第十七話:楽園は美しくも遠く
「待たせたな」
ドアを開くと、部屋の中には『聖女騎士団』幹部が待ち受けていた。その数は三人。
一人目は、日に焼けた肌の屈強な男。年齢は三十から四十歳ほどに見える。全身が分厚い筋肉に覆われており、明らかに戦い慣れた風貌をしている。名前は確か、ダインといったはずだ。俺が得た情報によれば、元は流れの傭兵だったらしい。今では『聖女騎士団』の兵を束ねる立場に居る。
二人目は、まだ若い男だ。優男と言って良い風貌で、にこやかな笑みを浮べている。ヴィズベキスタという名の商人で、参謀とでも言うべき存在。さらに言えば、支援者を集め、武器や食料を調達しているのはこの男だ。
そして、三人目。
「それほどでもありません」
彼女はまっすぐに俺を見つめ、口を開いた。
「到着する日取りを明確に出来なかったのは、こちらの不手際でもあります」
向かって正面、彼等の中心になる位置に座っていたのは、まだ若い女だった。金色の髪を短く刈り込み、傷だらけの鎧を纏っている姿は、年頃の娘のものとは思えないが――顔立ちそのものは整っている。髪を伸ばし、着飾れば、万人が振り向く乙女となるだろう。
『聖女』シャーリーアレン。『聖女騎士団』の指導者である。
「そいつは良かった。俺が《百鬼夜行》の頭、ソラトだ」
言いながら、席に着く。後ろには一緒に入ってきたシュトリが、立ったまま控えた。
俺の名乗りに、髭面が鼻を鳴らした。その目には軽侮が浮かんでいる。俺がまだ餓鬼にしか見えないので侮っているようだ。
優男の方はというと、にこかな笑みを崩していない。だが、それが好意的なものとは限らない。笑顔という仮面は、考えを隠すためのものだ。
そして
「話には聞いていましたが、ずいぶんとお若いのですね」
聖女の声はどこか硬いが、冷たさは無い。生真面目そう、と言ってもいい。目には強い意志の光が輝き、それでいてやわらかさを失っていない。
「おかげで苦労してるよ。何しろ、こっちが子供というだけで侮ってくる頭の悪い大人が多いこと多いこと」
俺の後ろで、シュトリがくっくと、押し殺し損ねた笑いを零す。髭面は顔を真っ赤にしていた。皮肉を理解できるだけの知能はあるらしい。
「年齢だの性別だので苦労するのはお互い様だろ? 『聖女』殿」
「そうかもしれません」
俺よりは年上だろうが、シャーリーアレンはまだ若い。それも女だ。『聖女騎士団』なんて名乗っているが、法を破るアウトローの集団であることは変わりない。それを纏める彼女にはそれだけの苦労が――そして才覚があったことは間違い無い。
「さて、来てくれたってことは手を組む意思がある、ということでいいかな?」
俺は前々から、アルクスで動いていた『聖女騎士団』の密偵に接触していた。そして俺がテルミナへ向かう前、密偵を通して『砦を落としたら共に決起して欲しい』と伝えていたのである。
そして今、レテの砦にはこうして『聖女騎士団』の幹部が揃っている。呼びかけに答えたと言うことは、領主と正面から戦う覚悟を決めたかと思ったが、
「その前に……いくつかお尋ねしたいことが、あります」
しかし直ぐには頷けないようだった。聖女の問いに、俺は眉を上げる。
「へぇ? 何を聞きたいんだ?」
「アルクスでの、貴方の行いについて」
すっと、聖女の目が細まる。
「私たちも、貴方について調べなかったわけではありません。ソラト殿、貴方はならず者たちを従え、アルクスで暮らす人々を暴力で脅しつけ、金銭を巻き上げている。違いますか?」
「……」
俺は口をつぐんだ。言い返せないのではなく、彼女の意図がわからなかったのだ。
「私達は民の生活を守るために戦っています。皆の平和を脅かしている人間と手を組むことは、出来ません」
凛とした声で、『聖女』シャーリーアレンはそう言った。
聖女は俺達の行ってきた行為がどんなものか知っている。それは彼女にとって受け入れがたいことだと言う。
だったら手を組むことなどできはしない。結論が出ているなら、わざわざ危険を冒してやってくる必要が無い。俺が本当に味方である保証など無いのだ。
しかし、彼女はこうしてやってきた。その理由は、
――ああ、つまりコイツは馬鹿なんだな?
