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Undivided  作者:
第一章:天魔生誕
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第一話:仮想世界の殺人鬼

「きゃあ! きゃあ!」

 木々が立ち並ぶ森の中で、簡素な皮鎧を身につけた女剣士が長剣を振り回していた。彼女が剣を振るうたび、淡い紫の髪が跳ねて揺れる。

 その腕前は、はっきり言ってお粗末だった。腰は引けてるし、太刀筋もメチャクチャだ。技量云々以前に、せめて目を開けて戦うべきだろう。

 相対するのは、緑色の肌をした、醜い人型のモンスター……ゴブリンだ。身につけているのは腰ミノだけで、手には木製の棍棒をにぎっている。こちらは女ほど醜態を晒してはいないが――残念ながらさして知恵のある種族でもなく、攻撃は単調で、威力もない。

 見るべき点など何一つとしてない戦いを、見守る影が三つあった。

 一人は濃緑色のローブを身にまとい、手には精緻な彫刻を施された杖を握った男だ。その装いを見るからに、魔術師で間違いないだろう。女剣士の後方、少し離れた場所に立ち、苦笑気味に戦闘を眺めている。

 もう一人は、きらびやかな騎士鎧と、女の物より格段に良い品だと解る長剣を身につけた男。魔術師風の男の隣に立ち、生真面目に表情を引き締めている。

 そして、最後の一人。彼らの頭上、太い木の枝に腰掛け、生い茂る葉に身を隠した男――つまり俺のことだ。

 身を隠しているのは、俺が三人組の――そしてもちろんゴブリンの連れなどではないからである。習得している《隠蔽》スキルによって、アクティブな行動を取らない限り、あるいは相手が相応の《索敵》スキルを習得して無い限り、俺が発見されることは無い。もっとも、姿が見えなくなるわけではないので、視界に入ってしまえば即座にバレる。だからこうして、木の上に隠れていた。

 女剣士の振り下ろしたロングソードがゴブリンの腕を浅く掠めた。赤いダメージエフェクトが微かに飛び散る。

 致命傷には程遠い傷だが、これまで蓄積されたダメージによってゴブリンの頭上に表示されたライフバーは残り数ドット。かすり傷でも僅かなライフをゼロにするには充分だった。

 ゴブリンは甲高い断末魔の悲鳴をげると、ポリゴンの欠片となって爆散した。

「こ、こわかったぁ……」

 女剣士は、突然居なくなった敵にしばし目を瞬かせた後、へなへなとその場に座り込んでしまった。

「お疲れ様! そして初勝利おめでとう!」

 魔術師が大袈裟に騒ぎ、パチパチと手を叩く。騎士も顔を綻ばせて手を叩いていた。

「えへへ、ありがとう」

 女剣士は初めてインしたばかりの初心者であり、彼らはそのお守りであることは、見ていれば解った。上級者が初心者にレクチャーするのは珍しくないが、初戦闘から面倒を見ているとなるとリアルの知り合いなのかもしれない。

「すっごい恐かったぁ。ゲームだってわかってるのに」

「ああ。俺も初めは恐かった」

 心臓を宥めるように胸を押さえる女剣士を、騎士が慰める。

 ――この世界は現実ではない。

 《ネバー・エンディング・ストーリー》――通称《NES》と呼ばれる「ゲームの世界」だ。

 もちろん、「ゲームの世界」といっても、魂が肉体を離れてゲームに入り込んでいるわけではない。電気信号によって作り出された偽りの情報をプレイヤーの脳が受け取り、まるで本当に見たり、触ったりしているように感じるだけである。

 ヴァーチャル・リアリティー・ゲーム。デジタルデータで構成された仮想世界を体験する新時代のゲームである。

 従来のコントローラーで操作する旧来のゲームではなく、実際に体を動かしているように「感じる」ヴァーチャル・リアリティー・ゲームは、ゲーマーの夢である「ゲームの世界に入る」という体験を可能にする。安全性やら何やらが議論の対象となりつつも、甘美なる夢を求める声を止める事はできず――ついに実現、販売された。

