第二十一話:敗走
バスカヴィル領主軍の数が二千を超えるのに対して、レテ砦に詰めた兵士の数は三百前後。非戦闘員を含めればもっと要るが、戦力として見られるのはそれくらいだ。
七倍近い数の敵に対して、レテ砦は善戦していた。戦死者の数だけ見れば、領主軍の方が多いくらいである。
その理由は砦の防御力であり、そして超常的な力を持った三人のプレイヤーだった。
しかし、
「カイムを下がらせろ。スキルの使いすぎだ」
《NES》でカイムの主戦場だった闘技場において、PCは一試合ごとに完全回復する仕様だった。つまりフィールドでの戦闘と違って、後先考えずにスキルを連発できるのである。闘技場での戦闘に慣れすぎたカイムはペース配分が下手だった。
カイムだけではない。俺達は揃って近接武器を得物としており、遠距離攻撃がしたければスキルを使うしかないのだ。俺もシュトリも、ある程度戦ったら休まざる得ない。
加えて――何より俺を悩ませたのは、この世界にはゲームと違ってSPバーが無く、ステータスを閲覧することも出来ないことだった。つまり、自分のSPがどれだけ残っているのか、後どれだけスキルをつかえるのか解らないのである。この世界でスキルを使うと、精神的な疲労のようなものが発生するのだが、それとSPとの関連もわかっておらず、SPがゼロに成ったらどうなるかも判明していない。下手をすれば昏睡と言うこともありえるので、どうしても慎重にならざる得ない。
俺達が休息の為に下がれば、その間の防衛は他の兵士達に頼らざる得ない。兵士達の疲労も問題だ。もともと人数が足りないこともあって、交代で休憩を取るのも難しいのである。
――明日一日、持つかどうかだな。
戦場を眺めながら、声には出さずに独りごちる。領主側よりは少ないとはいえ、こっちにも被害は出ているのだ。そもそもの兵数が少ないため、あまり犠牲者が出ると砦の守りを維持できなくなる。
もとより長期戦は想定していないとはいえ、《聖女騎士団》が来るまでは持たせないと作戦が根本から崩壊してしまう。それまでは何とか耐えるしかない。
兵に指示を飛ばしながらも、俺の胸中に焦りが生まれ始めた。
レテ砦の攻防は日が暮れるまで続いた。
夜になると、領主軍は兵を引いた。陣を矢の届かぬ距離まで下げ、砦の動きを警戒しつつも夜営の準備を始める。
夜になった程度で何故戦を中断するのかと思うかもしれないが、この世界の夜には星と月しか明かりが無く、戦おうにも敵がろくに見えないのである。そんな状態では矢を放っても当たりっこなく、射るだけ矢の無駄というわけだ。
松明など人工の明かりを用意することも出来るが『焼け石に水』にしかならない上に、暗闇で明かりなど掲げれば良い的である。よって夜には攻撃が届かない位置まで陣を下げ、兵を休ませるのが最善となる。
しかしそれは普通の兵士の話。
世の中には明かりなど必要なく、むしろ闇夜の方が動きやすい兵というのも存在する――つまり、俺である。
黒革の兜で顔を隠し、全身黒づくめと化した俺は静かに領主軍の陣地へと近づいた。供は居ない。他の兵はもちろん、シュトリもカイムも《暗視》スキルを持っていない。
《NES》において、暗闇で視界を確保するなら、明かりを生み出すスキル《ライティング》の方が一般的だった。《暗視》より習得に必要なCPが低く、自分以外のPCも恩恵にあずかれるからである。
《ライティング》は魔法スキルだが、魔法系ステータスに関わらず持続時間は変わらないので戦士系ビルドのPCでも問題なく使用することが出来る。他にランプなど明かりを生み出すアイテムも存在し、《暗視》を習得するよりも簡単な方法は幾らでもある。
それでも敢えて《暗視》を習得するのは、明かりを灯して己の姿を晒すことを嫌う者――俺のような暗殺者スタイルのPKくらいだろう。俺も《NES》では暗い森や洞窟の中で待ち伏せし、入ってくるPCたちを片っ端からPKしたものである。
