デビュタント 前編
「マエリスお嬢様、起きてください」
「んみゅぅ……もう少しだけ……」
「デビュタントに遅れてしまいますよ」
「なら尚更出たくない……」
その日の朝、マエリスはベッドから出ることを拒否して、布団の中に立てこもっていた。
「お嬢様、早く出なければ……」
「出なければ?」
「奥様の雷が落ちます」
「マエリス?」
「……物理的にも落としてきそうじゃんヤダー」
しかしこの抵抗を予想していたリフィはシャーロットを呼んでおり、結果マエリスは無条件降伏をした。
「全く、昨日までは朝早くから帝都に出ていたそうじゃない」
「楽しかったです──貴族街は許さないけど」
マエリスは、昨日遠目に見た貴族街の店々を思い出して頬が引きつる。
権威を示すための無駄に高い階段。狭い回転扉。車椅子で入店することなど微塵も想定していない、バリアフリー皆無の建築群。
ついでに周りの視線が、平民街よりも厳しかった。
それを聞いてシャーロットは溜息を吐いた。
「貴族として舐められているからよ。それを覆すために社交があるのよ」
「面倒くさいなぁ……」
「文句を言わないでちょうだい。民の税で生活している以上、これも仕事よ。
私も今日はお茶会に誘われてるのだから早くしてちょうだい」
「はーい」
ベッドから降りたマエリスは、トボトボとシャーロットの後をついて行くのだった。
「リフィ、これじゃあ幼すぎるわ。ただでさえマエリスは背が低いのだから、もう少し大人びたデザインでもいいはずよ」
「いいえ奥様。マエリスお嬢様は普段の言動がややサバサバしておられるので、多少の子どもアピールは必要かと」
「何でもいいよ。動きやすそうなアレとかはダメなの?」
「「マエリス(お嬢様)の意見は聞いていません」」
「どうして……」
朝食後、マエリスは数十分もの間着せ替え人形になっていた。
クローゼットを埋め尽くす子ども用のドレス。それを一着一着身につけるたびに、マエリスの心は擦り減っていた。
「おねえちゃ、キレイ! お姫様!」
「可憐で素敵ですぅ」
「マノンとルピにはこれが楽しそうな光景に見えるんだね……」
そこからさらに数十分を要して、マエリスのドレスアップは完了した。
深紅の、少し大人っぽいドレス。
だが、ただのドレスではない。
座った姿勢でも皺が寄らないよう裁断され、スカートの裾は車輪やホバー機構に巻き込まれないよう、絶妙な丈と広がりで固定されている。
リフィとマエリスが徹夜で議論した「可憐さと安全性のハイブリッド」──それが最終的な回答だった。
「はわぁ……とっても綺麗ですぅ……」
「会心の出来です」
「疲れた……」
既にマエリスの心労はピークだが、残念なことにまだ本番は始まっていない。
扉がノックされ、ミシェルが入ってくる。
「失礼するよ──おぉ、贔屓目を抜きにしても、とても華やかだ。君の若い頃にそっくりじゃないか?」
「私はもう少し可愛げがありましたよ」
夫婦のやりとりを見て、マエリスは思う。
この世界の貴族は一夫多妻が普通だ。増してシャーロットは、悪く言えば「障害のある子どもしか産めなかった質の悪い母体」である。貴族的には側室を持つのが当然だ。
だがミシェルはそうしない。それがミシェルの愛なのだろうと、マエリスは考える。
「では行こうか、マエリス。今日の戦場に」
「はぁ……腹を括ります」
帝城へと向かう馬車の中。マエリスの正面に座るミシェルは、険しい表情でマエリスを見ていた。
「マエリス。帝都へ来る間の馬車で言ったことは覚えているね」
「マギカ辺境伯家にとってアウェーという話ですか?」
「ああ。あの時は喧嘩を買わないように言ったが、言われっぱなしというのもまた、貴族的には問題でね」
「はあ」
