第82話 代表三人、ケルちゃんに敬語を使い始める
天界・管理区画。
白い会議室の一角に、
簡易的に設けられた休憩スペースがあった。
机。
椅子。
水。
プロテイン。
そして――
床に座り込み、
三つの首をそれぞれ別方向に向けて
のんびり尻尾を振っている神獣。
ケルちゃんである。
「……」
エルフ代表、ダークエルフ代表、元ハイエルフ代表の三人は、
数歩離れた位置で、立ったまま固まっていた。
誰も、先に動かない。
空気が重い。
(……声を、かけるべきか?)
(……いや、今は機嫌が――)
(……尻尾、振ってるけど……)
沈黙を破ったのは、
ダークエルフ代表だった。
「……あ、あの」
三つの首が、同時にこちらを見る。
ポチ。
クロ。
ハナ。
「なに?」
三つの声が、ぴたりと重なった。
「ひっ」
ダークエルフ代表の喉が鳴る。
「い、いえ、その……」
「本日は、その……」
「お、お疲れさまで……」
言葉が迷子になった末、
口から出たのは――
「お疲れさまです……!」
ぴしっとした敬語。
一瞬の静寂。
「……?」
ケルちゃんは、首を傾げる。
「つかれた?」
「だいじょうぶ?」
「いたいとこ、ある?」
「い、いえ!!」
「まったく問題ございません!!」
即答。
その様子を見ていたエルフ代表が、
内心で頭を抱える。
(……始まったな)
エルフ代表も、覚悟を決めて一歩前に出る。
「ケ、ケルちゃん様」
「本日の捕獲業務、大変お見事でございました」
「……さま?」
三首が同時に困惑する。
「え?」
「よんだ?」
「名前、のびた?」
「い、いえ!!」
「敬意を込めた呼称でして!!」
「……けいい?」
ハナが、にこっと笑う。
「えらいってこと?」
「そ、そうです!!」
「非常に、その……」
言葉に詰まったエルフ代表を見て、
元ハイエルフ代表――アルシェルが、
ゆっくりと口を開いた。
「……」
三人の視線が集まる。
(言うな)
(やめろ)
(今は黙ってろ)
そんな無言の圧を、
アルシェルは完全に無視した。
「……ケルちゃん殿」
三首が、一斉に振り向く。
「本日は……」
「その……」
「……ありがとうございました」
完璧な敬語。
深々としたお辞儀。
会議室が、凍る。
(あ)
(終わった)
(殺される)
だが――
「……?」
ケルちゃんは、きょとんとしていた。
「ありがとう?」
「なにが?」
「お仕置き?」
アルシェルの肩が、
びくっと跳ねる。
「い、いえ!!」
「その……」
「ええと……」
言葉を探すアルシェルを見て、
ポチが言った。
「ほめられてる?」
「そうじゃない?」
「がんばったって」
「言ってる気がする」
ハナが、にこにこしながら言う。
「じゃあ、いい人たち?」
三人同時に、
全力でうなずく。
「はい!!」
「善良です!!」
「従順です!!」
「……?」
ケルちゃんは少し考えてから、
尻尾を振った。
「じゃあ、いいよ」
その一言で、
三人の緊張が一気に抜けた。
(……助かった)
(……生き延びた)
(……今日も)
その時。
「おや?」
軽い声が響く。
正義君を解除した統括が、
部屋に入ってきた。
「何やってんだ?」
三人は、はっとして姿勢を正す。
「い、いえ!!」
「休憩中でして!!」
統括は、ケルちゃんを見る。
「ん?」
「なんで距離空けてんだ?」
「……」
三人、無言。
「まあいいか」
統括は気にせず、
ケルちゃんの頭を撫でる。
「ケルちゃん」
「今日もお疲れ」
「えへへ」
「がんばった」
その光景を見て、
三人は確信した。
――この神獣は。
――統括の“お気に入り”だ。
逆らえない。
怒らせられない。
そして何より――
「……」
アルシェルが、ぼそっと呟く。
「……敬語で正解だったな」
エルフ代表とダークエルフ代表は、
無言でうなずいた。
こうして。
エルフ三種族の代表は、
正式に――
ケルちゃんに敬語を使う文化を、
自発的に導入したのであった。
なお。
ケルちゃん本人は、
最後まで理由を理解していない。
「なんで、みんな丁寧?」
「わからないけど」
「まあ、いいか」
そう言って、
今日も尻尾を振っている。
それを見て、
誰もが思った。
――この世界で一番怖いのは、
――力を自覚していない優しさだと。




