第十三話:妖魔の群れ
その夜、テルミナの村は領主の兵士達によって滅ぼされようとしていた。反乱という、身に覚えの無い罪によって。
突然やってきた兵士達は家に押し入り、若い男達を拘束した。少しでも抵抗したものは切り捨てられた。兵士達の怒号と村人の悲鳴が入り乱れ、夜の静けさを壊していく。
「何故です! 何故このような真似を!」
押さえつけられた村人の一人が、兵士達に訴える。だが、兵士達が返したのは怒声だった。
「黙れ、黙れぃ! 逆賊どもめが!」
隊長格の兵士が剣を振りかざし、村人達を威嚇する。
「三日前、この村を巡察に向かった兵士が襲われた! 襲撃者はテルミナの村の者だと名乗り、領主様への反抗を宣言したのだ!」
兵士は捕らえた若者達を剣で指し示し、吠える。
「他にも仲間が居るだろう! 大人しく居所を吐け!」
兵士の言葉は、村人達にとって寝耳に水だった。
「誤解です!我々には心当たりが――」
「黙れ!しらばっくれるのか、農奴が!」
抗弁しようとした男に、騎士はいきなり剣を振り下ろした。濁った悲鳴を上げて、男が倒れる。地面に飛び散る赤い血に、村人達が悲鳴を上げた。
「お父さん!」
村人達の間から出てきた少女が、倒れた男に縋りつく。しかし父と呼ばれた男は地面に血溜りを広げるばかりで、動く様子は無い。
「その娘も逆賊だな! 捕らえよ!」
父親に縋りつく少女に、兵士が血走った目を向けた。部下らしき兵士が走りより、その腕を掴む。
「お父さん! お父さん! いやああああ!」
「貴様には仲間の場所を吐いてもらうぞ! 来い!」
兵士達が、少女を無理やり立ち上がらせる。父親――の亡骸だろう、もう――から引き剥がされた少女は暴れ、泣き叫ぶ。
「ええい! 抵抗するか! 小娘が!」
暴れる少女に、兵士が馬を寄せた。血のついた剣を握ったまま。
その意図に気がついたのか、少女の抵抗が、先程までとは別の必死さを帯びる。
「助けて! 誰か! 助けてぇぇぇぇ!」
しかし誰も動かない。己に火の粉がかからぬよう、身を縮ませ、無残な亡骸から、助けを求める少女から、誰もが目を背けた。
誰も助けてくれないこと悟った少女の目を、絶望が塗りつぶした。
兵士が剣を振り上げ、少女の短い人生は終わりを迎えようとしていた。
――そのとき、悪魔がやってきた。
俺達がテルミナの村に到着したとき、既に村はバスカヴィル騎士団の襲撃を受けていた。
乗っている《パイルヘッド・リザード》の腹を蹴り、速度を上げる。パイルヘッドは灰色の皮膚を持った大型の爬虫類で、後ろ足が発達し、トカゲというより小型の恐竜といった風情である。
パイルヘッドの最大の特徴は、頭部に先端を尖らせた杭のような突起が生えていることだろう。パイルヘッドの名前の由来であるこの突起は非常に頑丈で、強靭な後ろ足が生み出す突進力と組み合わさると、大木すら圧し折る威力を生み出す。
性格も好戦的で恐れを知らず、それゆえに戦場の乗り物として重宝されるらしい。欠点は数が少ないことで、ゴドフリーに言ってかき集めさせたが、それでも三十騎ほどしか集まらなかった。
《NES》では馬を初めとした動物に騎乗することが可能であり、俺も多少は経験があったが、それはあくまでも簡略化されたゲームの話。走らせるくらいならまだしも、騎乗しての戦闘は荷が重い。
だから俺はパイルヘッドを村人達を取り囲む兵士達に突っ込ませ、鞍を蹴って跳躍した。空中で身を捻り、短剣を引き抜くと、兵士達を片っ端から切って捨てた。パイルヘッドも頭の突起と鋭い歯、そして長く太い尻尾を振るって大暴れしている。自身が戦うことが出来るのも、馬とは違うところだ。パイルヘッドは頑丈かつ柔軟な肌を持ち、浮き足立った兵士達の剣では満足にダメージを与えられていない。
「貴様! 貴様! 貴様も逆賊だなぁぁぁぁぁぁ!? 死ねぇぇぇぇい!」
死を撒き散らす俺に、怒り狂った騎士が――まさに狂ったような形相で――馬の腹を蹴り、突撃してきた。
