第三話
「そろそろ、お互いのことを良く知れた頃合いでしょうか」
いつの間にか、広宮が蛍の後ろに立っていた。急に後ろから聞こえた声に驚いて振り返ると、変わらない表情の広宮と目が合った。やはり完璧な笑みの筈なのに違和感が勝ってしまう。
「アキさん、今から仕事?」
「ええ、先程の件です。こちらをどうぞ」
差し出された紙を光弦と二人で覗き込む。なにやらびっしりと細かい文字で書かれていたのは、目撃された妖の情報のようだった。
『巨大なヘビのような形をした三ツ目の妖。口が大きく裂けている。水を扱うことを確認。多数の小型個体も確認した』
「あとは、この妖についてのことがずらって書いてあるみたいだね……ん?これって調査報告書だよね?誰か先に行ってたの?」
ふむふむと文字を目で追っていた光弦が、先を越された可能性に気がついて広宮に詰め寄る。広宮は光弦の勢いに全く動じず、ただ静かに頷いただけだった。
「賢吾が先に調査を済ませていたようですね。仕事が早くて助かります」
「ちょっと、あたしたちに仕事させてくれるんじゃなかったの!?」
「そのつもりでしたが、彼がやってしまったのですから仕方がありません。……それに、まだ仕事を与えないと言ったわけではありませんよ、光弦」
広宮はすっと空中で手を振って半透明のモニターを出現させた。異能の気配は感じない。つまり、これは広宮の異能によって作り出されたものではないのだ。
(わ、凄い!本部って、こんなものもあるの?新しいやつなのかな)
「蛍っち、あれ見るの初めて?最近試験的に導入されたんだって。なんでも、情報部の技術の結晶だとか」
凄いよね〜、とまるで蛍の心を読んだかのようなタイミングで注釈をいれる光弦。そうなんだ、と頷きつつも少し不思議な感じがする。出会ったばかりだというのに、ずっと知り合いだったかのような親しみやすさ。これが橘光弦という少女なのだろうか。
「ふむ……。では、二人はこれから賢吾と合流して妖の討伐をお願いします」
「えっ、討伐?」
いきなり、と難色を示す光弦に先程の報告書を渡し、「資料をよく読んで、三十分後には出発するように。賢吾は青可園にいるので、あまり待たせないように」とだけ伝え、広宮はさっさと彼女の席に戻ってしまった。
青可園ってどこだろう、と思ったが、光弦の嫌そうな顔を見るにそんなにいい場所ではないかなと判断した。
「青可園って物凄い複雑で嫌いなんだよなぁ……。蛍っち、行ったこと無いでしょ?気をつけないと、すぐに迷子になって出られなくなっちゃうんだから」
「うん、気をつけるね」
会話をしながら報告書を確認し、内容は大体把握できた。複数戦に備えなくてはならない、と蛍は体力配分を考える。一回で複数体相手するのも、複数回戦うのも慣れている。人の少ない神無島ではいつものことだ。
「へー、一体一体の戦闘力はそう高くないんだって。良かったぁ。あ、蛍っち着替える?あたしも着替えるから、ちょっと待ってて」
自分の荷物を持って立ち上がろうとしていた蛍の様子に気づいて、報告書から顔を上げた光弦がそう言った。
大人しく椅子に座り直し、光弦が報告書を読み終えるのを待つ。さっきの発言から、あともう少しで読み終わるだろうと踏んだ。
「よし、行こっか!ロッカールームはあっちだよ〜」
彼女の着替えはロッカールームに置いてあるらしく、光弦は手ぶらで歩き出した。その後を追って、蛍も歩く。
「今回のやつ、なかなか面倒くさそうだよね。まず本体を叩かなきゃいけないのに、小さい分裂体が取り囲んでるなんて」
「しかも、分裂体を下手に倒すと更に分裂するんでしょう?……あまり、得意じゃないな」
「蛍っちも?あたしもなんだよね。まあでも、白瀬さんがそういうの得意だから大丈夫かな」
雑談をしていると、あっという間にロッカールームに辿り着く。一番エレベーターから遠い部屋だ。
「ここのロッカー使って!」
