第102話 見えない手
夜だった。
鬼人族の島に月が昇り、海が静かに呼吸している頃――
統括は、正義君の姿のまま、城の外れに立っていた。
「……やっぱり、触ってるな」
誰に言うでもなく呟く。
空気は穏やか。
風も正常。
地脈も問題なし。
だが、“操作の痕”だけが残っている。
「神界タブレット」
「使われた形跡があるのに、ログがない」
あり得ない。
神でなければ、そもそも“見えない”はずなのだ。
「主ー」
足元で、ケルちゃんが座り込んでいた。
三つの頭がそれぞれ違う方向を向いている。
「ここじゃないなー」
「うん、ここじゃない」
「でも、さわったあとは、ある!」
「痕跡はここまで伸びてる?」
統括が問うと、ケルちゃんは尻尾をぶんぶん振った。
「うん!」
「ずーっと、ずーっと!」
「えっとね……」
ケルちゃんは、ぱっと空を見上げる。
「むこう!」
指し示す先。
それは、大陸中央部――
ドワーフ王国の方向だった。
「やっぱりな」
統括は、ゆっくりと息を吐く。
「ドワーフ事件の時から、妙だったんだ」
あの時。
神が介入し、崩壊したダンジョンを再生させた。
普通なら――
“奇跡が起きた”で終わる。
だが。
「“何を使ったか”を見てたやつがいた」
背後で、空気が揺れた。
「ゴペッ!!」
「……ああ、はいはい」
振り返らずに言う。
「見なくてもわかるな」
「違うのじゃ!!」
抗議の声と同時に、
案の定、エキドナが足を押さえて立っていた。
「で、どうしたんだ」
「その言い方、もう少し優しくできぬか……」
「できない」
「即答するでない」
だが、エキドナもすぐに表情を引き締めた。
「……やはり、ドワーフか」
「確定じゃない」
「でも、辻褄は合う」
統括は振り返らずに続ける。
「先代王への劣等感」
「名誉欲」
「神の奇跡を目の当たりにした経験」
「……神の力を、道具だと思ったか」
エキドナの声は、低く、冷たい。
「愚かじゃな」
「力とは、理解せぬ者にとって毒でしかない」
「だから、まだ壊さない」
統括ははっきり言った。
「コピーだ」
「本物じゃない」
エキドナが眉をひそめる。
「コピー……?」
「ドワーフ王には、複製系のスキルがある」
「“見えない何かを操作している”と理解した時点で」
「中身は分からなくても、形だけは写せる」
「……神の道具を、外形だけ模した、と」
「それが、今この星を触ってる“見えない手”だ」
ケルちゃんが、不安そうに鳴いた。
「それ、あぶない?」
「危険だ」
統括は即答した。
「でも、まだ制御は甘い」
「だから、天変地異は起きてない」
「起きてない……?」
エキドナが、静かに問い返す。
「いや」
統括は空を見上げた。
「正確には――」
その瞬間。
遠く、水平線の彼方で、
ほんの一瞬だけ、光が歪んだ。
誰にも見えないほど。
だが、確かに。
「“起こそうとして、失敗してる”」
空気が、張り詰める。
「……許せぬ」
エキドナの背後に、竜の気配が滲む。
「星を、遊び道具にするなど」
「落ち着け」
統括は、静かに制した。
「本人は、遊んでるつもりじゃない」
「ならば何だ」
「証明したいんだ」
「自分が、先代王より優れているって」
エキドナは黙り込んだ。
しばらくして、ぽつりと呟く。
「……人は、難しいのう」
「だから現場に行く」
統括は、正義君の姿で一歩踏み出した。
「壊す前に」
「暴走する前に」
「話すのじゃな?」
「ああ」
ケルちゃんが、元気よく手を挙げる。
「ぼくもいく!」
「当然だ」
「やったー!」
ケルちゃんはくるくる回りながら言った。
「でもね!」
「もし、へんなことしたら!」
ぎゅっと拳を握る。
「ぼく、止める!」
統括は笑った。
「頼もしいな」
エキドナは、二人を見て、小さくため息をついた。
「……本当に」
「神とは、現場仕事が多いものじゃ」
その夜。
誰にも知られぬまま。
創造神と竜神と神獣は、
“見えない手”の主へ向けて、動き出した。
星が揺れる前に。
取り返しがつくうちに。