馬は人よりはるかに大きく、そして重い生き物である。激突すれば、ちっぽけな人間など吹き飛ばされるか、馬蹄に踏み潰されるかがオチだ。
地面を蹴り、跳躍。身を捻り、騎士の頭上を逆さまに飛び越えるようにしてやり過ごす。その過程で、騎士の首筋を剣で切りつけることも忘れない。
血を噴出させ、力をなくした騎士はずるりと落馬し、馬はそのまま走っていった。
唖然とする兵士達に、同じくパイルヘッドに乗ったカイムが襲い掛かった。彼女は器用に手綱を操り、グレイブと呼ばれる薙刀のような武器で兵士達を蹂躙。更なる混乱に叩き落とした。
そこにライオネル達が突っ込んだ。彼らは殆どパイルヘッドにしがみついているだけで精一杯、という状況だったが、パイルヘッドは勝手に兵士達に突っ込んでいったし、鞍と手に固定された騎乗槍は握ってるだけで兵士達を串刺しにできる。
「お前達……!?」
「助けに来たぜ!」
突然の救援に見知った顔でが含まれていることに気づき、目を見開いた村人達にライオネルが笑い返す。そして次の瞬間、いきなり方向転換したパイルヘッドから振り落とされそうになり、悲鳴を上げた。
「け、剣を捨てろ! コイツを殺すぞ!」
とても敵わないと見たのか、兵士の一人が座り込んでいた少女を立たせると、喉元に刃を突きつける。
人質を取られ、ライオネル達が苦々しい顔で動きを止めた。俺のパイルヘッドの手綱を掴んで止めたカイムが、伺うようにこちらを見ている。パイルヘッド達はまだ暴れたそうにしているが、しっかりと調教された彼らは乗り手に手綱を引かれると、大人しく足を止める。
だが、俺は何一つ躊躇うことなく殺戮を続行した。凶刃が閃き、また屍が増える。
「止めろ! 止めやがれ! 止めないと殺すってんだろおい!」
兵士の言葉は虚しく消え行くだけで、俺の心には届かない。人質を取った兵士も、村人達も、呆然と俺の殺劇を眺めていた。
俺が動きを止めたのは、他に動くものがいなくなってからだった。村人が倒した兵のなかにはまだ息のある者がいるだろうが、俺は全員殺していた。
俺は少女に剣を突きつけたままの、最後の一人に向き直り、首をかしげた。
「なんだ。殺さなかったのか?」
俺の言葉に、兵士は絶句し――何かを諦めたように剣を降ろした。
「……降参する。だから、もう勘弁してくれ」
武器を捨てた兵士に、俺は失笑した。
「何で?」
訊ね返しながら、一歩踏み出す。足元の血溜まりから、にちゃりと粘着質な音がした。俺の身体にも、ベタベタした返り血がこびりついていた。その感触は不快でありながら、愉快でもあった。
「俺にはお前を見逃す理由が思いつかない。もし仮に、何かお前を見逃すことで、俺に利益があるとして――」
俺はにたりと、残酷に笑った。
「――それでも死ね」
「くそがあああああああああああああああああ!」
兵士は降ろしたばかりの剣を振り上げ、切りかかる。それは必死の、破れかぶれの一撃だった。
しかし剣は俺に届くことは無かった。それより先に俺が放った一撃で、兵士は命を刈り取られた。
「くっくっくっく、あーっはっはっはっはっは!」
血塗られた短剣を握り締め、俺は大笑する。やはり人を殺すのは楽しい。命を奪い、踏みにじり、蹂躙するのは楽しくて堪らない。最近は足場を固めるのに忙しくて、派手な殺しをしていなかったため、久しぶりの感触は俺をことさら酔わせていた。
「な、なんていうことをしてくれたんだ!」
一人の、老人と呼んでいい年齢の男の叫びで、俺の笑いは遮られた。
「な、なんなんだお前は! み、見てたぞ! お前が殺したんだ! 伯爵様の兵に剣を向けるなど、許されるハズが無い! いったいどんな目にあわされることか!貴様らのせいで、この村はもう終わりだ、この人殺し!」
「黙れ、家畜」
醜く叫ぶ老人を、俺は見下した。その瞳が、凍りつくような温度であることが自分でも解った。