光弦に指し示されたロッカーを開け、荷物を入れ込む。とはいえ、そこまで大した量ではない。有事の時用に用意していた戦闘服の替えと裁縫箱、原体以外の護身用程度の武器。それだけだ。
「あれ、蛍っち、護身武器置いてっていいの?」
隣で着替えていた光弦が蛍のロッカーを覗き込んで言った。蛍は少し迷うように護身武器の上に手を彷徨わせたが、結局そのどれも取らずに着替えを始めた。
「別にいらないかな。原体があるし、そもそも妖相手に使えるようなものじゃない」
「え、妖用じゃないの?じゃあ対人用?……あー、蛍っち、神無島ってそんなに危なかったの?」
どうやら、光弦は蛍が護身武器を持っている理由が島にあると考えたようだ。どこか引いたような目をした光弦をチラリと見て、軽く首を横に振った。
「ううん、別に。普通の島だったよ」
シャツのボタンを留めながら、今日発ってきたばかりの神無島に思いを馳せる。妖は多かったが、そこに住む人は皆優しく、温かだった。きっと光弦の想像するようなことは何もない。
「いつか行ってみたいなー。だって、神無島って妖がたくさんいるんでしょ?」
光弦は既に上着まできっちりと着込んでいる。蛍もズボンを履き替え、上着を羽織る。
「わざわざ妖が沢山いる場所に行きたいの?」
「うん。あたしの目標がそこにいるかもしれないしね」
明るい瞳をギラリと光らせ、光弦は答えた。その瞳を見て蛍はあぁこの子も対妖軍の一員なんだと感じた。落ち着いた緑の瞳に強い感情の炎が灯るのをはっきりと見た。本来、高校生の少女が持つべきではないものの筈なのに、彼女の瞳はそれが当たり前かのようにそれを受け止めている。
「蛍っち、着替え終わった?」
その炎もすぐに形を潜め、蛍に笑いかける少女はただの人懐っこい美少女だった。
頷いて、最後のボタンをかける。よし、と笑って光弦は歩き出した。
「青可園って、確かに待ち合わせにぴったりなんだ。人も妖も迷っちゃうから。白瀬さん、入口の方で待っててくれるといいけど」
「……そうだね」
実のところ、蛍は青可園で迷うことはそこまで心配はしていない。これまで、殆ど道に迷うことなど無かったのだ。迷路も一発で正解に辿り着ける。指定した範囲の構造が分かる。それが蛍の異能だった。
きちんと原体を持ったのを確認して、蛍も光弦のあとに続く。横に並んで、長い廊下をひたすら歩いた。
「ねー、ここ本当に建物の構造歪んでると思わない?なんかさぁ、空間の異能使ってるせいで外側から見るよりもよりも内側は広い」
「そのくらいは普通にあるんじゃない?」
「神無島の所もそうなの?」
「あっちは島全体を拡張させるための異能が張ってあるよ」
へえ、と感嘆の声をあげて、光弦はうっとりと目を閉じた。蛍は危ないよ、と腕を引き、もうすぐでエレベーターだから考え事はそっちでしなさいと注意した。はぁい、と気の抜けた返事を返し、ぱちりと目を開く。
「そういえばね、うちの学校、軍にいる人があたし以外にもいるんだよ」
エレベーターが来るのを待つ間、不意に光弦がそう言った。そうなんだ、としか返せない蛍を気にした様子もなく、光弦は言葉を続けた。
「生物の先生なんだけどね、第三部隊の第一小隊に所属してて、すっごく強いんだよ。後で蛍っちのこと紹介しにいきたいな。いい?」
「……いいよ」
光弦の期待に満ちた瞳に見つめられ、蛍には頷く以外の道は残っていなかった。まあ、紹介されたとて殆ど関わりの無い人だろうし、気にすることは無いだろう。頷いてしまった以上、そう自分を納得させるしかなかった。
チン、と小さな音を立ててエレベーターが到着したことを知らせる。降りたときも思ったが、建物自体は近代的なくせに、エレベーターだけはやけにレトロだ。
開いた扉から、人が一人出てきた。すらっと背が高くて、蛍達とは違う制服を着ている。
「あっ、小野田先生!」
光弦が声を上げ、その人物に向かって親しげに話しかける。
(……小野田……?)
