第二話
目的の第六小隊の執務室は、倉庫と会議室に挟まれた位置にあった。木製の扉は閉まってはいるものの、特に鍵はかかっていないようだった。
一応、と扉をノックしようと拳を軽く握ったところで、内側から勢いよく扉が開いた。というより倒れてきた。
それだけならば避けられたが、倒れてきた扉の上に乗っかるように出てきた何かのせいで結局ぶつかり、扉と何かの下敷きになってしまった。
「ぐっ……」
「おや?うわっ、お主、大丈夫か!?すまん、きちんと見ておらなんだわ!」
上から幼い子供のような声が聞こえてきたと思ったら、すぐに蛍の上に乗っていたものが取り除かれた。
立ち上がろうと顔を上げると、心配そうにこちらを覗き込む赤い瞳と目が合った。思いっきり打った鼻を押さえながら立ち上がれば、浅葱色の着物を着た白髪の少女が扉を手に決まり悪そうに立っていた。彼女が扉を蹴破った犯人なのだろう。
「すまんのぅ、怪我は無いか?」
「平気です」
そう答えたが、強く打ち付けた鼻からはポタポタと赤い血が流れていた。手で隠してはいるものの、そろそろティッシュか何かが欲しかった。
「嘘はよせ。妾には全てお見通しじゃぞ。お主、鼻を怪我しているのであろう。取り敢えず入れ、妾が治してやる」
グイッと腕を引っ張られて、バランスを崩しながら執務室に足を踏み入れた。
少女は蛍を空いている椅子に座らせ、バタバタと棚から救急箱を持ってきて治療を始めた。とは言っても、回復カプセルを取り出してそれを蛍に渡しただけだが。
(回復カプセルが処方出来るということは、彼女は医務官?
いや、それよりも……)
先程感じた妖の気配。それが、この少女からしていることが気になった。彼女が、あの冷気を引き起こした犯人なのか?
「あの、名前を聞いてもいいですか?」
恐る恐る問いかけた。用のなくなった救急箱をいじっていた少女はその手を止め、蛍の方へ顔を向ける。
「む?ああ、まだ名乗っておらなんだか。妾は不知火じゃ。よろしくのぅ、新入り!」
「……よく分かりましたね」
「当たり前じゃ!なんたって妾は……」
「不知火!!」
何か言いかけた不知火の声は、彼女を呼ぶ低い怒鳴り声で遮られた。その声を聞いた途端、不知火の顔が苦々しげに歪む。
「ちっ、あやつめ、もう気付きおったか。新入り、妾がここにいた事は誰にも言うなよ!良いな!」
そう言い残して、蛍が何か答える前に姿を消してしまった。空気に溶けるようにあっという間に、はじめから何も無かったかのように跡形もなく。
不知火が消えたのと同時に、ぽっかり扉の無くなった入口から男が入ってきた。端から見てもわかるほど、怒りのオーラを身に纏っている。
「そこの君!不知火……白髪で着物を着た少女を見ていないか!?」
怒鳴り調子に話しかけられ、びくんと肩が動く。あまりの気迫に頷きそうになったが、不知火から言われたことを思い出してなんとか思いとどまった。
「み、見てません」
普段は感情が表に出ないと言われているが、ポーカーフェイスができていたかどうか、今だけは分からなかった。少し、口の端が引きつったようにも思う。
「……そうか。それで、君は新しい隊員の結城くんだね?」
「そうです。本日から第六小隊に配属された、結城蛍といいます」
見ていないと蛍が答えると、まだ疑いの目を向けながらも一応は信じてくれたらしい。ほっと息を吐くと、そっと胸を撫で下ろした。
この男の名前は松江修士というらしい。第六小隊の副隊長で、妖である不知火のお目付け役なんだという。珈琲を淹れながら、教えてくれた。不知火は、とある廃れた神社で発見されたそうで、その第一発見者である修士が身元を引き受けているのだそうだ。
「その不知火さんは、どのような役割の方なんですか」
先程、蛍に回復カプセルをなんでもないもののように救急箱から差し出したことを思い出して、そう尋ねた。蛍は医務官だと踏んでいるが、実際はどうなのだろうか。
珈琲を二つ淹れ、一つを蛍の前に置いて蛍の前の席に座った修士が答えた。
「あいつはなんでもやるぞ。ただ、妖相手の戦闘に駆り出したりはしないな」
「それは……やはり、彼女が妖だからですか?」
