第88話 建てるな危険!ケルちゃん像
文明とは、
止めないと像を建て始める。
異変は、
静かに、しかし確実に進行していた。
仮設住宅の外れ――
かつて森だった更地。
そこに集まるエルフたち。
石を運ぶ者。
粘土を練る者。
木材を測る者。
「基礎はこの辺でいいな」
「三つの首は左右対称に!」
「いや、威厳を出すなら少し見下ろす角度で!」
「尻尾は振ってる感じがいい!」
「神々しさが足りない!」
……完全にアウトだった。
通りかかった統括は、
遠目にそれを見て、
嫌な汗をかいた。
「……何やってる?」
誰も答えない。
いや、
答えたくない空気が漂っている。
エレブスが、
そっと横に来て囁いた。
「父上」
「……聞かなくても分かる」
「はい」
「像だろ」
「はい」
統括、
ゆっくりと近づく。
「おい」
エルフたちが振り返る。
「あ、統括殿!」
「ちょうどいいところに!」
「いま最終デザインを――」
「やめろ」
即答だった。
「え?」
「今すぐやめろ」
沈黙。
族長が、
おそるおそる口を開く。
「……なぜでしょうか?」
「ケルちゃんは
我らを導いた存在です」
「童話にもなりましたし」
「子どもたちの憧れですし」
「功績を形にするのは
文化として自然かと……」
統括、
こめかみを押さえる。
「……それが一番危険なんだ」
統括は、
地面に置かれた設計図を見た。
――高さ十メートル。
――三つの首。
――背に光輪。
――台座に刻まれた文字。
「世界を見守る神獣」
「誰が書いた」
「……皆で」
「削れ」
「え?」
「全部削れ」
その時。
当の本人――
ケルちゃんがやって来た。
「ワン!」
石材を見て、
首をかしげる。
「?」
エルフたち、
一斉にひれ伏す。
「ケルちゃん様!」
「?」
「偉大なる門番よ!」
「?」
ケルちゃん、
完全に理解不能。
尻尾だけ振っている。
統括、
一歩前に出る。
「聞け」
低い声だった。
「ケルちゃんは
神獣だ」
「だが――」
「神じゃない」
ざわっ。
「像を建てれば
信仰が生まれる」
「信仰が生まれれば
上下が生まれる」
「上下が生まれれば
また同じことを繰り返す」
エルフたち、
言葉を失う。
「いいか」
「神の前には上も下もない」
「神は平等だ」
「そして――」
統括は、
ケルちゃんの頭に
ぽん、と手を置いた。
「こいつは
誰かの上に立つために
生きてるわけじゃない」
「遊んで」
「走って」
「尻尾を振って」
「それでいい存在だ」
ケルちゃん。
「ワン!」
嬉しそう。
その様子を見て、
エルフたちの表情が
揺らぐ。
「……像になったら」
「動けませんね」
「走れませんね」
「撫でられませんね」
「……尻尾、振れないな」
その時。
一人の子エルフが
ぽつりと呟いた。
「……ぼく」
「ケルちゃんと
かけっこしたい」
「像じゃ、できない」
沈黙。
族長が、
深く頭を下げた。
「……我ら、
急ぎすぎました」
「物語を知り」
「文化を知り」
「形にしたくなった」
「だが……」
「生きている存在を
閉じ込めるところでした」
統括、
ふうっと息を吐く。
「分かればいい」
「代わりに――」
「もっと安全な文化を育てろ」
「本とか」
「歌とか」
「劇とか」
「……筋トレとか」
「それはもう十分です!」
石材は撤去された。
粘土は片付けられた。
像は――
建たなかった。
その夜。
ケルちゃんは、
統括の横で丸くなって寝ていた。
「ワン……」
寝言のように鳴く。
統括は、
小さく笑った。
「……危なかったな」
「もう少しで
神話になるところだった」
エレブスが言う。
「既になりかけてます」
「言うな」
こうして。
エルフ史上初の
未然に防がれた巨大像計画は
闇に葬られた。
ただし。
翌日から
子どもたちの間で流行った遊びは――
「ケルちゃん像ごっこ」
地面に伏せて
動かないだけ。
統括は、
見なかったことにした。




