらず、遠出にはモンスターや盗賊などの危険が伴う以上、人は生まれた土地で一生を過ごすのが基本になる。
そして、狭い場所というのは人間関係が密接になり、同時にそこに馴染めなかった者への排斥も激しくなる。俺の世界だって、いじめが行われるのはもっぱら学校や職場など、閉じられた社会においてだった。彼らが生き残るためには、周囲に合わせることが必須なのである。
「これ以上、彼女の暴走を許すわけにはいかない」
『周囲の意見』をコントロールした俺は、彼らを支配していた。いまや俺の意見が彼らの意見であり、絶対なのだ。
そうして俺は、裏切りを囁く。
「聖女を捕らえて、引きずり出せ!」