修士は苦々しげに頷き、そして軽く首を振ったあと珈琲の入ったカッブを傾けた。
「そもそもあいつが妖と戦いたがらないからな」
そういうものなのか、と頭では考えつつも、まだ腑に落ちなかった。この対妖軍に入ったならば、妖と戦うのは避けられないことなのではないか。個人の感情で戦わないなんて、許されるのか。
「……まあ、そのうち分かるさ。さて、俺は不知火を探しに行ってくる。そろそろ他の隊員も来るから、それまでここでゆっくりしていてくれ」
そう言って修士は席を立つと、空いたカップを流しに下げて出ていった。相変わらず、扉は外れたままだ。
ぽつんとその場で一人残された蛍はどうしていいか分からなくて、どうせなら扉を直してしまおうと立ち上がった。特に壊れてはいなさそうだし、これならば元に戻せるだろう。
「よいしょ、っと……」
なかなか重い扉だったがなんとか持ち上げ、レールの上に置いてはめ直す。島にいた時にはよくやっていたことだから、すぐに扉は元通りレールにはまった。横に動かしてみても、外れる気配は無い。
扉がしっかりはまり、今度こそ蛍は手持ち無沙汰になってしまった。勝手に歩き回って何か壊してしまっても大変だと思って、さっきまで座っていた席に大人しく戻る。
原体の手入れでもしようかと思い立ち、ハンカチと原体を取り出した。原体は人によって形や色が違うが、蛍のものは黄色で丸い。キラキラと光を反射して輝いていて、まるで宝石のようだと見るたびに思う。
ハンカチでゴシゴシと原体を擦る。殆ど意味などないと分かってはいるのだが、こうしていると落ち着くのだ。原体が磨かれて、更に輝きを増していくのを見ると、なんとなく満ち足りたような気分になる。
暫くそうしていると、ガラリと直したばかりの扉が開かれ、少女と女性が入ってきた。
「あれ?知らない人がいる!アキさん、知ってる?」
「光弦、人に指を指すものではないですよ」
二人は話しながら蛍の方へ向かってくる。何か悪いことをしているわけではないのに、今この場では完全に部外者になってしまっていることが、酷く蛍の居心地を悪くさせた。
「ほ、本日からここに配属されました、結城蛍といいます」
そう挨拶をすると、少女の方は合点がいったように頷いた。
「わ、新しい人だったんだ!あの、あたし、橘光弦っていいます!よろしくお願いします、蛍さん!」
目をキラキラと輝かせて、机の上に置かれていた蛍の手を取ってブンブンと振った。あまりの勢いに蛍が目を白黒させていると、光弦と名乗った少女の隣にいた女性がため息を吐いて二人の手を離した。
「光弦。あまりはしゃいでは迷惑になりますよ。蛍、私はこの第六小隊の隊長、広宮アキです。何か困ったことがあれば、私か副隊長の松江修士に言って下さいね」
「はい、よろしくお願いします」
にこりと笑って差し出された白い手を握り、すぐに離す。表情は笑顔だったが、瞳は笑っていなかった。少なくとも、蛍にはそう見えた。そんな広宮の違和感を掴み切る前に、光弦がはしゃいだ様子で声を上げた。
「ねえねえアキさん、あたし、この人とバディ組みたい!いい?」
「こら、蛍の意見も聞きなさい」
「ね、蛍さん、いい!?いいでしょ!?」
光弦の勢いに押されて頷きそうになるものの、この子がどういう戦い方や仕事の仕方をするのか分からないのに頷くわけにはいかないと思いとどまった。
「……考えさせて下さい。まだ、あなたのことを殆ど知らないのに、簡単に頷くことはできないので」
「あ、そうだよね。ごめん。じゃあさ、最初の仕事はあたしとしてくれない?」
最初の仕事。蛍はまだ何をするのかすら分かっていないので、広宮に尋ねる。
「丁度、この辺りで存在が確認されている妖の調査が第六小隊に入ってきたので、貴方に行って頂こうと考えていたのです。光弦と共にお願いできますか」
柔らかな笑みをたたえながらそう返した広宮の瞳は、先程と変わらず笑っていない。蛍は、それがどうも気になっていた。それを気にしても仕方が無いことは分かっているのだが。
「蛍?」
広宮について考えていたら、ぼーっとしてしまったらしい。慌てて、「もちろん」と頷いた。光弦の表情が更に明るく輝きを増し、蛍は思わず目を細める。なんだか彼女自身が発光しているようで、眩しかった。
