第二十二話:反撃の策
夜が明け日が昇ると、領主軍は攻撃を再開した。矢が放たれ、兵士たちが押し寄せる。それは昨日とまるきり同じ光景だった。
昨日の戦闘、そして夜間の襲撃によって領主軍にも少なくない数の犠牲が出ているはずなのだが、兵士達に動揺の気配は無く、士気は保たれているようである。
対して砦側はというと、活力に溢れているとは言いがたかった。もとより寡兵であり、不利な戦という意識は兵の士気を下げる。なにより彼らの殆どは民兵であり、つまり戦闘経験が少ない。慣れない戦は神経をすり減らし、精神的な疲労を大きくする。
それに加えて――
「ねぇ、やっぱり私たちも行った方がいいんじゃないかな……?」
「駄目だ」
シュトリがおずおずと問うが、それに対するソラトの答えは有無を言わさぬものだった。素っ気無い回答に、少女はびくりと首をすくめる。
何があったのか、ソラトは今朝から機嫌が悪かった。その表情はどこか気だるげで、むしろ覇気が無いように見えるのだが――全身から剣呑な気配を振りまいており、周囲の者は生きた心地がしない。彼の側近とも言える立場のシュトリですら、怯えた子犬のようになっている。
二人のやり取りに、カイムは小さく嘆息した。
彼女も参戦を禁じられていた。レテ砦が持ちこたえていたのは、一騎当千の兵である三人のプレイヤーが居たからである。しかし彼女の主であり、指揮官であるソラトは戦闘に参加しようとせず、また他の二人にも動くことを禁じていた。
そうなれば、数で劣る革命軍はじりじりと押されていくしかない。既に城壁には多数の敵兵が取り付き、砦に侵入しようとしている。このままでは制圧されるのも時間の問題だ。
「城門に破城槌が接近! とめられません!」
悲鳴のような声で、最悪の報告が届いた。破城槌は昨日も破壊したが、それで全てではなかったようである。城門を破られれば、そこから一気に敵兵が雪崩れ込んでくるだろう。
報告を聞いたカイムは、意を決してソラトに向き直った。
「……ソラト、もう無理だ。砦から脱出してくれ。君だけなら難しいことじゃない」
「必要ない」
しかしソラトは、カイムの進言をにべも無く却下した。
「しかし――」
「俺は必要ないと言ったぞ、カイム!」
なおも言い募ろうとする彼女を、ソラトの怒声が遮る。彼の怒鳴り声に、シュトリを初めとした周囲の兵士達は震え上がり、中には頭を抱えて蹲る者さえいた。
「……ソラト。何かあったのかい?」
しかし怒鳴られたカイムが抱いたのは、怒りでも怯えでもなく、不信と心配だった。彼女の知るソラトは、例え怒っていても声を荒げるということは滅多に無い。怒っているときほど穏やかな、しかし悪意に満ちた、粘つくような声を出すのだ。
殺気を孕んだ視線が彼女に突き刺さるが、カイムは怯まない。やがて根負けしたのか、ソラトぷいと顔を背けた。
「何でもない」
何でもなくない態度で言うソラトに、カイムは苦笑する。
「――大丈夫なんだね?」
「ああ。策はある。心配は要らないさ」
ならばいい。カイムはそれ以上何も言わなかった。何があったかはわからないが、ソラトは冷静さを欠いてはいない。ならば自分は彼の判断に従うだけである。
緊迫していた空気が僅かに弛緩し、呼吸すら止めていた兵士たちが息をついたとき、更なる報告が飛び込んできた。
「来ました! 《聖女騎士団》です!」
援軍の到着に、砦中の兵士が沸き立つ。彼らの仕事は援軍の到着まで持ちこたえることだった。それを果たした兵士達の顔に歓喜の色が浮かぶ。
ソラトも唇を緩め、指示を出した。
「よし、こっちも動くぞ。準備しろ」
「準備?」
何も聞かされていないカイムは眉を寄せて聞き返した。
「決まってるだろ。仕返しだよ」
そう答えるソラトは、不敵な笑みを取り戻していた。
「間に合った……」
抵抗を続けている砦を見て、シャーリーアレンは安堵の声を漏らした。ソラトは「持たせる」と言ってくれたが、それでも不安がなくなるわけではない。
