第95話 竜神の住処
天界は今日も平和だった。
――少なくとも、あの一言が出るまでは。
「……余の住処を、探さねばならんな」
ぽつり、と。
筋トレ後の雑談のような軽さで、竜神エキドナはそう言った。
「……え?」
思わず声が裏返る。
「住処って、ここじゃないのか?」
統括が周囲を見渡す。天界は広いし、空いている場所も多い。神々が住むには十分すぎる環境だ。
だが、エキドナは首を横に振った。
その拍子に、バランスを崩して――
「ゴペッ」
「ほら! そういうとこだぞ!」
反射的に突っ込む統括。
「な、慣れておらぬだけじゃ……!」
尻尾をばたつかせながら立ち上がるエキドナは、咳払いを一つして続ける。
「世界の安定を司る余は、下界に住まねばならん」
「……下界?」
「そうじゃ。天界から眺めているだけでは、地脈の歪みは分からぬ」
妙に真面目な口調だった。
さっきまで犬と遊んで満足そうな顔をしていた竜神とは思えない。
「地脈は星の血管。
余は、その流れを“直接”感じねばならぬのじゃ」
ウェスタが頷く。
「理に適っています。竜神は本来、世界そのものと共に在る存在ですから」
「いや、理屈は分かるけどさ……」
統括は頭を掻く。
「良い場所、そんな簡単にあるか?」
するとエキドナは、急に顔を上げた。
「そう言えば……」
「ん?」
「余がここに来た時、そなたが言っておった場所があったじゃろ」
「……俺が?」
「そうじゃ。そなたが住んでおった世界の話じゃ」
統括は一瞬、言葉に詰まる。
「日本のことか?」
「それじゃ」
「いや、ここは地球じゃないぞ?」
だが、エキドナはどこか得意げに胸を張った。
「この星は、地球とほぼ同じ地形を持つ星じゃろ」
「……まあ、似せて作ったけど」
「であれば、地脈も大きくは変わらぬ」
ウェスタがすっと補足する。
「人族の領土の東端に、小さな島国があります」
「今は、鬼人族――魔族と人間の混血種が住んでいますね」
「そこじゃ」
エキドナは即答だった。
「……即決!?」
「島国は地脈が集まりやすい」
「山と海が近い」
「火山と地下水が交わる」
「安定を観測するには最適じゃ」
指を折りながら語るエキドナの目は、本気だった。
「……あのさ」
統括は嫌な予感しかしない表情で聞く。
「そこ、今住んでる人たちいるよな?」
「うむ」
「追い出すとか言わないよな?」
「まさか」
一瞬、安心しかけた統括に、エキドナは続ける。
「守り人を頼もう」
「……はい?」
「余が住む地を守る者が必要じゃ」
「いやいやいや!」
統括は思わず声を荒げた。
「相手は普通に暮らしてる人たちだぞ!?」
「問題あるまい」
エキドナは不思議そうに首を傾げる。
「余は星を守る。彼らは余を守る。
等価交換じゃ」
「その理屈、現場では通じないからな!?」
ウェスタは苦笑する。
「鬼人族は、誇り高く義理堅い種族です。話せば分かる可能性は高いでしょう」
「“可能性”って言ったな!?」
統括は胃の辺りを押さえた。
「絶対揉める気しかしないんだけど……」
エキドナはそんな統括を見て、にこりと微笑む。
「案ずるな、統括殿」
「その笑顔が一番信用できない」
「余は、慎重じゃぞ?」
「……どの口が言う?」
エキドナは気にせず続ける。
「まずは挨拶じゃ」
「普通の挨拶にしてくれよ?」
「当然じゃ。
竜の姿で降りるなど、愚策」
――一瞬、安堵が走る。
「人型で、ゆっくり話す」
「それなら……」
「……多分」
「“多分”!?」
「慎重に、じゃ」
そう言って一歩踏み出した瞬間、
「ゴペッ」
「だから足元!!」
天界に響く統括の叫び。
それを聞きながら、ウェスタは静かに思った。
(……この星、
また一段階、賑やかになりますね)
エキドナは立ち上がり、尻尾を振る。
「では行こう、統括殿」
「……すごい心配なんだけど」
「何、余がおる」
「それが心配なんだよ!」
こうして、
竜神の新たな住処探しという名の
確実に一波乱起きる旅が始まったのだった。
――胃薬、持って行くべきだろうか。




