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暗黒に昇る

誰もが予想外で、誰もが見捨てることを決意した———それはその場にいた者の話。


ハイヤーは暗黒の中にいた。自ら望んでそこに落ちた。万が一にもウィンドルが落ちた場合に備えて、スキルを準備していた。


「【準備は入念に】」


それは音もなく光もなく発動する。暗黒の底に落ちてきたキッズ、ジェファードを移動させた。


「…大変お世話になりました」


どこかといえば———


◾️


とあるヘリの中。


「きゃっ…」

「うあぁあぁあっぁっあっぁ!!!!」


ブーケの声が小さいヘリコプターの中に響き渡った。それもそのはず、血まみれの男と片腕のない女、それも知り合いが、何もないところから現れたのだから。


「う、運転手さん!怪我人、怪我人なの!」


腕利きの運転手は、備え付けの救急箱でできる限り治療する。本当にできる限り。

状況からしてこの男が、ジェファードとかいうボックスの嫉妬の的なのだろう。そして処置のされた片腕のないキッズ。


豪華、清潔、安全にしか縁のないブーケはもうこれだけで卒倒しそうだった。


「レディ・ブーケ、これ以上は厳しいかと!」

「ブーケのマジックアイテム使えばいいの!」


そう言って2回手を叩くと、ファンシーなトランクがやって来て自らの鍵を開けた。整頓されたその中を震える手で探す。


「レディ・ブーケ………」


後ろから掠れた声がかかった。


「マダム・キッズ!後にするの!」

「…ジェファードは治療を拒絶しています」


ジェファードの処置にかかりきりになる運転手から離れて、アイテムを探すキッズのスカートの裾を軽く引っ張った。


「気を失ってるやつの思うことが分かるわけないの!キッズはブーケがちゃんと怒ってあげるから、今は大人しくしてるの!」

「そういう契約なんです」


ブーケの動きはぴたりと止まった。


「私はそれを守る義務があります」


キッズはバランスの上手く取れない体で、よろけながら立ち上がり、商人の目をしてブーケに言った。


「……契約の成立を証明する書面、または録音は?」

「私のポシェットに」


慣れない左手で小さいポシェットの中を探すと、2枚の羊皮紙が出てきた。片方は魔王推薦書、もう片方は魔王推薦書に関する同意書だ。ブーケは素早く目を通す。


「……確認したの。『契約者ジェファード・ライダーは魔王になる過程及び達成後、救命行為の一切を拒否する』書類、サイン、押印にも問題ないの」


よってこの契約は守らなければならない。大陸任命の商人の二つ名———“マダム”、”レディ“、”ミスター“にかけて。ブーケは治療をする運転手を止めた。


「…大陸商会本部にキッズの処遇は任せるの。知ってるだろうけど、勇者の妨害は世界の法律で禁止されてるの。ブーケはあんたのこと庇わないからね!」


ブーケは髪を掻き上げて怒りっぽく言った。実際怒っているのだろうが、彼女の優しさが滲み出ているところにキッズは思わず笑ってしまった。


「庇えない、の間違いでしょう?」

「どっちにしろ同じなの」


呆れてものも言えないのか、ため息と共にそれだけ言って、すでに絶命したジェファードから目を背ける形で座席に座った。


運転手はテキパキと、ビニール製のシートを彼の体にかける。元勇者の最後の顔など見たいものではない。たとえ満足そうだったとしても。


「ねぇ、キッズ。きっとあんたは大陸任命から降ろされるの。だから今聞くの」

「…?」


キッズは首を傾げる。一体何かあっただろうかと。


「もう!ミササギにそろそろ二つ名をあげようって話してたの忘れたの!?」


大陸任命の商人にのみ贈られる、責任と実績を保証する称号。メンバーが増えてからは内々に決めて、商会本部に申請するようになり、本人達とってはあだ名付け会のようなものだった。

レディ(淑女)の次にミスター(紳士)が生まれ、マダム(貴婦人)と続いたところでの次だ。今後も名乗る必要があるのでセンスが問われる。以前、各々考えておこうという話になっていた。


