第二十三話:狂乱のソラト
「GO! GO! GO! GO!」
号令を受け、三十の騎兵が走る。
領主軍は今朝までの戦闘で少なく無い被害を受けている。それに加えて、砦には既に兵が入り込んでおり――直ぐには戻ってこれない。仕掛けるならば絶好のタイミングである。
シュトリ、カイムが遠慮なしに放つ大技が戦列に亀裂を入らせ、後続の兵士達がその亀裂を押し広げた。馬にも勝る重量と突進力を誇るパイルヘッドを、歩兵が止められるはずも無い。跳ね飛ばされ、踏みにじられ、蹴散らかされる。
《聖女騎士団》による、背後からの奇襲によって浮き足立っていたバスカヴィル兵は、ようやく取り戻した平静をもう一度踏み荒らされた。
しかし、
「駄目だ! 届かない!」
大剣を振り回しながら、シュトリが悲鳴じみた声を上げる。
バスカヴィル兵は屈強だった。味方が薙ぎ払われ、切り飛ばされても、怯えることなく立ち向かってくる。
もちろん、騎兵の突撃を止めることは出来ていない。だが、時間を稼ぐことは可能だった。
そしてその間に、体勢を立て直した兵士達が密集し、盾と槍を構えた。針山のような槍に突っ込めば、流石のパイルヘッドも唯では済まない。動きが止まれば、寡兵であるこちらは押しつつまれ、押しつぶされるだろう。
並んだ兵の向こうに、バスカヴィル伯爵の姿が見えた。伯爵はこちらを見ていない。足元にはシャーリーアレンが転がっている。
屈辱と怒りが胸を焦がし、同時に痛みの記憶が恐怖を呼び起す。パイルヘッドに乗っていて良かった。自分の足で走っていたら、足がすくんで動かなくなったかもしれない。
――俺は痛みに耐性が無い。
あの平和な世界では、それでも良かった。戦い、争うことによって傷を負い、恐怖を感じる機会なんて殆ど無いのだから。
ここでは違う。痛みを、恐怖を克服せねば、この世界では生きられない。
俺は強くならなくてはいけないのだ。それは何の苦労も無く手に入れた、この安っぽい力とは違う、本当の強さ。
だが、心を鍛えることなど一朝一夕で出来るわけが無い。
――ならば痛みも恐怖も、感じなくしてしまえばいい
片手を手綱から離し、懐に入れる。取り出したのは、濁った赤色の丸薬。
俺は《NES》で様々な薬品を生み出す《調合》スキルを習得していた。しかしこの世界でも同様にスキルが発動する保証は無かった。だから俺はイザベラやゴドフリーを通じて材料を集め、時間を見つけては『検証』――人体実験を含む――を繰り返した。
そうして生み出されたアイテムの一つが、この丸薬である。
効果は鎮痛。ただし神経を麻痺させ、痛覚を失わせるのではなく――神経を昂ぶらせ、痛みを無視させる興奮剤だ。
「シュトリ、カイム。ここで持ちこたえろ――その間に、俺が奴の首を獲る」
「首を獲るって……近づけないのにどうやって!?」
「ソラト、君は何を――」
二人の言葉に耳を貸さず、丸薬を口に入れて噛み砕く。唾液と混ざった粘りのある感触を、苦味と供に飲み下す。
「く、くくくく」
脳髄が痺れ、視界が赤く染まる。世界から音が無くなり、耳の奥で心臓の鼓動だけが早く大きく響き始める。身体が焔と化したかのように熱くなり、胸の奥からどす黒い衝動が湧き上がってくる。
「は、はははは、あははははははは!」
俺は哄笑を上げながらパイルヘッドの腹を蹴ると、密集した兵目掛けて突っ込ませた。しかし威勢よく飛び出したパイルヘッドも、障害物に阻まれて立ち止まろうとする。
動きを止めそうになった蜥蜴の背中に、引き抜いたナイフを突き入れる。ちっぽけなナイフ程度では大した傷を負わせられないが、それでも痛みでパイルヘッドは加速した。
突き出された槍が強固な鱗を貫き、パイルヘッドが断末魔の咆哮を上げる。だが一瞬早く、俺は鞍を蹴って飛び上がっていた、パイルヘッドはその重量と勢いのまま、兵士達を跳ね飛ばし、押しつぶす。
俺は高々と天を舞い、しかし重力に捕らわれ、落ちていく。下に居る兵が、落下してくる敵を貫かんと槍を掲げる。