俺はそう結論した。
もし彼女が感情的な理由で俺を許せないとしても、ならば表面上は友好を保ち、利用するだけ利用してその勢力を削ぎ、最後の最後で裏切るべきだ。すくなくとも、こうして正面から相手を非難すべきではない。まして相手の懐で、だ。
きっと彼女は潔癖な性格なのだろう。俺という悪を許容することは出来ず、かといって無視も出来ず、騙して利用するなどとんでもない――つまり馬鹿なのである。
まあ、いい。
俺は、ふてぶてしい笑みを浮かべた。
「まるで俺が社会に害しか与えていないかのような物言いは心外だな――俺はアルクスの暗黒街に秩序をもたらした男だぜ?」
「秩序?」
聖女が眉を上げる。同時、
「馬鹿を言うな!」
髭面が怒声を上げ、テーブルに拳を振り下ろした。並べられたカップが、ガチャリと音を立てる。背後でシュトリが、腰の剣に手を伸ばすのが気配で感じられる。
「貴様らのやっていることは知っているんだ! 皆を苦しめるような真似をしおって! このごろつきが――」
「黙れ」
氷のような声音で、俺は髭面を遮る。
「俺は今、聖女殿と話してるんだ。邪魔すると殺すぞ?」
「貴様……」
「ダイン。止めなさい」
いきりたつ髭面を、聖女が止める。
「仲間の非礼はお詫びします。ですが、今の私たちの関係は極めてデリゲートなものです。ソラト殿もどうか、言葉を控えてください……それで、秩序とは? 貴方の所業は、秩序とは程遠いものだったと思いますが」
俺もまた、髭面に切りかからんばかりのシュトリを手を上げて静止すると、肩をすくめた。
「そうでもないさ……なあ、シャーリー。アルクスとその周辺には、多くの無法者どもが居たんだ。恐喝、窃盗、強盗、暴行、強姦。奴らは好き勝手に振舞っていた」
ちなみに――領主側から見れば『聖女騎士団』だって無法者と同じだ。主張の是非はともかく、武力による革命を企んでいる時点で彼らも罪人である。
だが俺はそのことを指摘するつもりは無かった。正義の味方面をしたい彼らにとって、受け入れられる言葉では無いだろうから。
彼らの矛盾を胸中であざ笑いつつ、俺は続ける。
「そして、その無法者どもを俺が屈服させ、支配し、纏め上げた。その結果どうなったと思う? 減ったんだよ。犯罪の数が」
「そんな嘘を……!」
「ダイン!」
また懲りずに口を挟もうとした髭面を、『聖女』が叱責する。髭面はしぶしぶ口をつぐんだ。
「本当さ。何故なら俺がチンピラどもに仕事を与えたからだ」
《鬼蜘蛛》が良い例だ。彼らは盗賊団だったが、俺の手下に加わったことで日々の生活に困らなくなった。そうなれば、わざわざ危険を冒して旅人を襲ったりはしないのだ。
「そして、俺は傘下に入った店舗に金銭を要求しているが、それは『用心棒代』でもある。もし傘下の店舗が犯罪の被害に遭えば、俺達が犯人を引きずり出して制裁する。窃盗などによる被害や、そういった犯罪を防ぐための雇っていた傭兵にかかる費用と、俺達に支払う『用心棒代』のどっちが高いだろうな?」
傘下に入った店舗に不利益を与えた者は、草根を分けてでも探し出して殺す。そして死体は街に晒され、同様の犯罪をもくろむ者達への「警告」となる。
また、そういった行為に及ぶならず者が殆ど俺の手下になっていることもあり――上納金を納めている店舗の殆どが犯罪被害を気にしなくて済むようになっているのだ。
「確かに俺はアルクスの住人から金を巻き上げている。それは否定しない。だが同時に、俺はアルクスの住人を守っても居るのさ……いいか、犯罪はなくならないし、無法者も居なくならない。だったら上手にコントロールすることを考えるべきだと思わないか?」
