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第二話 午前

2



「ふふふ。ははははは。あーッはっはっは」


 幕はとじた――。

 数時間後、カジノ内にあるロビーの片隅で、真っ白になって立ちすくむニーダルの姿があった。

 幸か不幸か、「そんなことに情熱を注いでどうしますか!?」と牙を閃かせて噛み付いてくる熊はいなかった。

 最初は調子が良かった。ニーダルは趣味程度だが手品を嗜んでいるし、工作員という副業柄ある程度の手癖も見抜ける。

 BJ(ブラックジャック)でコインを荒稼ぎをしてハイ&ローで倍々にし、最後にポーカーで老年のディーラーと真っ向から勝負して、負けた。


「ふっ。こォれも男のロマンってやつさ」


 気取ってみるが、いつもの紅い外套を脱いで、スリーピース・スーツを着たニーダルの背中は煤けていた。

 そもそも胴元は、莫大な設備費を回収するために、必ず勝つ様になっているのだ。

 あまり知られていないことだが、機械式の球入れ遊びや絵合わせ遊びは、遠隔操作の特許が堂々と取られていたりする。

 魔力演算機を使えば、数十台分の設定をボタンひとつで管理できるし、精算に識別カードを使う店では”カードごとに自動で設定を変更できる”ように基盤や配線をいじることすら可能だ。確率なんて信じて遊ぶのは、店側に遊ばれているようなものだろう。

 とはいえ、今度の場合、機械相手ではなく人間を相手に負けたのだから、納得もいった。

「勝負こそ、俺の魂の拠り所!」 

 冷静に考えてみれば”家庭に居場所がなくなり賭場に逃げてオケラになった”なんて坂道の転げ落ちっぷりは格好悪い気がしたが、気にしてはいけない。

「くぅう、あの切手レアものなんだが……」

 ニーダルが燃え上がったのには、理由があった。

 このカジノでは、コインを現金に換える他に、景品と引き換えることもできた。

 ”ちいさなメタル”とか、”でんくうのけんとよろい”とか、怪しすぎるラインナップの中に、発行数が少なく、今では入手困難なアロニー山水画切手が混じっていたのだ。

 引換コインは一万枚。消費者金融の無人契約機はカジノ内に用意されていたから、勝負を続行することも出来たが、さすがに使う気にはなれなかった。いくらニーダルでも。


『やめて、それはイスカの給食費……』

『てやんでェ。今度の勝負で借金をチャラにして、明日には倍にして返してやんよォ』


 なんて展開に、ロマンを見出すことはできなかったからだ。

 むしろ、そんな真似をしたら、あのクマに撃たれるし。丸かじりにされるし。

 ニーダルは長銃で腹をぶち抜かれ、ぬいぐるみにガリガリと頭から貪り食われる自分を想像して身震いした。これでは猟奇小説だ……。

「土産くらいは貰っておくか」

 最初の稼ぎを取りおいたコインを使い、二つでひと組のオルゴールボールと引き換えた。

 盗品か闇市からの流出物かはわからない。木の実のような形の銀球を軽く振ると、川のせせらぎのような曲が流れだす。球中の櫛歯が奏でる響きは次々と変化して、ニーダルの耳を愉しませた。

 イスカの年齢では、少し早いアクセサリかもしれないが、あのクマと一緒に玩具代わりに遊んでくれることだろう。

「…………」

 と、土産を手に入れたのは良かったが、ナンパの軍資金を稼げなかったのは痛かった。

 このまま帰ってクソクマと顔を合わせるのもしゃくだし、と帰宅を思いとどまって、カジノの中をぶらついてみる。

 ルーレット、サイコロ、バカラ……。

「っ」

 ニーダルがその女に気づいたのは、親と子の数字の下一桁のどちらが多くなるかを当てるゲーム、バカラのテーブルだった。

 ハイレイヤーのミドルにまとめた緋色の髪の女。淡紅色の瞳にモノクルをつけ、黒いドレスと紫のボレロをまとった長身の妙齢の女性は、釣鐘型の、とても豊かな胸の持ち主だった。


(ナイスボイン!)


 眼福だった。今日、この日、このカジノを訪れた幸運に、ニーダルは感謝した。

 彼女はいかにもボンボンといった風の、金髪青年の付き人らしく、静かに寄り添っている。


(なんてことだ。ここがマラソン会場なら、きっと素晴らしい光景が拝めただろうにっ)


 飛び散る汗、弾む砲弾、素晴らしき黄金風景。だが、静の中にこそある一瞬の美を見出すのもまた男の務め!

