第十二話:反乱の序章
テルミナの村が反乱を起こした――
その知らせを聞いたとき、俺は思わず口に含んでいた酒を噴出しそうになっちまった。
実のところ、反乱の知らせそのものは驚くに値しねぇ。バスカヴィル領では半年ほど前に南部で農民の反乱が発生して、今でもまだ続いている。時間と共に反乱軍はその規模を増し、今では「聖女騎士団」なんて大層な名前を名乗ってるらしい。
その混乱に乗じて、新たな反乱が発生するのは予測できた。でも俺を驚かせたのは、反乱が発生した事じゃなくて、反乱を起こした村の名前だった。
周囲の仲間を見れば、誰もが目を見開き、顔を青ざめさせている。きっと俺も同じ顔をしているだろう。
――テルミナの村。それは彼らの故郷の名前だった。
「ど、どうするよ」
沈黙を破ったのは、仲間の一人であるバートだった。
「どうするって……どうもこうもねぇだろ」
不機嫌そうな顔で、チャックが呟く。それにラッドが噛みついた。
「おい、チャック。お前、村の連中を見捨てる気か? 戻って助太刀すんのが筋だろうが?」
他の仲間達から、賛同の声が漏れる。しかしチャックは鼻で笑った。
「馬鹿。俺らが助太刀に行って何が出来るってんだ? バスカヴィルの兵士がどんだけ恐ろしいかは、盗賊やってたときに散々思い知ったじゃねぇか、ええ? 俺らが加勢したって、まとめてぶっ殺されてそれで終わりだろうがよ」
チャックの言葉もまた、正しいものだった。テルミナの人口は五百人ほど。でもそのうち、まともに戦えるのは精々五十人くらいなハズだ。何しろ、若者の半数近くは自分と共に村を離れたからである。残った村人の大半が女子供、そして老人達だ。
そこに自分達が加勢したところで結果は知れている。何しろ彼らも既に十人ほどしか残っていないのだ。相手は屈強で知られるバスカヴィル兵。敵の数が五十から六十になったところで大して変わらないだろう。
「だからって、ほっとくなんて出来るかよ。村には親父とお袋、それに弟がいるんだぜ……」
バートの押し殺した声に、流石のチャックも沈黙する。
村を出るとき、俺が声をかけたのは十四歳以上の、次男だの三男だのって連中だけだった。男手が全員いなくなったら、畑を耕す奴がいなくなるからだ。
でもバートは長男だった。だから俺は声をかけなかったのだが……どっかから聞きつけて、自分から仲間に加えてくれと言って来た。バートの弟は十歳で、まだ村を離れられない。だから畑は弟に譲って、自分が村を出て行くと。
そんな奴だから、残してきた家族が心配でたまらないんだろう。
思わず自分の家族を思い浮かべたのか、他の仲間もみんな黙り込んじまった。
チャックだって村には両親と兄、そして妹を残してる。内心は穏やかじゃないだろう。それでも彼は俺達が無謀な真似をしないよう、憎まれ口を叩いたのだ。
「……ライオネル。お前はどう思う?」
ラッドの言葉で、仲間達の視線が俺に集まった。俺は腕を組み、まるで彼らの視線を閉ざすように目を瞑った。
俺は一番初めに村を出るって言い出したってこともあって、皆の纏め役みたいな感じになってる。だが、俺は自分に人の上に立つ器量があるとは思えなかった。こういう重要な場面で決断を迫られると、重圧に押しつぶされそうになる。
……チャックの言葉は正しい。村に勝ち目はねえ。そこに俺らが加わったからって、何が変わるわけもない。
《鬼蜘蛛》は最大で五十人ほどいたこともあったが、今では二十名ほどしか残っていない。しかもそのうちテルミナの出身者は半分だけだ。加勢に行っても勝ち目が増えるわけではない。