――その穂先に、俺は着地した。
いかな鋭い切っ先でも、《軽身功》によって軽くなった身体と鉄で補強された長靴の組み合わせは貫けない。貫通する前に弾いてしまうからだ。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
口蓋から迸るのは、蛇のような威嚇音。並んだ兵士達の肩を蹴り 頭を踏みつけ、突き出される刃すら足場にして、俺はバスカヴィル伯爵目掛けて走る。何もかもを置き去りにして、ただ殺すためだけに疾走する。
俺の接近に気付いた伯爵は掴んでいた聖女を放り出し、ハルバードを構えて向き直った。
「ぬぅん!」
振りぬかれる斧槍を、跳躍して回避。蜻蛉を切って着地する。
「その動き……昨夜の賊か。矮躯とは思っていたが、まさか小僧とはな」
今は兜を被っていないため、俺は顔を晒していた。それを見て、伯爵は笑みを浮かべる。
「また向かってくるとはな。せっかく命を拾ったのだ。出てこなければよかったもの――」
「あっははははははは! つれないこと言うなよ! 始めようぜ! 素敵で愉快な遊びをさぁ!」
俺は笑い、駆け出した。脳裏で僅かに痛みの記憶がうごめくが、湧き上がる衝動に押し流されていく。
今はただ暴れたい。殺して壊して踏みにじりたい。
薬の効果で、俺はこの上なくハイになっていた。
短剣を伯爵の首目掛けて振り下ろす。しかし刃は、甲冑に覆われた伯爵の腕によって阻まれた。金属同士が激突する耳障りな音がして、火花が散る。
「軽い! 軽いわ!」
《軽身功》は体重が軽くなることによって敏捷性が上がるが、同時に攻撃も軽くなる。全身を鎧で包んだ相手では分が悪い。
「だったらさぁ! こういうのはどうだ!?」
突き出されたハルバードの柄を掴み取る。
幾ら俺が超人的な腕力を誇るとはいえ、重量武器の一撃を片手で受け止めることなど出来はしない。
だが俺は《軽身功》を発動している。重量は軽減されるが、筋力は元のままだ。俺の腕は、空中で俺の身体を支えきった。いくらバスカヴィル伯爵が勢い良くハルバードを突き出しても、俺の身体は後ろに押されるだけで貫かれることは無い。
柄を掴んだまま身体を回転させる。腰の捻りと脚力だけで放たれた蹴りが、伯爵の頭部にに叩き込まれた。
《軽身功》で重量を軽減した俺の蹴りに威力は無い。だから俺は格闘スキル《発勁》を発動させた。
《発勁》は接触と同時に衝撃波を叩き込み、格闘の威力を上げるスキルだ。これならば重さは関係ない。衝撃で伯爵の兜が吹き飛ぶ。
「小童がぁぁぁぁぁぁ!」
露になった伯爵の顔は憤怒で歪んでいた。ハルバードが迅雷の速度で突き出される。更に薙ぎ払い、振り下ろしを織り交ぜた、嵐のような連撃が吹き荒れる。
ハルバードは槍の穂先と斧の刃、そして鋭いピックが取り付けられた武器だ。その万能性故に近接武器の完成形の1つとすらいわれるが、同時に使い手に相応の熟練を必要とする武器でもある。
バスカヴィル伯爵は、白銀に煌くハルバードの担い手として、充分以上の技量の持ち主だった。
「あは、あはははは、あははははははは!」
だが、俺が嵐に捕らえられることは無い。俺は笑いながら、振るわれるハルバード、あるいは伯爵の腕や肩を手掛かり足掛かりに使って、自由自在に宙を舞う。
羽毛を相手にするようなものだ。いかに力をこめて武器を振り回しても、芯を捉えることが出来ず、切り裂くことも打ち砕くことも出来ない。
「シャア!」
呼吸と共に、短剣を突き出した。いかに頑丈な甲冑でも必ず継ぎ目が、隙間がある。
しかし
「舐めるなぁぁぁぁぁぁぁ!」
伯爵の咆哮と供に、ハルバードを掲げる。
「《紫電の斧槍》よ、その力を示せ!」
「がっ……!?」
突如として伯爵の握るハルバードから紫の雷撃が発生し、荒れ狂う。
流石の俺も、至近距離からの雷撃を回避することなど出来はしなかった。全身に衝撃が走り、視界が一瞬白く染まる。