 今俺がプレイしている《NES》は、VRGのなかでもMMORPG――多人数同時参加型オンラインRPGとして製作、販売されたタイトルである。

 つまり俺も、女剣士も、魔術師も騎士も、全てが現実に存在する、ひとりの人間なのだ。

「まー、初めはみんなパ二くるよね。このゲームリアリティ半端ないし、その上戦闘はバリバリアクションだから向き不向きがあるし。しばらくやってみて、どうしても苦手なら弓とか魔法メインでビルドした方がいいかも」

 ペラペラとしゃべりながら、魔術師が肩をすくめる。

 VRGである《NES》における戦闘では、プレイヤーの運動神経や反応速度――プレイヤースキルが重要となる。どれほど相手が弱くても、旧来のRPGのようにボタンを押していれば勝てる、ということはない。そこが人気なのだが、どうしても慣れないプレイヤーはある程度敵と相距離を置いて戦うことが出来る、魔法や弓をメインに戦うことになる。

 《NES》においてレベルや職業という概念は存在しない。有るのはCP――キャラクターポイントだけだ。

 プレイヤーは戦闘やクエストを通してCPを蓄積できる。またCPは不利な特徴、欠点をつけることで獲得することも出来る。

 CPをステータスとスキルに割り振ることで、プレイヤーは自分のキャラクターを作り上げる。どのステータスを伸ばし、どのスキルを習得するかという選択で、自分だけのキャラクターが出来上がっていくのだ。

 例えば、魔法関係のステータスを伸ばし、《ファイア・ボール》などの魔法系のスキルを習得することで『魔法使い』のロールをすることが出来る。スキルの習得はキャラクターポイントだけでなく、様々な条件が設定されている場合があり、例えば炎属性の魔法スキル《フレア・ランス》は《ファイア・ボール》を習得し、一定回数以上使用することで解禁される。また職業という括りが存在しない故に、魔法使いビルドをしつつ武器による攻撃系のスキルを上げて接近戦も出来るようにしておく、ということも可能だ。

 つまり、何でもできる万能キャラクターを作り上げることも可能という、一部のゲーマーが狂喜するシステムなのだが……それには膨大なキャラクターポイントが必要になるため、まず間違いなく途中で心が折れる。よって、幾つかのスキルを特化させたビルドをするのが普通だ。勿論、「万能キャラ」を目指してビルドするプレイヤーも存在するが、そういったPCは大抵、中途半端な能力しか持ってない『使えない』PCになってしまう。

 それはともかくとして――《NES》においては、キャラクターメイキングが千差万別であるように、プレイスタイルも自由自在だ。仲間と冒険を楽しむ者、闘技場に入り浸る者、商人として商売を楽しむ者。

 そして、褒められぬ行いに手を染める者。

 ――そろそろ始めるとしますか。

 胸中で呟き、俺は外套の下からスローイング・スパイク――投擲用の針を抜き出した。鈍色の凶器は、毒々しい緑の液体で濡れている。

 スパイクを手首のスナップだけで投げ放つ。針は風を貫く鋭い音と共に、魔術師の肩に突き刺さった。

「……え?」

 魔術師は間の抜けた声を上げると、地面に倒れ伏す。ダメージエフェクトが発生し、頭上に標示されたライフバーが僅かに減少した。これがゼロになった瞬間、プレイヤーは死亡――デスペナルティを喰らって最寄の街に送り返されることになる。

 ただ、このゲームでは攻撃を受けても怪我はしない。つまりライフが残り1であっても、ライフ満タンの時と同じ様に元気一杯に走り回ることができる。

 にも関わらず、魔術師が起き上がることは無い。

「くそ……麻痺った……」

 魔術師が切れ切れに言葉を搾り出す。

 彼はまだ死んでいない。麻痺状態になっただけだ。ライフバーの上に、先ほどまでは無かった麻痺アイコンが表示されている。

 俺が放ったスパイクには《調合》スキルによって作られた最上級の麻痺毒が塗られていた。作るのに色々と手間が掛かる上に、モンスターには状態異常に耐性があるものも少なくないので、あまり使われることの無いアイテムなのだが……PC相手には恐ろしいほど効果的だ。

