第94話 龍VS犬と原初の神の訪問
俺が竜神エキドナと向かい合って話していた、その時だった。
「……それで、地脈の補正は最小限に、段階的に――」
「うむ、慎重に、慎重にな」
エキドナは女王然と腕を組み、真剣な表情で頷いていた。
角と尻尾を備えた人型の姿は威厳に満ちている……のだが。
その足元に。
とてとて、と影が近づいてくる。
「――ん?」
俺が視線を落とすと、そこにいたのはケルちゃんだった。
三つの首が揃ってこちらを見上げている。
「主!」
「遊んで」
「暇」
……ああ、来たな。
「今ちょっと話して――」
そう言いかけた瞬間。
「ほう?」
エキドナの目が、きらりと輝いた。
「犬か」
「いや、神獣――」
「余は犬の事が大好きじゃ」
即答だった。
「……はい?」
「特に、大型で、もふもふしており、忠誠心が高いものが良い」
ケルちゃんの三つの首が、一斉にぴんと立つ。
「もふもふ?」
「好き?」
「遊ぶ?」
「うむ!」
エキドナは胸を張った。
「特別じゃ。
余が直々に遊んでやろう」
「ちょ、エキドナ?」
俺が止める間もなく。
「来い!」
エキドナは、いきなり本気の構えを取った。
「……え?」
ケルちゃんが首を傾げた、次の瞬間。
「龍式・撫で回しじゃ!」
エキドナが突っ込んだ。
「ゴペッ!!」
――いきなり転んだ。
「なぜじゃ!?」
「床、滑る」
「慎重に踏み出したはずじゃ!」
その隙を逃さず、ケルちゃんが飛びかかる。
「のしかかり!」
「じゃれ!」
「噛まない!」
「ぬおおおおっ!?」
三つの首に同時にもふもふされ、エキドナは床の上でもみくちゃになった。
「ち、力が強いぞ、この犬!」
「犬じゃない」
「神獣」
「でも遊ぶ!」
「遊び方が荒いのじゃああ!」
俺は一歩、二歩と後ずさった。
――これは止めた方がいいやつだ。
そう判断しかけた、その時。
空気が、変わった。
す、と温度が下がるような感覚。
天界全体が、静まり返る。
「――統括」
低く、深い声が響いた。
振り向くと、そこに“いた”。
姿は定まらず、輪郭は曖昧。
だが、確かに圧倒的な存在感。
「……原初の神様」
「少しいいか」
「は、はい!」
俺は反射的に姿勢を正した。
背後では。
「こら、犬! 尻尾を引っ張るな!」
「引っ張ってない」
「踏んでるだけ」
「それもやめい!」
……カオスだ。
「……」
原初の神は、一瞬だけそちらを見た気がした。
「話は後だな」
「ええと、じゃあ――」
俺は視線をエキドナとケルちゃんに戻す。
「……エキドナをケルちゃんに任せて――」
「逆じゃ!」
エキドナの声が飛ぶ。
「ケルちゃんを、余に任せるのじゃ!」
「どっちも不安なんだが!?」
だが、もう遅い。
「大丈夫!」
「任せて」
「遊び慣れてる」
ケルちゃんは自信満々だ。
「……命までは取らんでくれ」
「犬扱いするなぁぁ!」
そんな声を背に、俺はウェスタと共に原初の神の前に立った。
「こんなに早く、竜神が現れるとは思わなかった」
「……え?」
俺は素直に首を傾げた。
「早いんですか?」
原初の神は、少しだけ笑った“気配”を見せた。
「通常なら、星が安定してから、
竜神が生まれるまでには、もっと時間がかかる」
「へぇ……」
「だが、この星は違った」
原初の神は、天界を見渡す。
「エルフの森の件もそうだ」
俺は思わず身構えた。
「え、あれ……怒られるやつです?」
「否」
即答だった。
「管理を放棄した文明を、
破壊ではなく再教育で立て直した」
「……たまたま、上手くいっただけです」
「ドワーフ王国のダンジョン事件」
「……はい」
「欲に溺れた者を裁かず、
選択を示し、誇りを思い出させた」
俺は少し居心地悪そうに頭を掻いた。
「いや、あれも……
正解だったかどうかは、今でも分かんないです」
「魔族と人族の争いも見事に収めた」
「……あれは、ほぼ筋肉で解決しました」
「それも一つの答えだ」
原初の神の声に、わずかな笑みが混じる。
「私はな、統括」
「はい」
「神が手を差し伸べすぎると、
世界は神に甘え、
やがて自ら立てなくなると考えていた」
俺は、黙って聞いていた。
「いや……実際、そうなっていた」
空気が、少し重くなる。
「だから私は、星を作り、神を配置した後、
基本的には干渉しなかった」
「……」
「世界が滅びるなら、それも運命だと」
俺は、思わず拳を握った。
「……それ、ちょっと冷たくないですか」
原初の神は、否定しなかった。
「冷たい。
だが、それが神の在り方だと思っていた」
少し間を置き、続ける。
「正直に言おう」
視線が、俺に向く。
「私は、お前をただの脳筋消防士だと思っていた」
「ですよね!?」
俺は思わず声を上げた。
「俺もそう思ってました!」
横でウェスタが、静かに顔を覆う。
だが、原初の神は続けた。
「だが、お前は違った」
「……え?」
「守るべきものを奪わず、
だが放置もしない」
「裁かず、導く」
「止めすぎず、任せる」
一つ一つの言葉が、胸に落ちてくる。
「それは、私が考えもしなかった神の在り方だ」
俺は、言葉に詰まった。
「……俺は、そんな立派なこと考えてないです」
「知っている」
原初の神は、優しく言った。
「お前はただ、
“現場にいた者”なのだ」
脳裏に、記憶がよぎる。
煙。
悲鳴。
救えた命と、救えなかった命。
「現場ではな、完璧な判断など出来ない」
俺は、小さく頷いた。
「だが、それでも動かねばならぬ」
沈黙。
そして――
「よって」
原初の神は、はっきりと宣言した。
「これから先は、全てお前に任せる」
「……え?」
「お前の好きに動け」
「いやいやいや!
それ、責任重すぎません!?」
「理想の星を、作ってみよ」
「……ほんとに?」
「ああ」
「失敗しても?」
「それもまた、星の選択だ」
俺は、しばらく黙り込んだ。
やがて、深く息を吸う。
「……分かりました」
顔を上げる。
「正直、どうなるか分かりません」
「うむ」
「でも」
少しだけ笑う。
「現場で培ったやり方しか、
俺にはないんで」
原初の神は、満足そうに頷いた。
「それでよい」
次の瞬間、
その姿は、ゆっくりと天界に溶けていった。
――――――――
話が終わり、俺は急いで戻った。
そこでは。
ケルちゃんが満足そうに伏せ、
エキドナは――髪を乱し、服に毛をつけ、
だが晴れやかな笑みを浮かべていた。
「これほどまでに、余を愉しませるとは」
俺が恐る恐る声をかける。
「……何してたの?」
エキドナは、堂々と言い切った。
「犬と全力で遊んでおった」
「犬扱い、やめてあげて?」
「愛い奴め」
エキドナはケルちゃんの頭を撫でる。
「褒めて遣わそう」
ケルちゃんは尻尾を振った。
「また遊ぶ」
「約束」
「うむ」
俺は、天を仰いだ。
――竜神誕生、初日からこれである。
だが。
この星は、確かに前に進んでいる。
そう、思えた。