硬直した足を強引に動かし、全力で後方に跳躍する。次の瞬間、俺の体があった空間を、ハルバードの刃が通過していった。
「マジックアイテム……!?」
狂乱していた脳裏が冷える。冷静さを取り戻した俺の視線は、伯爵が握るハルバードに注がれていた。
《NES》には特殊な効果を付与されたアイテムがあった。そのなかには、使用することで魔法と同じ効力を発揮する武器も存在する。
「《紫電の斧槍》……先代のバスカヴィル伯より受け継いだ一品よ」
これでも魔法防御力には結構CPを裂いていた。ダメージだけなら恐れるほどではない。しかし問題は攻撃が雷撃だということだ。至近距離から放たれる稲妻を全て回避するのは不可能。そして雷撃を受ければ身体が痺れ、一瞬とはいえ動きが止まる。そして、近接戦闘では一瞬の隙は命取りになる。
「ちぃ!」
俺は盛大な舌打ちと供に、左手でスローイング・ダガーを投げ放つ。三本の銀光が伯爵へと襲い掛かる。
しかしダガーはハルバードと鎧に弾かれ、僅か一本が伯爵の頬を掠めるに留まった。
「終わりだ……吠えろ! 《紫電の斧槍》!」
俺に、一際激しい電撃が襲い掛かった。
「ぐああああああああああ!?」
轟雷に焼かれ、衝撃に打ちのめされ、喉から苦痛の叫びを吐いた俺は、地面に膝を突いた。
「なかなかの腕だったが……ここまでだ」
重々しく地面を踏みしめ、バスカヴィル伯爵が近づいてくる。だが、立ち上がれない。雷撃のダメージは俺の全身を蝕み、その機能を奪い取っていた。
ついに眼前にバスカヴィル伯爵の巨躯が到達する。
「これで、終わりだぁ!!」
高々と、稲妻を纏った《紫電の斧槍》が振り上げられる。
それを見上げ、俺は笑みを浮かべた。
「――お前がな」
次の瞬間、ハルバードが地面に落ち、鈍い音を立てた。続いて、伯爵が俺の眼前で膝を突く。
「な、なぜ……?」
伯爵の呟きは呂律が回っておらず、眼球は痙攣し、呼吸も乱れていた。
答えは簡単。先程投げたダガーに毒が塗ってあったからだ。《調合》スキルで生み出されたのは興奮剤だけではない。俺は《NES》で好んで毒を使っており、特に麻痺毒が大のお気に入りだった。
現実に「掠めるだけでも充分」などという毒が存在するかは怪しいが、《NES》で最上級に位置する凶悪な麻痺毒は、僅かな量でも伯爵の自由を奪い去る威力があった。
《自己再生》を発動。雷撃のダメージを癒していく。そう間を置かずに完全回復した俺は、今だ動けぬ伯爵に嘲笑を向けた。
「じゃあそういうことだから――あばよ、オッサン」
己の短剣ではなく、《紫電の斧槍》を拾い上げる。柄を握り、念じるだけでハルバードは紫電を纏った。その雷撃は伯爵が握っていたときよりも明らかに勢いを増している。
《NES》において、この手の武器は使い手の熟練度によって魔法効果が上下した。俺は短剣やナイフを好んだが、ハルバードに関してもかなりの熟練度を誇っている。
雷を吐き出し、猛り狂うハルバードで武器攻撃スキル《暴竜狂爪牙》を発動。伯爵の身体を切り、突き、叩き潰す。強固な鎧も優れた武器とスキルの破壊力には耐え切れず、無残に砕けて破片を飛び散らせた。
「おのれ、おのれ、おのれぇぇぇぇ!」
伯爵は麻痺に犯され、全身をズタズタにされても掴みかかってきた。恐るべき執念、恐るべき戦意である。
だが、それも――
「終わりだ」
ハルバードを一閃し、伯爵の首を刎ねる。悪鬼のような形相を貼り付けたまま、伯爵の首は地面に落ちた。
落ちた首をハルバードの矛先に突き刺し、掲げる。切断された傷口は電撃で焼かれ、血も流れなかった。
「くくくくくくくく、くはははははははははははははは!! はーっはっはっはっはぁ!!」
こらえきれず、俺は大笑する。実に良い気分だった。一度は逃げを打たねばならなかった相手を、純粋な強さという意味であれば明らかに俺を上回っていた相手を殺したのだ。禍々しい歓喜が俺を包み、興奮剤なんかよりずっとずっとハイにさせてくれる。
獲った首を掲げ、俺はいつまでも笑っていた。
いつまでも、笑っていた。