もちろん、ミササギには内緒だ。


「…ミササギくんは名前が変わっていますから、語呂感が難しいです」

「分かるの。なんだかしっくりこないの」

それでも全く意見のないキッズではない。どんなものでも期日までにしっかりと回答を用意するタイプだ。


「参考程度に、オーナー(主人)なんていかがでしょう」

「…」


オーナーなんて、店の店主に付くような名前だ。


ブーケは先ほど見た同意書の内容を思い出した。そこには魔王になるにあたり、延命拒否の条件の他に、自分の酒場をミササギに譲渡するなどの、大陸商会にお願いできる範囲の希望も書かれていた。


「減刑は望みませんが、契約の完全履行に協力していただきたいです」

「……公式な書面として成り立っているものを、本部が蔑ろにするわけないの。ひとまず、キッズのは案として受け取っておくの」


ブーケは書類と、追加で受け取った彼の遺書を丁寧にトランクの中へ入れた。


「もう寝るといいの。起きた頃には大忙しになるから、今のうちに」

「ありがとうございます。…親愛なるレディ・ブーケ」


キッズは座席に座り直し、棺の中で眠るように静かに寝息を立て始めた。


彼女のことは詳しく知らない。音越しに彼女が魔族で、ずっと商会に潜んでいたということぐらいしか。だから、なぜ魔王の推薦なんか真面目にやるのかもブーケには理解が及ばない。


(適度に儲けて、私たちとお茶会するだけじゃダメだったの?)


ブーケはこの仕事が好きだ。人と関わり、疑い、2手先を見通す仕事は大変だが、やりがいがある。実家で研究職を選ばなくて良かったと思っているぐらいだ。


「ま、ブーケたちは彼女たちの選択を尊重するだけなの。そうでしょ、ミスター・ボックス。出てこいなの」


部外者が色々考えても仕方ない。どうせ考えるなら、魔王撃破後の世界の景気でも考えたい。

キッズが寝たところを確認してから、ブーケは潜んでいた盗聴器に話しかける。


『おっとバレたか。……いやホント気遣い上手だな、感謝するよ』


彼の声色は機械越しでも分かるほどに疲弊していた。恐らく気疲れというやつだろう。


「運転手さん、出発お願いするの。とりあえず近くの病院に」


ブーケはキッズの座席のベルトを固定させ、準備が整ったところで、ジバババ、という音を立ててヘリは飛んだ。


「…ミスター・ボックス。完全に失恋したの」

『それ以上言うなよ。惨めだ。……そんなことよりミササギの二つ名の話をしよう。オーナーだって?いいじゃないか!』


ボックスは少々強引に話を切り替えた。これ以上を語らせるには、きっとアルコールが必要だろう。


「ブーケもそう思うの。オーナー・ミササギ、いい感じなの」


彼の手の内が読めない不思議さも、商人としてすぐに花開いた商才も表現できている。あとはいつ彼に伝えるかだが———


『ふむ、勇者のあの様子じゃ2日以内に魔王は倒せるだろうな』

「2日?そんなに速いの?」

『氷風のダンジョンで見た彼らの戦闘力は申し分ない。妥当だろう。むしろ彼らの予定では、ジェファードの奇襲の分、もっと早かったんじゃないか?』


今日という日も、もう終わる。ヘリの外は渓谷の下のような暗黒が広がっていた。違うところは星々と月がきらめいていることぐらい。


世界平和はあと少しで実現する。

そうなれば商人は忙しくなる。予定を空けるのは難しい。


『空いてる日なんて、明日明後日か、遠いいつかの明日だな』

「明後日にするの。魔王を倒した日に二つ名を貰うなんて、縁起がいいの」


ブーケもボックスも、ミササギはその日に来れるだろうと思っている。文句こそ言うが、ちゃんと来てくれる。それに大陸任命唯一の旅商人だ。ある程度の予定の自由は効く。


ブーケとボックスはそこからぽつぽつと、いろんな話をし始めた。先の戦いの話だったり、商店の話だったり、経済の話だったり。真面目なものが多かった。


いい大人なのだし、はしゃぐのはミササギに二つ名を渡した時で充分だろう。


———ミササギは、その日だけは、お茶会に応じることはできないが。

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