視線を上げて、光弦と話すその人物を見る。その顔と小野田という名字が結びついた途端、蛍は凍りついたように動けなくなった。
なんで。どうして、こんなところにいるの。
背筋を冷たいものが伝う感覚。こいつから離れたくてあの離島へ渡ったのに、東都に来た初日にこいつと会うことになるとは思いもしなかった。一刻も早くここから離れたい。
幸いなことに、彼は蛍に気が付いていないようだった。この隙に一人で下りてしまおうかと考えたが、流石に急に蛍がいなくなったら光弦も驚くだろう。それは本意では無かった。
「蛍っち、この人は小野田千尋先生っていって……蛍っち?どうかしたの?」
できれば、このまま蛍には触れずに彼と別れて欲しかった。光弦の声につられ、彼も蛍の方へ視線を向ける。反射的に顔を俯かせたが、なんとなく彼の体が強張ったのが分かった。短く息を吸う音。それは、蛍のものなのか彼のものなのか。
いつまでも顔を伏せているわけにもいかない。なんとか笑顔を作って顔を上げた
蛍の顔を見た『先生』は、端から見てもわかるほど混乱しているようだった。困惑、喜び、悲しみ、恐怖。そんな感情がないまぜになったその顔を見て、ぎゅっと胸が苦しくなる。
「はじめまして。本日から本部へ異動となりました、第六小隊所属の結城蛍です」
それでも、引きつった笑みを浮かべながら蛍は言った。彼を傷つけても、必ず言わなければならない事だったから。
蛍の「はじめまして」から酷く傷ついた顔をした千尋の脇をすり抜けてエレベーターに乗る。カードキーをかざし、光弦が慌ててエレベーターに乗り込んだところですぐに一階のボタンを押して扉を閉めた。
「もしかして、蛍っちと小野田先生って知り合い?」
不思議そうな顔で尋ねる光弦からの質問には、すぐには答えられなかった。蛍と千尋が知り合いでないと言ったら真っ赤な嘘になるが、『結城蛍』と『小野田千尋』は知り合いではないのだ。
「……どうだろうね」
そう返した蛍に怪訝そうな顔をした光弦だが、「まあ、秘密は誰にでもあるよね」と達観したように言っていた。
チン、と到着を知らせる音がなり、静かに扉が開いた。開き切る前にエレベーターを飛び出す蛍。今はとにかく、立ち止まりたく無かった。
「おお、蛍っちはやる気マックスだね!あたしも頑張ろーっと。さてさて、青可園に案内するよ!」
そもそも、この広い上に罠が大量に仕掛けられている本部の建物から出ることが大変なのだが、そこはもう慣れるしかない。
このだだっ広い空間では、蛍の異能は殆ど意味を成さない。空間拡張系の異能とは相性があまり良くないのだ。必要に応じて拡張される空間は、なんとなく空気が違う。
その上、大量に設置してある罠は厳重に隠されている。よほど腕のいい異能者か、最上位クラスの妖くらいしか気付くことは出来ないだろう。蛍の異能でも見つけることはできない。
やっとの思いで本部を抜ければ、あとは青可園で白瀬と合流するのみだ。
「いやー、東都ってひたすら複雑なんだよねぇ。そもそも青可園もなんのためにあるのかよく分からない施設だし」
「そうなの?」
光弦はうん、と頷いて青可園についてのことを話し始めた。曰く、青可園はもともと妖を誘い込んで討伐する用に作られた大規模迷宮なのだそうだ。しかし、あまりに複雑すぎて対妖軍も出てこれなくなったりする事故が多発したため、今は利用するのに許可が必要らしい。普段はGPS必携で一般人も立ち入れるようになっている。それでも、許可のない一般人が入れるのはあまり複雑でないエリアのみだ。
「……それ、今回の妖とはあまりにも相性が悪いように聞こえるんだけど……」
「それあたしも思った。けど、白瀬さんのことだから何か考えがあるんだよ」
青可園について詳しく聞いた蛍が、唇の端を引き攣らせながら不安を口にする。かなりの数を相手にするのに、バラけて迷宮の中を彷徨われては討伐も容易ではないだろう。もっと開けた場所でやるべきではないのか。
暫く道を歩き、いくつも角を曲がり、もはや一周したのではないかと思うほど歩いた先に、その場所はあった。妖の討伐に使われることから、本部からは近いものの行き方がなかなか面倒な所にあるのだそうだ。
「さーて、白瀬さんを探せ!アキさん、入口で待ってるって言ってたよね?」
「そんなこと言ってないよ。光弦ちゃんがそうだといいなって言ってただけじゃない?」
「……そうかも。うわー、恥ずかし」
軽く赤くなった顔を隠すように早足で青可園の入口に向かう光弦を追って、蛍も青可園に入っていった。