だが彼女は間に合った。《聖女騎士団》八百を率いて領主軍の背後を取った。しかも敵軍は城攻めで数を減らして居る。これ以上は望めないだろう条件だ。
後はただ前に進み、戦うのみ。
「全軍、突撃!」
馬の腹を蹴り、シャーリーアレンは先陣を切った。革命軍の象徴的な存在であるシャーリーアレンが倒れれば、その影響は小さくないだろう。だがこればかりは譲れなかった。彼女が先頭を走るからこそ、兵は彼女に従ってくれているのである。もしシャーリーアレンが後ろに、安全なところに引っ込むようになれば、彼女は象徴としての価値を失うのだ。
「聖女様に続け!」
「後れを取るな!」
鬨の声が、馬蹄の音が轟々と渦巻き、まるで竜の唸り声のごとく響き渡る。《聖女騎士団》は正しく一頭の巨大な獣のように、領主軍へと襲いかかった。
領主軍も迫る敵を迎撃せんとするが、千を超える兵士が直ぐに反転できるはずも無い。軍とは単なる兵の集まりではない。陣形と連携があって初めてその強さを発揮するのだ。そして城攻めの為の陣形は、背後に対してどうしようもなく無防備だった。
しかし――領主軍から幾条もの雷光が放たれ、突き進む《聖女騎士団》に襲い掛かった。
《ライトニング》と呼ばれる魔法だ。魔法の発動には時間が掛かるが、千の兵が反転するよりよほど速い。領主は少数でも戦果を上げられる魔法使いたちを、遊撃隊として温存していたのである。
《聖女騎士団》の兵士達が、稲妻に打たれて馬上から転げ落ちる。戦場で馬から落ちるのは、そのまま死を意味する。落ちた兵士は後続の馬蹄に踏み潰され、肉塊になった。
「怯むな! 《レイ》!」
シャーリーアレンは兵を叱咤し、反撃の魔法を放つ。敵の魔法使い目掛けて、熱線が迸った。
――父の戦友だったという魔法使いが訪ねてきたのは、反乱を始めて直ぐのことだった。
事情を聞いた彼は反乱に加わり、シャーリーアレンに魔法の手ほどきをした。貴族の屋敷で育ち、ある程度の教育を受けていたシャーリーアレンは、読み書きには不自由しなかった。幸いにも適正があったようで、いくつかの魔法を習得することが出来た。
その師も既に居ない。領主の兵が隠れ家に踏み込んだとき、仲間を逃がすために最後まで戦い、戦死した。
これまでに多くの命が失われた。今もまた失われており、これから先も失われていく。
だからこそ、彼女は勝たなければならない。彼らの犠牲を無駄にしないために。彼らが望んだ未来を、自由を手にするために。
「《レイ》!」
再度熱線を放ち、敵の戦列を崩すと、シャーリーアレンは剣を振り上げて突っ込んだ。後に続いた兵士たちが、シャーリーアレンの空けた穴を押し、広げる。
《聖女騎士団》が、ついに領主軍へと喰らいついた。
「農奴風情が!」
バスカヴィル兵士たちが反撃の刃を振るう。だが戦況は革命軍へと傾いていた。《聖女騎士団》の戦士たちが、バスカヴィル兵を次々と討ち取っていく。
「バスカヴィル伯爵の首を取れ! 指揮官を討ち取れば戦は終わる!」
先頭で剣を振るっている兵が、叫ぶ。攻城戦において、指揮官である伯爵は陣の後ろで指揮に専念していたはずだ。阻む兵は少ないはず。
しかし、
「――無理だな。貴様らには」
叫んだ兵士が、馬ごと両断された。
「篭城と見せかけて、兵の大半を外に伏せたか。見事なものよ」
兵の間から悠々と姿を見せたのは、白銀の鎧に身を包んだ大柄な騎士。
バスカヴィル伯爵量の支配者、ガス・バスカヴィル。領主軍の指揮官にして最強の戦士は、精緻な装飾を施されたハルバードを掲げ、咆哮を上げた。
「しかし、それも無駄なこと! ここで貴様らをねじ伏せれば全ては終わる!」
剣を振り上げ、槍を突き出し、殺到する《聖女騎士団》の兵士を、伯爵はハルバードで薙ぎ払う。並み居る兵に押し止められるどころか、振り払って前進していく。
