光とバランス、地獄の入り口
「マエリス様ぁ、そろそろお休みになられた方がぁ……」
「あと二、三ページ。そこで区切りをつけるから」
夕方。遊び疲れて眠るマノンの寝息を聞きながら、マエリスは分厚い医学書に齧り付いていた。四歳児が読むには異様すぎる光景だが、傍らのルピはもう慣れっこだ。
「さっきもぉ、その前もそう言ってましたよぉ。緊急事態ってわけでもないじゃないですかぁ」
「緊急だよ……これ以上、手遅れになる前に」
マエリスは焦っていた。前世の知識があることに胡座をかき、今まで妹の痛みに気付かなかった。その罪悪感が、彼女を突き動かしている。
「──ん〜……新しい情報は、ないかなぁ……意識高そうなタイトルの癖に」
マエリスは本を閉じ、乱暴にテーブルへ置いた。
この世界で『紅眼』と呼ばれるアルビノの情報は、結局のところ「治療法なし」の一言に尽きる。
だが、マエリスの頭の中には、この本より遥かに進んだ「前世の医学」がある。
問題は二つ。一つは、光過敏の緩和。虹彩に色素がないマノンにとって、日常の光は刃物のような凶器だ。遮断しなければならない。
だが、もう一つ。視覚の発達の問題がある。
(光を遮断しすぎれば、網膜が使われずに衰える……廃用性萎縮、つまり弱視になる)
人間、使わない機能は失われる。マノンは今、視覚が発達する重要な時期にいる。
痛いからといって真っ暗闇に閉じ込めれば、彼女は一生、ぼんやりとした世界で生きることになるだろう。
必要なのは「完全な遮断」でも「全面的な透過」でもない。 有害な光だけをカットし、必要な光を通す「サングラス」だ。
「……パラメータ調整どころの騒ぎじゃないよ」
マエリスは手元の羊皮紙を睨みつけた。そこには、彼女がこれまでに解析した魔法陣のパーツが書き出されている。
・触れたものから魔力を吸い取る機構。
・魔力を吸い取り過ぎないようにする安全機構。
・魔力を溜める機構。
・溜まった魔力量が十分か判断する機構。
・魔力を火・水・土・風のいずれかの属性に変換する機構。
・指定した場所に指定した濃度の魔力を送る機構。
・発動した魔法を維持する機構。
・あと一応、魔力コストを引き上げるだけの無駄な装飾。
今のマエリスが組める魔法陣は、言わば「ONかOFFか」のスイッチでしかない。
「光を半分だけ通す」とか「特定の波長だけカットする」といった、繊細なアナログ制御のパーツがどこにもないのだ。
(まるで、電卓の部品だけでスマホを作れって言われてる気分だ……)
手詰まりだ。 手持ちのカードだけでは、どう組み合わせても「サングラス」にはならない。 思考の迷路に迷い込み、マエリスは机に突っ伏した。
「やっぱりぃ、難しいんじゃないですかぁ? 『紅眼』の克服はぁ、これまでも何人もの偉い人たちが挑戦してもダメだったんですよぉ?」
「……もっとはっきり、ボクにはできないって言えばいいんじゃない?」
弱いところを刺された苛立ちと自虐を交えて、マエリスはルピを見上げる。しかしルピは首を横に振った。
「いぃえぇ、そうじゃなくてですねぇ。マエリス様は紛れもなく天才ですぅ。私は魔法のことは詳しくないですがぁ、一つのヒラメキさえあればぁ、マエリス様は歴史を塗り替えられると思ってますぅ」
「……急にそんなに褒めてどうしたの? 給料足りないの?」
「ちょっと使い過ぎて今月ピンチですけどぉ! 言いたいのはそうじゃなくてぇ!」
コホン、とルピはわざとらしく咳払いをした。
「煮詰まってるならぁ、誰かに魔法を教わってみたらどうかなぁって、思いますぅ」
「教わるって……魔法陣の先生なんて、この街どころか大陸にだっていないでしょ?」
「そうじゃなくてぇ、詠唱魔法の方ですぅ」
「はあ?」
マエリスは顔をしかめた。 自分は詠唱魔法が使えないから、こうして魔法陣と格闘しているのだ。今更何を言うのか。
「どちらも同じ『魔法』ですからぁ。別の視点から見てみれば、ヒントがあるんじゃないかとぉ」
「別の、視点……」
マエリスは反芻する。 確かに、詠唱魔法には「防御障壁」や「幻影」といった光を操る魔法が存在する。 自分には使えないが、「どういう理屈で動いているのか」を知ることはできるかもしれない。
(……そうか。ソースコードが書けないなら、完成したソフトを解析して、リバースエンジニアリングすればいい!)
「なるほど、一理ある……!」
マエリスの目に光が戻る。 完成品を観察し、そこから逆算して魔法陣を組み上げる。 それなら、今の「手札不足」を解消できるかもしれない。
「でしょでしょぉ? 天才の私が言うんですから間違いありませんぅ」
「ルピは天才じゃないでしょ。……でも、誰に教わるの? ボクが詠唱魔法が使えないのは周知の事実だよ。今更、家庭教師なんて」
「それなら問題ありませぇん! 既に適任が一人いますよぉ!」
「え、誰?」
まさか「私ですぅ!」などとは言うまいな。 マエリスが怪訝な目を向けると、ルピは自信満々に人差し指を立てた。
「リフィさんですよぉ。多分ですけどぉ、これ以上の適任はいないと思うんですよねぇ」
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