 麻痺状態になると一定時間中は動けない。その間はどれだけ攻撃を受けても抵抗すら出来ないのだ。麻痺攻撃してくる敵と戦うときは麻痺を防ぐ装備か、麻痺を回復するアイテムが必須になる。

 しかし――この初心者の森で、そんな用意してる奴はいない。麻痺攻撃をしてくるモンスターがいないからだ。

 装備、特に特殊効果つきの装備は狩るモンスターに合わせて設定するもので、常日頃から麻痺や毒に備えてた装備をするのは者は少ない。それより、もっと防御力の高い装備をする方が良いからだ。

 他には状態異常に耐性を得るスキルを習得していれば防ぐことも出来るが……習得が面倒な上にキャラクターポイントをかなり消費するので、普通のプレイヤーは素直に麻痺無効アクセサリーを装備するだろう。

「だ、大丈夫!?」

 女剣士が慌てた様子で駆け寄る。魔術師の傍に屈みこむが、アイテムを使って回復する様子は無い。持っていないのだろう。状態異常を回復できるポーションは必須装備ともいえるアイテムなのだが、始めたばかりの初心者が持ってないのも仕方が無いだろう。

 それを尻目に、俺は腰掛けていた枝から飛び降りた。身にまとった血色の外套が風を孕んで翻る。同時、腰に収めていた凶悪な形状のダガーを引き抜いた。頑丈な革のブーツが草花を踏みしめるが、物音一つ立たない。スキル《消音》の恩恵で、一定以下の物音が自動でカットされているせいだ。

「な……なんなんだお前は……!?」

 突然現れた俺の姿に、騎士が驚きの声をあげる。

 無理もあるまい。俺は頭頂部から膝下までを覆い隠す、ボロボロの暗い赤の外套を身に包んでいる。しかも目深に下ろしたフードの奥には闇がわだかまり、顔を見ることが出来ないのだ。手は黒革のグローブに、足は鋲の打たれたブーツに覆われており――要するにキャラクターのボディが一切露出していない。さながら幽鬼か死神の如き姿は、プレイヤーなのか、それとも人型のモンスターなのか判別が出来ないだろう。

 騎士の叫びに答えることなく、俺はダガーを振り上げて襲い掛かった。

「くっ!!」

 騎士も抜剣し、俺の一撃を受け止める。火花のエフェクトが飛び散り、金属音が鳴り響く。

 弾かれた衝撃に逆らわぬよう手首を返し、次の一撃に繋げる。俺が次々と繰り出す斬撃を、騎士は全て捌いて見せた。数値上のステータスだけでなく、プレイヤーとしての能力――《プレイヤースキル》もかなり高い。

 騎士は防ぐばかりでは無かった。打ち合いの中、隙を見つけて反撃の一撃を繰り出してくる。

「ハァ!」

 振るわれた刃を、後方に跳躍して回避する。流石に簡単にはいかないようだ。《NES》において、キャラクターの頭上に表示されるのはライフとSPのバー、そして各種アイコンだけ。名前も解らないが、おそらくかなりこのゲームをやり込んでいるプレイヤーだろう。

