《暗黒渓谷》
暗黒渓谷はその名の通り底の見えない、まさに暗黒とも言える深い谷がある魔王城までの唯一の道だ。
なぜかそこの気温は北に位置する割には高く、防寒具の必要もない。赤黒い砂のような質感の土地だ。土地と表現するにはまともに歩ける場所がなく、基本の道は木製の吊り橋だが、それはそれ。橋の両サイドは暗黒という、スリル満点の最後の冒険だった。
その上、今は夜。月光のみが周囲を照らす。
少し目線を上に上げれば、地獄の針山もかくやな、これまた赤黒い山が見えた。
歩ける場所は吊り橋以外になく、出てくる魔族は飛行系のヤツばかり。それもユラディカ1人で対処は十分だ。
「———みんな下がって!」
だから勇者ウィンドルは反応が遅れた。
ぎらりとした殺気を感じて、ぐるりと下から上まで、右から左までその正体を探したまではいい。しかし、見つけることができずに、気のせいかと思い過ごしたのがいけなかった。
「…元勇者、ジェファード。参る」
急に目の前に現れ、何かの道具を脱ぎ捨てて、月に輝く剣を振り下ろす。
———相手は剣士。体格良し。どう見立てても、筋力で負ける。
が、受けるしかない。
ここは狭い吊り橋の上、逃げ場などない。
振り下ろされた剣は、落雷のような速さで、岩石のような重さを感じさせた。ガン、と初撃を受けた剣から、骨の軋むほどの負荷がかかる。
「ゴヴァたち、こっちいらっしゃい!」
空を飛んで移動していたユラディカは2人を引っ張り、軋む橋から避難させた。
元勇者ジェファード。ここにいる全員が彼の名前を、偉業を知っている。
勇者を阻むとは何事だ?
何はともあれ鎮圧だ。
「【頭を垂れよ】!!」
ウィンドルは歯を食いしばりながらも、己を“覇者”と位置付けたスキルを発動させた。
内容は単純に、視界内の人物を平伏させるスキル。小難しい条件などなく、強制的に地面に這いつくばらせることができる。ウィンドルの剣術が育たなかった1番の理由だ。
勇者ウィンドルの必勝法。それ以外で勝てたことはあんまりない。
「んー?今、なんかしたか」
ジェファードはスキルが効いたそぶりもなく、不敵に笑ってみせた。
戸惑うウィンドルの隙を突き、そのまま剣を振り下ろす。踏ん張り切ることもできない。ジェファードの重い斬撃を防ぐ手立てはウィンドルにはなかった。
「これだからパーティーは組むべきなんだよな…」
ウィンドルになくともユラディカにはある。
体制を崩したウィンドルの前には斬撃を防ぐように、淡く光る防護魔法が展開されていた。
「防御は私がするわ。攻めなさい」
なんて頼もしい天才だ。彼女は周囲の飛行型の魔物も並行して倒しているというのに。
ジェファードは自身の斬撃が防がれるのを見て、切る、というより速度重視の突きを繰り出すようになった。普段は聞こえないような、空気が貫かれる音がする。
ウィンドルの頬には一筋の汗が流れた。
一撃目は念のため、吊り橋のロープに掴まり避けたが、魔法が充分耐えたことを横目で確認できた。
滑るようにしてまた橋へと乗り込み、ジェファードの体を下から切り上げようとした———火花を散らして、防がれる。
「身軽だな」
「貴方だって素早いじゃない」
その言葉も言い終わらないうちに、ジェファードからまた素早い突きが来た。今度は避けない。相手の剣を気にせず、攻勢に移った。
ジェファードの剣はユラディカの魔法で防がれ、ウィンドルに当たることはない。
◾️
「おい、ユラディカ。その数捌くのは無茶だろ。魔物は俺らに任せろ」
「ハイヤーはともかく、貴方は対空できないでしょ。大人しくしてなさい」
事実、ゴヴァは広い地上でこそ強いが、空中だったり、吊り橋のような足場の悪いところだと力を発揮することはできない。
ゴヴァは軽く拗ねながらも引き下がった。
「それにこっちは魔法の薬があるんだから」
ユラディカは杖の操縦、魔法による防御と撃墜を並行しながらも、器用に紫色の液体が入った瓶を取り出した。
「…ポーション?」
ハイヤーは瓶の中で泡立つ怪しい液体を疑いながら見た。
「安心なさい。この私が作ったんだもの、効果は十分よ」
きらりと光る指輪のついた右手で、コルクを開けてポーションを飲み干した。
「元勇者ジェファード!そんな攻撃じゃあ、ウィンドルに当たらないわよ?」
◾️
「優秀だな、魔法使いってやつは!」
「ユラディカは特別天才だもの!」
ウィンドルは小さい体格を生かし、体を捻らせて腕を切り上げた。
本来であれば、肉を切り骨を断つ手ごたえを感じるはずが、布を数枚切ったような感覚しか感じることがなかった。
「…!?」
これでも戦場に長くいた。どれぐらいの力でやれば男の腕を切れるかどうかなんて、感覚で分かる。
ジェファードが避けたわけでもない。
彼の服の袖は確かにウィンドルによって切り裂かれ、筋肉のある腕があらわになっていた。
目線を剣を持つ手のひらに移そうと思うと、彼の深緑の腕輪に目が止まる。
ジェファードは洒落っ気のあるタイプじゃないだろう。少なくとも服に合わないアクセサリーだ。
(……腕輪、指輪、ミサンガと……靴。センスがないのか、それを身に付ける必要があったのか)
通じないスキルに、軽減されるダメージ。そして自分たちの目を掻い潜って、正面から奇襲を成功させたこと。あの時彼は、何かを脱ぎ捨てていた。
ウィンドルの中で蘇るのは、あの西の———新奇のダンジョンでミササギが言ったこと。
『僕は身に付けているマジックアイテムで隠れて、わりとずっとお前の近くにいた』
(…相手はマジックアイテムを使ってる…!)
マジックアイテム全盛のこの時代。ウィンドル一行のように、収納用のアイテムしか所持していない冒険者はかなり少ない。模造品であれ、粗悪品であれ、市場には流通している。
相手のソレはどうだろうか。質が悪ければ、回数制限なども付くが———
『勇者ウィンドル、気を付けろ!バックに大陸任命の商人がいる!!』
荒い音声が渓谷の中に響き渡った。
ゴヴァは背後で「ミスター・ボックスと…レディ・ブーケ!?」と言っている。つまりはその話に信憑性があるわけで———
「うーん。不利ね!」
ウィンドルは初めて見る、先立の凛々しい表情を見て口角を上げた。ここまで不利な状況は、北の戦場以来だ。
「気付くの今かよ」
そう言いながらも、ジェファードも同じく笑う。
「勇者を阻む貴方の目的、聞いておいていいかしら?戦っていたら聞くの忘れそうだもの」
「そんなの、勇者の剣が目当てに決まってるだろ?」
剣は再び火花を散らした。
「そう、じゃあ詳しいことは全部が終わったあとにね」




