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Undivided  作者:
第一章:天魔生誕
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第十六話:バスカヴィルの領主

 城砦都市アルクスの中心に、バスカヴィル伯爵領を納める領主、バスカヴィル伯爵の屋敷は存在した。

 屋敷といっても堀も城壁も備えた頑強なもので、ちょっとした城と言った方が良いかもしれない。民に重税を課す領主というイメージにそぐわず――と言うべきなのか――中は質素で、調度品の類も金がかかっているようには見えない。形容する言葉を選ぶなら、質実剛健の一言だろう。

 そして館に似たのか、それとも館が主に似たのか、領主であるバスカヴィル伯爵のことガス・バスカヴィルもまた、無駄な飾りを嫌う、巌のような男だった。

 歳はまだ三十をいくつか超えたばかり。鍛え上げられた肉体は屈強の一言で、顔も岩から削りだしたが如く、厳つい。唯一、丁寧にに整えられた口元の髭だけが、愛嬌のようなものを滲ませている。

 ――しかしその中身は愛嬌など欠片も無い、硬く冷たい、鋼のような心の持ち主だった。

「レテの砦が、落ちた」

 屋敷の一室、重厚な執務机に着いたガス・バスカヴィルは、ひとり小さく呟いた。

 時刻は既に遅く、暗くなった部屋を照らすのは、壁に備えられた燭台の明かりだけ。蝋燭のささやかな光は照らすものの陰影を濃くし、ただでさえ厳しい伯爵の顔をより恐ろしいものにしている。

 ガス・バスカヴィル伯爵はもともと南部の小貴族の生まれだ。次男坊であったガスは家督を継ぐことはできず、多くがそうであるように騎士となる道を選んだ。

 幸いにもガスは恵まれた体躯を持ち、また鍛錬を厭わぬ性格だった。ガスは優れた騎士になり、王国騎士団に配属され――そのときの上官が先代バスカヴィル伯であるトラヴィス・バスカヴィルだった。

 ガスは武勇に優れるトラヴィスを武人として深く尊敬し、トラヴィスも若く実直な騎士を気に入り、目をかけるようになる。その縁からガスはトラヴィスの娘、マリアンとの縁談が決まり、婿養子となった。

 そして五年前、北に接する隣国ラーヴァニアの侵攻が始まった。

 ルイゼンラート最北の領地を預かるトラヴィスは当然のように兵を率いて戦場へと向かった。もちろん、ガスも彼の部下として参戦する。

 長らく戦の無かったルイゼンラートでは軍備縮小が進み、砦に配備された兵は多くなかった。またラーヴァニアは険しい《愚者の山》を大軍で超えるという無茶な行軍をすることによって、ルイゼンラートに悟られること無く国境へと接近していた。

 侵攻に気がついたときは、国境の砦は既に囲まれていた。騎士団は砦に籠城し防衛戦を行うものの、大軍に昼夜を問わずに攻め立てられては耐え切れない。

 トラヴィスたちが到着したときには、既に砦は陥落し――ラーヴァニア兵が雪崩を打って領地へと攻め入る寸前だった。

 バスカヴィルの兵は必死になって戦った。領民を守るため、妻を、子を、恋人や友人を守るために、多くの兵が犠牲になった。

 バスカヴィル兵の奮闘によって、ラーヴァニア軍は僅かにその足を鈍らせた。

 そして多くの犠牲によって生み出された時間によって、国王自ら率いた援軍が到着した。一気に攻勢に出たルイゼンラート軍はラーヴァニア軍を退けることに成功する。

 だが犠牲は多く――その中にはトラヴィス・バスカヴィルの名もあった。尊敬する武人であり、義父でもあった男の死を、ガスは嘆き、悲しんだ。

 その後、ガスは爵位を受け継ぎ、バスカヴィル伯爵領の領主となった。領主としての勤めを果たす傍ら、彼は自ら兵士達を鍛え、自身も鍛練を欠かさなかった。

 ――ラーヴァニアは必ず、もう一度侵攻してくる。そのとき、今度こそ領地を守れるよう、備えをしておかねば――。

 そんな彼の決意は悪いものではない。むしろ立派だと言える。

 だが、兵を維持するには金がかかるのだ。そしてアルクスの兵は多すぎた。戦時中ならともかく、平時に必要な数を明らかに上回っている。必然的に税金は高くなり、領民に重い負担を強いることになった。

 幾度と無く、減税の嘆願が寄せられた。ガスは決して横暴な領主ではなかったが、この件にだけは首を縦に振らなかった。彼の脳裏に焼き付いた、死んでいった兵の姿がそれを許さなかった。

 それでも、なんとかなっていた。バスカヴィル伯爵領は比較的豊かな土地だったし、アルクスは交易が盛んで、その税収で賄う事が出来ていた。

 しかし――今年の不作で、それも限界を迎えつつある。最近では餓えた民が領内で盗賊のような真似までしているという。

 それでもガスは兵を減らすのを頑なに拒んだ。治安が悪くなってるというのなら、尚更兵を減らすことなど出来ないだろう、と。

 ガス・バスカヴィルは、小さく嘆息すると、執務机に置かれていた一枚の文を取り上げた。

 文はルイゼンラート国王からの書状だった。国書の常として回りくどく、装飾過多な文面が並んでいるが、要約すると『反乱鎮圧のために、いつでも援軍を出す準備がある』という内容だ。

 反乱が既に国王の耳にまで届いているのだ。初めの反乱が起きて既に半年。当然といえば当然だ。むしろ半年たっても鎮圧の報が聞こえてこないからこそ送られてきた書状だろう。

 確かに反乱の鎮圧には梃子摺っている。だが、国王軍に協力を要請するなどもっても他だった。それでは自分の領地の面倒も見れないと言っているも同然であり、領主として見せてはならない醜態である。