大将が自ら戦っていることで、バスカヴィル兵の士気も否応無しに上がる。平静を取り戻したバスカヴィル兵は、猟犬の群れのごとく駆け《聖女騎士団》へと襲い掛かる。
「馬鹿な……」
鬼神のごとき強さで革命軍を蹴散らかす伯爵の姿を見て、シャーリーアレンは呆然と呟いた。
彼女は知らない。ガス・バスカヴィルが戦の恐怖と妄執に取り付かれていることを。
餓えに苦しむ領民の声は聞こえなくなり、荒れた領土も目に入らない。彼にあるのは、ただ敵と戦い、勝つことだけ。その為に生き、その為に殺し、そしてその為に死ぬ。
ガス・バスカヴィルは戦鬼と化していた。
「――貴様が『聖女』とやらだな」
戦鬼の目が、シャーリーアレンを捕らえた。その威圧感に、シャーリーアレンの心臓が縮み上がる。恐怖で身体がすくみ、いっそ泣き出したくなった。
「逝ねぇぇぇぇぇぇい!」
修羅のごとき形相で、地獄の底から響くような声を上げて、伯爵はシャーリアレンに襲い掛かった。振るわれた斧槍が彼女が跨っている馬の首を切り飛ばし、シャーリーアレンは地面に投げ出された。
「聖女殿!」
彼女を救うべく、伯爵に突撃を仕掛けたのは、事実上《聖女騎士団》の指揮官であるダインだ。指揮官の突撃など無茶もいいところだが、もはや戦いは佳境であり、兵を遊ばせている余裕は無い。
だが――
「邪魔だ!」
「ダイン!?」
伯爵の振るった無造作な一撃で、ダインは胴を両断された。血液を、内臓を撒き散らして、ダインの亡骸が地を転がる。
まるで勝負にならなかった。傭兵として長い年月を生きたダインは《聖女騎士団》一番の戦士だった。
なのに、バスカヴィル伯爵には手も足も出なかった。
「この程度の兵で! 栄えあるバスカヴィル騎士団に、この私に敵うとでも思ったか!」
全身を返り血に染め、獰猛な笑みを浮べるその姿、まさに鬼。
その姿を見て、《聖女騎士団》は一人残らず震え上がった。
「勝てるか、こんなの……」
「殺される……殺されちまう……」
そして壊走が始まった。
指揮官を失った革命軍は、最早烏合の衆だった。逃げ惑う逆賊に、バスカヴィルの兵士達が無慈悲に剣を振り下ろす。
「ふん、所詮は農民か」
伯爵はつまらなそうに零し、急ぐ様子も無くシャーリーアレンへと近づいてくる。
咄嗟に剣で切りつけるがあっさりと弾かれ、逆にハルバードの柄でこめかみを殴りつけられた。
「弱い。あまりに非力」
朦朧とした彼女の頭を掴み上げ、宙吊りにする。女性とはいえ、シャーリーアレンは鎧を纏っているのである。それを片手で掴みあげるなど、尋常な腕力ではない。
「既に城門は破られた。砦が落ちるのも時間の問題よ。この戦、貴様たちの敗北で終わりを迎える。貴様はこの場では殺さん。民衆の前で、大々的に首を撥ねてやろう。そうすれば、馬鹿な考えを起こすものも居なくなる」
霞む視界の端、破城槌によって破られた城門が開いていくのが、遠くに見えた。持ちこたえられなかったのだ。彼女たちが、早く伯爵を討ち取らなかったから。
「そん、な」
シャーリーアレンの瞳に、涙が浮かぶ。
背後からの奇襲は失敗し、砦は落とされた。もはや逆転の目は、無い。
――バスカヴィル領主軍と《聖女騎士団》の戦いは、ここに勝敗を決した。
ついに開いた城門に、バスカヴィル兵士達が殺到した。剣を振り上げ、鬨の声を上げ、中に潜む逆賊たちを撃滅せんと突入し、
「《衝波轟天》!」
内側から放たれた衝撃波に、蹴散らかされた。
呆然とするバスカヴィル兵達が見たのは、パイルヘッドに跨り、整然と並んだ兵士の姿だった。篭城戦に不向きであるため、温存されておいた騎兵隊である。
先頭右に、巨大な剣を振り下ろし、衝撃波を放った金髪の死天使。
先頭左に、火炎の龍を従えた黒髪の女夜叉。
そして二人の間に、滴るような笑みを浮かべた悪魔。
――バスカヴィル領主軍と《聖女騎士団》の戦い『は』ここに勝敗を決した。
「さーて、反撃開始と行こうかぁ!」
百鬼夜行を従えて、ソラトは戦場へと躍り出た。