「大人しく従っているしかない? それでどうなった。唯々諾々と従い続けた結果、今まさに踏みにじられたところだろうが」
「そ、それは……」
老人が言葉に詰まる。義賊と疑われ、抗弁の機会もなく村人を殺されたのだ。これで「おとなしく従っていれば大丈夫」などと言えるのは、よほどの阿呆だけだ。
「だが、仕方が無いではないか。皆殺しにされ、村を滅ぼされるくらいなら、辛くとも従うしかない。どうしようもないではないか」
一転して哀れっぽく言う老人に、俺は鼻を鳴らした。
「仕方が無い? どうしようもない? そうして戦おうともしないから、お前らは虐げられているんだよ。踏みにじられて抵抗もしないお前達は、家畜と同じだ。それが嫌だというのなら反逆しろ! 違うというなら反抗して見せろ!」
言葉を重ねるごとに、俺の声は大きくなった。老人ではなく、村人全体へと呼びかける。
「反抗だと……そんなの無理に決まってるだろう! 相手はこのバスカヴィル領の領主なんだぞ! 騎士団だっている! 勝ち目があるはずがないだろうが!」
反論は老人ではなく、他の村人から放たれた。年は三十半ばほどで、がっしりとした体つきをしている。
「勝ち目が無い!? 本当にそう思うか!?」
俺は血溜まりに倒れた他の兵を指し示した。
「見ろ! 貴様らが恐れ、従っていた兵士達は、こうして躯になっている! 相手も人間だ! 戦いに身分は関係ない! 戦って勝てない相手ではない!」
大きく腕を振り、俺は村人を叱咤する。その気迫に押されるように、誰もが沈黙し、俺の声に耳を傾けている。
大げさに身振り手振りをして、過激な言葉を怒鳴り散らす。教養の無い下層階級を相手に演説をするなら、解りやすく、激しい方が効果的だ。だから俺はひたすら「戦え」と繰り返した。
「このままでは、貴様らを待つのは死だけだ! どうせ死ぬなら戦って死ね! 戦って、人としての誇りを取り戻してから死ね! そしてそれ以上に、戦って生きる覚悟がある奴は、俺について来い!」
「ソラトの言う通りだ。目を逸らすな! 俺達が踏みにじられてんのは、俺達が唯々諾々と従って、反抗しようとしなかったからだ! 戦わないと、生きていけないんだ! 今戦わないでどうすんだよ!」
ライオネルが追従の声を上げる。その言葉に彼に従っていた《鬼蜘蛛》達が賛同し、そして村人達に広がった。
「やろうぜ。俺達は家畜じゃねぇ。人間だ!」
「向こうが逆賊扱いしたんだ!だったらやってやろうじゃねぇか!」
「戦おうぜ! 生きるために!」
村人達は皆拳を振り上げ、声を張り上げた。それは確かに反逆の叫びだった。ただ脅えるだけだった羊が、牙を剥く狼になった瞬間だ。
「――ただで済むと思うな!」
そこに水を差したのは、地面に倒れていた兵士の一人だった。血に染まった腕を押さえて、立ち上がろうとしている。まだ生きているものが居たらしい。
「農奴風情が伯爵様に盾突いた罪は重いぞ! 貴様らが許されることは決して無い! お前等全員、処刑されちまえ!」
兵士の嘲りを混ぜた言葉に、村人達の声が消えていく。
俺はゆっくりと兵士に近づいた。村人の視線が背に突き刺さるのを感じる。ここで言い返さなければ、せっかく盛り上がった意気が台無しだ。
兵士は近づく俺を、憎々しげな目で睨みつけている。俺は兵士に顔を近づけた。
「いいこと教えてやるよ。『許されない』ってことと、『出来ない』ってことは同じじゃない。人にはあえて禁忌を犯すという選択肢が、常に与えられてるんだぜ?」
小さく、兵士に囁く。そして振り向き、村人に聞こえるように声を張り上げる。
「生きるために戦うことが許されないと思うか。己のために人を殺めることが許されないと思うか」
村人たちは顔をうつむかせる。彼らと、俺が今まで従えて来た人間との決定的な差は、彼らが善良であることだ。
彼らはずっと教えられていた。争ってはならない。人を殺してはならない。共同体で生きるためのルールを、生まれたときから教えられてきた。