「なに……? なんなの……?」

 恐怖と混乱を宿した瞳で、女剣士が俺を見つめている。

 どれほど凝視しても、俺の表情は見えないだろう。目深に被ったフードの中から覗くのは、虚無のような黒だけだからだ。

 レア物の外套《闇纏》は、いかなる角度から覗き込もうと中身が見えることはないし、どれだけ激しく動き回ろうともフードが外れることもない。

 ……実はこの外套、装着者も視界が真っ暗になり何も見えないという、しょうもない欠点があるのだが、暗闇を見通す《暗視》スキルを持っている俺には関係が無かった。

「に、げて。あいつ、PK、だ」

 魔術師が切れ切れの言葉を搾り出す。このゲームではリアリティの追求ということで、麻痺状態だと喋りにくくなるのだ。

「PK……?」

 せっかく魔術師が教えてくれたのに、残念ながら女剣士はPKという単語自体知らないらしい。

 PK、プレイヤーキラーとは、プレイヤーをキルすること、またはプレイヤーをキルするプレイヤーのことを差す。つまり――

「敵ってことさ」

 騎士が油断無く剣を構えたまま呟く。その相貌には焦りと緊張が浮かんでいた。

 プレイヤーキラー。実在する人間であるプレイヤー、そしてその分身たるPCを殺す、仮想世界の殺人鬼。

 騎士は剣を構えたまま動こうとしない。麻痺は時間経過と共に回復する。無理に仕掛けず、時間稼ぎに徹することで魔術師の戦線復帰を待つつもりなのだ。

 俺はゆらりと体を揺らし――騎士ではなく、女剣士の方へと駆け出した。

「させるか!」

 予想していたのだろう。女剣士を庇うように、騎士が進路上に割り込む。

 スキル《十二連突》を発動。ダガーをエフェクトが覆い、連続の刺突が騎士を襲う。騎士は己の剣でそれを弾く。しかし幾つか守りを抜けた突きが鎧に激突し、火花とダメージエフェクトを散らした。

 十二回目の突きが終わり、俺の体はダガーを突き出したまま一瞬硬直した。スキルディレイ――スキルの終了時に設けられた硬直時間だ。

 その隙を逃さず、騎士が剣を下段に構えた。華美な装飾の剣がエフェクトに包まれ、光を撒き散らす。

 下段からの振り上げ、《弧月閃》が美しくも鋭い斬線を描いた。

 俺の手からダガーが弾き飛ばされ、宙を舞う。

 武器を失うというのは大きなハンデだ。プレイヤースキルがモノを言う《NES》において、無手で剣を持った相手と戦うというのはかなり難しい。昔ながらのRPGで格闘キャラが剣士キャラと戦うのとは違って、ステータスで現れない「差」が生まれてしまうのだ。

 だから、騎士の顔に笑みが浮かんだ。

 ――次の瞬間、硬直から脱した俺は、騎士の纏った鎧の隙間に、左手で引き抜いたナイフをするりと差し込んだ。

「え、あ……」

 アイスピックのような刺突専用ナイフには、緑色の液体――麻痺毒がたっぷりと塗ってあった。騎士は驚愕を浮べたまま、地面に倒れ伏す。

 右は囮で、本命は左。

 一般的なプレイヤーはフェイントの類に耐性が薄い。アルゴリズムに従うだけのモンスターにはフェイントの類は効果が薄く、モンスターがフェイントを使ってくることも殆ど無いからだ。

 だが、PKは別だ。プレイヤーと戦うことに慣れているPKと、モンスターを狩ることを主な活動としているプレイヤーでは、身につけている戦い方が違うのだ。

 ――そろそろ魔術師の方は麻痺の効果が終わってしまう。急がなくてはならない。

 魔術師の脇に立った俺は、ナイフを右手に持ち替え、逆手に構える。禍々しい色の光が発生し、ナイフに纏わりついた。

 スキル《終の一刺し》。

 単発攻撃で発動が遅く、攻撃範囲も狭い。その代わり攻撃力は絶大だ。そして相手が麻痺、睡眠状態などの場合、またはこちらがハイド状態からの攻撃では、確実にクリティカルヒットが発生する。

 《終の一刺し》のクリティカルヒットは、まさに一撃必殺。振り下ろしたナイフが魔術師の背に突き刺さった。

 ナイフに貫かれ――魔術師のライフバーが静かに消えていく。全てのライフを喪った魔術師は、灰色の亡骸と化した。

 俺はゆらりと立ち上がり、再度《終の一刺し》を発動。まだ倒れたままの騎士に歩み寄ると、無造作に突き刺した。

 仲間があまりにあっさりと死んでいく光景を見て、女剣士は呆然としていた。割って入ることも出来ず、かといって仲間を見捨てることも出来なかったようだ。一人残された彼女は、戦力と言うにはあまりにも貧弱で軟弱だった。

 俺は落ちたダガーを拾い上げ、外套の下に収める。代わりに取り出したのは一本の包丁。本来は料理スキルを使用するときに使うアイテムなのだが、武器として装備することも出来る。