……せめてもう少し人数を揃えられればな。俺にもうちょっと、人を従える度量ってのがあれば――
そこまで考えたとき、俺は衝撃で目を見開いた。
居るじゃないか。人を従える度量があって、実際に頭数をそろえられる奴が。
「ソラトに、頼もう」
アイツが号令かければ、二百人近くが集まるだろう。それに、ソラトはとんでもなく強い。二十人以上のバスカヴィル兵をあっさり殺っちまうところを、俺達は見ているのだ。
「……正気かよ」
しかし、他の連中は納得しかねるようだった。チャックが苦々しそうな顔で吐き捨てる。
「奴がなんて言うか、想像つくだろうがよ。『何で俺がそんなことをしなきゃいけないんだ?』さ。あの野郎が動くのは、それが金になる時だけだ」
「口を慎みなさい。ソラト様は我々の主人ですよ」
この場で唯一の女であるエレンが、チャックを冷たい口調で咎めた。エレンはソラトに心酔している。チャックの暴言は聞き逃せるものではないのだろう。
「主人だって? へっ!」
しかしチャックは、彼女を嘲笑うように鼻を鳴らした。
「エレン、奴と懇ろのおめぇにとっちゃ、ご主人様かもしれねぇがよ。俺はあんな野郎を頭と仰いだ覚えはねぇぞ。ただでさえ重い税で苦しんでいる連中を、更に搾り取るような奴をよ」
ソラトはごろつき共――俺達も含まれる――を従えて、アルクスの商人に「ショバ代」っていう上納金みたいなのを払わせている。他にも賭場だの娼館だのを経営して、もっぱら平民から金を搾り取るのを仕事にしているのだ。それがチャックには気に入らない。なにしろ俺たちは農民の生まれで、搾り取られる側の人間なのだ。そんな俺たちにとって、ソラトのやってることは、見ていて胸糞が悪くなることばかりなのである。
チャックの台詞に、エレンは心底侮蔑し、嘲るような笑みを浮かべた。
「では貴方が今飲んでいるお酒、食べている食事の代金はどうやって稼いだんですか? ソラト様に仕えて得た給金でしょう? そのお金は、貴方の言うところに『苦しんでいる連中を更に搾り取って』得られた物です。ソラト様からお金を受け取り、そのお金で物を食べる貴方に、ソラト様を非難する資格はありません」
「あんだと……」
チャックが顔を真っ赤にして立ち上がった。握られた拳がブルブルと怒りで震えている。俺は手を伸ばし、その手を押さえた。
「よせ。エレンが正しい。俺らも同罪だ。解ってたことだろう?」
俺の静止に、チャックはしぶしぶと椅子に座りなおした。
……そりゃ、俺だってソラトのやってることは愉快じゃない。でも、俺らだってその片棒を担いで、お零れを貰っている。嫌だからってソラトの下から離れても、マトモな仕事なんて見つかりはしないだろう。また盗賊やるくらいなら、今の仕事のほうがマシだ。
「……何にせよ、村をほうっておくわけにはいかねぇ。俺はソラトに、村を救ってくれるように頼んでくる。駄目だったら、せめて俺達が行くことだけは許してもらおうぜ……俺らが行ったからって、無駄死にするだけかも知れないけどよ。賢く生きられんなら、盗賊なんてやってねぇ。そうだろ?」
俺が出した結論が果たして正しいかどうかは解らない。無駄に仲間を死なせる、どうしようもなく愚かな選択なのかもしれない。
だが少なくとも、仲間は頷いてくれた。
「……だな」
「女子供だけでも逃がせるかも知れねぇし」
「いいじゃねぇか。死に場所くらい好きに選ぼうぜ」
彼らは軽口を叩き、やけくそ気味、自嘲気味に笑った。一度決まればチャックだって文句は言わなかった。
そうと決まれば話は早い。俺達は飲んでいた《首吊り兎》の二階、ソラトの仕事部屋へと向かった。