そして村のような小さな集まりにおいて、ルール違反は即座に排斥に繋がる。彼らは互いに法と倫理で縛りあうことによって、共同体を維持して生きてきたのだ。
「では――お前達はいったい誰の許しが欲しいんだ?」
その鎖を、外していく。彼らを縛る「良心」を、俺が引きちぎっていく。
「お前たちを虐げる人の、お前たちを守らぬ法の、お前たちを救わぬ神の許しが、お前たちは本当に欲しいのか」
俺は剣を振り上げ、兵士の腿に突き立てた。足を貫かれ、兵士が苦痛の叫びを漏らしながら地面をのたうちまわる。
「許しが欲しいならば、俺が与えよう。例えこの世の全てが許さずとも、この俺は許し、認めよう」
俺は座り込んだままの娘へと歩み寄り、剣をくるりと回転させると、娘の手を取り、その柄を握らせた。
「さあ、立つんだ」
涙に濡れ、充血した女の目に、優しげにすら見える表情を浮べた俺自身が映っていた。
俺の手と言葉に導かれ、娘は立ち上がると、ゆっくりと亡者のような足取りで兵士に近づいた。俺は後から娘を抱きしめるようにして、その切っ先を倒れた兵士の腹部へと向けさせる。
「ま、まて、何を――ぐげ!?」
兵士の言葉は、娘が突き出した剣によって断ち切られた。ずぶり、と血と肉に金属が埋まる感触がして、刃が新たな血に染まる。
さらに――
「ぐぎ、ががが!? や、やめでぐで!?」
刺さったままの剣を捻られ、兵士が悲鳴を上げる。
俺はもう手を動かしていない。娘は自分の意思で剣を捻っている。父親を殺され、自身も殺されそうになった憎悪がそうさせているのだ。
「ぎがっががががっがががががががっががががぁぁぁぁぁ!」
兵士は苦痛に絶叫し、手足を痙攣させる。涙と涎を撒き散らし、血を吐き出した。
それを見て、娘の顔に確かに暗い喜びが浮かんだのを見て、俺はほくそ笑んだ。
「そうだ。それでいい。よくできたな。えらいぞ」
俺は娘の耳元に唇をよせ、甘く囁く。舌を伸ばし、目尻に残った涙の雫を舐め取った。
そして体を離し、村人に振り返る。
「生きるために戦うことが罪だと言うのならば、罪を犯せ! 己のために人を殺めることが悪だと言うのならば、悪をなせ! 殺される前に殺せ! 奪って壊して踏みにじれ! ただ従い、善良な家畜として死ぬより、邪悪な獣となって生きろ!」
血塗れた剣を握り締め、暗い笑みを浮かべる少女を指し示す。これがお前たちのすべきことだと。彼女の後に続けと。
「さあ、剣を取れ! 怒りを、恨みを、憎しみをぶつけろ! 人が、法が、そして神が許さずとも、この俺が許す……!」
黒い焔のような言葉が、村人達が溜め込んでいた憎悪に火をつけた。
初めに動いたのは、若い男だった。剣を手に、兵士へと近づいていく。そしてもはや虫の息となった兵士へと、無造作に剣の切っ先が落とされた。
続けて別な男が、同じ様に兵士に歩み寄り、剣を振り降ろした。
次々と、次々と村人が兵士の亡骸に歩み寄り、剣を突き刺していく。兵士はとっくに死んでいた。待ちきれなくなった者たちが他の兵士の死体を引っ張ってきて、それに剣をつきたて始める。
その残虐で異様な光景を眺めながら、俺は笑みを浮べていた。
これで五百を超える暴徒の出来上がりだ。人を切り刻むという行為に嫌悪を浮べる者、恐怖で涙を浮べるものもいたが、結局村人全員が参加した。すでにこの場が「参加しなければならない」と決められてしまったからだ。
もとより小さな農村だ。そのコミュニティとしての結束は強い。結束が強いということは、一度その輪から弾かれれば、強い排斥を受けるということでもある。それを知っている彼らは、反対の声を上げることなど出来はしなかった。
村人達の目は狂気に染まり、口元には残虐な笑みが浮かんでいた。この異様な場の空気に当てられ、彼らは自ら狂って行く。血まみれの剣を振りかざし、更なる血を求め、蠢く。
その姿は、まるで邪悪な妖魔の群れのようだった。