 ニーダルが別の意味で男らしい瞳で凝視する中、ボンボンは幾度かのミスを挟みつつも順調に勝利者を当て続け、山積みのコインを獲得した。


(……動くか)


 ニーダルに勝利した老練なディーラーが近づいてくるのがわかった。

 交代だ。今、札を配っている若いディーラーでは、ボンボンと彼に入れ知恵している女に太刀打ちできないだろう。

 店側の焦りを敏感に読み取ったか、ボンボンはコインの八割をベットした。

 次にボンボンが賭けたのは、親と子のタイ、つまり引き分けだ。この場合、もしも的中すれば、大量のコインを獲得できる。

 カードが配られる。観衆が息を飲んで見守る中、開かれる札。一枚目、親は2、子は7。二枚目、親は6、子は…


 9だった。


 どよめきが、周囲を支配した。

 安堵に唇を歪める若いディーラー。興味を失い、離れる観衆。そして、ボンボンがかすかに笑う。

 ニーダルがいちべつすると、老年のディーラーは真っ青になっていた。


(さすがは、かよ)


 見ないふりもできた。だが、ニーダルは、今日、この日、この時、このカジノに居てしまった。

 若いディーラーに歩み寄り、背を叩く。振り向いた隙に、袖口から”すり替えられた”カードを抜き取った。

「サマは、いけねェなァ」

 スペードのエース。1がふわりと、テーブルに舞い落ちた。


……

…………


 ニーダルは当然のごとく叩き出された。

 このカジノは公営であり、ハルダラを支配する軍閥が取り仕切っている。

 軍といえば、他国では国防や戦闘を担う兵の集団を意味するが、西部連邦人民共和国ではそうでない。

 地方における行政権、司法権、立法権の全てを担い、農業をはじめとする第一次産業から、製造業などの第二次産業、金融・通信他の第三次産業を統括し、ついでに人身売買や暗殺までこなす闇の世界をいっしょくたにした怪物だ。

 西部連邦共和国とは、共和国を冠していても、実質は地方軍閥ごとの共同統治だ。最大軍閥の主であるパラディース教団現教主アブラハム・ベーレンドルフや、前教主マルティン・ヴァイデンヒュラーが多くの決定権をもつものの、絶対ではない。地方は、表も裏も、地方軍閥によって運営され支配されている。そんな怪物の末端に喧嘩を売って、かすり傷で済んだのだから、幸運というべきか。


(ハルダラ領主から連絡が行ってたか、ディーラーの爺さんが気を利かせてくれたか、かな)


 再び紅い外套に身を包み、守り切ったオルゴールボールを鳴らしながら、ニーダルは公園のベンチに座って風に身を任せた。

 どれだけそうしていたことだろうか。

「良かった。無事だったんだね!」

 目を開ければ、濃紺のスーツに着替えてはいるものの、素晴らしき丘陵を持つ赤い髪の女性を従えた、黄褐色の髪の青年が手を差し出していた。柔らかく開かれたエメラルドを思わせる鮮緑色の瞳と、灰色の上着に隠した若木のような華奢な骨格……


