第91話 距離と責任、そして成長
天界で三日が過ぎた。
下界に換算すれば、一年。
だが天界は相変わらず、静かで、穏やかで、何事も起きていないように見えた。
「……平和だな」
統括は天界の庭で、正義君を整備しながら呟いた。
アウローラは光の羽を揺らし、デーメーテールは苗木に水を与え、
エレブスはいつもの黒のぶかぶかのタンクトップ姿で筋トレをしている。
――何も問題はない。
その、はずだった。
「……あの」
声がした。
聞き覚えのありすぎる、少し遠慮がちな声。
統括が顔を上げる。
「ん?」
目の前の空間が、わずかに歪んだ。
次の瞬間。
「……ただいま」
そこにいたのは、
三つの首を持つ神獣――ケルベロス。
「………………」
天界が、静止した。
「……ケルちゃん?」
エレブスが真っ先に駆け寄る。
「どうしたの!? 何かあったの!? 怪我!? 痛い!? 疲れた!?」
「……うん、ちょっと」
三つの首が、同時にうなだれる。
「……エルフ達がね」
統括が嫌な予感を覚える。
「……押し活?」
「押し活」
即答だった。
「すごい近い」
「ずっと見てる」
「寝てるときも拍手される」
「……それは怖いな」
エレブスが震える。
「ま、まさか……家族扱いが行き過ぎて……?」
「うん」
ケルちゃんは正直だった。
「好きなのは嬉しい」
「でも……」
「管理より、拝まれてる」
統括は、無言で正義君に乗り込んだ。
「行くぞ」
「え?」
「現地確認だ」
下界――元エルフの森。
かつて崩壊しかけた森は、再生していた。
世界樹は健在。
だが、その周囲の光景は――
「……ひでぇ」
異様だった。
ケルちゃん像(未完成)が三体。
管理者観察小屋。
管理者通過記念の石碑。
「おかしいな」
統括は首を傾げる。
「管理させたはずなんだが」
エルフ三種族が、全員で土下座する。
「申し訳ありません管理神様!!」
「……誰だそれ」
統括は前に出た。
「聞け」
一言で、森が静まる。
「ケルちゃんはな」
「管理者だ」
「偶像じゃない」
エルフたちが凍り付く。
「これからは――」
統括は指を立てた。
「年に一回、様子を見に来る」
「それ以外は、任せる」
ざわめき。
「サボってたらどうなるか、分かるな?」
全員が、即座に頷く。
「ケルちゃんが――」
一拍。
「がっかりする」
それだけで、森の空気が変わった。
「……それが一番効く」
統括は呟いた。
「だから」
「自分たちでやれ」
「管理も、生活も、未来も」
エルフたちは、深く、深く頭を下げた。
天界に戻る。
ケルちゃんは、少し安心した顔をしていた。
「……これなら、大丈夫そう」
「家族だな」
エレブスが、涙ぐみながら言う。
「離れても……家族だ」
「うん」
その時だった。
「………………」
アウローラが、突然震え出した。
「……正座」
「え?」
「正座!」
統括とエレブスを指さす。
「な、何で?」
「エレブスも」
「?!」
二柱、正座。
「……ケルちゃん」
アウローラの声が低い。
「あなた、レベルいくつ?」
「ん?」
ケルちゃんが首を傾げる。
「えっと……」
確認。
沈黙。
「……12000」
「「は?」」
空気が凍る。
「ケルちゃん」
統括が静かに聞く。
「そのレベルは?」
「すごいでしょ」
尻尾ぶんぶん。
「主とエレブスが強くなれって言うから」
「がんばった!」
アウローラ、こめかみを押さえる。
「……誰がそこまでやれと言ったの」
「父上?」
「……言ってない」
「僕もです」
沈黙。
「……正座、延長」
「ええ……」
説教開始。
統括とエレブス、じわじわ足が痺れる。
その中で、エレブスがぽつり。
「父上」
「……何だ」
「凄い神になるには」
「足のしびれに耐えないといけないんですね」
「……違う」
天界に、久しぶりの笑いが戻った。
こうして。
管理者は成長しすぎ、
家族は少し反省し、
世界は一歩、前に進んだ。
第四章――完。