陣地にはもちろん見張りが居たが――明かりを灯さず、しかも《隠蔽》と《消音》を備えた俺を発見するのは困難極まりない。難なく接近し、黒塗りされたナイフで物音一つ立てることなく始末していく。
領主軍の陣地には無数の天幕が並んでおり、俺はその影に隠れながら、あるいは《軽身功》を使って布を張っただけの屋根を歩いて陣の中を動き回った。まだ起きて動いている兵士を《索敵》で見つけては殺し、時に天幕の中に入り込んで中で寝ている兵士を惨殺した。
もちろん、この全てをほぼ無音で行った。だから誰も気付かず、誰も起きてこない。領主軍は静かにその数を減らして行く。
殺した数が五十を超えたあたりで、俺は一際大きな天幕を見つけた。おそらく指揮官――バスカヴィル伯爵の天幕だろう。
「最後に指揮官の首でも取って帰りますか」
現在、俺は兵を率いて領主と戦っているわけだが、実のところ領主を殺すだけならそんな必要はなかった。屋敷に忍び込み、短剣片手に寝室にお邪魔するか、あるいは食事に毒を混ぜるかすれば済むのである。今の税率に拘っているのはバスカヴィル伯爵だけなので、それだけで税金の問題は解決しなくも無い。
しかしそれでは『身分制度の廃止』を唱える《聖女騎士団》が止まらない。国王軍の介入を防ぐには領主軍と革命軍、両方の妥協が必要であり、その為には両軍が一度正面から戦うことが不可欠なのだ。その過程で俺が革命軍の手綱を握り、反乱を収束させる。そうすれば税率は改善し、国王軍の介入も無く、俺は兵力を手に入れる。
その為にはまず、砦でを守りきらなければ成らない。ここでバスカヴィル領主を殺しておけば、状況は一気に楽になる。明日には《聖女騎士団》が到着するし、指揮官を失って混乱した領主軍ならば用意に蹴散らすことが出来るだろう。
天幕の入り口の前には、護衛らしき兵士が二人並んでいる。正面からは近づけないので、後ろ側から回り込み、ナイフで天幕を切り裂いて進入しようと近づいて――
「っとぉ!」
銀光が天幕を内側から引きちぎり、飛び出してきた。咄嗟に後方に跳躍して事なきを得たが、後一瞬遅れていたら銀光は俺の腹を貫いていただろう。
切り裂かれた天幕から出てきたのは、ハルバードを構えた大男だった。
この世界の平均身長は日本のそれより高いようなのだが、それにしたって男は大きかった。身長は二メートルを優に越し、肩幅も広い。その上全身が鋼のような筋肉で覆われており、唯でさえ大きい男を更に一回り大きく見せていた。
ガス・バスカヴィル。バスカヴィル伯爵領の領主である。
「賊か」
就寝していたらしい伯爵は鎧は身につけておらず、上半身は裸だった。むき出しの肩にハルバードを担ぎ、動揺の欠片も見えない瞳で俺を見下ろしている。
「何で気付いた?」
俺はナイフを左手に移し、右手で短剣を引き抜きながら問う。
「臭いだ」
伯爵はとくに面白くもなさそうな声音で答えた。
「貴様には音も気配も無かった。だが、臭う。むせ返るような血の臭いだ。寝ていても気付く」
「犬かテメェ」
罵りながらも、俺は胸中で舌打ちした。
《NES》にも臭いくらいある。無かったのは、血だ。ゲームではいくらPCやモンスターを切り刻んでも血が流れない。当然、血の臭いが付くことも無く、だから俺は己に付いた死臭について深く考えることが無かった。
失態だ。いつか現実とゲームの差に足を掬われるかもしれないとは思っていたが、少し気をつければ防げたミスだ。己の迂闊さに、兜の下で歯噛みする。
騒ぎに気付いた兵士達が、手に手に武器を持って集まってくる。俺の姿を見て驚愕し、殺到しようとする兵士達を、バスカヴィル伯爵は手を上げて押し留めた。
「闇討ちとはいえ、敵陣に独りで乗り込む覚悟は見事――故に、私が相手をしてやろう」
直後、伯爵はハルバードを構えて地面を蹴った。
――速い!