 ザ…、と。 

 ニーダルの視界にノイズが奔った。

 どこかで見たような夜の商店街、赤いサンタクロースの衣装を着た自分、降り積もる雪の中に倒れた黒いトレンチコート……

 ザ…ザ…

 砂嵐のように意識を切り刻む頭痛と幻聴。


 こんなものは一過性のものだ。

 おそらくは、呪われた炎をこの身に宿した代償。磨り潰される意識を、ニーダルは必死で繋ぎとめようとする。

「おい、大丈夫か?」

「ああ。アンタも無事だったんだな」

 まるで自分の身体ではなくなってしまったかのように、木偶人形が如く力の廻らない四肢をどうにか動かして、ニーダルはふらふらと立ち上がり、差し出された手を取った。

「お陰さまでね。私の名前は、クラウディオ・アイクシュテットという。どうだい、良ければこれから食事でも?」

「こんな綺麗どころと相席できるなんて幸運だ」

 ニーダルは、気を抜くと付き人の女性の胸に吸いよせられる視線を無理やりずらして、クラウディオに微笑んだ。

「あはっ。ロティは、美人だからね!」

 クラウディオは上級繁華街に向かおうとしたが、ニーダルは別にいい店を知っていると断った。

 下層繁華街にある屋台で、黒パンとソーセージ、ホットワインを買って、街の片隅にあるスラムの傍で食べた。

「へえ、意外に美味しいじゃないか?」

「だろ。この前、買って驚いたんだ」

 スラムは、砂漠から飛んでくる黄色い砂で、半ば埋もれていた。

 ヨウ化銀で無理やり雨を降らせようとするよりも、木を植えるべきなのだ。魔法の存在するこの世界では、科学技術のみを手段とする世界よりも、より容易に自立型の環境循環システムを構築できるのだから。だが、西部連邦人民共和国は、緑化運動と称して禿山に緑色のペンキをぶちまけ、海外のボランティアが持ち込んだ機材や植苗木を抜いては売りさばき、環境の改善を理由に他国に金や技術をタカり、無心し続けることを選択した。

 結果、緑の草原と山岳は魔力と劇薬に汚染されて砂漠となり、湖や川は工場から垂れ流される廃液で七色に発光し、奇病や奇傷が蔓延するようになった。共和国内だけのことではない。風で流れた砂漠の砂が他国でスモッグを作っても、海に流れ込んだ汚液が巨大くらげなどの変異物を作っても、全ては他国の責任であると怒鳴り続ける。

 パラディース教団は幹部以外の、あらゆる人間を蛮族とみなし、他の国々を対等のものとは認めない。それが、西部連邦人民共和国の根源的価値観であるがゆえに。だから。

「……礼なんていらなかったんだよ」

 食べ終えた包み紙を外套のポケットに入れて、ニーダルは呟いた。

 あの時、カジノで一部の人間だけが気づいたはずだ。クラウディオが笑みと共に発したのは、静かな殺気だった。 

「アンタ、あそこで抜こうとしただろ」

「それで、私を庇って叩き出されたのかい? 聞いていた風評とは、随分違うんだね。紅い道化師」

 クラウディオが、鮮緑色の瞳を細めた。細い手が包み紙を風に乗せる。それは風に舞うことなく、千々に刻まれて消えた。

「今日は休暇だ。面倒ごとァお呼びじゃねーんだが」

「付き合ってもらうさ。キミもそのつもりで、私をここまで誘ったのだろう?」

 まるでダンスでも踊るように、クラウディオは軽やかにステップを踏んで、黄色い砂が爆ぜた。

「ロティ」

「はい。マスター」

 付き人がクラウディオの白い手を取り、――変化する。まるで緋色の糸が解けるように、豊満な肉体はかき消えて、一本の細剣を形作った。

「教主直属粛清部隊”無限の自由”の隊長であり”処刑人”――。

 第三位級契約神器フロッティが盟約者(あるじ)、クラウディオ・アイクシュテットだ。

 恩を仇で返すようで気が引けるが、民を守るため、私自身の誇りのため、我らが領の治安を乱す、貴殿を捕縛する!」

 ニーダルは俯いた。

 物凄く、残念だった。ああ、そうとも、そんなことだろうと半ば気づいていた。

 熊のぬいぐるみに化ける神器がいるのだ。ヒトガタに化ける神器がいても、今更驚かない。

 そんなことはどうでもいい。……期待したのだ。剣を交えることで、人として辿り着くべき最高の景色が、弾む希望が、たわむ禁断の果実が、眼前に開けるに違いない、と。それがまさか、指先ですり抜けていこうとは!

「やぁってやるさ、闘ぁればいいんだろ。こんちくしょぅ」

 ニーダルは左手を一閃し、魔術文字を紡いだ。炎が揺らめき、穂先に三日月の刃がついた十文字鎌槍が召喚される。

 教団に所属する契約神器のマスターは、これまでの経験を鑑みて、周囲の被害を考えない。

 カジノや繁華街のような人の集まる場所で、武器を抜かせるわけにはいかなかった。

 何よりも。


(宿に、イスカの傍に、近づけるわけにゃあ、いかねえからなッ)


 紅い外套を着たニーダルは槍を構え、灰色の上着を着たクラウディオは高らかに足を踏む。


 黄色い砂が舞い、そして、火花が交錯した―――。

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