 もっとも、威力はとんでも無く低い。しかも俺の包丁は切れ味が最悪になったものだ。

 このゲームでは刃物には《切れ味》というステータスがあり、これは使用する度に減少していく。研ぐことで切れ味は回復するが――俺はあえてほったらかしにしていた。

 与えるダメージを小さくして、嬲り殺しにするためである。

「や……」

 ようやく逃走と言う選択肢に気が付いた女剣士は、身を翻して逃げようとする。が、残念なくらい遅すぎた。俺は無造作に彼女の腕を掴むと、足払いをかける。彼女はどさりと背中から地面に倒れた。俺はその足の間に膝を入れ、上に覆いかぶさる。

「いやぁぁぁぁぁぁ!」

 《NES》において、他のプレイヤーへのハラスメント行為は禁止されている。もちろん禁止事項にはセクシャルなものも含まれており、俺のやっていることはそれに抵触する。

 が、それは街中など非戦闘エリアの話。相手を押さえつけたり、特定の部位に触れることを禁止されたら、格闘戦において大きな制約となってしまうからだ。

 これについてはもっと厳しく制限すべき、という声も多いのだが、運営は「リアリティの追求」の一言で全て退けている。まあ、最悪のハラスメントである殺人がシステム的に肯定されている時点で、この手の問題に対する運営のスタンスはわかりきっていた。

 もがいて抵抗する女剣士の顔を平手で殴る。ささやかなダメージエフェクトが散り、ライフバーが僅かに減少する。

 まるきりレイプそのものの光景だが、肉体的ダメージが「ほぼ」存在しないこのゲームにおいて、PKに凝るとしたら「いかにプレイヤーに精神的ダメージを与えるか」になる。

 単にPKするだけなら、もっと威力のある武器を装備し、攻撃スキルを使って攻撃すればいい。

 それでは満足できないからこそ、非効率な手法で犯行に及ぶ。

 斬って、刻んで、ゆっくりと、嬲るように殺す。

 振り上げた包丁を、彼女の胸に突き刺す。切れ味最悪の包丁がPCボディを貫いていく、鈍い感触が手に伝わってくる。

「あ゛あ゛っ!?」

 PCどれだけダメージを与えても、赤いダメージエフェクトを散らすだけでPCボディには傷一つ付かない。

 だが組み伏せられ、刃物で解体されるという経験は、例え傷が付かなくても充分ショッキングだ。

 突き刺した包丁を腹へと切り下げる。グリグリと捻り、腹部を抉っても、プレイヤー自身が感じるのは違和感と鈍い痺れ程度でしかない。

 だが痛みの無い仕様であっても、脳は目で見た映像――自分が刃物で刺され、刻まれている光景――から《幻痛》(ファントムペイン)を生み出してしまう。

「やめて……もうやめて……お願いだからぁ!」

 その感触に、ただでさえ『死ぬ』ことに慣れてない初心者である女剣士は耐えられない。俺が包丁を動かすたびに、女剣士の頭上のライフバーが白くなっていく。武器が包丁で、しかも手加減しているとはいえども、ステータスに大きな差があるのだ。初心者程度のライフはあっさりなくなってしまう。

 俺は外套から黄色の液体が入ったポット――ポーションを取りだす。蓋を親指で弾き、中身をぶちまける。本来は飲むアイテムなのだが、振りかけてもちゃんと効果は発揮される。

 ポーションの効果によって、瀕死だった女剣士のライフが満タンになった。

 つまり、まだまだ苦しみは続くということだ。

「なんで……なんでこんな酷いことするの……」

 女剣士は恐怖で泣きじゃくっていた。このゲームは涙すら再現する。データで構成された瞳から、綺麗な涙が溢れていた。

 俺は彼女の顔に、己の顔である虚ろな闇を近づけ、囁く。

「――だってリアルじゃ出来ないだろ?」

 当然と言えば当然の、だが悪意と狂気に満ち溢れた答えに、くしゃりと女剣士の顔が歪んだ。

 絶望に染まった少女の顔に、俺は包丁を振り下ろした。


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