ノックしたドアから顔を出したのはソラトではなく、まだ若い、小柄な女だった。彼女はシュトリといって、ソラトの側近みたいな立場に居る。
「……入りな」
シュトリは不機嫌そうな顔と声でそう言って、部屋の中に引っ込んだ。金色の髪に碧の瞳、雪みたいに真っ白な肌。天使に見まごうほどの美しいシュトリだが、その中身は短気で凶暴、しかも残忍と三拍子揃っている。その上鬼みたいに強いってんだから始末に終えない。
部屋の中には彼女のほかにも、二人の先客が居た。一人は会計役のイザベラ。もう一人は新顔のカイムって女だった。両方ともシュトリに負けず劣らずの美人である。
そして――部屋の主は椅子の背もたれに体を預け、重厚な執務机に足を投げ出していた。
「雁首並べて何の用だ?」
ソラト眠たげな目で俺達を一瞥すると、気だるげな口調で尋ねてきた。普段は不敵な笑みを絶やさず、圧倒的な存在感を周囲に振りまいているような男なのだが――どうも今日はご機嫌斜めのようである。これから頼みごとをする俺達からすれば、運の悪い話だ。
「ソラト、聞いて欲しいことがある」
俺はソラトに村の反乱について話した。ソラトは最後まで表情を動かすことも、何か口を挟むこともなかった。
「このままじゃ村は滅ぼされる! 頼む! 力を貸してくれ!」
話し終えた俺はその場で床に手を着き、頭を下げた。背後で仲間も頭を下げているのが気配でわかった。
「馬っ鹿じゃないの? そんなの知らないっての」
――下げた頭に投げかけられたのは、シュトリの嘲弄だった。
「力を貸して、ソラトに何の得があるの? アンタらは代わりに何をしてくれんの? ねえ、知ってんだよ。アンタら最近、ずいぶんと勝手なこと言ってるらしいじゃん。大して役に立ってもいないのに、ソラトのやることにケチつけて。そのくせ困ったときにはソラトに縋ろうってわけ? ずいぶんと虫のいい話じゃんか」
執務机に尻を乗せたシュトリが、顔に嘲りを浮かべ、罵声を浴びせてくる。後ろでチャックが体を震わせたのが解った。他の皆も、悔しさに歯を食いしばっている。
虫がいいのは解ってる。でも、これしか方法が無いのだ。嘲られ、罵倒されても、頭を下げて懇願するしかない。村を救うためなら、その程度、苦痛でもなんでもなかった。
「帰りたかったら、勝手にその何とか村にでも帰っていいよ。アンタらなら別に死んでも惜しくないもん。あ、なんならここでアタシが殺したげよっか? どうせ死ぬんだから、帰る手間が省けてお得でしょ? アハハハハハハハ――!」
「――いいぜ」
「ハハハハハハ――え?」
ソラトの返答に、シュトリが凍りつく。シュトリだけでなく、俺達を含めた部屋の全員が、程度の差こそあれ驚愕で動きを止めた。
場に不気味な沈黙が満ちる。いつまでも反応を返さない俺達に、ソラトが怪訝そうに眉を上げる。
「ん? 何だ。力を貸して欲しいんじゃないのか?」
「あ、ああ」
俺は慌てて頷いた。正直に言えば、俺だってソラトが助けてくれる可能性なんて、ほとんど無いのは解ってた。それでも、可能性がゼロじゃない限り、俺は諦めるべきじゃないと思ったんだ。諦めて失われるのは、俺達の家族の命なのだから。
そして――ソラトは俺達の頼みを聞いてくれた。
「ソラトぉ。なんでぇ……?」
シュトリが、おずおずとソラトに尋ねる。思い切り面子を潰された形になった彼女は怒るどころか、まるで飼い主の顔色を伺う子犬のようだった。
「領主に反抗してるんだろ? いいねぇ。いかす話じゃないか。是非とも混ざりに行こう」