「別にそのまま放置しても問題はないが、やはり雑音は少ない方がいいだろう?」
「そうですね」
マエリスは頷く。同時に、ミシェルが何を言いたいのか分からず首を傾げた。
「だから今から言う二つを覚えてくれたまえ」
「はい」
「一つ。今回のデビュタントで、私は君の手助けはしない。私はマギカ辺境伯家当主として、家の利益を優先させてもらう」
「それは、ボクを『健常者』として扱うって意味で合ってますか?」
「そうだ。社交はエレノア先生から教わっているだろう? 授業の成果を見せてもらおう」
「わかりました」
元より障害者として憐れまれるつもりは毛頭なかったが、改めてマエリスは気を引き締めた。
「もう一つは?」
「ああ。もしも今から言う家から喧嘩を売られたのなら、遠慮せず在庫いっぱい買い叩いてくれて構わない」
「……意外ですね」
てっきり、穏便に済ませて欲しいと言うのかと思っていたが、逆に武闘派なことを言い出したミシェルに、マエリスは驚く。
「忘れているようだが、マギカ辺境伯家は代々『北の砦』として帝国を守護してきた武家だ。それが穏便に済ませるなど、格好が付かないだろう?」
「そういうものですかね」
「そういうものさ。特に貴族社会ではな。さて、その家々だが──」
ミシェルと作戦会議をしている間に、馬車は帝城へと到着した。
ミシェルにエスコートしてもらい、降車して車椅子を展開したマエリス。
「マギカ辺境伯家、ミシェル・マギカと長女のマエリス・マギカだ。デビュタントに参加すべく参じた。通してもらおうか」
「は、招待状を拝見します」
門番が慣れた手付きで業務を進める中、周りからは隠しきれない陰口が聞こえてくる。
「何かしら、あれ。車椅子?」
「あんなものを使うなんて、目立ちたいのかしら」
「弱いから配慮して欲しいとか? 来なければいいのにね」
周囲の不躾な視線と陰口に嫌な気分となるが、戦いは既に始まっている。マエリスは完璧な淑女の笑みを顔に貼り付けた。
「──確認できました。どうぞ、お通りください」
門番の手が止まり、道が開けられる。
その先には、入場口へと続く十段ほどの石階段があった。スロープなど、当然ない。
周囲の貴族たちが「どうするつもりだ?」「父親が抱えるのか?」と嘲笑混じりの視線を向ける中──ミシェルはマエリスの方を見ずに、スタスタと階段を登り始めた。
「……」
マエリスは表情一つ変えない。
手元のボタンを指先で弾くと、車輪がスカートへと変化し、隙間から「ヒュン」という鋭い吸気音が鳴った。
次の瞬間。銀色の車椅子は、階段の段差を「無視」した。
ガタつきも、揺れもなく。まるで氷の上を滑るように、マエリスは重力に逆らって階段を滑り上がったのだ。
「は……?」
「え、いま、どうやって……?」
門番や周囲の貴族が、我が目を疑って瞬きをする。
だが、その時にはもうマエリスは階段を登りきり、父の背中を追っていた。
その機構の凄さを理解できる者は、この場にはまだ居ない。ただ「奇妙なものを見た」というざわめきだけが残された。
その後、一時的に控室に通され、少しの待ち時間でマエリス達は呼ばれる。
会場となるホールの扉の前。ミシェルとマエリスは隣り合って時を待つ。
互いを意識する必要はない。やることはもう決まっているのだから。
「帝国北方の守護者、ミシェル・マギカ辺境伯! 並びに、ご令嬢マエリス・マギカ様、ご入場の儀!」
重厚な扉が左右に開かれる。
シャンデリアの眩い光と、無数の視線。
その中心へ、歴戦の威容を誇る父と、深紅のドレスで鋼の機構を駆る娘が、悠然と躍り出た。
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