第103話 ドワーフ王国・地下鍛冶場
ドワーフ王国の地下は、夜でも昼だった。
赤く灼けた炉。
打ち鳴らされる金槌の音。
鉄と汗と油の匂い。
王城のさらに下――
王専用の地下鍛冶場。
そこに、王は一人立っていた。
「……チッ」
小柄な身体。
太く鍛え上げられた腕。
だが、その表情は苛立ちに歪んでいる。
「まだ、足りん……」
王の前に浮かぶのは――
何もない空間。
誰の目にも、何も存在しない。
だが、王はそこを見ていた。
いや、
見えてはいない。
だが確かに、
“何かを操作している感触”だけはあった。
「……こうだ」
王が指を動かす。
その瞬間、
地下深くの地脈が、わずかに軋んだ。
王は、ぞくりと背筋を震わせる。
「はは……」
「やはり、神の道具だ」
視界には映らない。
文字も、光も、形もない。
だが。
触れる。
応える。
動かせる。
――コピー。
王の持つ固有スキル。
《複製》。
「見えぬなら、見えぬまま写せばよい」
王は嗤った。
「我は鍛冶師だ」
「形と“働き”が分かれば十分」
脳裏に蘇るのは、
先代王の姿。
伝説の鍛冶師。
民に愛され、
神にすら認められた存在。
(あの男は……)
王は歯を食いしばる。
(神に選ばれた)
(だが、我は違う)
ドワーフ事件のあの日。
ダンジョンが崩壊し、
神が介入した瞬間。
王は、見た。
神が――
何かを使ったのを。
空に手を伸ばし、
世界を書き換えるような動作。
(あれだ)
(神は、道具を使っている)
(ならば……)
金槌を置き、
王は両手を虚空へ伸ばす。
「神にしか使えぬ?」
「ふざけるな」
「鍛冶とは――」
「本来、神の領域だ」
王の声は、地下で反響する。
「世界を打ち直すのが、我らだろうが……!」
その時。
コン、という軽い音。
鍛冶場の入り口で、
誰かが足を踏み出した音。
「……誰だ」
王は即座に振り向く。
そこにいたのは――
見慣れぬ“人間”。
だが、妙に落ち着いた目をしている。
「夜遅くまで、精が出るな」
「……許可なく入るな」
王は唸る。
「ここは王の鍛冶場だ」
「知ってる」
男は平然と言った。
「だから来た」
正義君の姿をした統括だった。
背後には、
フードを被った影が二つ。
小さく動く影――
ケルちゃん。
もう一つ、気配を抑えた影――
エレブス。
王は、無意識に虚空へ手を戻した。
「用件を言え」
「鍛冶の話だ」
統括は、炉を眺める。
「いい火だな」
「管理されてる」
王の眉が動く。
「……分かるのか」
「分かるさ」
統括は笑った。
「俺も、現場上がりだ」
王は鼻で笑う。
「人間風情が、鍛冶を語るな」
「そうか?」
統括は、腰から瓶を取り出した。
透明な酒。
淡く、黄金色。
「仕事終わりの一杯」
「これの価値が分からないなら」
「その時点で、鍛冶師失格だ」
王の目が、わずかに見開かれる。
「……それは」
「ネクタル」
「味しか取り柄のない酒だ」
「だがな――」
統括は、炉の前に腰を下ろした。
「労働のあとに飲むと」
「世界で一番、うまい」
王は、しばらく黙っていた。
「……くだらん」
だが、
その視線は酒瓶から離れなかった。
統括は続ける。
「お前、欲にとらわれ過ぎてる」
王の肩が、ぴくりと動く。
「王ならな」
統括は、静かに言った。
「欲より先に、見るべきものがあるだろ?」
「……何を」
「民だ」
「道具でも」
「名誉でも」
「神の力でもない」
「使った“あと”に」
「何が残るかだ」
王の拳が、震える。
「黙れ……!」
「先代王は」
統括は続けた。
「神に選ばれたんじゃない」
「民に選ばれた」
沈黙。
炉の音だけが響く。
「……見えているのか?」
王が低く問う。
「いや」
「見えてない」
統括は即答した。
「でもな」
「“触ってる”のは分かる」
ケルちゃんが、小さく言った。
「それ、あぶないよ」
王は苛立たしげに叫ぶ。
「何が危険だ!!」
「神が使っていいなら!」
「我が使って何が悪い!!」
統括は、静かに言った。
「責任の重さが違う」
「神は、壊したら直せる」
「だが――」
「お前が壊したら」
「誰が直す?」
王の呼吸が荒くなる。
「……我が直す」
「失敗したら?」
「……」
統括は立ち上がった。
「王」
「お前は、鍛冶師だ」
「なら、知ってるはずだ」
「一度割れた鋼は」
「完全には戻らない」
王は、俯いた。
しばらくして、ぽつりと呟く。
「……我は」
「評価されたかっただけだ」
その言葉に、
統括は酒瓶を差し出した。
「まずは、飲め」
「……何故だ」
「話は」
「飲みながらだ」
王は、迷った末――
瓶を受け取った。
一口。
「……っ」
目を見開く。
「……なんだ、これは」
「だから言っただろ」
統括は笑う。
「うまいだけだ」
「だがな」
「仕事のあとに飲むと」
「誤魔化しが効かなくなる」
王は、しばらく黙って酒を見つめていた。
虚空へ伸ばしていた手を――
ゆっくりと、下ろす。
「……少し」
「頭を冷やす必要があるようだ」
統括は頷いた。
「次は――」
「ちゃんと、汗かいてから飲もう」
ケルちゃんが、元気よく言う。
「筋トレもする!」
「……なぜだ」
「ドワーフだから!」
「意味が分からん!」
だが、王は――
ほんの少しだけ、笑った。
見えない手は、
まだ消えていない。
だが、
暴走は止まった。
この夜、
世界は一度、救われた。
完全にではない。
だが――
取り返しがつく範囲で。