 いや、屈辱だけであれば、彼は甘んじて受け入れただろう。

 だが、憎きラーヴァニアとの戦に備えるべき王国軍の勇士たちを反乱の鎮圧などに駆りだし、犠牲など出そうものなら先代バスカヴィル伯爵に、いや、この国全ての人々に申し訳が立たない。

「忌々しい逆賊どもめが……」

 岩が軋むような声で、彼は呻いた。

 ――天に誓って、自分は贅沢も浪費もしていない。税は全て領地を、この国のために使ってきた。皆の生活を守るための、必要な税だ。

 にもかかわらず、農民どもは税が高い。減税しろと喚きたてる。

 生活が苦しいのは解る。だが、税を減らせば騎士団の維持ができなくなる。そうなったら、いざ戦になったとき、ラーヴァニアに蹂躙されるのは貴様ら農民ではないか。

 ――戦になれば逃げ惑うしか出来ぬ農奴どもが。我々騎士は、貴様らを守るために戦っているのだぞ。戦場に立てとは言わぬが、せめて税くらい大人しく払わぬか!

 胸中を荒れ狂わせながらも、ガスは笑みを浮かべた。好戦的で猛々しい、肉食獣のような笑みだ。

 レテの砦が落とされたのは忌々しいが、逆にこれは好都合とも言える。拠点を手に入れた逆賊どもは、そこに集結するだろう。

 ガスが逆賊の鎮圧に手間取っていたのは、逆賊が地下活動に終始し、その規模や所在を不明確にしていたからだ。

 一箇所に集まるというなら好都合。全員まとめて――

「叩き潰してくれる……」

 決意と共に、伯爵は小さく呟いた。その脳裏には、かつて見た戦場と、死に行く兵士たち。そして義父の姿が燃え上がっていた。

 ガス・バスカヴィル。

 彼は決して無能な男ではない。事実、彼の治世は兵の数を除けば何も問題は無かった。

 ただ――彼の心は五年前に戦場に捕らわれ、今なお逃れることが出来ずにいた。


 ――同時刻。

 マリアン・バスカヴィルは自室の寝台の上で、眠れぬ夜を過ごしていた。彼女はバスカヴィル伯爵の妻――伯爵夫人であり、先代の伯爵であるトラヴィス・バスカヴィルの娘でもある。

 彼女の不眠の原因は領地と夫のことだ。現在、彼女の夫が領主を勤めるバスカヴィル領では農民の反乱が起きている。南部では半年もの間『聖女騎士団』なる集団が反抗を続けており、つい先日には北部でも武力蜂起が発生し、砦の一つが落とされたという。

 このままではバスカヴィル領は滅びる。夫は反乱軍など自慢の騎士団で叩き潰せば良いなどと考えているようだが――反乱の原因は税が重過ぎるせいである。たとえ今の反乱軍を鎮圧しても、反乱の原因である税金を見直さねば、いずれまた反乱は起きるのだ。

 マリアンが何度減税を求めても、領主である夫は『騎士団の維持に必要だ』と主張し、聞く耳を持たない。騎士団の規模を縮小することも頑なに拒否した。

 ――領主も騎士も、民が為。

 生前、マリアンの父である先代バスカヴィル伯爵が口にした言葉だ。領主が居るのは開墾や交通の整備など、個人では取り組みにくい問題を解決するためであり、つまり民の生活を豊かにするためだ。そして騎士が居るのは、侵略者や無法者といった脅威から民を守るためである。どちらも結局は民の為の存在であり、地位も権力もその為に与えられているのだと。

 それを夫は理解していない。確かに騎士団は外敵と戦うために存在する。だが、その騎士団のために民を苦しめるのは本末転倒だ。

 バスカヴィルの民のことを、夫は考えていない。

 ――夫はバスカヴィルで生まれ育った人間ではない。

 マリアンはバスカヴィルで生まれ、バスカヴィルで育った。春の甘い風も、夏の暑い日ざしも、秋の実りも、冬の冷たさも、全てが愛しい故郷である。

 その故郷が、夫のせいで壊れようとしている。夫の愚かさによって。

 悔しかった。バスカヴィルで育ち、誰よりも故郷を愛している自分ではなく、遥か遠くの地で生まれ育ち、民のことを考えぬ夫が領地を治めていることが。女というだけで領地を受け継ぐことが許されず、統治に口出しを許されないことが。

 ――夫さえ居なければ

 マリアンの胸に、小さく暗い感情が芽生える。

 駄目だ。これ以上考えてはいけない。そんな恐ろしいことを、思ってはいけない。

 マリアンは嘆息を漏らし、寝台の上で身をよじった。マリアンはまだ二十六歳の女ざかり、一児の母であるにも関わらず身体のラインも崩れておらず、その寝姿は官能的ですらあった。

 マリアンの体を、吹きぬけた風が静かになぞった。

 清涼感が、ささくれ立った心を少しだけ静めてくれた。マリアンは僅かに表情を緩め――次の瞬間、がばりと身を起こした。

 自分は寝る前に、確かに窓を閉めたはずだ。

 風など流れるはずが無い。

 視線を窓に向ければ、そこには風に揺れるカーテンと、開け放たれた窓。

 そして、月を背負って窓枠に立つ人影。

 思わず悲鳴が漏れそうになるのを、マリアンは堪えた。刺激してはいけない。声を出した瞬間、曲者が何をするか解らない。

 緊張で身体が強張る。暴れる心臓の音が聞こえてしまうのではないかと恐くなる。

 マリアンの恐怖を見透かしたかのように――曲者は笑った。

 暗くて見えないはずの曲者の顔に、切り裂いたような笑みが浮かんだのを、マリアンは確かに見たのだ。

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