不気味な予兆
第三章開始です。
「スタンピードの予兆が確認された」
「は……?」
春の終わり。マノンのデビュタントを終え、マエリスの六歳の誕生日会も終え、久しぶりに一家全員が集合したマギカ辺境伯領の食堂。
使用人たちもいる中で、銀の長髪を後ろで束ね、底冷えするような青い瞳を持つ男性──ミシェルがそう告げた。
教育されている使用人たちは声を発さないが、明らかにその一言で空気が変わっていた。
「あの、お父様」
鋼のような髪と翠玉のような瞳を持った車椅子の少女──マエリスがミシェルに尋ねる。
「前回のスタンピードから一年しか経っていませんけど、普通の事ですか?」
「まさか。スタンピードの間隔は規模にもよるが、二、三十年間隔になるのが普通だ。たった一年なんてありえない」
「でも、去年のスタンピードは、明らかに様子がおかしかったわね」
豊かな銀髪と緑の瞳を持つ女性──シャーロットが、マエリスの車椅子を一瞥してから言う。
「特にあの、『魔王の影』。スタンピードの魔物が逃げるなんてあり得ない事象が起きたわ」
「ああ。そちらは私は報告を受けただけだが、もしかしたらそれが原因なのかもしれないね」
「また怖いこと、起きるの?」
そう怯えた様子を見せるのは、目隠しをした白すぎる少女──マノン。
「おねえちゃん、いなくならない?」
「大丈夫。お姉ちゃんは絶対に帰って来るよ」
マノンの頭を撫でながら、マエリスは誓う。
しかしその決意に、ミシェルが水を差した。
「決意を固めているところ悪いが、実をいうとスタンピードの予兆──魔物の共食い現象は二カ月前から確認されているんだ」
「二カ月? 予兆が見られたら一カ月以内に発生するんじゃ?」
「そこもおかしいところだ。共食いは今も報告されているが、その頻度が二カ月前から変わっていない」
「えーっと、それはつまり、どういうことですか?」
さすがに異常な条件が重なり過ぎて、よくわからなくなってきたマエリス。
その混乱を、シャーロットが無慈悲に解いた。
「今すぐに発生してもおかしくないし、まだ当分発生しないかもしれないって意味よ」
「……一番厄介ですね、それ」
「すぐに皆へ知らせなかったのもそのせいだ。スタンピードの予兆にしては、『魔の森』が静かすぎる。故に情報収集を優先した」
「それじゃあ、何か分かったからこうして報告を?」
「ああ、そうだね」
ミシェルは肩を竦める。
「共食いが発生している以外は、普通通りの『魔の森』だということが分かったよ」
「何も分かってないじゃないですか」
「そうかな? マエリス、思い出してもらいたいが、スタンピードの予兆は何だ?」
「……そういうことね」
「え? えっと──」
シャーロットが何かに納得し、マエリスはエレノアの授業を思い出す。
「魔物の共食いと……死骸が残らないこと」
「そうだ。そして現在、死骸の消滅は一度も報告されていない」
「……つまり、魔力が飽和しているわけじゃない?」
マエリスが考えを述べると、ミシェルが頷いた。
「このタイミングで皆に話したのは、魔法陣の情報解禁によるゴタゴタが一通り片付いたからだ。マエリスが皇后の後ろ盾を得てくれたお陰だね」
「これまでの忙しさの原因も、そこだけれど」
「あ、あはは……」
「そこで、私も直接『魔の森』に赴いて調査を考えている。マエリス、君にも協力を命じるよ」
「了解です」
『命じる』──貴族としてのミシェルの言葉に、マエリスは特に反対もなく頷いた。
「リフィ、君もだ。私が行けない時はマエリスの供を。いいかな」
「畏まりました、旦那様」
次いでマエリスの専属メイドのリフィが恭しく頭を下げる。
そこへ、元気な声が割って入った。
「パパ! マノンも行く!」
「マノン!?」
マエリスがギョッとした目で、己の妹を見る。目隠しに隠された額からは、何か光が漏れていた。放出される魔力の圧が、空気をピリつかせる。
「マノン、強くなったんだよ! おねえちゃんもみんなも守れる!」
「ダメだ」
「なんで!?」
一考の余地もないと、ミシェルは拒否する。
「マノン。君がこの一年間、剣の稽古をしていたことは聞いている。真剣に、地道に取り組んでいるともね」
「え……」
「やっぱりそうなんだ」
マノンはミシェルが知っていることに驚いたようだが、マエリスは納得した。
ペンだことは違う、硬くなった手。それはきっと、血が滲むほどに剣の素振りをした証なのだろう。
ましてマノンは、まだ公表されていない上本人も無自覚だが『聖剣スペードの聖痕』が発現した『聖騎士』だ、何か強さの補正とかがあるのかもしれない。
「だが足りない。スタンピードに対応するには、その力では到底、足りない」
「そんなの、やってみなきゃ分からないよ! おねえちゃんは去年から戦ってた!」
「言って聞かないのは姉譲りか……」
「お父様?」
唐突に背後から刺されて、マエリスはミシェルをジト目で睨む。
「そもそも去年だって、私はマエリスに参戦を許可していなかったのだがね……その結果が、車椅子だ」
「う……まあ、マノンの気持ちはボクも通った道だからわかるよ。だからこそ、マノンには戦ってほしくない、かな」
「やだ! やだ! おねえちゃんが行くなら、マノンも行く!」
「聞き分けなさいマノン!」
「やだ! やだ──!」
ついにギャン泣きし始めてしまったマノン。マエリスはチラリと使用人たちの顔色を覗くが、困惑、沈痛──ミシェル達を非難するような雰囲気はない。
全会一致で反対のようだ。
しかし、どうすれば止められるだろうか、マエリスが考えていると、ミシェルが提案する。
「……マノンの気持ちは分かった。ならばこうしようか」
その発言に、マノンは鼻をすすりながらも泣き声を止める。
「マエリス。君がマノンの実力を評価しなさい」
「え」
「マエリスとマノンで模擬戦だ。いいね」
「ぐすっ……分かった。おねえちゃんに勝って、連れて行ってもらう!」
「え」
マエリスを置いて、話が決まった。
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