遊牧の獣人
(巫女……?)
前世日本人のマエリスには聞き馴染みのある言葉だが、現世になってからは一度も聞いたことのない言葉。
マエリスはそれに首を傾げたが、ミシェルには心当たりがあるようだ。
「君は、いや君たちはルピとロルカの部族か。私はミシェル・マギカ、彼女たちの雇い主だ」
ミシェルのその言葉に、マエリスは得心がいく。スタンピードの時に一度だけ見た、ルピとロルカの民族衣装。それに近い雰囲気の服を、目の前の豚獣人は着ている。
「おお貴殿が賢者殿か! 皆、警戒は必要ない。彼らは巫女の関係者だ」
豚獣人のその言葉に、周囲から唸り声が消え、代わりに無数の明かりが灯される。
落とし穴がいくつも掘られている小部屋だ。穴の底には槍が数本立てられており、迂闊に行動していれば命が危なかっただろう。
だがマエリスの目はその向こうを見ていた。
豚獣人、山羊獣人──様々な獣人で構成された集団が、壁に沿って並んでいた。その手には斧や鎌や鞭などが握られており、侵入者を包囲して警戒していたのだろう。
また居るのは獣人だけではない。何十匹も魔物がいるのだが、飼い慣らされているのか、暴れる様子はない。
ミシェルはマエリスを下ろし、マエリスは車椅子を出した。
「ならば車椅子の姫君が、マエリス嬢かな?」
「大仰に呼ばないでください。マエリス・マギカと申します。ルピとロルカさんにはいつもお世話になっております」
「そちらこそ我々に対して丁寧な言葉は不要だ。君たちは巫女様のご友人なのだから」
「巫女様……」
マエリスの頭に、巫女服を纏ったルピとロルカが浮かび上がる。
脳内のロルカは美しく舞を披露するが、ルピは盛大に転んだ。
「ルピとロルカさんが『巫女』って認識で合ってますか? ちょっと、ルピが巫女をやってるイメージが出来なくて」
「ははは! 確かにルピ様は慌てん坊だが、歌は上手いのだ。我らにとっては大事な巫女様よ」
大笑いをする豚獣人。するとカラカラと音がして、ふとそちらを見ると、腰にハンマーやノミなどの道具が提げられていることに目が止まった。
「あの、その腰にあるのは……ここの落とし穴の整備用ですか? 蓋の蝶番の構造、体重がかかると折れるようにしてあるんですね」
「ほう! この工夫が分かるか! 弟たちよりも目がいいな!」
マエリスの指摘に、彼は豚の鼻を嬉しそうに鳴らした。
どうやら技術屋同士、通じるものがあったらしい。場の空気が少し和らいだところで、彼は何かを思い出したような顔をする。
「名乗りが遅れたな」
豚獣人は持っていた大斧を床に置き、手を合わせて頭を下げる。
「我はブリック・ピリッグス。ピリッグスは我ら『大工』の氏族の名で、貴族ではない。現在は『王』の代理をしている」
「『王』?」
「巫女様のご友人だ、我らのことを語るのは吝かではない。興味はあるか?」
「折角だから聞いてみたらどうだい?」
ミシェルがマエリスにそう言う。ここで断るのも申し訳ないため、マエリスは聞くことにした。
遊牧民たちの起源は、過去の迫害運動から逃れてきた獣人たちの集まりだと言う。
そう語るブリックはこの大陸の生まれだが、先祖はペーラ・ウルト大陸の隣の島、ナザーリムが起源だ。
世代を経ることで人間たちへの憎悪は薄れ、今では多少ながら交流もある彼らだが、人間たちから隠れて生活するために始まった『魔の森』での遊牧生活を伝統的に続けている。
遊牧民は複数の氏族で構成されている。ブリックを始めとする『大工』の氏族や、『記録』の氏族などだ。
「──そしてルピ様たち『巫女』の氏族に、今は亡きベイル様の『王』の氏族」
「『王』、ですか」
「ああ。『王』は我らの守護者であり、リーダーだった。特に、ベイル様は悪戯好きの困ったお方だったが、誰よりも勇敢で強い『王』だった」
『巫女』と『王』は特別で、『王』は遊牧民の始まりからずっとリーダーを担い、『巫女』は不思議な力で遊牧民を守り続けた。
「数年前のことだ。子どもたちの行方不明が相次いでいた中、我らは何者かからの襲撃を受けた。獣人の目にも止まらぬ惨劇。我は逃げ惑うしか出来なかった」
悔しげに、ブリックは拳を握る。
「『巫女』の氏族の皆様とベイル様が、我らが逃げる時間を稼いでくださり、全滅は避けられた。
ルピ様とロルカ様は帰ってこられたが、当時の『巫女』であったルピ様の母君とベイル様は、ついに帰ってこなかった」
以来、彼らはこのように遺跡を転々として隠れ住んでいるらしい。
「だがな……最近感じるのだ。焦炎と血錆の臭いが、我らを狩り立てた『狩人』の臭いが」
ブリックの視線がマエリスの目をまっすぐ射抜く。
「君からもだ。『巫女様』の臭い程ではないが、ほんの微かに『狩人』の臭いがする。故に初めに警戒したのだ」
「ボクから……?」
それはつまり、マエリスは『狩人』と会ったことがあるということだろうか。だが全く心当たりがないマエリスは首を傾げる。
「この街で? それとも帝都で拾った? ラホープ領にも行ったし……」
「焦炎と血錆の臭いなら、君の実験の怪我かもしれないが」
「えぇ……? お父様は心当たりありませんか?」
「あるよ。というかおおよその検討はもう付いている」
「え!?」
その予想外な言葉に、マエリスはミシェルの顔を見上げた。
しかしミシェルは首を横に振る。
「すまないが、君に教えるつもりはない。『君が知らない』方が都合がいいんだ。自力で気づく分には構わないがね」
そして、とミシェルはブリックたちを見る。
「君たちも、正体の情報は必要ない。そうだね?」
「ああ。我らのすることに変わりはない」
「なら私は話さない。納得したまえ、マエリス」
「ぐぬぬ……」
そう言い切られてしまえば、マエリスにはどうすることもできない。
渋々頷く他なかった。
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