第51話 歯車の狂い
天界――。
3か月が過ぎた(下界で28年)窓の前に立つ土の神テレスは、ドワーフ王国に建てられたダンジョンを見下ろしていた。
「……おかしい」
ぽつりと、誰に向けるでもなく呟く。
本来ここは、冒険者の足慣らし用の階層だ。
魔物の強度、数、地形、資源の配置。
すべてが「安全に、確実に、段階的に成長できる」よう、何度も何度も計算し尽くしたはずだった。
――なのに。
「……設計と、違う」
目の前で繰り広げられている光景は、テレスが思い描いたものではなかった。
通路は、広すぎる。
鉱脈の露出量が、多すぎる。
魔物の湧き方が、明らかに偏っている。
さらに――。
「……あの魔物、本来なら二階層以降のはずなのに……」
冒険者たちが、苦戦している。
致命的な被害こそ出ていない。
だが、本来この階層に出現するはずのない“硬さ”と“攻撃力”を持つ個体が、混じっていた。
テレスは、無意識に拳を握りしめた。
(なぜ……?)
設計ミス?
いや、そんなはずはない。
このダンジョンの構造は、テレス自身が一層一層、地形を思い描き、魔力を流し、形にしたものだ。
何度も検証し、鍛冶の神ヘファイストスとも擦り合わせた。
安全対策も万全だった。
帰還石、セーフティーゾーン、魔物の攻撃性制御。
それなのに――。
「……歯車が、ズレている」
その感覚だけが、胸の奥に重く残る。
その時、ドワーフ王国議会からの報告が天界の窓に届いた。
「議長! 報告です!
鍛冶ギルドのマスターが、ダンジョン内部の鉱石採取権について異議を――」
「いったい、何があった!」
テレスは低く問いかけた。
「とにかく今は、ダンジョンの状態を確認しなければ……」
そう口にしながらも、胸の奥に不安が広がっていく。
――鍛冶ギルド。
このダンジョン最大の恩恵を受ける存在。
鉱石、魔物素材、武器、防具。
ドワーフ王国の経済を大きく支える柱だ。
(……まさか)
嫌な予感が、頭をよぎる。
だが、テレスはそれを振り払った。
(考えすぎだ。
父さんがいる。統括がいる)
あの人がいる限り、致命的な事態にはならない。
そう信じていた。
――だが、その夜。
天界に届いた追加報告は、テレスの不安を現実へと変えた。
「第一階層での負傷者、想定より多発」
「鉱石の過剰採掘による通路崩落の兆候」
「鍛冶ギルド関係者による無断進入の疑い」
円卓の上に、重たい沈黙が落ちる。
「……え?」
テレスは、思わず声を漏らした。
隣では、ヘファイストスが険しい表情で腕を組んでいる。
「無断進入だと?
採取量制限は、ダンジョンコアを通じて管理しているはずだ」
「コアの設定が変更されている可能性がある、ということだな」
統括の声は、静かだった。
だが、その静けさこそが、事態の深刻さを物語っていた。
「……テレス」
統括が、息子を見る。
「今の段階で、設計と違う点があるなら、正直に言え」
テレスは、喉が詰まるのを感じた。
「……あります」
絞り出すように答える。
「魔物の配置、鉱脈の露出、通路幅……
全部、少しずつ、ズレています」
「ダンジョンコアの設定変更の痕跡は?」
「……分かりません」
円卓が、しんと静まり返る。
風の神アウラが、口を開いた。
「それって……誰かが、意図的に弄った可能性は?」
その一言が、テレスの胸を締め付けた。
「……僕の、管理不足です」
「テレス!」
アウラが思わず声を荒げる。
「まだ決めつけるのは早いでしょ!」
だが、テレスは首を振った。
「僕が作ったダンジョンです。
僕が、守るべきでした」
視線が、床へ落ちる。
(……こんなはずじゃ、なかった)
冒険者が安全に成長できる場所。
ドワーフ王国が潤い、世界が安定する場所。
その理想は、確実に歪み始めている。
統括は、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……分かった。
まずは、事実確認だ」
その言葉に、テレスは顔を上げる。
「テレス。お前はダンジョンの設計者だ。
正義君を使って、現場をもう一度見てこい」
「……はい」
「ヘファイストス。
鍛冶ギルドの動き、洗い出せ」
「任せろ」
統括は、円卓を見渡した。
「これは、ただの事故じゃない。
誰かが――“欲”を優先した結果だ」
その言葉が、テレスの胸に突き刺さる。
(……僕は、見抜けなかった)
歯車は、確かに噛み合っていなかった。
そしてそのズレは、確実に大きくなりつつある。
テレスは、拳を強く握りしめた。
(まだ、取り戻せる)
(……取り戻さなきゃ)
だが、この時の彼は、まだ知らない。
このズレがやがて――
彼自身の心を、深く傷つけることになるということを。
ドワーフ王国ダンジョン。
その内部で、静かに――
歯車は、狂い始めていた。