俺の言葉に一定の価値を認めたのだろう、『聖女騎士団』の三名は沈黙する。髭面は忌々しそうに歯噛みし、優男は興味深そうに顎に手を当て、聖女は意味を咀嚼するように目を閉じている。
「……解りました」
聖女はしばしの黙考のあと、そう答えた。
「貴方の行いが、決して悪いことばかりでないことは理解しました。知りもせず、悪し様に言ったことは謝罪します」
「いや、俺達がやってることが『悪いこと』だってのは間違いない。ただ、俺はそれを可能な限りスマートにしたいのさ。結果的に、そのほうが社会への影響も少ない」
もちろん、俺は社会のためなんて考えてない。俺は好き勝手にやりたいだけで、ならず者たちを纏めたのはそのための駒にするためだ。俺が聖女に語ったのは、彼女たちを誤魔化すための詭弁に過ぎない。
そんな詭弁に騙されてしまうのは、彼女が誤魔化されることを望んでいるからである。聖女だって、領主と戦うのに、俺達の助けが死ぬほど欲しいに違いない。だからこうして砦までやってきた。俺とは相容れないと知りながら、それでも手を組む余地があるのではないかと願って。だから俺は彼女が望むとおり、自分を誤魔化すだけの理屈を与えてやった。それだけだ。
「さて、ご理解いただけたところで、こっちも確認したいことがあるんだ」
「何でしょう」
「お前の目的だ。生きるために反乱を起こした。伯爵を打倒しようとしている。それはいい。だがその後は? どこまで考え、どこまでを求めている?」
俺の問いに、聖女は微笑んだ。
「私たちの目的は、この国を楽園に変えることです」
「……楽園?」
あまりに突飛な言葉に、俺は眉を上げる。
「具体的には身分制度の廃止――貴族や王族の特権を廃止し、平民の職業、移動、婚姻の自由など、今まで認められていなかった、しかし認められるべき権利をを認めさせることですね」
「四民平等、か」
日本という建前上は誰もが平等な国に生まれた俺からすれば、当たり前のことではある。しかし、それが実現されるまで、長い時間と多くの血が必要とされたことも、俺は知識として知っていた。
「立派な志だとは思うけどな。まずは税率の改善が先じゃないか? そもそもアンタらが決起したのは、重税で飢えたからだと思っていたが」
「ええ。もちろんです。ですが、例え減税が行われたとしても、貴族が居る限り――いずれまた、同じことが起きるでしょう。どのみちのための戦いは起こるのです。ならばその戦いを未来の人々に押し付けるのではないく、私達が行うべきでは無いでしょうか」
そう聖女は語った。
「民の生活は限界を迎えようとしています。それは同時に、まだ限界ではないということでもあります――本当の限界を迎えたら、私たちは戦う力すら残っていないでしょう。いずれ民が、自由を求めて立ち上がるその時に、戦う余力が残っている保障はありません。ならば今、戦うべきなのです」
彼女の言っていることは解らなくも無い。これから先、戦争や疫病などで農民が致命的にその数を減らしてしまう可能性を考えれば、『今のうちに』事を起こそうとするのは間違いではないだろう。
それに――俺の居た世界のように、科学が、兵器が発展してから自由を求めた戦いが始めるより、ずっといいのだ。
権力者と民衆の戦いと言うのは大抵の場合、泥沼化するものである。なぜならば権力者は民衆を「全滅」させるわけにはいかないからだ。民衆側が爆弾テロを起こしたり、政府軍が民間人に機関銃を乱射するような時代になる前に、さっさと四民平等を作り上げておくべきなのだ。
