デビュタント 後編
「それで、何であんなことやってたの?」
「うぅ、言わなあかんか?」
マエリスの質問に、アヌが縮こまる。
「いや別に、言いたくないならいいけどさ」
「何やねん」
「でもほら、男爵も貴族でしょ? お金はあるんじゃないの?」
マエリスがそう尋ねると、アヌはマエリスを妬むような視線を向ける。
「辺境伯の令嬢様にゃ貧乏男爵の苦労なんてわからんやろうな」
「貧乏なの?」
「うちの親父──あそこにいる狸親父なんやけど、貴族のくせにとんでもないお人好しでな。ホイホイ物を手放してもうて、すっかり借金漬けや」
アヌは手元の果実水を一気に呷る。
「金が要るんや。とにもかくにも、金がなきゃ世は渡れんわ」
「大変だね」
「軽っ。そない軽い慰めの言葉初めて聞いたわ」
マエリスも果実水に口を付ける。
「ここで軽々しく『気持ちは分かる』なんて言ってほしくないでしょ?」
「せやな。同情するなら金が欲しいな」
そしてアヌが近くを通った給仕に飲み物をもらおうとした時だった。
ドン、とその給仕に人がぶつかり、トレーの飲み物が大きく揺れる。
毒々しい色の果実水が、グラスから溢れ出し──マエリスの深紅のドレスへと降り注いだ。
「あー! たいへーん!」
わざとらしく、少女の声が大きく響く。周囲の視線が、マエリスへと集中した。
せっかくのデビュタントだ。ドレスが汚れれば退場は免れない。
やった本人の少女が、口元を歪めて勝ち誇った笑みを浮かべる。
だが。
「……子どもって、とんでもないことをするなぁ」
「いや、あんたも子どもやろ──って、どないなっとんねんそれ!?」
アヌが素っ頓狂な声を上げた。
当然だ。
ドレスに降りかかったはずの液体は、何かに弾かれたように中空で静止し、大小様々な球体となってマエリスの周囲を漂っていたのだから。
マエリスの足元から吹き上げる、ホバーの排気を利用した、微細ながら強力な「風の膜」が、液体をブロックしたのだ。
球体はそのまま空気の流れに乗って床に落ち、シミを作る。しかしドレスには濡れた跡さえ存在しない。
「あ、すみません、飲み物のおかわり持ってきてもらえますか?」
「は、はい!」
マエリスの足元で、車椅子の吸気音が小さく唸りを上げて静まる。場がざわついていた。
注目されている。周りから試されている。
「子ども」という身分は、きっと免罪符にはならない。
マエリスは努めて冷静に対応する。
「君は? 大丈夫だった?」
「え? あ、はい……」
給仕にぶつかった少女が、気弱そうに振る舞う。
が、マエリスは彼女の口元が歪んでいることに気づく。こいつは故意だ。
「疲れちゃった? 車椅子で休む?」
「い、いえ、お構いなく」
言外に『お前の足意味あるの?』と伝えてやれば、向こうも察知したのか悔しそうな顔をして去っていく。
そして、大声を上げた彼女を見て、マエリスは尋ねる。
「そんな大きな声を出されて、何かありましたか?」
「え?」
「社交場で大騒ぎするなんて、少し品がありませんよ?」
そう言ってやると、少女はカッと顔を赤くする。
「なによ! つまんない!」
「アルセル!」
悪びれもせず言い放つ少女を、親と思われる男性が回収して退場していく。
こんなものだろうか。マエリスは車椅子の背にもたれて溜息を吐いた。
「あんた……もっとおっかないと思っとったわ」
「ボクのことを何だと思ってるの?」
ポツリと失礼な感想を漏らしたアヌに、マエリスは詰める。
「いや、敵対した相手は徹底的に叩き潰すものやと」
「ここは公の場だよ?」
「嫌な返事やなー」
その返事こそ心外である。マエリスは軽く弁明を試みた。
「『目には目を、歯には歯を』だよ」
「何やそれ」
『目には目を、歯には歯を』──前世で有名なこのフレーズは、よく『報復』の意味合いで使われることが多いが、正しくは違う。
『同害復讐の原則』──即ち、受けた以上のことを報復してはいけないことを定めた言葉なのだ。
「つまり、やり過ぎはよくないってこと。
ボクの足を見下してきた子は同じように見下して、恥辱には恥辱を返す。
君にだって、目利きには目利きで返したでしょ?」
「あれってそういうことなんか……?」
難しい表情でアヌが呟く。すると、横から会話に割り込んでくる声が聞こえた。
「素晴らしいお考えですわね、マエリス・マギカ嬢。正しい力の持ち方を知っているのですわね」
「──フィエット・ブルー様とお見受けします。お初にお目にかかり光栄です」
面倒な相手に絡まれた、とマエリスは思いながら一礼をする。
現れた縦ロールの令嬢──フィエット・ブルーは、床のシミを一瞥してから、扇子を閉じてピシャリと言い放った。
「それでは、ご自身のドレスを守るばかりで『場の平穏』を守れなかったあなたは、どのような報復を受けるのですか?」
「……は?」
「喧嘩両成敗。騒ぎを未然に防げなかった時点で、あなたも同罪ですわ」
フィエットの言葉に、マエリスは眉をひそめた。
「それは暴論ですね。私は一方的に水をかけられた被害者ですが」
「被害者? 隙を見せたあなたの落ち度です。何のための階級だと思っているのですか? あなたが『付け入る隙』を見せたから、あのような浅はかな者が増長したのです」
フィエットは扇子でビシりとマエリスを指す。
「大体、その車椅子もそうです。事情はおありでしょうが、そのような異質なものを持ち込めば、周囲が動揺するのは明白。
『波風を立てない』ことこそが、貴族としての嗜み……ノブレス・オブリージュではありませんこと?」
「……はぁ」
マエリスは大きな溜息を吐いた。
言いたいことは分からなくもないが、それは「虐められる方にも原因がある」という悪しき論理だ。
残念ながら、この令嬢は「話が通じない人種」らしい。
「あのですね、フィエット様。私は──」
マエリスが反論しようと口を開いた、その時だった。
「──退け」
低く、しかしよく通る声が、二人の会話を両断した。
「え?」
フィエットが振り返るよりも早く、周囲の人垣が割れる。
まるでモーゼが海を割ったかのように、貴族たちが恐怖と敬意を込めて道を譲る。
そこを悠然と歩いてくるのは、燃えるような赤髪の少年。
第二皇子、ロイ・カラバだ。
「で、殿下……?」
「邪魔だと言っている。退け、ブルーの娘」
ロイはフィエットを一瞥すらせず、ただ真っ直ぐにマエリスを見据えていた。
その瞳には、二年越しの執着と、ギラギラとした闘志が宿っている。
「……ごきげんよう、ロイ殿下。お久しぶりですね」
「ああ、久しいな。マギカの娘」
ロイはマエリスの目の前で足を止め、ニヤリと笑う。
その笑顔は、かつての「我儘な子ども」のものではなく、獲物を追い詰めた「狩人」のものだった。
「逃げずにノコノコとやって来たその度胸だけは褒めてやる。
だが……今日の主役は俺だ。二年間のツケ、ここでたっぷりと払ってもらうぞ?」
「……」
マエリスの背後で、アヌが「ひぃぃ」と小さく悲鳴を上げる。
(面倒臭……)
マエリスは状況に辟易していた。
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