好きになってしまったので、身を引こうと思います。
「だって、好きになっちゃたから」
懺悔するような声音で、泣きそうに顔を歪めた僕が言った言葉。それなのに君は間抜け面で、ぽっかりと口を開けて僕を見つめた後、たっぷりと間を開けて、ふっと微笑んで言った。
「 」
◆
夏休みが終わった九月。秋の少し乾いた涼しい風が吹く通学路を、僕——陸斗は晴と並んで歩いていた。家が近く、幼い頃から共に遊んでいる相手だ。勝手知ったる仲なので変に気を使わなくて済むし、一緒に居て気が付けば頬が緩むような、僕にとっては唯一無二の親友である。
運動も勉強もそこそこで、顔に至ってもこれといってあげる特徴がないような平々凡々な僕とは違い、晴は昔から器用な上、十人に聞いて十人が美形だと答えるような端正な顔立ちをしている。
そのせいか女子から呼び出されている姿を定期的に見かけるが、なぜかどのお誘いも断っているらしい。人の気持ちに敏いからこそ、裏にある下心を感じ取ってしまうのかもしれない。
なんて晴と話しながら考えていれば、校門にたどり着いた。家から近いという理由で選んだこの高校は、晴ならもっと良いところも選べただろうに彼も同じ理由で志望していた。
下駄箱で靴を履き替え、一年生の教室は一階なので階段を無視して教室へ向かう。
「じゃあな、陸斗」
「うん、またね」
晴は僕とは違うクラスなので教室の前で別れ、僕も自分の教室へと向かった。
教室に入ると、朝の少し気だるげな空気の中で各々が会話や読書を楽しんでいた。僕も荷物を机に置き、筆箱など必要なものを出してから教室の後ろのロッカーに仕舞う。
経費削減のためか扉のない格子状の木のロッカーは、ロッカーというより棚かもしれない。
窓際の席について、話す相手もいないので先程取り出した本を開く。周りの話し声を耳に入れながら、ただただ文字を目で追っていると、耳に入ったのは——
「そういえば知ってるか? 河上の話」
ぴたりと文字を追う視線が止まる。横目で見れば、斜め前の席の人が友達と話しているようだった。河上、それは晴の苗字だ。
「あぁ、好きな人できたらしいよな」
「そうそう、本人の口から言ってたって女子が騒いでた」
「……え」
思わず声が漏れていた。本を持つ手が震える。つきりと胸が痛んで、みぞおちのあたりに何かがつっかえているような感覚。心臓が大きく脈打っていた。
僕は自分自身に驚く。どうしてこんな、ショックを受けたみたいな反応をしているんだろう。僕と晴は幼馴染で、ただそれだけ。僕は晴が好きだけど、それは友人としてだ。
そう、ずっと思っていた。でも、納得もしてしまった。
女子に呼び出される晴を見るたび、どうして拳を握りしめていたのか。断ったと聞いたとき、なぜ安堵のため息を吐いたのか。その手に、触れてみたいと願ってしまったのか。
——あぁ、僕、晴のことが好きなんだ
そして同時に、とてつもない罪悪感が僕を襲った。最近は認められてきているとはいえ同性な上、晴は僕を友達だと思っているはずだ。
僕のこんな気持ちのせいで、晴との関係を壊したくない。
平凡な僕が、何もかも完璧な晴に釣り合うわけがない。
晴には、僕のことを友達だと思っていてほしい。それ以上の関係なんて望まない。望んではいけない。僕の気持ちなんて、この関係においては汚れでしかない。
こんなものを隠して晴に今まで通り接していたら、晴を穢してしまう気がする。僕はもう、今までの純粋に友達を好いていた陸斗ではないのだ。
——そうなれば、この気持ちが落ち着くまで、少し。
離れてみよう。
初めは多少気にするかもしれないが、きっと僕とは違って他にも友達はいるだろうし、すぐに僕のことなんて忘れるだろう。
それから僕は、休み時間は教室から離れて晴に会わないようにし、帰りも一緒に帰ることをやめた。
◆
それから一週間が経った。避けようと思えば案外できるもので、あれから晴には一度も会っていない。日に日につのっていく寂しささえ無視できれば、簡単なことだった。
家は近いとはいえ道路を三本ほど挟んでいるため、朝の時間をずらせば会うことは無い。教室も違うので授業でも会うことは無いのだ。
今日も昼休み、ご飯を食べ終わった僕は校庭の奥にあるベンチで本を読んでいる。校舎の窓から見ても誰が誰だか見分けがつかないだろうし、校庭にはそれなりに人がいるからだ。
いつも晴が隣にいたおかげで飛ぶように過ぎていた時間は、一人になった途端流れが遅くなったようだ。吹き抜けてゆく風がぽっかりあいた心の穴を通っていくようで、どうにも居心地が悪かった。
「陸斗」
ふいに本に影が差し、声が落ちてきた。その声は、僕がこの一週間焦がれていた、会いたかった人の。
「は、る……」