「……解った。いいだろう。アンタの夢に協力させてもらう」
俺の返答に、聖女は微笑んだ。
「共に、未来を勝ち取るために戦いましょう」
もちろん、俺にそんなつもりは無かった。
「ねえ、ソラト。本当に身分制度廃止なんて出来るの?」
「無理だろ」
自室に向かいながら、シュトリの問いかけに俺は断言した。『聖女騎士団』の三人は他のメンバーの受け入れについて、エレンと話し合いをしている。
『聖女騎士団』のメンバーは二千人ほど。だがそれは女子供や、老人を含めた数だ。実際に戦力として数えられるのは、千もいかないだろう。しかも正規兵とは練度も装備もまるで違うのだ。二千を越える領主軍と正面から戦っても勝ち目は無い。
可能性があるとしたら――騎士団に一定の損害を与える、あるいは領主を捕らえるなどして、領主側からの譲歩を引き出すことだ。
調べた範囲では、領主に民を虐げる意図は無い。逆らうものを問答無用で処刑したり、若い娘を無理やり召し上げるといったことは無い。
つまり、問題は騎士団の維持のために税が重くなっていること、その一点なのである。そしてバスカヴィル伯爵が騎士団の戦力維持に拘るのは、北のラーヴァニアを恐れてのことのようだ。
ならば、まず一戦交えてバスカヴィル騎士団にある程度の被害を与え、領主に「武力で屈服させるには困難が伴う」と認識させる。
そうなれば領主が和平に応じる可能性は高い。反乱の鎮圧でラーヴァニアと戦うための戦力を損なえば本末転倒だからだ。応じなかったら――殺してしまえばいい。暗殺は俺の十八番だ。
しかし要求が「貴族制度の廃止」となるとバスカヴィル領だけの問題ではすまない。まず絶対に他の貴族が認めないだろうし、国王だって頷くわけには行かない。貴族の地位は国王が認め、任じているのだ。それを害するとなれば威信に関わるのである。
「仮に領主軍に勝てたしたとしても――すぐに王国軍が来る」
今はまだ伯爵が救援要請をしていないので――プライドの問題だろう――静観しているが、伯爵軍が敗れたとなれば国王は即座に軍を動かす。貴族制度廃止、つまり特権を奪われるとなれば他の貴族も私兵を助太刀に寄越すだろう。
つまり、『聖女騎士団』の要求が通る目は無い。
「……戦力があれば乗っても良かったんだがな。今はまだ駄目だ。奴らにも、そして俺にも力が足りない。この国を相手取って戦うだけの力は、無い」
この国を獲りたい俺にとっても、貴族制度の廃止は価値のあることだ。今の権力者を一掃し、その後俺が『民の代表』として国を支配する――何も不可能なことではない。近代以降の独裁者の殆どが民主的な手段で選ばれているのだ。
平等なんて無い。建前上は平等だった日本で生まれ育った俺だから断言できる。人間のコミュニティに真の平等はありえない。金や権力というものは社会を動かすために必要な要素だし、金と権力は持っている奴と持って無い奴に絶対的な差を作り出す。
俺が革命を成功に導けば、新たなシステムの上で頂点に立つことも難しくは無かったのだが――現状では革命は夢物語だ。手を貸す価値は無い。
ならば、俺が取るべき道は一つ。既に布石は打ってある。
実のところ、俺はどの道領主を殺すつもりで居た。俺の目的は勢力の拡大であり、そのためにこのバスカヴィル領が欲しいのだ。そうなると領主の存在は、どの道邪魔なのである。
「ソラト、何を企んでるの? 今、すげー悪い顔してたけど」
「そうか?」
シュトリの指摘の通り、俺はに悪辣な笑みを浮べていた。
聖女が語ったのは、所詮現実にならない夢物語。
――だったら俺が踏み台にしてもいいだろう?