驚愕の声を飲み込みつつ、横に薙ぎ払われたハルバードの刃を一歩だけ後退してかわす。続く突きを仰け反るようにしてやり過ごし、ハルバードを横に回転させる様にして放たれた柄による殴打を、垂直に跳躍して回避。石突を蹴るようにして後ろに飛ぶ。
「ほう、上手く避けよる」
空中で一回転して着地した俺に、伯爵は賞賛の笑みを浮かべた。
「だが、避けるだけでは敵は倒せんぞ!」
領主の挑発に、俺は刃で答えた。
《乱桜連斬》を発動。息もつかせぬ連続切りの後、間合いを外して《風切り》で牽制。体制が崩れたところに《十二連突》を叩き込む。嵐のような連撃を、伯爵はハルバードで払い、弾き、あるいは回避した。
俺の攻撃は一切伯爵に届かなかった。ハルバードと短剣ではリーチに差がありすぎて、今一歩踏み込めないのである。
だが、一度懐に入れば取り回しやすい短剣の方が有利。
俺は一足飛びに敵の間合いへと踏み込むと、間髪居れずに後ろに飛んだ。眼前を刃が通り過ぎていく。
ハルバードはかなり重量がある武器だ。引き戻して次の攻撃に繋ぐより、俺が距離を詰める方が速い。
靴底が地面を抉り、後退の勢いを殺す。俺は再度地面を蹴り、一息に伯爵の懐へと飛び込む。
そして、
「――温い」
岩のような拳が、俺の腹に叩き込まれた。
「がっ……」
木の葉のように吹き飛ばされ、地面を転がった。まず衝撃で意識が飛び、次の瞬間には激痛で意識を引き戻される。目尻には涙すら浮かび、喉の奥から鉄錆臭い液体がこみ上げてくる。
伯爵は躊躇うことなくハルバードを手放し、空いた拳で迎撃してきたのである。恐るべきはその思い切りの良さと、鉄槌にも勝る拳の威力である。
「ぐ、が、かはっ……」
追撃が来る。早く立ち上がらなければ。
しかし俺は動けなかった。全身がバラバラになったかのように痛い。殴られた胴は痛みを通り越して感覚が無く、鉛のような重さだけがある。
骨は確実に折れてるだろうし、内臓も潰れてるかもしれない。俺は意識が途切れそうになるのを必死でこらえ、回復スキル《自己再生》を発動させた。
《自己再生》は治癒魔法系のスキルと違って他者に対して使用できないという欠点があり、しかも効果に対して消費SPが多い。だが戦士系ビルドのPCにとっては習得が容易で、効果も魔法系ステータスに依存しない貴重なスキルだ。
スキルの効果で肉体を修復し、立ち上がる。だが何時まで経っても痛みが消えなかった。いや、傷が癒えた以上、痛みも無いはずなのだが、意識に痛みが焼きついて消えないのである。
「痛みに負けるか。軟弱だな」
何故か追撃してこなかった伯爵は、つまらなそうに鼻を鳴らすと、ゆっくりとハルバードを拾い上げた。俺の武器は少し離れた場所に転がっており、拾う隙は有りそうも無い。
「貴様は歪だ。速さは一流以上だが、動きには稚拙な点が目立つ。だが妙に手馴れてもいる……それだけなら我流の剣で説明が付くが、身体は貧相で、精神も軟弱か。どんな鍛え方をすれば、こんな風に育つのやら」
――俺は今まで大病を患うことも、大きな怪我をすることも無かった。《NES》で戦闘ダメージを受けることはあったし、プレイ初期には『死亡』すらあったが、《NES》はあくまでもゲームである。そこには「痛み」は無い。
つまり――俺は痛みに対する耐性が極めて低い。俺は今、そのことを文字通り痛感していた。
ハルバードを構え直した伯爵の身体から、濃厚な殺気が噴出す。足が自然と後ろに下がり、自分が気圧されていることを自覚させられる。
「せめてもの慈悲だ。痛みすら感じぬように殺してやる」
「ちぃ!」
俺は咄嗟に左手でスローイング・ダガーを投げ放ち、伯爵の出鼻を挫くと《軽身功》を発動。全力の跳躍は、軽くなった身体を天高く舞わせた。離れた天幕の一つに着地し、即座に次の天幕へと飛ぶ。
屈辱を押し殺し、俺は逃げを打っていた。
紛れも無く、これは敗走だった。
既に草木も眠ろうかという時刻にもかかわらず、エレンは眠っていなかった。単身で敵陣に夜襲をかけた主の帰りを、彼の寝室で待っているのである。
彼女も昼間の戦闘で疲労し、眠気を感じていたが、主の身の回りの世話は彼女の役割である。返り血で汚れた主の身体と装備を清めるのも、殺戮の興奮によって欲望を高ぶらせた主の相手をするのも、彼女の仕事だ。それを終えるまで、エレンは眠るつもりは無かった。
じっと見つめていたドアが動くと、彼女は座っていた椅子から速やかに立ち上がり、深々と頭を下げた。
「お帰りなさいませ、ソラト様――ひっ!?」
「――どうした?」
顔を上げるなり、引きつった悲鳴を漏らしたエレンに、主が不思議そうに首を傾げる。
主は血に塗れていた。戦いに行ったのだから当然だし――よくあることだ。その程度でエレンは驚かないし、怯えない。
エレンが驚愕し、恐怖したのは――主が笑っていたからだった。
主は良く笑う。いつも不敵な笑みを浮かべているし、人を殺すときも、笑いながら殺す。怒るときすら、彼の口元は笑みを浮かべていることが多い。
だが、今彼が浮かべているのは、エレンが見てきたどんな笑みとも違った。
憤怒と憎悪、そして殺意がない交ぜになった、見るものの心胆を凍りつかせる笑み。
「……いえ、失礼いたしました。今、桶と水を持ってまいります」
声を震わせなかった自分を褒めてやりたい。エレンは必死で恐怖を押し殺し、速やかに部屋を離れた。普段は出来る限り主の傍にいたいと願うエレンだが、今回ばかりは例外だ。
今、少しでも主の気に触れたら――いや、触れなくても殺されるかもしれない。