「やったぁ!ねぇ、まだでなくても良いよね?少しお互いのことを知る時間にしようよ!」
光弦からの提案に、他の仕事があるのではないかと広宮を見たが、彼女はただ形だけの笑みを浮かべているだけだった。
「……良いですよ」
圧に負けて頷く。蛍も散々マイペースだのなんだの言われてきたが、光弦のほうがずっとマイペースだと感じた。現に、蛍が頷いた途端に彼女は蛍の隣の席に座って嬉しそうに身を乗り出している。
「じゃあ、まずはあたしから!さっきも言ったけど、橘光弦です!呼び方はなんでもいいよ、光弦でもみっちゃんでも。十七歳で、高校に行きながらここの対妖軍でも働いてるよ。一応、第六小隊では最年少かな?よろしくね!」
十七歳。入隊に年齢制限はないとはいえ、よく試験をクリアしたものだ。大人でもかなり難しいのに。それに、学校に行きながらなんて。蛍には到底出来そうもないことで、素直に感心した。体を壊さなければいいけど、と心配も浮かんだ。
「どこの高校に行っているの?」
「えっとね、青島高校って所なんだけど……知ってる?」
気が付けば、蛍の口調が砕けている。自分より年下であることが明確に分かったからかもしれないし、光弦が持つ雰囲気に当てられたのかもしれない。
光弦の口から出てきた高校名を聞いた途端、驚きにも納得にも似た感情が湧き上がってきた。
青島高校は、東都で一、二を争うほど偏差値の高い高校だ。対妖の戦闘も教えているコースがあるというが、彼女もそこに通っているのだろうか。そう思って光弦に尋ねてみたが、答えは否だった。
「確かにあるけど、あたしは普通科に行ってるよ。蛍さんは?」
流れでそう返され、ドキリとする。背中を冷たい汗が伝っていく感覚。
「私、は……。その、高校には行って無くて」
特に責められはしないだろうが、自分で決めたことなのになんとなく後ろめたくて顔を伏せる。はっと息を呑む音が聞こえたが、光弦の表情は見えなかった。
「え、えっと……ごめんなさい」
(謝らないでよ……)
気まずそうに謝る光弦に、蛍もますます顔が上げられなくなる。二人の間に微妙な雰囲気が流れ出したが、それを断ち切るように光弦が殊更明るい声を上げた。
「あー、次は蛍さんの自己紹介が聞きたいなぁ!」
わざとらしい明るい声に、はっと顔を上げる。そうだ、光弦が言ったのならば自分も言わなくては。
とはいえ、何をどこまで言えば良いのかが分からない。こんな自己紹介なんてするのは久しぶりすぎて、なかなか緊張する。
「えーっと、結城蛍、二十五歳。ここに来る前は、神無島にいた。よろしく、光弦……ちゃん?」
なんとか自己紹介を終え、チラリと光弦の反応を伺う。蛍としては無反応は困る、くらいのものだったが、予想以上に光弦の反応は大きかった。
頬を赤くさせ、目をキラキラと輝かせ、じっと蛍を見つめている。あんな拙い自己紹介のどこにそんなに彼女を惹きつける要素があったのか、よく分からなかった。
「あのー、光弦ちゃん……?」
恐る恐る声を掛けると、はっとしたように蛍をしっかりとした瞳で見た。熱に浮かされたような潤んだ瞳ではなく、普通の、きれいな緑色をした瞳だ。
「ご、ごめん蛍さん!ついぼーっとしちゃって。あ、そうだ!蛍さんのことあだ名で呼んでいい?」
「あだ名?」
突然の提案に驚いてしまったが、じわりと温かいものが心を満たしていくのが分かった。かつて、あだ名で呼ばれたことなど無い蛍にとって、その提案はとても魅力的に映った。
「でも、あだ名なんて無いし……」
「えー、大丈夫だよ。嫌じゃないなら……うーん、蛍っちとか?どう?」
「ま、まぁいいけど」
口ではぶっきらぼうになってしまったが、心のうちではこれまでにないほど舞い上がっている。今ほど感情が表に出にくいことに感謝したことは無いだろう。
「あはは、そんなに喜んでくれる?蛍っち、可愛い〜」
「……顔に出てた?」
「ううん、あんまり。ちょっとほっぺが赤いな〜くらい」
言われて、はっと頬を押さえる。照れているのが出てしまっていたのか。なんだか、東都に来てから調子が悪いのかもしれない。やはり、先生の所に行かなくては。