ソラトは立ち上がり、跪くライオネル達に歩み寄ると――にやり、と笑みを浮かべた。いつもの悪辣な笑い方ではなく、いたずらを企む悪餓鬼のような笑みだった。
「そいつらは救ってやるよ。俺のやり方で、だがな」
「ああ……ソラト様……ありがとうございます……」
エレンが陶酔したような表情で手を伸ばし、ソラトの足にしがみつく。見ればバートやラッド、チャックですら、感謝で顔をくしゃくしゃにしていた。きっと俺も、同じような顔をしているだろう。
何の気まぐれかは解らないが、ソラトが手を貸してくれる。これは俺達にとって、この上なく心強いことだった。ソラトは強くて、しかも頭が回る。俺達では逆立ちしても出来ないことを、鼻歌混じりにやってのけるのだ。ソラトが居れば、領主の兵隊だって怖くねえ。
「シュトリ、ジェイクとブランに言って兵隊集めさせろ。イザベラはゴドフリー呼んで来い。ライオネル、お前は後ろの連中と戦の支度をしておけ」
矢継ぎ早に指示を飛ばし、ソラトは檄を飛ばす。
「騎士団が動くのは時間の問題だ。急げ!」
部屋を飛び出していくライオネル達を見送り、俺は一人残ったカイムに視線を向けた。
「カイム。お前にも働いてもらうぞ」
「ああ。私としては、虐げられている人々に手を貸すのは吝かではないよ。もう体も回復したしね」
そう言って、黒髪の美女は微笑んだ。充分な食事と休息によって、彼女は強さと美しさの両方を取り戻している。今度の戦では、『黄金宮』王者の力を思う存分振るってもらうつもりだった。
「それにしても、君が親切で彼らに手を貸すとも思えないのだけれど」
「まあな」
カイムの問いに、俺はあっさりと頷いた。
「実はな、テルミナは反乱なんか起こしちゃいない。これから起こすのさ」
「……どういうこと?」
仕組みは極めて簡単だ。俺はゴドフリーに命じて人を集め、テルミナの村に巡察に行った兵士を襲撃させたのである。それもテルミナの人間を名乗って、だ。
襲撃役はシュトリとその手下にやらせようとも思ったが、シュトリは腹芸が下手だし、何より目立つ。襲撃者に恐ろしく強い、金髪の少女がいた――なんて話が広まって、疑いの目を向けられてはたまらない。それに、彼女の手下は《鬼蜘蛛》の人間と親しくしている者もいるので、情報が漏れる危険が大きい。だからゴドフリーに人を雇わせ、襲撃役にしたのである。
これでテルミナの村は反逆者となり、それをライオネルたちの耳に入れる。ライオネルは自分で俺に頼ることを思いついたようだったが、そうでなければエレンが言い出すことになっていた。
何故そんな真似をしたかと言えば――バスカヴィル領の北部でも反乱を引き起こし、その主導権を俺が握るためだ。
領内で起きている反乱は、俺にとっては勢力を拡大させるチャンスだ。しかし流れ者の俺には、反乱に介入する大儀というものがない。これでは人は集まらないし、集まった人間の上に立つのが困難になる。
だからテルミナの村を危機に落としいれ、それを救うことで恩を売りつけ、同時に実績も作る。そうして彼らのリーダーに納まれば、俺は「余所者」から「救世主」に変わることが出来る。ついでにライオネル達テルミナ出身者に忠誠心を植え付け、駒として使いやすくしたわけだ。
「……君はいずれ地獄に落ちるだろうね。その時は、私も一緒に行くよ」
「馬鹿言うな、カイム。――地獄はこれから俺が作るんだよ」
痛ましい顔で首を振るカイムに軽口を叩きながら、俺はバスカヴィル領の地図を開き、眺めた。
俺の視線はテルミナの村があるバスカヴィル領の北部ではなく――反乱が本格化している南部に注がれていた。