見上げてしまえば勝手に零れた声は、掠れていてほとんど音にならなかった。目を見開く。どうして晴がここに。いや、学校だからいるのは当たり前なのだけど、そういうことではなくて、なぜ。
心臓が早鐘を打っている。咄嗟に立ち上がろうとした肩を抑えられて、右手首を強くつかまれる。晴は何も言わずに隣に座った。
沈黙。真横で聞こえる呼吸。夏の名残を抱えた風に、晴の匂いが混じる。胸が焼けるように熱いのに、背筋は冷たい。
本は閉じることもできないまま、膝の上に乗っている。横目で晴を見ると、感情の読めない顔でうつ向いていた。そんな顔をさせても綺麗だと思ってしまう僕は、やはり晴から離れるべきなのだろう。
「……なんで」
重苦しい、肺が押しつぶされそうな空気を破ったのは晴だった。低く漏れたその声に、僕は息を呑む。それだけを言って、晴はまた押し黙る。
「好きな人、できたんでしょ」
声が震えないように、できるかぎり冷静な声を出して、それだけ言うと、晴の目がわずかに揺れた。
僕だって、何もわからないのだ。僕の代わりなんていっぱいいるはずの君が、どうしてそんな顔をして僕を探しに来たのかも。突然姿を消した僕に、怒るのではなくどうしてどこか悲しげな声を出すのかも。
いっそ、怒鳴って突き放してくれればなんて思うのに、どうして僕はこんなに悲しんで安堵しているのかも。
「なんで、一人にしたの」
泣くのを堪える子供のような声で、晴はそう言った。晴が、僕を見ていた。僕は目を合わせられずに、俯く。晴は泣くのを堪えるみたいに綺麗な顔を歪めて、僕を見ていた。
「それが、いいと思ったから」
「いいわけないだろ!」
珍しく声を荒げて晴が言う。掴んだ手首に力が込められた。いっそのこと痛いくらいだった。でも、そうさせているのが僕だと思うともっと痛く感じる。泣きそうな顔をしている晴に耐え切れなくなって、僕は目を逸らしたまま話す。
「だって、だって僕は君に似合わない。こんな汚い感情持って、君のそばになんていられない。僕の、代わりなんて」
自分で言いながら嫌になって、少し言葉に詰まる。唯一無二の親友だなんていうのは、きっと僕だけが思っていることだ。
「沢山いるでしょう……」
言い切ると、晴は目を丸くした。そして何を思ったか、真面目な顔をして手首を離し、代わりに手を両手で握られた。
「陸斗……俺にとってお前が、お前だけが特別で、大切なんだよ」
晴が一度言葉を切る。息を吸って、また続けた。
「……代わりなんて、いるはずない。陸斗が居なきゃ、俺はいつだって一人なんだ」
その言葉のうち一つだって嘘の色を見つけられなくて、じんと胸が熱くなる。晴が真摯に僕に向き合てくれることが嬉しかった。そんなことを思ってくれていたなんて、知らなかった。
でも、それで僕の育ってしまったこの気持ちが消えるわけではない。
「そう言ってくれても、僕はもう晴の隣にいる資格はないんだよ」
「どうしてそんなこと言うんだ!」
「だって——」
沈黙が下りる。この言葉を言わないためにわざわざ大好きな晴を避けたのに、ここで言ってしまっていいのかという迷いがあった。でも、きっと言わなければ晴は納得してくれない。どんな反応をされるかはわからないが、きっと必要なことなのだ。
「だって、好きになっちゃたから」
懺悔するような声音で、泣きそうに顔を歪めた僕が言った言葉。それなのに晴は間抜け面で、ぽっかりと口を開けて僕を見つめた後、たっぷりと間を開けて、ふっと微笑んで言った。
「俺もだよ」
「……え?」
聞き間違いかと思って晴を見る。だって晴には好きな人がいて——
「俺の好きな人はお前だ、陸斗」
声に出ていたのか、晴が言う。そんなはずはない。だって、こんな平凡な僕に晴が振り向くなんてこと、あってはいけないじゃないか。
「そんなはず……」
「本人が言ってんのにそんなはずもなにもあるかよ」
なのに、僕の言葉を晴はそう笑って一蹴した。都合の良い夢でも見てるんじゃないかと思った。でも、僕の手を握る晴の体温はしっかりと僕に伝わってきて、心の穴の開いた部分を埋めていく。
そのとき、昼休みの終了を示すチャイムが校庭に鳴り響いた。
晴が僕の手を取ったまま立ち上がる。目線で促されて僕も立った。晴は手をしっかり握って、僕の隣を歩いていた。僕が望んでいた彼の隣は、既に僕の物だったらしい。
「そうだ」
晴が立ち止まる。顔を向ければ、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「今日、久しぶりに一緒に帰ろうな」
僕は目を見開く。胸がいっぱいで、言葉が出るまで少し時間がかかった。
そして、力いっぱい大きくうなずいた。
「うん!」




